1. タルチュフ
《ネタバレ》 ドイツ表現主義映画の環境から出てきていながら、その繊細な表現が別物の水準であるムルナウ。ここでは、猫被りというものを映画内映画で表現し、論より証拠の「映画による教育」の効果を見せるかのよう。この映画内映画の、旅から帰宅した夫が聖なるものにかぶれているという話題は、あの『フォーゲルエート城』の再現である。脚本は同じカール・マイヤーで、階段のセットがここでも大きな役割を演じている。聖人を演じるタルチュフが階上から階段の誘惑に逆らえずに階下の肉欲へと堕ちる図は、あの名作映画『雨』(マイルストン)を連想させる。 [CS・衛星(字幕なし「原語」)] 9点(2025-05-05 15:30:15) |
2. フォーゲルエート城
《ネタバレ》 『最後の人』や『サンライズ』などの極上の作品に比べれば、評点の9点は、ムルナウを偏愛するゆえの高すぎる評価なのは承知だが、かつてドイツ映画祭で観て、その深い寂寥感に撃たれたのが原点にある。シュトラッツ作の同名の原作小説(ドイツ語髭文字の原書!)を参照したら、これが魅力的な形式(登場人物たちがそれぞれ「私」形式で語る、複数の語り)を備えているだけではなく、人物像にも重要な違いがある。ムルナウの映画版では、主人公エーチュがあの告解を盗み聴く僧侶に変装するのみならず、死刑を宣告する裁判官役割も兼ねて、作品の進行を決定する主体となるのに対して、原作小説ではなんとエーチュ自身も死んで、そもそもその主人公という地位も相対化される!男爵夫人も映画版では「運命の女」「妖婦」的により濃厚に輪郭付けられる一方、逆にそのパートナーである男爵像の原作における大変な悪どさが映画版では消えて、妙に繊細なむしろ切ないような役作りに変改されている。おそらくこの点にこそこの映画のエキスがありムルナウ自身のゲイ性が反映されていると見る。そういえば主人公エーチュも単独者であり、警察権力(原作小説のエンディングで支配的な役割を演ずる警察関係者が、映画版では影が薄い)を脇に除ける主体としてこの映画を締めくくっているのも極めて印象的だ、と言わねばならない。同性愛者に敵対的なドイツ刑法175条の縛りのある時代のことだから。この映画美術としては、階段が大きな役割を担う。脚本のカール・マイヤーに『裏階段』という禍々しき作品があるのも頷ける。 [映画館(字幕)] 9点(2025-03-10 18:47:58)《更新》 |
3. 暗黒街(1927)
《ネタバレ》 スタンバーグの繊細さは特別だ。ボスの情婦の首回りに揺れる羽毛、情婦がボスの手下を誘惑するシーンのクロースアップの神秘的な美しさ。 フィルムノワールの白黒のコントラストで突き進むなんてことはしない、陰影に富む。 [ビデオ(字幕)] 7点(2015-02-03 00:25:30) |
4. マンクスマン
《ネタバレ》 美しい!ほんとうに美しい。ヒッチコックが修行したドイツ時代が生き残っているが、ドイツ表現主義がここでは垢抜けた大変洗練されたものになっている。三角関係ものの名作群たとえば『生活の設計』(ルビッチ)『青い青い海』(バルネット) 『和製喧嘩友達』(小津)『花とアリス』(岩井俊二)などに加えたい秀作。 [DVD(字幕)] 9点(2015-01-27 23:23:45) |
5. 巴里の女性
《ネタバレ》 このヒロインは、恋人をきちんと追求しない。つまらないプライドが邪魔をしているのか、欲望に忠実なのを浅ましいと感じるのか、要するに相手の男をたいして好きでもないのか。親への縛りに苦しむ男に対してつい短気を起こして、「そうならべつにいいわよ」とばかり身を背ける(二度も)。それが本人を含めて皆の不幸になる。 Pride can hurt you, too(ビートルズ) [DVD(字幕)] 6点(2013-08-03 10:30:10) |
6. 結婚哲学
《ネタバレ》 ラストの八方収まる視線のトリックは唖然とさせるほどのすばらしさである。視点の意味では、主人公のみが真実認識から遠い終わり方である、ということは、この主人公にも身を寄せていた観客が、高みの見物の座へ移り、映画の外へと笑いながら追い出されるのである。 [映画館(字幕)] 9点(2011-03-24 21:31:46) |
7. キートンの探偵学入門
《ネタバレ》 キートンの最高。「探偵もの」の分、知的な仕掛けもある(身体能力についてはいうまでもない)。ラストの映画内映画のシーンは観客を翻弄する野心的な試みであるが、これは映画館にいないと実感できない。私はキートンに「ほとんど」見つめられていると感じてしまった。俳優と目が合ったとき映画が終わるのは、ありふれていようが、この作品こそが白眉なのである。 [映画館(字幕)] 10点(2011-03-18 13:42:22) |