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1.  戦場のメリークリスマス 《ネタバレ》 
奇妙な味わいの映画だ。捕虜体験者で原作者の分身たるロレンスよりも、セリアズの心理描写に重きが置かれている。彼は障害者の弟を学校のいじめから守ってやれずに見棄てたという罪悪感に苦しんでいた。美しい声を持つ弟は歌を唄わなくなってしまった。それで結婚もせず、戦争が始まると志願し、積極的に危険な任務に身を投じてきた。一方、所長の与野井も同志と誓った226事件の蹶起に参加できず、仲間を裏切ったという負い目に苛まれていた。主義も主張も立場も文化も違うが、共に心の暗渠を持ち、死に場所を求めていた二人が戦場で邂逅した時、やがて惹かれあうのは当然のことだった。魅かれあうのにもう一つ男色という要素もある。共に美青年なのだ。映画冒頭に発生する朝鮮人軍属の男色騒動がそれを示唆している。 俘虜が与野井に殺されそうになったとき、セリアズは彼に接吻して錯乱させ、結果的に俘虜を救った。セリアズは弟は救えなかったが、俘虜を救えたことに満悦し、夢の中で弟の歌を聞きつつ、矜持のうちに死んでいった。与野井はセリアズへの愛憐に堪えず、密かに形見として髪を持ち帰る。そんな与野井も戦後、処刑場の露と消える運命だった。 原軍曹は蒙昧で粗暴な男だが、諧謔を解し、どこか憎めないところがある。自らをサンタクロースになぞらえ、窮地のロレンスとセリアズを救ったことがあった。戦後、戦犯となり、明日処刑という日、ロレンスが訪ねて来た。「あなたは犠牲者だ」と慰めるロレンスに原は、「あのクリスマスのことを覚えているか?」と尋ね、「メリークリスマス、ミスター・ロレンス」と笑顔で言った。彼は訴追に対する弁解は一切せず、苛酷な運命を受忍した。ロレンスは原の死を超越した、凛とした人間性に感動を覚える。軍人としての皮を剥けば、人間味あふれる人物なのだ。戦争がなければ良き友人であったものを。 戦場で憎しみ合う敵同士でありながら、原とローレンスの間に芽生えた友情こそが奇跡なのだ。セリアズと与野井の敵同士で交した接吻こそが奇跡なのだ。それが人間の本来の美しい姿なのだ。神様のくれた奇跡、それが戦場のメリークリスマスだ。戦闘場面を一切描かずに、戦争の愚かさと人間の尊厳と愛と死を審美的に謳いあげた小粋な作品である。演技に難があるのが残念。
[映画館(邦画)] 7点(2015-01-30 03:46:40)(良:2票)
2.  仕立て屋の恋 《ネタバレ》 
恋に殉じた孤独な中年男の悲恋物語。男は孤独を友としている。世間との接触は最低限にかぎり、仕立屋の仕事を事務的にこなす毎日だ。人づきあいの下手さ故に隣人からは嫌われ、子供達からはからかわれるが意に介さない。趣味はボウリングで、慰みとして二十日鼠を飼っている。ある日転機が訪れた。隣の集合住宅に美女が引っ越して来たのだ。忽ち恋に落ちた男は、女の部屋を覗き見するのが習慣となる。甘美な音楽をかけながら女に見惚れるのが、彼にとっての壺中の天地だった。男はそれだけで満足していた。女に恋人がいるのを知っていたし、何より安寧な心を乱されたくなかった。しかし、殺人事件を契機として、女が積極的に接触してくるようになる。男は戸惑った。偶像であったものが、ギリシア神話で彫像から人間に変身したピグマリオンのガラティアのように肉化した現実の女性として出現したのだから。女の目的はただ一つ。女の恋人が殺人犯で、男がその真相をどこまで知っているかを探るためだ。男は女の意企を十分承知しているが、彼女への愛を堰き止めることはできない。希望は無いと知りつつも、万が一に賭けて、彼女に駈け落ちを持ちかける。失望した男が部屋に戻って知ったのは、彼女の裏切りだった。女は刑事に男を殺人犯として告発していた。このときの男の台詞が泣かせる。「きみを少しも恨んじゃいないよ、ただ死ぬほど切ないだけだ」自死に近い形で男は亡くなるが、その手には女の香水の染みた手巾が握られていた。純情ここに極まれりである。男の一方的な恋だが、それは命をかけて守るほどの価値があるものだった。女の存在は、それほど幸福をもたらしてくれるものだったのだ。次の点で演出が光る。殺人事件を絡めて緊迫感を出した点。鳩を毒殺した老婆の逸話を持ち出して、女の本性を暗示した点。その一方で女が男に惹かれてゆくようにも思わせる演出。氷上で転倒した男の姿と、転落死した姿を重ねた点。女と香りを結びつけた演出。心理描写が多く閉塞的になりがちなのをボクシングなどの運動を持ち出して開放感を出した点。最大の美点は男の愛を濃密に描いた点だ。女を拒絶したり、寝台の残り香を嗅いだり、待ち合わせの女を盗み見たり、墜落中に女の姿を映しだしたりと多種多彩だ。レコード、香水、二十日鼠、隆とした服装などの小道具の使いかたも巧い。残念なのは、男に性犯罪歴があること。これでは純愛が台無しである。
[映画館(吹替)] 8点(2015-01-12 21:09:58)
3.  ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ 《ネタバレ》 
ローレンスは、洗練された態度と物腰で壮大な物語を創りあげ、富豪有閑婦人から巧みに大金を巻き上げる大物詐欺師。フレディは、さもしくも女性の同情を引いて小銭を巻き上げる小物詐欺師。二人は南仏のリビエラで縄張をめぐって対立し、どちらが先に目標の女性を騙すか勝負し、負けた方が去るという取り決めをする。目標になったのは歯磨き会社令嬢のジャネットだった。 二人が出会って、諸事あって、いつしか師弟関係となるが、実はそれはローレンスがフレディを追い払う作戦だった。この一連の導入部の進展が絶妙だ。二人は最初から最後まで争っていることになる。だから緊迫感が持続し、笑いも絶えない。 内容は、詐欺師同士の騙し合いで取り立てて目新しいことはないが、最後の二つの仕掛けだけは新鮮だった。 一つは、登場する女性は単純で、騙されやすいこと。これが観客を誤誘導し、実はジャネットは詐欺師だったというどんでん返しに観客があっと驚くと仕掛けになっている。もう一つは、去ったジャネットが帰ってくること。そして三人が手を組むことになる。騙されたままでは後味が悪いが、戻ってきて仲間になるのなら、鑑賞後感が爽やかだ。これがこの映画が愛される理由だろう。ローレンスの渋い演技と、フレディの大袈裟な演技との対比も見逃せない。良質の喜劇だ。
[DVD(字幕)] 7点(2014-12-08 21:27:42)
4.  フィツカラルド 《ネタバレ》 
無類のオペラ好きで、「アマゾンの上流にオペラ座を建てる」という夢をわき目もふらずに追う男の暴走物語。男は他人の家で音盤を大音量で鳴らしたり、教会の鐘を連打したりする愚かな面もあるが、子供と豚と娼館の女将には好かれている。金で全てを買えると思っている人は好きじゃないと、意外と常識人だ。資金調達方法としてゴム農園を考えるが、条件を優位にする為に二つの川を隔てる陸地を船で越えることを思い付く。その実現の過程が正に奇想天外で、実に愉しい。先ず、仲間が個性的なのだ。男が廃棄した鉄道を六年間も無給で保守してきた律義な現地人。機関士で間諜の大男。大酒飲みの調理人。経験豊で信頼のおける船長。他に船員がいたが、先住民を恐れて船を放棄してしまう。そこへ先住民が襲ってくる。男は音楽を流して彼らを宥め、逆に船の陸揚げ工事の協力をさせる。巨大な船が陸を上って行く様子は真に壮観で、最大の山場だ。船が陸を越えて別の川に着水し、歓喜の祝宴をしたのも束の間、先住民がともづなを切って船を流してしまう。船は急流に投げ出され、岸にぶつかり、座礁し、破損しつつも何とか帰還する。先住民の目的は、船で急流の悪霊を追い払うことだった。事業に失敗した男は、楽団を呼び、船上でオペラを演奏させ、一時の憂さを払う。 男は単なる馬鹿では無い。多くの人を心酔させる能力がある。一時とはいえ、首狩族を服従させたのだ。こういう男が活躍する場として、植民地経営の最盛期で成金を多く輩出した南米を選んだのは正解だ。破産する感覚に興奮すると賭け事に興じ、札束を大魚に食べさせる実業家もどこか憎めない。狂っているが、狂気を楽しんでもいる。最後の一線で踏みとどまっている。植民地主義や成金に対する批判は無い。成金も男も同類なのだ。お金を追うか、夢を追うかの違いがあるだけだ。文明批判もない。理屈ではなく、お互いの思惑は異なったしても、違う文明の者同士が大勢集まって、力を合わせて一つの事を成し遂げるのは何と素晴らしいことか。それを見せてくれただけでも十分評価できる映画だ。皮相的な文明批判の映画よりは余程見応えがある。ここには人類の夢があり、希望がある。 稚気にあふれ愛すべき男だが、不気味な風貌の役者が演じているので損をしている。裏がありそうに思えるのだ。笑顔の眩しい俳優ならもっと成功しただろう。一方、娼館の女将の笑顔は輝いている。夢追人はもてるのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-12-08 02:43:52)
5.  友だちのうちはどこ? 《ネタバレ》 
意表を突いた結末が清烈な作品。一見、天真で無邪気な子供の小さな冒険物語のように見えて、実はかなりの“毒”を含んでいる。毒とは、子供社会と大人社会の断絶と相剋だ。子供にとって大人は時に理不尽だ。大人は理屈を一方的に押し付け、子供の主張や言い分に耳を傾けない。ネマツァデは帳面を友人の家に忘れたので、宿題を紙片に書いて提出した。宿題の義務は果たしている。が、先生は、帳面に書かなければ意味がないとし、紙片を破き、今度紙片に書いてきたら退校だと脅す。アハマッドは帰宅して、ネマツァデの帳面を間違って持ってきたことに気づいた。これが無いとネマツァデは退校させられ、それを救えるのは自分だけという差し迫った状況。彼は母にその旨を説明するが、母はそれは遊びたい口実だと一蹴し、宿題しろと命じた上、あれこれ用事を言いつける。アハマッドは母の眼を盗んで、友の救助に向かう。出会う大人は当てにならない。鉄の扉専門の大工は、アハマッドを無視し、帳面から一枚剥がす狼藉を働く。祖父は、命令されたら一度で行動することを子に教えるのが躾であり、その為に四日に一度は殴る必要があると説く。親切ごかしの老人は、一方的に自分の事を語り、間違った家に導く。結局、帳面は渡せず、帰ってくる。家では、父も祖父も無口、母は口うるさい。大人達に対する失望は隠せない。少年は明日、友に降りかかるであろう不幸を思うと、食事も喉を通らない。しぶしぶ宿題をするしかない。その時、扉が開いたて強風が吹きこんできた。漆黒の闇に洗濯物が翻っているのが見える。 強風は大人の理不尽、闇は暗愚さ、洗濯物は障害物の象徴だ。少年は悟った。結局自分も大人になるしかない。友を救うには正直一辺倒では無益で、先生を騙してでも、出し抜かなければならない。こうして、ずるさを覚えて一歩大人に近づいた。物語は、比喩になっていて、大人社会と子供社会の対峙が、そのまま為政者と民衆の対峙に置き換えられる。陋習にとらわれた蒙昧な指導者に導かれる民衆の結末は哀れなものだ。 違和感を覚えた点がある。落した鞄の中味を拾ってあげても、帳面は間違えない。子供が夜に帰宅した場面が省略されてある。ここは当然叱られる場面。夜なのに洗濯物が干したまま。宿題をしなかった子供の言い訳が、「背中が痛い」。翌朝、アハマッドが遅刻する理由が描かれない。住所記載の学級名簿とかないの?
[地上波(字幕)] 7点(2014-09-10 04:52:59)
6.  アラビアのロレンス 完全版 《ネタバレ》 
映画という表現形式を芸術にまで高めた大作であり、間違いなく映画界の最高峰に位置する。とりわけその映像美には感嘆を禁じ得ない。 毀誉褒貶相半ばする歴史上の人物、ロレンスが主人公。非嫡出子で、考古学者で、軍人で、独創家で、反抗的で、アラブ贔屓でと一言では言い表せない複雑な人物だ。 そのことを冒頭、記者に「詩人であり、学者であり、偉大な戦士だった。同時に恥知らずな自己宣伝家だった」と言わせ、それに軍人が抗議するするが、実は彼は、過去にロレンスをアラブ人と間違えて平手打ちしているのだ。実に巧みな技法だ。英国からも、アラブからも、誰からも理解されなかったロレンスの孤独な半生を表象している。 彼は砂漠に放たれたとき嬉々として、「運命など無い」と吠えた。アラブ人を仲間に迎え、アラブ開放を理想に掲げ、戦闘で数々の武功をあげ、名声をもたらすが、それは彼の空回りでしかなかった。運命の皮肉により、彼の希望の象徴だったガシムと、無邪気さの象徴だった二人の少年の一人を我が手にかけなけれならなくなる。仲間の死、戦争の残虐さ、 野放図で勝手気侭でロレンス理想を理解しないアラブ人、部族間の対立、政治の欺瞞と老獪さ、理想と現実の狭間で、彼は人間性を失ってゆき、彼自身を恐れるようになった。映画はその変遷を服で表現している。アラブ式白衣はロレンス自慢のものだったが、徐々に汚れてゆき、血に染まり、汚濁にまみれ、遂には脱ぎ捨て、身丈の合わない軍服を着る。見事な表現方法だ。 全編を通じて映し出される砂漠は神がかっている程美しい。監督が砂漠に魅入られているのだ。砂漠は潔癖で人間を拒む。血も流れるがすぐに乾く。苛酷な砂漠の前では、人間は矮小な生き物でしかない。伝統的暮らしに埋没し、目の前の生活に汲々とする人達にとって、アラブ独立国家樹立等という理想は蜃気楼に過ぎない。そのことを映画は繰り返し、砂漠の大景の中の点景として人間を見せるで表現している。 それでも歴史の影は容赦なく忍びこんでくる。第一次世界大戦を戦う大国の前では、アラブ民族は、利用され、征服される存在でしかない。一石を投じたロレンスも歴史の淵に沈んでいった。一人の人間の力では、燐寸の火は消せても、灼熱の太陽は消せない。悲劇の歴史の一齣を、冷徹な眼でもって芸術的な抒情詩として描いて見せた点が、本作品の真骨頂である。
[DVD(字幕)] 10点(2014-08-31 19:19:04)(良:2票)
7.  コルドロン 《ネタバレ》 
大昔、冷酷で邪悪な王が捕まり、生きたまま溶けた鉄の中に投げ込まれると、王の悪霊は固まってブラック・コンドロン(黒い大釜)となった。邪悪な人間が大釜を所有すれば不死身の軍隊を自分のものとし世界の支配者になれる。ホーンドキングは長年それを探し求めていた。キングの野望を防ぐには大釜を破壊しなけれならない。 少年ターランの飼っている子豚には予知能力があった。それを知ったキングは子豚をさらう。ターランは城に乗り込み、何とか子豚を逃がすが、自分は捕まってしまう。ターランは偶然勇士の剣を得て、知り合いになった森の住人ガーギ、エロウィー姫、老楽士、妖精らの仲間と力を合せて脱走に成功する。大釜は三人の魔女が持っていた。ターロンは勇士の剣と交換する。 しかし大釜を破壊するのは不可能で、邪悪な力を封印するには命あるものが自らの意志で大釜の中に飛び込まなければならず、飛び込んだ者は二度と外に出ることはできないことを知る。誰も飛び込む勇気のないまま、彼等はキングに捕まってしまう。 キングは大釜から死者の軍隊を呼び出した。それを見たターランは大釜に飛び込もうとするが、友達を殺させないと、ガーギが飛び込む。すると軍隊は倒れ、キングは大釜に飲み込まれた。老楽士は巧みに三人の魔女と交渉して大釜からガーギを戻させた。 各人の個性と物語とが上手くかみあっていない。臆病で友達のいなかったガーギが、友達を得、友達の代わりに犠牲となって大釜に飛び込むのは秀逸で、唯一感動できる場面だ。 騎士に憧れるターロンは勇士の剣を得るが、大した活躍もせず、剣も失ってしまう。光を操る姫はターロンとの恋愛がある程度で影が薄い。老楽士は最後の魔女との交渉のときに力を発揮するだけ。子豚は途中でいなくなる。妖精はいないのに等しい。キングはあっけなく敗北する。 設定は遼遠で、登場人物も豊か、いくらでも面白くなりそうなのに凡庸な出来栄えでおわっている。主人公の冒険も成長もほとんどなく、脇役にも魅力がない。光の玉やハープ等の品目を活かしていない。最大の問題は、死んだ者を生き返らせるということを安直に行っていること。これは禁じ手だろう。子供向けだからいいだろうという安易な考えは改めた方がよい。本当に面白いものは、大人が観ても面白いものだ。
[地上波(吹替)] 5点(2014-06-05 20:47:15)
8.  1000年女王 《ネタバレ》 
千年周期で太陽系を巡る遊星ラーメタル星と地球が異常接近し、地球が壊滅するという危機を描く。舞台は関東地方限定で、国連、政府、軍隊は一切登場しない。ラ人は人類より高度な文明を持ち、何万年も前から地球に千年女王を送りこんで支配してきた。 現女王は雨森始の学校の教師と天文台の秘書を兼務、一般人として暮らしているが、密かに人類救済の箱舟を準備してきた。 ラ星の指導者ラーレラは地球移住計画を密計していた。ラ星は暗黒太陽に落ち込む宿命だからだ。 最接近したときに地球に橋を架け、地球人がラ星に避難した隙に移住する計画だ。 良心に則ってそれを阻むのが女王の妹で千年盗賊のセレン。セレンは移住計画を女王に洩らし、ラ星に反旗を翻す。人類はセレン等の戦いをみて、自ら武器を取る。旧式戦闘機、戦車、投石器、弩砲等だがなぜか有効だ。女王は純粋な心を持つ始に共鳴し、何とか人類を救おうとする。女王は関東平野を刳り貫いた巨大な箱舟を浮上させるが、攻撃を受ける。そこでかつて地球愛に目覚め、ラ星に帰還しなかった千年女王の骸に祈りを捧げると、数体が復活し、ラ星に戦いを挑む。ラーレラは超能力で女王を倒すが、女王の婚約者で戦闘司令官のファラに殺される。 人類の救済と愛を描いた壮大なSFだが、感動は薄い。女王が人類をどう支配してきたのか、接近まで半年もあるのに隕石群が襲来したりする等不明な点もあった。浅慮な設定には目をつぶるとしても、人物の動きや表情がぎこちなく、感情が伝わらない。見せ場であるはずの戦闘場面も進度が悪く、美的感覚もなく、ただまだるこい。他に単調な音楽、主人公の醜男ぶりも感情移入をそぐ一因となっている。始と女王の関係が疑似母子なのが惜しい。恋愛関係であれば、もっと受け入れられただろう。それにしてもあの箱舟は巨大すぎで、元に戻す発想に苦笑した。実際問題、あれほどの高度な科学知識があれば、他の星をテラフォーミングできただろう。ラ星人の考えが間違っているとしても、同胞を皆殺しにするような展開は暗すぎるし、後味が悪い。指導者の殺害程度で納めた方が物語としての座りがよい。話を壮大にすれば感動するというものではない。設定が複雑すぎて、過不足なく描くには明らかに尺が足りない。女王やセレンの自己犠牲を描くのであれば、もっと内面に焦点を当てるべきだ。
[地上波(邦画)] 5点(2014-05-28 01:45:02)
9.  デューン/砂の惑星(1984) 《ネタバレ》 
複雑な物語。四つの勢力が入り組んで交差する上に権謀術数があり、宗教が絡む。用語をまとめないと理解不能。◆銀河帝国=皇帝、宇宙協会、大公家の三者によって支配。◆皇帝=大公家のハルコネン家とアトレイデス家を争わせ、漁夫の利を得ようと画策。◆宇宙協会=スペーシング・ギルド。恒星輸送を独占。権力は皇帝を上回る。構成員はギルド・ナビゲーター。スパイスを第一優先。◆ギルド・ナビゲーター=元は人間だがスパイスの多量摂取で芋虫のような姿に。ワープ航法に通じている。未来を予見し、ポールの暗殺を皇帝に命じる。◆スパイス=メランジ。意識を覚醒、ワープ航法、不老不死をもたらす。宇宙を支配する力。◆ハルコネン家=空中浮揚いぼ男爵、甥フェイド、グロス。アラキスでスパイスを採取していた。◆アトレイデス家=レト公爵、妾妃ジェシカ、息子ポール。レト公爵は殺される。ジェシカはフレメンの教母となる。ポールはベネ・ゲセリットの予言した超人かつフレメンの救世主となる。未来が見え、砂虫を操り、アキラスに雨をもたらす。◆クイサッツ・ハデラッハ=宗教結社ベネ・ゲセリット達が独自の繁殖計画によって産み出そうとしている超人、未来予知者。◆ベネ・ゲセリット=超能力をもつ女性種族の宗教結社。「魔女」とも。内なる獣性を懐柔し、自我の管理を目指す。◆アラキス=砂の惑星デューン。砂虫、フレメンが生息。降水量ゼロ。◆フレメン=アラキスの原住民。水を重視し、救世主思想を持つ。◆砂虫=宇宙で唯一のスパイスの補給源。◆ドクター・リエト・カインズ=生態学者。帝国の移動審判官。◆チャニ=リエトとフレメン女性の間にできた娘。ポールの妻。◆命の水=フレメンの宗教的儀式に使う水。砂虫から採取。□宇宙戦争と怪獣(砂虫)と超能力(魔女)と宗教(超人、救世主)と、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような映画だ。これにポリスのスティングも参戦するのだから賑やかなこと。が、早い展開についていけず、カタルシスは得られない。主人公のポールに感情移入する間もない。あれよあれよという間に儀式をクリア、特殊能力を身に付け、砂虫をてなづけ、結婚し、宿敵を粉砕し、最後には雨を降らすという奇跡を起こし、神に近い人物になってゆく。映像、デザインは良く出来ており、スターウォーズに匹敵する。グロ場面が結構あるのに、ユーモアと癒しの場面が全く無いので観ていて非常に疲れてしまう。
[DVD(字幕)] 7点(2013-09-16 23:42:01)
10.  古井戸 《ネタバレ》 
遥か昔に井戸が涸れてしまったために、長年に渡り執念で井戸を掘り続けてきた山国の村のお話。 水を汲むためには約10キロも離れた所まで行かなければならないという苛酷な環境だが、故郷愛のため、村人は容易に村を棄てない。 父親を井戸掘事故で亡くした旺才という青年が井戸を掘ることを決意して、井戸を掘りあてるまでの物語。 ひたすら井戸を掘る物語と予想していたが、意外にも恋愛の要素が多い。旺才には巧英という恋人がいた。 しかし旺才の父と祖父は、巧英をいつか村を出る今風な娘として嫌い、勝手に喜鳳という子持ちの未亡人への婿入りを決めてしまう。 いわゆる売買婚で、旺才の弟の結婚費用を工面する意味もあった。旺才と巧英は駆け落ちを決意するが、見つかって未遂に終わる。 旺才は運命を受け入れ、婿に入り、井戸掘りに専念する。巧英は旺才のことをあきらめきれずに助手を務める。 落盤事故があり、暗闇の井戸の底で二人は結ばれるという屈折した経過をたどる。 水の少ない山国の苛酷な環境に堪え、岩盤にへばりつくように生き抜く村人の逞しい様子や風俗、風習は観ていて飽きない。井戸掘りへの不撓不屈の執念も伝わってくる。恋愛要素を絡めたのもよいアクセントになっている。良作と思うが、不満点もある。 まず、主演男優に魅力がないこと。設定では、旺才と巧英は高校の同窓。巧英は大学受験に失敗して村に戻って来たばかりなので、旺才は19歳。いくらなんでも老けすぎだ。巧英の父親にしか見えない。よって恋愛場面は感興を欠く。 旺才の婿入りにしても、本人に全く知らせずに事を進めるのは無理があるように思える。それに何故長男を婿に出すのかという疑問もある。 次に井戸。井戸を汲む場面が無い。遥か彼方から井戸を汲み、遥かな山道を運ぶ。その苛酷な姿を見せてほしかった。最も残念なのは、井戸を掘り当てる場面が無いこと。井戸を掘り当てるのが主題なのに、それを省略するのは手抜きとしか思えない。最も感動する場面ではないか。長年に渡り耐え忍んできた苦悩が歓喜となって爆発する。その村人の喜ぶ姿を観て、観客もカタルシスを覚えるのだ。
[DVD(字幕)] 7点(2013-09-01 07:09:29)
11.  タイタンの戦い(1981) 《ネタバレ》 
「タイタン」とは何か?タイタンはオリンポスの神以前に世界を支配していた巨人族。クラーケン(北欧神話)はギリシア神話には登場せず、アンドロメダを襲うのはケートス(鯨系の怪物)だが、ゼウスはクラーケンを使ってタイタンを倒し、後にクラーケンを地下に封印したという異説もあるらしい。本作品では、ゼウスが「最後のタイタン、クラーケンを解き放て」と言っているので、クラーケンはタイタン族という設定のようだ。◆アルゴス国王アクリシウスは、罪を犯し国を辱めたとして、娘ダナエとその赤子ペルセウスを箱に閉じ込め、海に流した。ペルセウスはゼウス神の神子だったため、怒ったゼウス神は、大海獣クラーケンを放ち、アルゴス王国を民もろとも滅亡させた。これが物語の発端だが、「罪を犯し国を辱め」だけでは何のことか不明だ。ギリシア神話では「王は彼の孫によって殺される」という神託を得たため、娘と孫を川に流した。◆女神テティスの子、カリボスはヨッパ国の王女アンドロメダの婚約者だったが、「月の泉」を動物狩りに利用して、ペガサスを絶滅寸前に追いやったことでゼウスの怒りを買い、世にも醜い姿に変えられた。悲嘆にくれたテティスはゼウスへの意趣返しとして、アンドロメダに結婚できない呪いをかけ、ペルセウスをヨッパに瞬間移動させ、この世の辛酸をなめさせるよう謀り事を巡らす。テティスは、アンドロメダの母が娘と女神の美を較べる発言を聞きとがめ、アンドロメダを30日後にクラーケンの貢物にさせると宣告。これが冒険の前段階で、非情に凝ったものだが、複雑すぎて把握しにくい。◆要衝は、ペルセウスとカリボス、双頭の犬ディオスキロス、蛇女メデューサ、スコーピオン、クラーケンとの一連の戦闘場面だが、今となっては古い撮影技術で、まどろっこしい。クリーチャーの美的センスは素晴らしいものがある。ペルセウスは剣、兜、楯を労せず得るが、何らかの献身、奮闘によって獲得する展開の方が望ましい。困難が大きい程、見所があるし、感情移入も容易になるからだ。主人公の俳優の容姿が凡庸で、神の子には見えないのも減点だ。途中から金属フクロウが一行に加わり、思いのほか大活躍するのが嬉しい。フクロウはペットのような存在で、物語に彩りを添え、癒しを与え、格好のアクセントになっている。映画を退屈せさずに観せるためには、こういったものが必要だと認識させられた。
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-11 18:28:23)
12.  マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ 《ネタバレ》 
不思議な映画。異文化のせいで不思議なのか、もともと不思議なのか。時代は、スプートニク2号の飛んだ1957年11月3日と、ボクシングのインゲマルが世界チャンピオンになった1959年6月26日の間。不思議はたくさんある。次々と家庭で問題を起こすイングマンが、不幸な運命に見舞われ、それを克服する物語のはずが、あまりにモテすぎ。お医者さんごっこできる仲のガール・フレンドがいて、田舎に行けば男装の美少女サガとクラスメートの一人から好かれ、優しいグラマー美人にも可愛がられる。最後も男装を解いて少女となったサガと添い寝。バラ色の人生である。どうして二枚目でもないのにモテる設定にしたのか?母親が重篤となり入院し、伯父の元で育てられる次第となるが、そんな大変なときにどうして父親が戻らないのか。治癒が難しい結核であれば尚更のこと。可愛い息子たちに電話もよこさないのか?不思議な人が多く登場する。緑色の髪の少年や男装の少女は置くとして、おちゃらけたレコードばかりかけ、他人の土地に東屋を建てる人、ランジェリー・カタログが好きな老人、乳房のモチーフが好きな芸術家、がらくたで宇宙船の乗り物を作る人、屋根を修繕し続ける人、自転車で綱渡りする人、雪の川で泳ぐ人、みな魅力的だが、揃い過ぎると作為がみえてしまう。最重要な母の死を直接描かないのでわかりづらい。悲劇があってこそ、豊かなユーモアに溢れた周囲の人間の姿やみずみずしくも美しい子供たちの成長していく姿が輝いて見えるのに。クライマックスに欠けるのだ。描かないことで想像させ、詩的に昇華させる手法だろうが、高尚すぎる。ところで母親な本当に死んだのか?犬が死んだ時のほうが落ち込んでいる。コップの水は飲めるのにコップの牛乳を飲めないのはどうしてか。犬の死を知り東屋に閉じこもるが、このとき終始ニヤついているように見える。演技に難あり。犬のふりして吠える姿が心に響かない。サガはどうして犬が死んだのを知っていたのか?イングマルとサガはどうして世紀の一戦のラジオを聞かないで寝ているのか。わざわざそれを聞くためにサガの家に行ったのに。遊び疲れて寝たのだろうが、納得しかねる。最後は屋根の修復を続けるおじさんで締め。これは「人生とは心の傷を修復し続けることだ」というメタファーだろう。これはわかり易い。
[DVD(字幕)] 6点(2012-12-24 09:20:39)
13.  マグノリアの花たち 《ネタバレ》 
女性はおしゃべりが好きだ。何でも気軽に話せ、愚痴を言い合える友達は貴重な存在に違いない。だから多少気が合わなくても、憎まれ口を叩いても、喧嘩をしても、やがて何事もなかったかのように仲直りできるのだと思う。あるいは喧嘩、和解、悪口、仲直りを繰り返すことによって、より一層強固で奇妙な友情が生まれるのかもしれない。いくら無二の親友がいても遠くにいては心もとない。遠くの親友より、相談できるご近所様ということもあるだろう。更に竹馬の友だったり、宗教もからめば、「友情」の一言では言い表せない「絆」が生まれるのだろう。その絆が本作の主題。美容院を舞台に普通の女性の日常生活がいきいきと描かれる。祝日、式、パーティ等の場面が多いのは偶然ではなく、そこは女性が活動する場だから。裏方で準備するのはたいてい女性で、頭が下がります。男といえば、近所迷惑を顧みずに鉄砲で鳥の木を脅したり、いたずらをしたりで、役に立ちません。シェルビーは、出産と子育てに命をかける女性の象徴。彼女が死して天使となり、母や子や夫を見守るのは当然でしょう。祈りとは運命を受容すること。 米南部の文化が紹介される。カラーエッグやクリスマスの家の電飾は、今でこそ珍しくないが、公開当時の日本ではまだ一般的ではなかった。プールにマグノリアを浮かべたり、アルマジロの巨大ケーキを作ったり、花婿の友達が銃を鳴らしながら登場したりと興味深い。娘の死を嘆いて涙する女性を友人が無理に笑わせる場面があるが、これこそ日本にないブラック・ユーモアのセンスで、周囲が悲しみに沈んでいるときに、わざと馬鹿をやったり、ジョークを飛ばしたりて皆を笑わせると誉められるらしい。運命を受容し、何もかも笑い飛ばすことができれば幸せでしょう。 原題「Steel Magnolias」のマグノリアは南部の州花で可憐な花だが、鋼鉄のマグノリアとなれば、伝統的に農業に携わってきた南部女性の芯の強さを指すのだろう。「鋼鉄のように強いはずの男が…」の台詞があるが、男性批判ではなく、自分の強さに気づいたということ。その強さは、それは出産し、子を育て、死を見守るという女性の役割に基づくものだろう。女性賛美の映画だ。男性の影が薄いのは、焦点を絞るための演出の妙。出産しそうな妻を乗せた車をバイクで追いかける。それも男の役割。
[DVD(字幕)] 7点(2012-12-18 23:47:49)
14.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版 《ネタバレ》 
ジャックとエンゾの海物語と、ジャックとジョアンナの陸物語を軸に物語は進む。エンゾは素潜り大会で優勝することに生き甲斐を感じている。海の魅力に憑りつかれて、恋人は精神集中を妨げる存在でしかない。ジョアンナは平均的な女性で、ジャックに一目惚れ。ジャックは自由人というより求道者。母は不在、父は漁で事故死し、天涯孤独で育つ。人づきあいや恋愛に疎く、社会人として未成熟。海の魅力というより”魔力”に憑りつかれている。エンゾからは「人間より魚に近い」と言われる。彼にとって素潜りは海の意識(宇宙意識)と繋がる方法。「海の中にいると辛い」理由は「上がってくる理由が見つからないから」。深海は全ての生物の生まれた故郷であり、自分もいつかは胎内回帰するように母なる海に還りたいという宿望がある。深海「グラン・ブルー」には死を超えた何か(理想郷)があると信じている。彼のイルカへの愛は常軌を逸したもの。ジョアンナと初対面のとき「前に会ったね、君はイルカに似ている」という。テレパシー能力の持ち主で、イルカへの愛と女性への愛が同質化している。イルカの写真を見せて「僕の家族」。イルカと手信号など使わなくとも交信可能。元気のない水族館のイルカを勝手に連れ出し、海でリハビリさせる。ベッドに寝ている恋人そっちのけで、海で一晩中イルカと遊ぶ。一方恋人との交信は不得手で、恋人の言うことを聞こうともしない。そんなある日悲劇が起きる。エンゾが素潜り事故で亡くなったのだ。ジャックは遺言通り、エンゾをグラン・ブルーに還してやるが、その戻りに彼も潜水病にかかり、生死の狭間をさまよう。その夜ジャックは不思議な幻影を見た。天井から荒海がのしかかるように侵入し、部屋を満たすのだ。そこには不安や恐怖はなく、イルカは楽しそうに泳いでいる。天啓を受けた彼は船で素潜りできる沖に向かう。グラン・ブルーに何があるか確かめるためだ。恋人は止めるように懇願するが、聞く耳を持たない。妊娠の事実を告げても同じ。諦めた彼女は「行きなさい、私の愛を見てきて」と送り出すしかない。彼がグラン・ブルーに達すると、イルカが迎えにきていた。こうして彼は彼岸の人となった。この映画に癒し効果があるのは、海やイルカの美しさもそうだが、主人公のように家庭や社会生活の煩わしさを捨て去り、自然に還りたいという願望を充足させてくれるから。このジャンル唯一孤高の作品。 
[DVD(字幕)] 8点(2012-09-14 06:44:06)
15.  銀河鉄道の夜(1985) 《ネタバレ》 
ジョバンニの心は押しつぶされそうだ。父親は漁に出かけたまま何か月も連絡がなく、友達からはそのことで、ラッコの密漁で刑務所に入っているなどとからかわれる。母親は寝たきりで、画面に姿を現さないほど影が薄い。それで朝は新聞配達、学校がひけるは活版所で働いて日銭を稼がなければならず、授業中は眠くて仕方がない。優しいのは親友カンパネルラだけ。牛乳は希望や生命力の象徴で、衰弱しているジョバンニには、母親にそれを届けることが出来ない。◆銀河鉄道は地上と天上を結ぶ仮想四次元汽車で、死者の魂や異次元の存在を乗せて銀河をめぐる。鳥がよく出てくるのは、古来日本では鳥は死者の魂を運ぶものとされてきたからだろう。古い地層を発掘するのは、過去や想い出は消失するのではなく、いつまでもそこに存在するという作者の信念の証明。沈没船で犠牲となった人達が乗り込んできて、銀河鉄道の正体が判明する。ジョバンニが銀河鉄道に乗れたのは、疲れた彼の心が死に近づいていたのと、親友の死を動因に、お互いを思う気持ちがスパークした結果だろう。カンパネルラは川に落ちた友人を助けるために犠牲となった。母が許してくれるだろうかと苦悩する。「誰だって本当にいいことをしたら幸せなんだね だからお母さんは許してくださるとおもう」◆旅でジョバンニは成長した。石炭袋という空の穴を見て言う。「もうあんな闇の中だってこわくない。ぼくたち一緒にいこうね」けれど親友は下車する。そこが本当の天上の入り口だから。空の穴は死の恐怖の象徴で、それを越えなければ本当の天国へはいけないことを彼は知っている。突如旅は終了する。現実に戻ったジョバンニは親友の死を知る。加えて父が無事で、間もなく戻ってくることも聞かされる。その果報を母へ早く届けたい、牛乳も飲ませたい、突然の親友の死、彼ははち切れんばかりの思いを胸に牛乳を抱え、ひたすら家に向かって走る。◆感動的なラストだ。全体的に間の取り方がうまい。前半、子供ならではの不安の演出が巧み。鳴りっぱなしの電話、終業ベルに驚いて活字を落とす、切符を落とす人、レジスターの音に振り向く、よぎる鴉の巨大な影、不気味に点滅する外灯など。映像美術、音楽はがんばっている方。◆不審なのは父親の態度。何か月も家族に便りもお金も寄越さないのに、友人(カンパネルラの父)には寄越す。原作の「みんなの幸いのために」という思想は省略されている。
[地上波(邦画)] 7点(2012-09-03 15:52:01)
16.  古都(1980) 《ネタバレ》 
戦後一貫して日本の美を追い求めた川端康成が、京都を描くために京都に住みついて原作を執筆した。違う環境で育ち、偶然出会った双子美人姉妹の物語。姉の千重子は捨て子にされたが、育て親に恵まれ、呉服問屋の令嬢として乳母日傘で育てられた。捨てられた理由は、貧困と「双子は育ちにくい」という迷信のため。苗子は実の両親の元で育ったが、幼い頃に二親とも逝去。苦労して育ち、今は北山杉の土地持ちの住み込み奉公と山仕事を兼業して暮らす。特筆すべきは苗子の驚嘆するほどの奥ゆかしさ、慎み深さだろう。自我を前に出さず、相手を思いやる心、謙遜の情にすぐれている。原作者の説く日本の美の体現者だ。両親が亡くなったのは、姉を捨てた神罰と信じ、両親が亡くなった後は、その罪はいつか自分に降りかかるものと覚悟している。姉に対して何も望まない。北山杉で会う場合も、村人の目を憚って山中で会うという気の使いよう。姉の家も訪ねる折も、わざわざ夜にする遠慮深さ。それを迎える姉の両親の気配りも良かった。呉服問屋で一緒に暮らさないかという申し出は断わる。贈られた帯も付けない。姉と同泊したのを今生最上の喜びと表現。優しさも兼ね備える。山で雨に降られた時は姉にかぶさり、寝る前には姉の布団を温めたる。別れるとき、姉の差し出した傘を受け取ったのは、形見替わりとしてだろう。姉を慮ってもう積極的に会う気はないのだ。典型的な相手に尽くす型の女だが、自分の生き方を貫く強い女でもある。一方千重子は素直に育ち、良妻賢母型で、両親のいう事に逆らわない生き方で満足している。両親の持ってきた結婚話も受諾する。運命を受け入れているだけのように見えるが、実は運命を切り拓いている。未来の夫の忠告に従って、家の商売の勉強を始めるのもその証左。捨子ながら幸福な家庭環境の下で育ったのも偶然ではないだろう。”紅殻格子の前に捨てられる”という運命を引き当てたのだ。巫女的な力を宿しているように思う。これは双子を演じた山口百恵が、恵まれない家庭環境に育ちながらも国民的スターになれたことと重なる。苗子は、彼女が「赤いシリーズ」で演じた”薄幸ながら力強く生きる少女”の分身だ。彼女の二面性を合わせ鏡のように見せてくれる映画のように思える。偶然の産物だろうが、彼女の引退作品としてはこの上ないものだったと思う。アイドルを越えた女神、山口百恵が”日本の美”として記録された。
[DVD(邦画)] 7点(2012-08-16 23:52:54)
17.  さらば箱舟 《ネタバレ》 
前近代的、土俗的因習の残る「村」が舞台。村全体が本家・分家の疑似家族で、本家により価値観と時間が一元支配される。支配の象徴が柱時計で村崩壊と共に時計は止る。冥界に通じる「穴」は「村の死」の表徴で、村の瓦解と共に巨大化。死は否定的ではなく、生も死もおおらか。村崩壊の原因は隣町(近代社会の象徴)から流入する物や人。鋳掛屋、写真屋、時計売り、電柱・電話、偽家族、旅芸人等。◆近親相姦の禁忌に触れたため、いとこの捨吉と結婚したスエは髪(女性性の象徴)を切られ、貞操帯を着けられる。大作と捨吉は対極の関係。大作は本家の嫡男で、女を自由に抱ける。捨吉は分家で、妻さえも抱けない。不満の爆発した捨吉が大作を刺殺。本家の世嗣を失い村の崩壊は加速する。捨吉は逃走するが元の家に還る。彼自身が村の掟という呪縛(価値観)の囚人で、無意識に「ものを忘れる」ことで自らを罰する。大作の亡霊が見えるのは罪意識の所為。「俺」の札を首にかけた捨吉は自己喪失の象徴で、消えゆく村の予兆。捨吉と村は一如。彼が柱時計を持つと掟破りの罪で村人に殺される。彼が死んでスエの貞操帯は外れる。長髪を付け(女性性の回復)、ダイ(本家の偽跡取り)と性交するが、終ると古い家は消えた。全員村を去るが、捨吉を棄てられないスエは留まり、隣町の存在を否定。百年経たないと強い絆で結びついた村(箱舟)の本当の価値はわからないと予言し、花嫁姿で「穴」に身投げする。百年後。村人の子孫は都市に住むが、集合写真を撮る程度の絆は残る。写真は百年前の姿に一変。人間の本質は何も変わらない。生き代わり、死に代わりして、命脈を繋げる人間の逞しさ、いとおしさ。監督の死生観の表明。美と醜、原色と白黒、猥雑と神秘、エロスとタナトス、現実と虚構の交錯する独自の映像詩に瞠目。◆木等に縛った布は村の戒めの象徴。随所挿入の老婆は時の流れを客観的に見守る神(監督)。浮遊石は神への信仰心の象徴で徐々に地に落ち、めり込む。チグサは神秘の象徴。人と神が未分化の状態で、エロスと死の女神。神の戒めを解く力があるが不用意に近づけば死ぬ。黄の花弁はあの世とこの世の境界の象徴。ダイが「穴」に落ちて成長したのは、「穴」が成長を促したから。よそ者ダイの成長は村の死を早めることになる。村人の火の踊りは絆の象徴で、村として最後の光芒。竃の火は家の象徴。金貨は村の財産の象徴だが、村が消滅していては活かされない。
[DVD(邦画)] 9点(2012-08-12 19:34:32)(良:1票)
18.  ネバーエンディング・ストーリー 《ネタバレ》 
ファンタジーの金字塔。物語が入れ子構造で、物語と現実が交差する。本を読むと物語の主人公になれる魔法のような本があったら。この設定が”神がかり”で、想像の翼はどこまでも飛翔する。少年が本に出会ったのは偶然ではない。母親を失くした喪失感、学力優先の授業、学友からのいじめ。現実のなんと厳しいことか。少年は慰みを本に求めていて、ファンタジーの住民だったのだ。”無”によって消滅の危機にあるファンタジー王国を救うために勇士アトレイユが出発して冒険物語が始まる。美しくて壮麗な景観がファンタジーの世界へと誘う。次から次へと襲う試練と危機で飽きることがない。仲間である王国の住人達は見ていて楽しい。特にロックバイターは個性的でお気に入りだ。”無”の放つ刺客ともいうべき黒狼の存在が不気味で、緊張感を与えている。物語に弛緩箇所は無い。アトレイユは自分の本当の姿が映る鏡の前に立つ。そこに現れるのは本を読む少年の姿だった。自分が子供だったとして、本の中に自分のことが書いてあったらどれだけの衝撃を受けるか、計り知れないものがある。ここから物語は少年と一緒に進む。アトレイユは武器を持たず、試練は精神的なものが多い。悲しさに捉われると沈んでしまう沼。自分の本当の姿が映る鏡。勇気がゆらぐと通れない門。これは少年がアトレイユと同じ精神状態となり、一体となるための工夫。やがて少年は知る。王国は人間の空想の世界の産物で、人間の夢と希望で作られている。希望を失い、夢をあきらめかけている人間の心の空しさ、絶望が”無”の正体であることを。アトレイユも知る。自分の冒険の旅は、実は人間の子供を王国に連れてくるためのものだった。そして、それは成功した。王国を救うためには人間の子供が女王に新しい名前を付ければよい。それは新しい空想物語が始まることを意味していた。少年は母の名前(実はムーンチャイルド)を叫び、王国は再生された。少年はファルコンに乗って現実世界に戻り、いじめっ子に仕返しをするが、これは蛇足。成長した少年がいじめっ子と堂々と渡り合う姿を見せれば良い。技術的には、機械仕掛の創造物の顔の表情が豊かなのに驚く。日本の特撮では見受けられない精巧さだが、四足動物の動きは再現出来なかったようでカットされている。キーアイテムのアウリンの活躍が少なくて残念。アトレイユの冒険の旅も又壁画に描かれていたという凝った構成には脱帽。
[DVD(字幕)] 9点(2012-08-08 03:08:40)
19.  木を植えた男 《ネタバレ》 
砂漠のような荒野にひたすら木を植え続けた男の話。木は根を張り、木陰を作り、森に育ち、動物達を呼び、遂には多くの人の住む楽園を形成した。そこに住む人達は男のことを知らない。男は養老院でひっそりと息を引き取った。 男が行ったのは単純なこと。どんぐりを選別し、毎日100個ずつ植え続けること。その行為を営々と何十年も続けたことで奇跡が生まれた。男は何の名誉も報酬も求めなかった。ただ人として正しいと信じたことを生涯かけてやり通したのだ。一人の人間の行為がいかに尊いか、いかに偉大か、心を開かせてくれる。男の忍耐力、信じる力、誠実さ、情熱を思いやれば、人間の持つ無限の可能性が信じられてくる。 男はどういう人物だったのか。「彼と一緒にいるだけで心の安らぎを覚えた」という。人々のことを深く思いやる優れた人格者は人の心を安心させる力がある。家族を亡くして、天涯孤独の身となった男は、長年厳しい自然の中で過ごしてきた事を鑑み、木を植えるという仕事に余生を捧げる決心をした。その間、二つの大きな戦争があったが、男は戦争と関わりあいを持たなかった。自らの野望のために戦争を始めたヒトラー、片や木を植え続けた男。悪魔の行いと神の行い。人間は悪魔にも神にもなれる。 男の成功への道筋は平坦なものではなかった。植えた木の半分枯れたり、苗が全滅したりすることを経験している。それでも男はくじけなかった。自然から学んだ知恵、創意工夫を身に着けていて、逆境に打ち勝つ強い精神力が備わっていた。その原動力となったのは、あまねく人々のことを思いやる気持ちでしょう。こんこんと泉のように湧き出てくる人々への思いやり、優しさ。それが彼を偉大な成功者、偉大な人間たらしめたのでしょう。野太い生命感のある絵柄、哲学者のごとき面がまえ、適格な語り、全てが素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-15 22:40:10)
20.  スノーマン<TVM> 《ネタバレ》 
子供たちに愛される要素がいっぱい詰まったアニメ。スノーマンというユーモラスなキャラ。これが主人公の男の子に負けないいたずら好きで、見ていて楽しく、ほほえましい。これだけで成功の半分は約束されたようなもの。このスノーマン、重そうなのですが、意外にも空を飛んで男の子を雪の国に連れてってくれます。そのときに流れる曲は名曲、感動的です。男の子を待っていたのはスノーマンの仲間とサンタクロースでした。クリスマス・イブだったのですね。そして贈り物のマフラーをもらって帰ってくる。翌朝、ちょっぴりほろ苦い別れがあるが、贈り物は現実のもので、夢ではなかった。話の骨子はセンダックの「かいじゅうたちのいるところ」と同じ。母親に叱られ、ちょっぴり孤独を感じる少年。そこへ想像の翼がふくらみ、冒険の旅にでる。冒険を十分堪能すると家が恋しくなり帰宅。「かいじゅうたち」の場合は、あたたかい母親の食事が待っていました。本作の場合はサンタの贈り物のマフラー。このマフラーは両親の贈り物であった可能性がある。両親の子供を思う気持ちに男の子の精神が感応して、スノーマンとマフラーの夢を見させたという解釈。どっちにとっても夢のあるお話。「別れ=自立」で、男の子は一歩成長しました。さらに掘り下げると、このスノーマンは男の子が丹精込めて造ったもの。途中スノーマンのモデルの人形が出てきますが、男の子は普段からこの人形を好きだったのでしょう。だからその姿をまねて雪だるまを造った。それも自分の背丈をはるかに超えるビッグサイズ。途中で夕食を挟んでおり、造るのにかなりの時間と労力を要したことが分ります。これが重要で、簡単に手に入っては愛着も薄くなる。少年はちゃんと夢の代償を払っており、観ている方も、スノーマン=かけがえのない友達と無理なく思えます。男の子が雪だるまにマフラーと帽子をあげたのは笠地蔵と同じ気持ちでしょう。それだからこそ別れの場面で涙がでてくる。名作です。
[インターネット(字幕)] 8点(2012-07-15 19:43:17)
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