1. ポセイドン・アドベンチャー(1972)
《ネタバレ》 パニック映画とは言え、本作の他人を救うために自らの命を落とすシーン・・・あたかもキリスト(教)の『受難』、もしくは『自己犠牲』のテーマを重ね合わさせるかのよう(笑)その意味でも胡散臭い神父、もしくは神父らしくない神父・・・ジーン・ハックマンのぶっきらぼうぶりさが、世俗におもねる宗教のあり方と一線を画すスタイルで描写されて面白い。 また一方で、助かったごく僅かの人たち。ハックマン扮する神父が実践した「天は自らを助くものを助く」・・・人々の動向や潮流に流されるのではなく、回りに逆らってでも自分たちの強い意思を捨てることなく、自らが逃げ道を切り開いていく以外に助かる道はない。たとえ天であっても誰も助けてくれやしない・・・とかく他力本願的な宗教のあり方に対して、なかなか皮肉なスパイスのある映画でもある。 [DVD(字幕)] 5点(2011-04-24 01:45:29) |
2. 黄金の指
《ネタバレ》 レビューがなかったので・・・書いてみました。 映画としては渋い、地味な部類に入ると思うが、それなりに玄人受けしそうな作品だと思う。鮮やかなスリのチーム・プレー、とりわけジェームズ・コバーン扮するスリのリーダーは天才的なスリの指さばきの持ち主。コバーンが仲間に引き入れた若い男女の二人組にスリの手ほどきをするものであるが、そのコバーンの渋いスーツのファッション・センスが決まっている。若い男のほう(マイケル・サラザン)に、「一流になりたいのなら、一流のものを着ろ(ナリをパリッとしろ)!」と哲学を教え込むあたり、コバーン一流のダンディズムの香り? 共演陣にウォルター・ピジョンなんて懐かしくも、またまた渋いキャスティング。ちょいヤキが回り始めた元一流のスリで、コバーンの相棒役。警察に捕まってしまい・・・ついにはコバーンもお縄に。と言っても最後は、警察が張り込んでいるのに気付いていて、盗んだ現物を仲間(マイケル・サラザン)に渡さず、自ら達観していたかのような最後。 ジェームズ・コバーン扮するハリーの見事なスリさばきからか、日本語タイトルは『黄金の指』。オリジナル・タイトルとは全く違っているけれど、まあまあの線のネーミングなのかもしれないと思う。ちなみにオリジナル英語タイトルは直訳すると『ハリーは現物を握らない』(スリは現行犯のみ検挙されるため、実行犯であるハリーは現物を仲間に渡して、警察の尋問をすり抜けること)。最後に『握らないハズ』のハリーが、仲間に盗品を渡さなかったのは、将来ある若い仲間をかばうためではあるが・・・一流のスリの最後はこのザマだよ!と身をもって教えているような、老成した醒めた男の皮肉なラストでもある。 [地上波(字幕)] 5点(2011-01-01 01:12:58) |
3. 夕陽のギャングたち
《ネタバレ》 ダレる部分はあるものの、やはり良い作品だなと思う。 当初、「続夕陽のガンマン」のイーライ・ウォラックがキャストされていたと言うが・・・ロッド・スタイガーとしてはらしくない盗賊役と思いつつも、やはり名優! セルジオ・レオーネが何度もテイクを重ね、スタイガーが疲れ果てて憔悴の表情を見せるのを待ったという逸話を重ねてみると非常に面白く思う。 一方、スカしたような傍観者としてのジェームズ・コバーン、やはりカッコいい。こちらも当初はイーストウッドの予定だったと言うけれど、コバーンの味が出ていて間違っていない配役だと思う。 ただし個人的にシックリいかない箇所が何点かある。 特に最後のコバーンの自爆シーンの前に挿入される男女三人のキスシーン。スローモーションのロング・ショットについては、コバーンの回想シーンとしての意図は判るのだけれど、若干、興をそがれるというか・・・違う方向に話が行ってしまいそうになる。 この関係・・・レオーネが男同士の熱い友情、親友という関係に憧憬を抱いていたからと言われてみたりするけれど、男性同士の密接な描写を見れば、女性との複数関係と単純にとらえ難いように思われる。 相手の恋人を共有するという間接的表現=女性を通してもう一人の男性を感じてるというか、男性同士の間接的なキス・シーンにもあたる。(間に女性というクッションを差し挟んで誤魔化してソフトにした)ゲイ的なシーンであり、この作品を単純な男性同士の友情とだけでは片付けられなくしてしまう複雑な場面でもある。なお邦題であるが、ヒドい! [DVD(字幕)] 8点(2010-12-25 14:03:45) |
4. 群れ
《ネタバレ》 どうしようもない不条理、救いのないやり切れなさ・・・ラストで家族が離散するさま、頑固な家長と都会の雑踏の対比、その雑踏の中で全てを見失ってしまう家長。不条理さと矛盾に憤る、監督の社会告発的視線を痛切に感じる [CS・衛星(字幕)] 9点(2010-12-14 16:42:12)(良:1票) |
5. 自由の幻想
《ネタバレ》 とりとめのないエピソードの羅列として、その力の抜け方を気にするか・・・はたまたブニュエルらしい屈折した皮肉と見るかで評価は変わるのかな?と感じる。 この映画を見て、かつての盟友であり、共にシュールレアリスムの旗手であったサルヴァドール・ダリ(ブニュエルの「アンダルシアの犬」の共作はご存知の通り)がパリの美術学校に通った際の有名な言葉、『自由は無秩序である』を思い出した。 この言葉の真意は、自由に好きなように出来たパリの学校での自由教育の退屈さに源を発したものであり、自由は不自由であったということ。つまりは自由からは何も誕生せず、厳しい制約、弾圧や教義の押し付けに反発することが芸術が誕生する源泉になっているという話。 「自由とはいったい何なんだ?」何でも自由にできると言うことは、何も出来ないというのと同じこと・・・映画の中の様々なナンセンス行為同様、自由だと思い込んでいる人々の発想が実は貧困で、自由なんぞは有り得ないし、要らないとでも主張しているかのような斜に構えたブニュエル独自の皮肉を感じた。 [地上波(字幕)] 7点(2010-12-14 12:03:44) |