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1.  17歳のカルテ 《ネタバレ》 
自殺未遂をして精神病院に入院した少女が回復して社会復帰を果たす物語。硝子の心を持つ少女スザンナは、昔気質の両親になじめず、家に居づらい。複数の男性と体を重ねるが愛情はない。高校卒業後して無為に過ごすが、幻覚を見、時間感覚があやふやとなり、猛烈な不安に駆られて自殺を図る。精神病院に入院させられるが、自覚症状はない。監視、薬、規則で患者を管理しようとする病院に反発を覚え、医者に食ってかかり、看護婦に悪口を吐く。そんな中、他の患者達と連帯感が生まれ、友情も芽生える。特に主導者的存在のリサに惹かれていく。彼女は、本音で語り、医者を無能呼ばわりし、薬も飲まず、夜中に診察室に忍び込んで診療録を見るなど、自由奔放に振る舞っていた。ある日、リサの誘いで病院を脱出し、退院したデイジーの共同住宅に泊る。リサはデイジーが近親相姦していることを見抜き、容赦なくなじる。翌朝デイジーが自殺する。リサに疑問を持ったスザンナは病院に戻る。自分と向き合い、今まで治療努力をしてこなかったことを後悔し、前向きに取り組むようになる。リサが戻り、スザンナの日記の同僚批評を非難するが、スザンナはリサの心が空っぽであることを見抜いており、「あなたは既に死んでいる」と痛烈な言葉を浴びせる。退院する前にリサを見舞うと、リサは「私は死んでいない」と答え、二人は歩み寄る。スザンナが無気力に陥り、自立できなかったのは、自分と向き合わなかったからだ。自分の人生がうまくいかないのを、家族や友人や社会や時代の所為にして目をそむけてきた。病院で友達が出来たことで心に余裕が生まれたのが上昇の契機とある。リサを尊敬していたが、彼女の心が空虚であることを知り、彼女の行動のほとんどは虚勢であり、オズの魔法使いの正体と同じだと悟る。リサの中に自分の姿を見て、反面教師としたのだ。閉じこもっていては駄目で、世間を折り合いをつけて生きていくために、成長し、強くならねばならない。映画化が困難な精神病を題材にした点は評価できる。原作者の体験談なので真実味があるが、全ての人に当てはまるわけではない。前半、時間軸を交差させたり、リサと対決した地下の場面を冒頭部に持って来たりと、技巧を凝らしている。映画では自殺未遂は高卒後のことだが、原作では17歳。なので邦題の「17歳のカルテ」は正しい。スザンナとリサを演じる女優が十代に見えないのが難。
[DVD(字幕)] 7点(2015-02-07 20:45:08)
2.  青いパパイヤの香り 《ネタバレ》 
自然や宇宙原理に則った生き方が幸福であるという老荘思想の「タオ(道)」の生き方を示した映画。タオでは、流れに逆らわない、自分や他人と争わない、無理に満たされようとしない、無為自然に生きる、何かに成ろうとせず自分らしさに任せる等と説く。人間の本来の生き方や幸福のあり方が主題である。物語に大きな波紋はなく、生命感溢れる自然の映像と共に、ゆったりと時間が流れる。観客は何も考えず、映像に心を委ねていればよい。布屋の奉公人に出された少女ムイの物語。裕福で、三人の子宝に恵まれ、一見して幸せそうな家庭だが、いくつかの問題を抱えている。夫は愛人を作って家を出る性癖がある。妻は最愛の娘を死なせたことに悔悟の念を抱いている。老母は亡き夫の供養にかまけて籠りっきりだ。長男は家に居つかない。ある日、夫が有り金を持って家を出て、一家に暗雲が立ち込める。老母は嫁を責め、妻は自分を責め、子供達は不満を募らせる。タオから外れた生き方だ。タオの生き方をする人もいる。一人はムイの先輩の奉公人だ。彼女は文句ひとつ言わず、何十年も同じ家に奉公している。布屋が経済的に困窮し、給金が貰えなくても出て行かない。もう一人は若い頃から老母に恋焦がれている老人だ。彼は老母に会わず、老母の存命を遠くから確認するだけで満足している。彼女の人生に一歩も踏みこまず、それでいて老母の幸福が彼の幸福なのだ。イオは二人を見習って成長した。彼女は新しい奉公先の青年に恋心を抱いているが、その気持ちを彼に伝えようとしないし、恋に悩むこともない。ただあるがまま、自分らしく自然に生きているのだ。最終的に青年は婚約者と別れてイオと結婚する。イオの生き方が道を開いたのだ。現代人の観点からすれば、彼女の生き方は受け身で、自主性に乏しく、魅力に欠けたものに映るだろう。しかし、タオの思想から見れば、流れに逆らわない自然な生き方なのだ。例え、彼女が青年と結婚できなかったとしても、相手の幸福を願いつつ、身近で働くのを幸せと感じるのである。自我を超越した生き方で、どんな小さなことにも喜びを感じられる。青いパパイヤは生命と性の象徴だ。蔓を切れば白い液が流れ、実には種が詰まっている。イオが種をつまみ出して水に浮かべるのは、母になりたいという願望の表現だ。そして最後場面では、子供を宿している。会話を排し、映像で語る映像演出が秀逸だ。考えるのではなく、感じる映画。
[映画館(吹替)] 8点(2015-01-13 04:56:55)(良:1票)
3.  王妃マルゴ 《ネタバレ》 
16世紀の仏国、カトリック対ユグノーの宗教対立を緩和すべく挙行された王妃マルゴとナバル王アンリの政略結婚とその直後に発生した「サン・バルテルミの虐殺」を題材にしている。 宗教戦争と王家の権謀術策を扱っているので、ある程度の流血場面は予想していたが、常識を越えた血なまぐさい場面の連続には辟易させられた。国王シャルルがヒ素を盛られて血の汗を流すが、ありえないことだ。陰影に富んだ絢爛な映像が見られるだけに残念だ。 史実では、結婚時の年齢はマルゴ19歳、アンリ18歳で、役者の実年齢と大きく隔たる。史実に忠実に描くのではなく、小説「王妃マルゴ」に忠実に描くという姿勢だ。 現代と中世では倫理観が違うのは承知だが、あまりに乱れているので感情移入ができない。最終場面はマルゴが、処刑された恋人ラ・モールの首を抱えて馬車に乗り込むという哀切凄愴たる場面だ。だが向かう先は夫の元なのだ。マルゴは性的に奔放で、新婚初夜に夫を避けて恋人ギーズ公アンリを寝床に呼ぶが去られ、ほてった体を持て余して町に出て男を漁る。その相手がラ・モールだ。他に愛人は沢山おり、兄弟達とも近親相姦の関係にある。「淫婦マルゴ」を強調しすぎている。そんなマルゴとラ・モールの関係を純愛として描いても純愛には見えない。ラ・モールの売った本が偶然に母后の手に渡り、暗殺の道具として使わるなど偶然すぎる。 同じく新婚初夜に、男爵夫人シャルロットがアンリを誘惑するなど、理解に苦しむ行動が多い。主要登場人物の誰もが異常といっていい。倫理や正義の中核となって他者を鏡として映し出す人物が不在なのだ。だから外国のゆがんだ夢物語としか思えず、現実感がないのだ。描く視点が定まっていない映画では感情浄化が得られない。 
[DVD(字幕)] 6点(2014-12-05 03:21:31)
4.  奇跡の海 《ネタバレ》 
生命の自己犠牲をも顧みず、愚直なまでに夫への愛情を貫く純粋な女の物語であり、同時に知的障害を持つ、信心狂いの女が病気の夫の妄想を信じて不幸になる物語である。社会通念からすれば非常識で非道徳的に見える行為が、実は夫の回復を願っての愛情と善意によるものだという意外性と矛盾の提示が本作の狙いだろう。女性を差別し、陋習の残る教会を批判的に描くことで、主人公ベスの正当性を強調している。しかし、どう考えても、ベスの行動は理解を越えるもので、娼婦になって誰とでも寝ることと、夫の回復とがつながるとは思えない。但し、両者を介在するのが神であるので、神を信じるものには真実となりうる。ここに難しさがある。実際、奇跡は起きた。危篤だったヤンが歩けるまでに快復したのだ。さらに、空で鐘が鳴った。この部分はヤンの妄想である、という解釈もあるだろう。悪意を持たない人の行為が全て善だということではなく、全てを相手に与えるという無償の行為が崇高であるということだ。常識的に行動することと、非常識ながら無償の愛に生きる無垢な魂と、どっちが尊いか。これは価値観に拠るだろう。ヤンは自分が性的不能なので、ベスに愛人を作って、その性交渉の顛末を話して聞かせろと懇請する。これが諸悪の根源だ。相手を思い遣っての言葉ではないだろう。ベスを死に至らしめたのはヤンだと断言していい。この人物が奇妙なのだ。脳手術をしたのに長髪のままだし、長期病気を患っているのに全然痩せず、つまり病人に見えないのだ。奇跡の快復の様子も描かれない。彼がベスの遺体を運び出し、教会の墓地での埋葬を拒否したのは、ベスを地獄に送らせないためだが、一方で、他の地に埋葬せず、遺体を石油掘削の穴に投げ込んだのはどうしてだろうか。冒涜のようにも思えるが。ベスや他の人の考えや行動は理解できても、ヤンの行動は理解を越える。不信心の彼に空の鐘が鳴って、どういう意味があるのか。ベスの魂の天国行を確信したとして、そもそもベスの死の責任はヤンにあるのだ。医者の言うように、単なる覗き見趣味の中年男なのではないか。冷静に考えると、結婚前から分かっていた夫の単身赴任が精神的に堪えられないような妻には、幸福な結婚生活は送れないのだ。それを宗教を絡めて、劇的に演出して見せている。二人は最高の夫婦であり、最悪の夫婦である。違う価値観が表裏一体であるということ。それが監督の意図だ。
[DVD(字幕)] 5点(2014-11-28 04:30:34)
5.  天使の涙 《ネタバレ》 
主人公は、殺しの女代理人と聴唖のモウの二人。女代理人は他人との関わり合いを持てない障害がある。殺し屋に惚れているが、直接の愛情表現は出来ず、淡い恋心を彼の部屋の掃除をしたり、ごみを調べたり、彼のベッドで自慰行為をすることで満たしていた。殺し屋が行方をくらますと、心に空洞が開いた。偶然再会して話をきくと、男は関係を解消したいという。彼女は、最後の仕事を依頼し、頭目に「友人の広告を一面に」と伝える。それは標的者に殺し屋の存在を漏らすことで、裏切りだった。足抜けを言い出した者への掟なのだろう。殺し屋は暗殺を仕損じ、返り討ちに遭う。女の心に更に大きな空洞が開いた。 モウは子供の頃、賞味期限切れのパイン缶を食べて口が利けなくなった。芯の無いパインは子供の象徴で、賞味期限切れのパイン缶を食べるのは、ずっと子供でいること。聴唖は伝達能力が劣ることの象徴。父の庇護の元、母の思い出のアイスクリームに拘り、夜毎、他人の店に侵入しては、居合わせた人に商品を売りつける。他人と心を通じ合わせたいのだ。遅い初恋を経験し、父の死を経て、漸く他人の店に入るのはよくないと気づく。大人になったのだ。女代理人は空虚さに耐えきれず、他人の温もりを求めていた。モウは他人と意思疎通ができるほど成長した。そんな二人が出逢った。以前の二人なら、すれ違うだけだったろうが、今の二人は違う。モウは女代理人を後ろに乗せ、夜の街をバイクで疾走する。女はつぶやく。「着いてすぐ降りるのはわかっていたけど、この暖かさは永遠に感じた」女が希望を抱いた瞬間だ。トンネルを抜けると黎明の空が輝いた。映像が感性に語りかけてくるような超感覚の映画で、脚本を忠実に追わなくとも、洪水のように流れる“凝った”映像に酔いしれればよいだろう。音楽の占める比重も大きい。即興的で洒落た作品だ。主題は、都市に生きる男女の孤独と恋愛模様。金髪女は行きずりの恋と知りながら、相手の腕に歯形を残そうとする。失恋女は、見えない恋敵に嫉妬し、恋の相手もころころ変り、昔の恋は忘れてしまう。他人を必要としながらも他人を拒絶してしまうのが人間で、その空回りがいとおしい。疎外感や孤独だけでなく、諧謔も描いているのが特色で、独自の世界観が成立している。演技力と演出の不備で、殺し屋の切なさが感じられなかったのが不満だ。独創的作品で、この映画の賞味期限はまだまだ続きそうだ。
[DVD(字幕)] 8点(2014-11-27 01:51:14)
6.  悪い女(1998) 《ネタバレ》 
この監督の表現の中心的な動機は暴力と性愛で、主人公の大半は社会の底辺に位置する社会不適格者である。物語は極端な設定の元、人間の醜悪な部分を露呈させ、悲痛な出来事が展開し、どんでん返しがあり、社会不適格者が神の如き存在に変容するという幻想的結末となる。その感情浄化が最大の魅力だ。そして随所に絵画、彫刻、水、魚へのこだわりと偏愛が見られるのも顕著な特徴だ。人物を甚だしく歪んで描くエゴン・シーレの絵の手法を映画に応用したものと考えればいいだろう。主人公は民宿女郎のジナ。非道なヒモの男に羈絆され、売春を強要されているように見えるが、諦念に達し、自分の運命を受容している。冒頭場面、猥褻雑誌の上からころげ落ちた亀が危うく自動車に轢かれそうそうになるのをジナが救うが、これはジナが性愛に汚れた男性の魂を救済する女神のような存在であることの象徴だ。但し、真の主人公はジナの民宿の娘、ヘミだ。彼女の変容こそが映画の主題。ヘナはジナと対照的に描かれる。年令は23歳で同齢だが、大学生で、性に対して潔癖で、恋人にも体を許さない上、男性の買春も是認しない。女らしさの象徴の髪は短く、豊満な肉体を固いシャツとジーンズで防護する。ヘナはジナを蛇蝎の如く嫌っていた。ヘナの恋人、弟、父親がジナと肉体関係を持つという悶着があり、両者は徹底的に衝突したが、一方で相互理解も生まれた。性愛の認識の違いを共有し、共に犠牲者であることもわかった。やがて、喧嘩友達に似た一種の友情が芽生えた。ある日、ヘミはジナの跡をつけた。本屋に寄り、カラオケをし、軽食堂で食事をし、ヘアピンを買う。相手は自分と変わらないと感じ、次は真似をしてみた。本屋に寄り、カラオケをし、食事をし、ヘアピンを買いと、同じ行動をすることにより、親密感が湧いた。その様子をジナも観ていた。ジナの自殺未遂という事件を経て、二人は姉妹のように仲良くなった。そして、ヘミは自ら売春に身を投じるようになる。それは、ジナに対する贖罪の意味があり、自己を犠牲にして性愛で男性を慰安する行為に対する崇敬のような想いが生じたからだろう。聖書の売春の傍観的批判者から、グラナダのマリアへの変容である。が、あまりにも理想的すぎて感情移入できない。売春はもっと悲惨であろう。金魚は海で生きていけないのを監督は知っているのだろうか?知っているのなら、自由は短いという比喩となる。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-20 21:00:14)(良:1票)
7.  ワイルド・アニマル 《ネタバレ》 
ホンサンは北朝鮮の特殊部隊を脱走し、フランスの外人部隊に身を投じようと密入国してきた 篤実な男。 チョンへは韓国人の画家だが、落ちぶれて窃盗を繰り返し、仲間から爪弾きにされているチンピラ。共に祖国からのはみだし者という共通点がある。二人は大道芸で糊口をしのいでいたが、マフィアに引き抜かれて 裏社会に入り込んでいく。 二人の友情を縦糸、二人の恋愛を横糸として物語が紡ぎだされるが、展開は犯罪映画の定石の範疇を越えず、感動できる程の深みは無い。それよりも暴力と性愛場面が異常に多いのに辟易させられる。例えば、チョンへがあこがれる女が、恋人から暴力を受ける場面は何度もあるが、どれも似たり寄ったりで、冷凍鯖で殴られ、壁の女の肖像画にカメラ目線が移動して終る。 感心したのは人間関係が濃厚な点。ホンサンがフランスに入国するときに、列車で相席になった女がいた。この女が車掌に「連れだ」と証言してくれたことで密入国が叶った。この好意でホンサンは女に惚れる。ホンサンが立寄った「覗き部屋」で女が出演していて再会する。女の恋人はマフィアで、二人の所属するマフィアの敵対組織だった。彼はチョンヘによって殺される。女は復讐を誓う。運命の歯車がどんどん狂っていく様子が冷徹に描かれている。 想像力を駆使した構図、原色の色調など、映像美は目を見張るものがある。塑像に扮装する女性や、誰もの意表を突く“冷凍鯖殺人”などは視覚先行ゆえの着想なのだろう。水に対するこだわりも随所に伺える。チョンヘのアトリエは川辺に係留する船で、根無し草を意味する。二人がマフィアに袋に入れられ、海に投げ込まれる。そして最終場面では、南北二人の血が流水に混じり合って下水道の中へ消えていく。南北統一の想いが込められているのだろう。鮮烈な印象を残す。ただし感動は薄い。というのは、これの前の場面で、二人は袋ごと海に落とされるという絶体絶命の場面があり、そのため、女に射殺されるのは“おまけ”のように映ってしまう。また、女がホンサンを自分の恋人殺しの犯人と断定した理由が、ロレックスの時計だけだという点も弱い。同じ型の時計はいくらでもあるのだから。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-19 23:22:11)
8.  鰐~ワニ~ 《ネタバレ》 
男は川辺で露天生活を営む、粗暴で反社会的な人物。身投げ溺死者から金品を奪い、礼金と引き換えに遺族に死体の場所を教える。孤児に物売りをさせ、不倫を目撃すれば恐喝もする。そして、稼いだ金は酒と賭事に消える。あるとき女が身投げをし、男が助けたが、後で強姦し、自分の慰みものとする。女は逃げようとするが、老人と孤児に扶助され、共に暮らし始める。女の自殺の理由は集団強姦された為だが、男が調べると、女の恋人が暴力団に依頼して強姦させたのだった。男は恋人を拉致し、女の前で真相を暴露し、銃で撃った。その夜、二人は結ばれた。しかし、女は再度入水し。男は女の絶望を知っているので、助けずに、死の伴侶となることを選ぶ。男は女を水底のソファに腰かけさせ、自分と手錠でつなぐ。絶望した二人の壮絶で、美しすぎる死だ。実に絵画的な映画だ。あらゆる場面が絵で彩られる。天幕横に絵の敷物があり、堤防に芸術めいた落書きがあり、警察の似顔絵描きが登場し、女が男の似顔絵を描き、男が亀と手錠に色を塗る。二人が結ばれる姿の映る水面の凄艶さ、最後の死の場面での青き月光にゆらめく二人の姿の醇美さは 神々しいほどだ。水へのこだわりが感じられる。亀は不器用に生きる男の投影で、手錠は絆・運命、青はあこがれ、紙舟は魂の象徴である。亀と手錠を青く塗るのは、理想郷に行きたい願望の表れだ。男は理想郷は海の果てにあると思い、海に達せず没む紙舟を嫌悪していたが、老人から昔の川は綺麗だったという話を聞いて、理想郷は水底にもある信じこんだ。そして、水底に長椅子、堕天使の絵画を配備し、理想の世界を造ろうとした。救いの無い物語だが、理想郷で死ねたという意味で、男にとっての救いはあった。奇抜な発想と演出の連続で観客を魅了する手法は評価できるが、荒削りな部分が多い。「女に振られたか?」と男に声をかけた警察官が、唐突にホモを迫る。相手がホモでないのを知っているのにどうして迫る?子供を騙して、銃を撃たせる殺人は、非現実だ。自動販売機の中に入って珈琲を売るというのは茶番劇だ。女が居つくようになった理由、男と結ばれた後に何故自殺したか、掘り下げが足りない。一方で、男の背景描写が一切省略されているというのは、ある意味清々しい。それだけ想像が広がるわけで、成功している。底辺の人を見守る優しい眼差しがある一方で、子供に殺人させるなど灰汁が強い。
[DVD(字幕)] 7点(2014-10-19 18:37:25)
9.  ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説 《ネタバレ》 
日本各地に残る浦島伝説、羽衣伝説、竹取伝説を下敷きにして、宇宙人と怪獣を登場させ、自然破壊や公害等で地球を毀損する現代人に警鐘を鳴らす内容である。宇宙人が、日本の原人ともいうべき海人族を導き、宇宙人が遮光器土偶やかぐや姫や羽衣天女の雛型となったという設置。宇宙人は、現代人の遺跡破壊や行き過ぎたリゾート開発に瞋り、怪獣を使って破壊行動を行った後、海人族の末裔を伴い宇宙船で地球を脱出した。宇宙船は「ノアの方舟」で、行く先は「常世の国」の理想郷だ。内容から、観客が宇宙船に乗った人々を羨ましいと思わなければ成功とはいえないだろう。実際は、全く羨ましさを感じなかった。宇宙人は、意に染まない人間を抹殺する酷薄な殺人鬼に過ぎないし、海人族は能面のように不気味で生彩がなく、人間らしさに欠けている。自然を心から愛し、仁徳に優れ、善行をなす、理想的な人間として描けば印象は違っただろう。慈悲深い宗教指導者のような描き方でも共感できただろう。宇宙人も海人も薄気味悪いので同調できないのだ。目玉であるべき肝腎の怪獣が添え物扱いでは、ウルトラQの名前が泣く。ウルトラQ・シリーズは、怪獣番組の嚆矢で、怪獣を魅せることで爆発的人気を獲得し、次のウルトラマン・シリーズに繋がった。本作品で、怪獣の出番はほんの顔見世程度でしかなく、民家を少し破壊して早々に退出する。登場する必然性も希薄で、天変地異でも代替え可能だ。又、怪獣の造詣に魅力が無いことも申し添えておく。怪獣に対する愛情、思い入れが足りないのは明らか。「怪獣を中心に据えた物語」という基本概念を尊重すべきだった。宇宙人の造詣もお粗末だ。遮光器土偶は宇宙服に似ているという発想から、宇宙人の姿を遮光器土偶そのものとし、もう一つの金属質の形態も、取り立てて見映のするものではない。最後まで、彼女の真意や苦悩は伝わらなかった。目指しているもの、理想としている姿が不得要領なのだ。地球を捨てれば解決ということでもあるまい。独特の角度、構図、移動撮影、照明等の凝った演出が堪能できるのが、この映画最大の佳処だ。建物をゆがめたり、構図を奇妙な形に切り取ったり、隠微で乾いた雰囲気を出す演出が達者なのだ。竹取物語の輝く竹にちなんで、竹林の地中から照明を放射する映像は脳裏に焼き付いている。ただ斬新だった演出手法も、今となっては尋常一様のものでしかなく、これは前衛芸術の宿命だ。
[地上波(邦画)] 6点(2014-09-18 01:07:43)
10.  北京原人 Who are you? 《ネタバレ》 
去りゆく北京原人とマンモスに向かって「走れ、もっと走れ。自由になれ」と佐倉が叫んで終ることから推考すれば、脚本の意図は、北京原人を野生に戻すことが良心に叶った行為であると結論づけ、生命を弄ぶ行き過ぎた科学に警鐘を鳴らすものだろう。 だがその意図は脚本の致命的な過誤により破綻しているので全く伝わらない。 原人は化石DNAより復活されたものである。それも動物の子宮や人工子宮も使わず、時間と粒子を操って短期間にカプセルの中で成育させたものだ。なので彼等は生まれたてで、当然過去の記憶はないし、野生については現代人以上に何も知らない。脚本家は原人をタイムマシンで連れて来た場合と混同しているようだ。そんな原人とマンモスを野生に放つのは愚挙以外何物でもない。 ところで原人などよりずっと重要なものがある。それはDNAから原人を短時間で成人にまで復元できる科学技術だ。これを使えば、人間や動物のクローンがいくらでもできる。世紀の大発明である。蒸気機関車が発明されて産業革命が起きたのと同様のパラダイムシフトが起こるだろう。なのにそのことについての言及が一切無い。この技術を用いる試験に何故北京原人のDNAを選んだのか疑問だ。脳内を映像化する発明も凄いものだ。 陸上競技での活躍、原人と車の追跡劇、マジックショーでの消失、復活マンモスの暴走など、随所に楽しませる事項を盛り込んでいるのは評価できる。しかし、いろんな場面で周到さが足りない。例えばセスナで北京に行く場面でも、免許、航続距離、パスポート、中国の研究所と連絡する周波数をどう知るかなど、何の説明もない。他にも、原人にシャトルのハッチは開けられないだろうとか、北京原人の骨から生まれたから中国人と主張するとか、原人を隔離しないで観光させるとか、原人を復活させてから発表をどうするか考えるとか、疑問の嵐だ。それに現代人と北京原人との恋愛はありえないだろう。まあ、そんなことは忘れてもいいが、気になることがただ一つある。原人が出した百m8秒9の驚異的世界新記録は正式に認定されるのだろうか?原人は人間かどうかの問題を含んでいて深い。と、余計なことを考えされられる迷惑な映画だ。制作費20億円かけて配給収入4.5億円と大コケ。Uu-pa! 原作者、Who are you?
[インターネット(字幕)] 3点(2014-06-10 00:57:07)
11.  トト・ザ・ヒーロー 《ネタバレ》 
複数の時間軸が並行して進行し、妄想と現実が交錯するという展開を見せるが、少しも混乱がない。冒頭に死んだ男が誰かという謎もある。監督の気遣いと手腕とに脱帽だ。トマは誕生の砌、病院の火事の混乱で他人と取り違えられたと信じている。取り違えの相手は、向いの家の同じ誕生日のアルフレッド(A)。トマは妄想が解けないまま老人となり、自分の理想像「英雄トト」として、Aを殺すことを夢見ている。Aを憎む理由は沢山ある。Aが経済的に恵まれている事、Aにいじめられた事、Aの父の仕事の依頼で飛行したパイロットの父が行方不明になった事、そのせいで母が狂った事、大好きな姉のアリスをAに取られた事、アリスがAの家に放火しようとして焼死した事、青年トマの愛した姉似のエヴリーヌの夫がAだった事。Aは金融事業に失敗して憎まれ、暗殺されそうになっている。トマは先を越されてなるものかとAを殺しに乗り込んでゆく。Aと対面したトマは衝撃を受ける。自分以上に老醜をさらしていたからだ。そして「何でも自由にやっていたお前が羨ましかった」という告白を受け、殺意を失くす。自分の不幸な人生の原因の全てをAの所為にして、Aに対する憎しみだけで生きてきたが、Aも又不幸な人生を歩んできたことを知り愕然となる。二人は双生児のように表裏一体たったのだ。すると霧が晴れたように、幸福な子供時代、恋人と愛し合った美しい日々が甦ってきだ。人生否定から人生肯定への価値の逆転だ。トマは「赤ん坊取り違え」のトラウマを解消するため、Aの身代わりとなって暗殺される道を選択する。そして幸福な死を迎えたのだった。死ぬ間際の人生の大逆転劇は感動的だが、納得出来ない点も多い。赤ん坊取り違えが事実かどうかは、両家人の血液を調べることである程度判明するのにそれをしない。Aの家が向いだったり、A家が父の死に関係したり、トマとAが同じ人を愛したりと偶然が多過ぎる。姉が死んだのはトマが放火を焚き付けたからであり、エヴリーヌを不幸にしたのはトマが置き去りにしたから。反省し、人生に責任を持たない限り、本当の幸福にはなれないのではないか。トマはAの身代わりで死んだつもりだが、トマとして死体処理された。その死に意義はなく、間違い殺人であり、一種の自殺だ。Aの暗殺の危機は去っていない。死後に陽気なシャンソンを歌うのはそぐわない気がする。トマは人生の意味を取り違えているようだ。
[DVD(字幕)] 7点(2013-09-24 22:12:24)(良:1票)
12.  ダンス・オブ・ダスト 《ネタバレ》 
字幕が無いので想像で。日干し煉瓦工場で働く少年イリアと少女リムアの淡い心の交流を描く。イリアは祖父と二人暮らし。仕事は辛い上、井戸汲みや裁縫などの主婦業もこなす毎日。年老いた祖父はコーランを放さず、信仰の虫だ。淋しくなると村はずれの、石を置いただけの両親の墓に詣でて涙を流す。ある日、季節労働者の少女と出会う。最初は微笑みあうだけだったが、次第に打ち解け、お互いの声を遠くから呼びあったりするようになる。それでも言葉は交わさない。煉瓦を焼き、出荷が済むと休暇だ。村中が町に繰り出し、カフェでお茶を飲んだり、水煙草を喫したり、会話に興じるたりと、寛ぎ、日頃の鬱憤を晴らす。そしてアクセサリーや日用品を買う。金属の腕環は護符でもあり、貯金代わりでもある。少女は少年に自分の手形を押した煉瓦をあげる。これはファティマの手だ。ファティマは預言者モハメッドの娘で、貧しい人にも手を差し伸べたことから彼女の手が護符となった。金属の手形を吊るした廃屋があるが、あれも同様で、廃屋はモスク代わり。少女の母は煉瓦手形を井戸に捨てる。イスラムでは自由恋愛は禁止。少女は高熱でうなされるようになる。心を痛めた少年は雨が降り、気温が下がるよう願う。ファティマが祈ると雨が降ったという故事から、ファティマの手は雨乞いの護符でもある。そこで少年は金属手形を土に埋め、雨乞いの踊りをする。雨が降り、少女は癒えた。一方で、雨は雨季と冬の到来を意味し、以降日干し煉瓦は作れなくなる。少女一家は帰郷の途へつく。少年は金属手形を線路に置いて、少女に托した。井戸から手形煉瓦を無事回収する。仕事から開放された少年は学校に行けるようになった。祖父のコーランを持ち学校に行くが、その日は休みだった。心にぽっかりと穴が開いた少年は、帰途コーランを読むが心は満たされない。矢も楯もたまらなくなり、丘の頂上に駈け登り、言葉にならない思いを大声にして叫んだ。谺が返ってくる。少年は、自分の思いが神に通じたこと、少女にも通じたことを悟る。同時に谺しか返らない寂しさも覚えた。一歩成長したのだ。風の音が少年の心情を語る。不安になったり落ち込んだときには、荒々しく吹きすさぶ。四つん這いの女性が煉瓦を背中に載せるのは出産の痛みを和らげる習慣。赤子は夭折したようだ。「手」は働くことの象徴。厳しさ故に生命が輝く。映像と音で綴る映像詩、映画作りの原点を見た。
[DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2013-09-24 13:48:23)
13.  ベティ・ブルー/インテグラル<完全版> 《ネタバレ》 
男と女が惹かれあって恋に落ちる。魂と魂をぶつけあうような情熱的で本能的な恋。男はそれで満足、「30歳で初めて生き始めた」。女と一緒に居られるなら、どんなことでも厭わない。女は男の全てだった。だが女は「透明な感性を持つ奇妙な花」だった。男の作家としての才能を認めると、男が作家デビューできるように全力で応援し、愛の結晶である子供を欲しがった。女は無垢な少女であり、同時に男を叱咤激励し、成長させる母親でもあった。だが両方共得られそうもないとわかると精神が崩壊し始めた。男は女に与えられるもの全てを与えた。花、ケーキ、車、広大な田舎の土地、果ては強盗までして島をプレゼントしようとした。女は「この世に存在しないものを求めていた」。女にとって、この世に理想は存在せず、「どこもかしこも血の海」だった。傷ついた魂は自傷に走り、遂には自分の目玉をくり貫いてしまう。ショック状態と薬の影響で、意識の戻らない状態となった女。男は「二人で旅に出よう」と声をかけ、安楽死させる。魂を開放し、男の側に留まらせるのだ。これで男はいつでも女と一緒だ。男は作家となるべく原稿を書き続ける。女の求めた夢の実現のために。◆映画のエッセンスの凝縮された秀作。“映画愛”が伝わってくる。恋愛映画というより監督の情熱を投影した「ノンストップ青春映画」。随所に構図、ライティング、カメラワークの妙がある。時に原色、時に透明感のある画面と使い分けている。場面と場面を結ぶカットが多彩で美しい。輝く夕日か朝日を背景に、船、電車、車、海岸、猫、犬など、動くものを配する美的感覚。とりわけ小汚い親父に、夕日を背景にサックス、それもテーマソングを奏でさせるセンスには脱帽した。炎の演出も秀逸。女の情熱を象徴させるべく、コテージは大炎上させる。ベットで愛し合う二人の背後で燃える大きな薪の鮮烈さ。チリ・ビーンズを煮るガスの青い炎。チリ・ビーンズは男の生活の象徴で、最初と最後に登場する。最初は一人で寂しく食べ、最後は見えない女と一緒に食べる。ユーモアたっぷりで、酔うとぶっ飛ぶピザ屋の主人、作家くずれの警察署長、おバカな警備員、色情狂の主婦、父親になったことに酔う警察官、オツムの足りないヤク売りと、変な人ばかり登場する。女装はやり過ぎと思ったが、病院に忍び込む伏線ともなっているので納得。「ヒトラー回想録」もギャグだが、笑えない。フリチンは不要。
[DVD(字幕)] 9点(2013-09-12 20:24:27)
14.  セント・オブ・ウーマン/夢の香り 《ネタバレ》 
人生に絶望した盲人の退役軍人がこの世の名残りの旅行を実行。先ず実家に挨拶。その後、良い服を着て、思い出のニューヨークに飛び、良いホテルに泊まり、良い食事・良い酒を堪能し、美女と寝て、人生の結末をつけるという計画だった。しかし、盲導犬代わりに連れてきたバイトの高校生の捨て身の説得により自殺を思いとどまる。高校生は学校で問題をかかえていた。そこで盲人は御礼替わりにと、高校へ乗り込み、ひと演説ぶって高校生の窮地を救う。二人の心の交流と成長を描いたヒューマンドラマだが、感動的はしなかった。盲人は終始気難しくて、他人の悪口を言い、女好きで、手前勝手な行動ばかり。特に札束にものをいわせる態度はよろしくない。高校生は自分の意見をはっきり言えず、舌足らずで、煮え切らない。観ていて退屈だった。盲人が車を運転する場面では嫌悪感を覚えた。人を巻き添えにしたらどうするのか。盲人に運転させた高校生の責任は大きいだろう。 高校生の問題が小さいので笑ってしまう。校長の車にいたずらした生徒の名を言うか、言わないか。「顔はよく見えませんでした」「知らない生徒でした」といえば済む話。なのに校長は大袈裟に、懲戒委員会にかける。それで「(知っているが)言いません」と証言する高校生を放校処分にしようとする。これは心得違い。先ず、既に三人の名前が出ているのだから、三人を追及・譴責すべき。放送しているのだから声でわかるだろうし、放送室での目撃者もいるだろう。もし放校になっても、裁判を起こせば必ず勝てる。それくらいありえない処分。 高校生は見て見ぬふりができない人間だ。だから盲人の自殺も見逃せなかった。そこに感動があるのだが、あまりに盲人を悪く描きすぎていては、あの人なら死んでも差支えないと思われ、感動は薄い。 題名の「女性の香り」の意味だが、盲人は女性を賛美しており、女性が存在するからこと世の中は素晴らしいと考えている。だから「夢」や「生きる希望」の意味があるのだろう。 疑問点。①高校に公開懲戒委員会があるのか。②泊りがけで中年盲人の面倒を見るというバイトが高校に来るとは思えない。③盲人に反省が見られず、また同じことをしでかすと思う。④盲人役の男優は終始瞳を動かさないが、不自然で盲人にはみえなかった。
[DVD(字幕)] 5点(2013-09-12 06:30:23)
15.  スピード2 《ネタバレ》 
ある意味お手本となる映画。反面教師として良い教材だ。前作はノンストップ・アクションの傑作。同じ監督の続編で、巨大な制作費、巨大セット、派手な爆発。なのにどうして?まず主人公の変更が大きい。アクションはこなすが、華がなく、表情に乏しい。恋愛ものとしてみると、ドラマ描写が不足だ。女はある程度描かれるが、男はよくわからない。SWAT隊員で危険な業務をこなし、クレイジーの綽名なのに妙に気弱で、手話が出来たりと、ちぐはぐ。二人のドラマを丁寧に描くべき。コメディ要素が強過ぎる。これが最大の欠陥だ。大勢の人命に関わるのだから。少女との淡い恋で「ロリータ」、タンカーとの衝突で「眼下の敵」を出すなど安易だ。客船が陸に暴走して、ようやく止まった場面で舳が鐘を突いたり、水上飛行機がタンカーのポールに都合よくひっかかるなど冗談の度が過ぎている。客船の暴走場面は映画史上に残るスペクタクルになれたはずだ。序章と終章で女の車免許試験場面をおくが、これがコミカル路線を印象づけてしまっている。最後は「感動」で終るべきだ。人命が救え、悪は滅び、愛は成就し、人々は二人に感謝する。それが最大の見せ場になるはず。見せ場を履き違えている。次々危機が訪れ、スピード感のある映像を撮り、派手な爆発があれば観客は満足すると勘違いしている。アクションが凄くても感動がなければ佳作にはならない。敵役にも問題が多い。開発した船管理システムを会社に横取りされ、病気になったら首、だけでは動機が弱い。ルームサービス係を殺さなかったり、乗客を下船させてから船の爆破を計画するなど、「悪」として中途半端。ヒルによる排毒療法は観客が同情してしまう。単独犯では役不足だ。ダイヤと船爆破が目的なのに、人質の女ににこだわるなど不自然な行動が目立つ。謎がほとんど無いのも欠点。犯人の行動をあますなく映し、犯行動機も早い段階で説明してしまう。興味が激減だ。どんな人物、どんな動機、どんな計画かは可能な限り隠しておこう。挿話のつながりも薄い。聾唖の少女、饒舌な写真係、ユーモラスなルームサービス係、太った夫婦など魅力的な人物が登場するが、伏線が回収されず、流れが断ち切れている。彼らに思わぬ活躍、思わぬ勇気、思わぬ知恵を出させることで各挿話のつながりが出来、一つの物語として完結する。尚、船が暴走した場合は機関室でエンジンを手動停止させればよい。
[DVD(字幕)] 6点(2013-08-02 18:54:35)
16.  モハメド・アリ かけがえのない日々 《ネタバレ》 
モハメド・アリは、ベトナム戦争への徴兵に対して良心的兵役拒否を貫き、ヘビー級王座を剥奪された。さらにボクサー・ライセンスも取り上げられ、復帰まで3年7か月間の空白を余儀なくされた。復帰後、王者ジョー・フレージャーに挑戦するが、判定負けを喫する。それから3年余の紆余曲折を経て、ようやく新王者ジョージ・フォアマンとのタイトル・マッチが実現する。本作品は、後に「キンシャサの奇跡」として有名になる、その試合を取材したドキュメンタリー映画だ。 アリは巨大なものと戦っている。 当時史上最強、ゾウをも倒すといわれた鉄腕ファイター、ジョージ・フォアマンが対戦相手だが、戦う相手はそれだけではない。 先ず兵役拒否したことへの社会的バッシングがあった。 マスコミや評論家はおおむね、盛りを過ぎた元チャンピオン、アリに勝ち目はないと予想していた。 そして黒人差別問題。本名カシアス・クレイを奴隷の名として拒絶し、イスラム教に改宗し、モハメド・アリと改名したのも、根本には黒人差別が存在したからだ。 アリは、これらの敵に対して独特の戦法を講じた。 マスコミに対して、わざと大口を叩き、試合への関心を煽り、報道を加熱させた。フォアマンに対しては「お前は弱い」「ミイラのように動きが鈍い」と挑発し、精神戦を展開。差別社会に対しては「黒人は美しい」とアピール。 試合の場所がアフリカと決まると、「まるで故郷に帰ってきた気分だ」と、アフリカのファンを味方に付ける。 大口を叩くことによって世界の関心を集め、自分の商品価値を高め、同時に自分を追い詰め、豊富な練習量で武装する。 実にクレバーで、魅力的な男だ。貧しい環境で育ったこと、人種差別を受けてきたこと、懲役拒否により社会から手ひどい罰を受けたこと、すべてを味方にしている。二枚目的な面貌もあいまって、大人気を博するのも当然だ。 この試合で勝利したことにより伝説は作られ、アリはアメリカン・アイコンとなった。 今後、このような神がかったようなカリスマ性をもつボクサー、いやスポーツ選手は出ないのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2013-07-19 21:21:48)
17.  蝶の舌 《ネタバレ》 
思春期にも満たない少年が主人公なのにエロス満載という不思議な映画。しかも反戦が主題。エロスと反戦はなじまないと思うが、文化の違いだろうか。終盤まで、「チップス先生さようなら」のエロス版と思っていたが、最後にどんでん返しが待っていた。全てはラストのための伏線だったのだ。 喘息持ちで、人見知りで、学校に馴染めない少年を優しく迎えてくれた先生。喘息の発作のとき、川の水で体を冷やして救ってくれた先生。蝶の舌やティロノリンコという鳥の生態を教え、自然への興味を開いてくれた先生。虫取網を買ってくれた先生。「蝶の舌を顕微鏡で観よう」と誘ってくれた先生。「本は心を豊かにする」といって「宝島」を貸してくれた先生。自由の大切さを説いて教壇を去った先生。少年と先生の心温まる交流が描かれる。少年の両親も先生を慕っていた。だが内戦が勃発し、共和派の先生が逮捕されると、保身に走った両親は思想転向し、広場で先生を面罵する。母は少年にも叫べと命じる。「不信心者!アカ!」意味もわからず叫ぶ少年。次の言葉は「ティロノリンコ、蝶の舌」だった。少年にとって両者は同格なのだ。 「あの世に地獄などない。憎しみと残酷さ、それが地獄のもととなる。人間が地獄と作るのだ」先生の語った通りの地獄が出現した瞬間、「空のベット、曇った鏡、虚ろな心」の世界が広がる。 少年はトラックの先生めがけて石を投げつける。残酷さを強調するための演出だが、やり過ぎだ。無垢な少年が命令されてもいないのに、昨日までの恩師に石を投げつけることはできないだろう。あえてやるなら石が当って血が出るくらい徹底した方がよい。それならキリストとユダに擬すこともできた。少年の親友ロケの父親も連行されてゆくが、前段階で少年とその父親の交流場面ばあればなおよかった。この場面、少年のガールフレンドのロケの妹の姿が一瞬しか見えないのは惜しいことだ。 愛と自由を教えてくれた恩師に対して裏切りと罵倒で応えなければ生きてゆけない残酷な現実。けれども少年の最後の言葉からは、裏切りや罵倒を超越した「希望」が感じられる。純粋さを失っていないのだ。 蝶の舌はゼンマイ状に巻かれ、普段は隠れている。ヒトも本心を隠すものだ。少年が蝶の舌を見ることはなかった。いつか大人になったとき、自由という甘い汁を吸うことができるのだろうか。先生の眼差しは暖かく少年を見守っているように見えた。 
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-16 23:51:22)
18.  バダック 《ネタバレ》 
イラン版「山椒大夫」といったところ。「バダック」とは国境沿いで密輸品を扱う運び屋のこと。 両親を亡くし、天涯孤独となった子供の兄妹が、人さらいに連れ去られ、人身売買の仲介者に売られる。兄はバダックとして密輸業者に買われ、学校にもいかず、苛酷な強制労働に従事させられる。妹は仲介者の所有となる。イスラム諸国では国内の売春が禁止されているため、異国の女性を連れてきて売春させることがあるという。妹はそれの予備軍で、いずれ海外に売られてゆくのだろう。やがて兄はバダック仲間の協力を得て、監禁所を脱走し、国境を越え、わずかな情報を手がかりに妹の行方を探す。そして最終的に妹が監禁されている船に潜伏することができた。しかしそれは勘違いで、皮肉なことに妹は密輸業者の元にいたのだった。全ては子供の朝知恵であったという残酷な結末。 子供の誘拐、人身売買、密輸、殺人、売春等、イランで子供の置かれている厳しい現実を知ってもらおうという企図がみえる。しかし成功しているとは思えない。あれこれと疑問の多い映画なのだ。 水の枯れた村で主人公の一家だけが井戸を掘ってまで村に留まろうとする理由は何か。陥没事故時、村人が一人もいなかったいのはどうしてか?さっきまであれほどいたのに。全員が一斉に引っ越したか。兄が最初の脱走をしたとき、監禁所に舞い戻って来ざるを得なかったのはどうしてか?大人達、警察、役所、宗教施設などに相談しても保護してもらえないのか。そんなことはあるまい。国境を越えるとき有刺鉄線にてこずっていたが、切断すれば簡単に越えられる。少女達が監禁されている施設に忍び込んだ兄とその友人だが、友人がトラックの中に妹がいると思い込んだのはどうしてか。声をかけさえすればよかったのに。トラックが走り去った次の場面で、兄と友人が港に停めてあるトラックを見張っている。どうやってトラックの後を追ったのか。全体として兄の冒険的行動に多くの比重がかけられているが、それよりも苛酷な環境を描いた方が企図に叶っていたのではないか。救いの見えないエンディングにしたも疑問だ。妹は終始泣くだけで、他に何もしない。他力本願では、観賞者の心は動かない。 
[DVD(字幕)] 6点(2013-06-16 05:19:48)
19.  ロレンツォのオイル/命の詩 《ネタバレ》 
一つの命を支えるのにどれだけの犠牲と献身と努力が必要であることか。命の重さを噛みしめる映画だ。内容は重いが希望もある。子供が難病にかかったらどうするかが主題。普通の親なら不運を歎き悲しみ、周章狼狽し、治療は医者任せにするだろう。だがこの映画の両親は違った。医者が治せないのなら自分達で研究し、命を救おうと決意する。副腎白質ジストロフィー(ALD)は、X染色体の異常で、体内の脂肪酸の分解酵素が欠損している為に、脳に炭素数24と26の長鎖脂肪酸が蓄積し、これが白質のミエリン(髄鞘)を溶解してしまう病気だ。発症すると、徐々に脳の機能が低下し、体の機能が衰え、2年程で死を迎えるという。最初に長鎖脂肪酸を含む食べ物を制限する食餌療法を試みるが、検査値は却って悪化した。原因を調べると、食事から長鎖脂肪酸が得られないと、生合成による長鎖脂肪酸が増産されてしまうということが判明した。そこで一計を案じ、体に無害な長鎖脂肪酸を摂取することで、体に「今は十分な長鎖脂肪酸がある」と思い込ませ、長期脂肪酸の生合成を阻止するという案を思いつく。試行錯誤の結果、炭素数18(オイレン酸)と22(エルカ酸)の長鎖脂肪酸の4対1の混合液を摂取することで血中長鎖脂肪酸値が正常値に戻ることを突き止めた。この混合液がロレンツォのオイルだ。次に破壊されたミエリンの再生研究に取りかかるが、これは現在進行中ということで映画は終る。事実を元にしたドキュメンタリー風で、時系列に沿って事象が淡々と描かれるが、特筆すべきは、心理描写の巧みさと深みだ。演技も演出も秀逸で、海よりも深い子を思う親の気持ちは勿論、自己犠牲の葛藤、パートナーを思いやる気持ち、患者の親睦会や医者との軋轢、看護婦や親族との衝突、安楽死の示唆、絶望と希望など、両親の精神は混乱を極め、愛情と狂気がないまぜになって迫ってくる。両親の奮闘以外にも、善意からエルカ酸の抽出を買って出たイギリスの老科学者、自ら治験を買って出た妻の妹、同じ病気の子を持ち夫婦に理解を示す近所の主婦、そしてアフリカから看病にやってきてくれた幼馴染の青年など、周囲の温かい心にも支えられた。ロレンツォ君も苦痛に耐え、必死で病気と戦った。これらが感動を産むのだ。オイルは万能薬ではないが、多くの患者を助けたのは事実で、医療史としても画期的な出来事だったと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2013-06-13 08:30:01)(良:1票)
20.  メンフィス・ベル(1990) 《ネタバレ》 
1943年5月の時点では、ドイツの防空能力は衰えておらず、連合軍にとっては大変な脅威だった。それなのに、真昼間に低空飛行で援護戦闘機も無しに爆撃しろというのだから無茶な話だ。損耗率が10%近かったので、25回も作戦に参加し、生還できたのは大変幸運だ。当時は無差別爆撃は邪道とされおり、専ら軍の基地や軍事関係工場だけを攻撃する精密爆撃だけがなされていた。だが、やがて勝利をあせる英国が無差別爆撃を主張しだし、米国も1945年には都市への無差別攻撃をするようになった。内容は史実に基づいたもので、戦闘場面はそれなりに迫力があるが、戦争映画としてみると底が浅い。これはどうみても勝者の作る青春アクション映画だ。敗戦国なら、ここに登場する若者の能天気な会話や次々と起る嘘っぽいトラブルの演出はないし、絵に描いたハッピーエンドにもしなかっただろう。戦争は、任務を成功させ無事生還出来たから喜ぶといった類の甘いものではない。勝っても、負けても悲惨なものだ。死に対する恐怖は描かれていても、戦争に対する苦悩が見られないのが残念。若者の勇気を称えても、戦争批判には到っていない。それでもいいじゃないかと言われればその通りだが、せっかくの実機を使っての映画なのに残念だ。アメリカでは全くヒットしなかったのに、日本ではそこそこヒットしたのは若手俳優の人気のせいだろうか。操縦席にトマト・ソースがあったり、敵機との応戦中に喧嘩したり、球面銃座から墜落しそうになったり、負傷者をパラシュートで落として敵国に救出してもらおうと考えたり、爆撃手でない者が勝手に爆弾を落とそうとしたりとやりたい放題である。無理に盛り上げようとするから、リアリティに欠け、こしらえ事に見えてしまう。史実を描くのに、虚構を交えて面白おかしく描く必要はないはずで、製作者の態度に問題がある。真摯に描けば、高射砲の砲弾の中を飛行するだけでも大変な恐怖が伝わってくるはずだ。ドイツ戦闘機との闘いは、全体の状況がよくわからないままに終了する。彼らは本当に勝者だったのだろうか?青春映画としてみると一定のレベルに達していると思うが、戦争の愚かさを描かない戦争映画は高評価できない。
[DVD(字幕)] 7点(2012-12-19 06:02:13)
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