1. ピーターラビット
《ネタバレ》 冒頭のおじいさんがサム・ニールだとは気づかなかった。面白かったのは、人間が電気ショックで何度も吹っ飛ぶところくらい。この内容で「ピーターラビット」の看板を掲げる意味はよくわからない。 アレルギー反応などのブラックジョークを入れるなら菜食主義なんかもネタにしてほしかったし、いっそ原作に寄り添って「食うか食われるか」みたいな、動物がお互いに食べ合うことの意義なんかを感じさせてくれるプロットなら面白かったのにと思う(それこそピーターのお父さんはミートパイにされているわけだし)。 隣家の畑を荒らすところから始まって、その畑で大手を振って過ごせるようになって終わり……という、不遜な若者が不遜な若者のまま終わる成長のなさもスカッとしない。 [インターネット(字幕)] 4点(2023-06-07 22:44:29)(良:1票) |
2. メランコリア
《ネタバレ》 世界の終わりが来ることによって、鬱病患者とそうでない人間の立場が逆転するという構成が気持ち良かった。「鬱病の監督が撮った陰鬱なだけの作品」というよりは、むしろ逆かと思う。なぜなら、地球が滅びることを解放と感じて喜ぶ主人公が、姉やその子どもに対しては憐れみの感情をしっかり持っているのがわかるから。「世界が終わって嬉しい」という感情と、「家族が死ぬのは可哀想」という感情は、何の矛盾もなく両立する。そこに温かな余韻があり、セラピーめいた前向きさすら感じるのだ。落ち込んでいるときにこそ、見てみるべき作品なんじゃないかと思います。 [インターネット(字幕)] 8点(2023-02-06 22:11:31)(良:1票) |
3. 大統領の料理人
《ネタバレ》 宮廷料理人を辞めたあと、南極基地にいる主人公の現在を起点に描くことで、「主人公の過去のベールが一枚ずつ…」という予感をさせておきながら、まったく何も起きない。というより、主人公にうっすら嫌悪感すら覚えて終わった。 主人公の行動には、一貫性が見えない。大統領の料理人に抜擢されて、謙遜していたかと思ったら妙に自信満々で人に嫌味なんか言うし、飄々と過ごしていたかと思ったらブチ切れる(しかも原因は主人公の傲慢さや勘違いから来ている)し、大統領と信頼関係を築いたかと思ったらいきなり「実はクタクタです」とか言って辞める。 その支離滅裂っぷりを納得させてくれるだけの演技を主演女優ができているかというと、それもない。常に硬い無表情(おそらくボトックスとフィラーのせい)で、人間としての温かみみたいなものがまったく感じられない。料理はどれもびっくりするほど美味しそうに撮れているのだが、それすら救いにならないレベルで人物描写に味わいがない。 一応、「宮廷=料理を口にする人を直接見ることができない」「南極基地=職員たちがワイワイ食べる姿を見ることができる」という対比があるが、主人公の最大の欲求がそこにあるようには見えないのだ。宮廷での彼女は、「いくらコストがかかろうと、ハイカロリーで大統領の体に悪かろうと、アタシは最高の食材で作りますよ?」ということにしかこだわっていなかった。 南極基地の食堂のおばちゃんになったことについても、「資金稼ぎだった」「孤独に癒やされた」などとラストで語っており、「ああ、この人には、そのときどきの周囲の人間に対する愛みたいなものがないんだなぁ」という後味。じゃあそういうキャラクターを描きたかった映画なのか? というとそうでもなさそうだし…… 作中、「料理は物語。一皿欠けても台無しになる」みたいなセリフがあったが、この映画こそ「てんでバラバラのコース料理を食べさせられて、しかもデザート(仕上げ)抜き」みたいな仕上がりだと思う。本当に謎でしかない。 [インターネット(字幕)] 3点(2022-10-15 09:51:29) |
4. パラノーマン ブライス・ホローの謎
《ネタバレ》 キャラクターはブキミカワイイし、ノーマンの切ない境遇もたしかに胸に刺さるのに、作劇がトンチンカンすぎて不完全燃焼してしまった。「何かが起こり始めている」という序章が長すぎて、やっとストーリーが転がり始めたかと思ったら、行き当たりばったりのパニックシーンばかりで物語の目的がいまいち見えず……(一応、目的は「墓の前で本を読む」ということなのだが、押し付けがましくてまったく腑に落ちない) せっかくノーマンが「幽霊が見える」という設定なのだから、あの少女を冒頭から「正体はわからないけど、いつも見えている幽霊の一人」として絡ませればよかったのになと思った。そこから少女が他の幽霊とは違うことに気づいて……という展開にすれば、ノーマンとの絆も描けてクライマックスに感動できたと思う。 少女の声は『サイレントヒル』でアレッサ役をやったジョデル・フェルランドが当てていて、日本びいきのLAIKAスタジオらしさを感じた。魔女狩りに遭った少女を永遠に煉獄で生殺しにするのが日本なら、しっかりと救済を与えるのがアメリカ。両国の感性の違いが見えて面白い。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-10-14 09:55:41)(良:1票) |
5. シャッター アイランド
《ネタバレ》 霧、水辺、炎、病院、精神病、鉄格子、象徴的な悪夢。そして、妄想による自己欺瞞で妻殺しの罪から逃避する主人公。クリーチャーが出てこないというだけで、ほぼそのままホラーゲームの『サイレントヒル2』だったし、更に言うならそのイメージ源である『ジェイコブス・ラダー』の変奏。制作陣はかなり影響を受けていると思う。特に“崖の下の死体”のシーンはゾクッとして良かった。 しかし表層的な作りは上手でも、人物描写はすっぽりと抜け落ちていた。だから、「どんでん返しは見え見えだったけど、トータルで良かったよね」という評価にならない。死んだ妻の登場シーンは「観客を混乱させたい」という狙いがあからさますぎて、ミステリアスというよりイライラするし、「二人の間にあった愛」が描かれないので「子殺し」の真相は荒唐無稽に映る。主人公はただプッツン女に人生を奪われたようにしか思えず、「最後の選択」に切ない余韻を感じることはできなかった。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-10-03 23:37:15) |
6. メリー・ポピンズ リターンズ
元祖『メリー・ポピンズ』が冒頭からメリー・ポピンズをチラ見せし、バートが歌う魅力的な「チム・チム・チェリー」のメロディで心を掴むのに対して、この『リターンズ』の冒頭10分は「設定を説明するためだけの会話の連続(とりあえず形だけの歌もあるよ)」という感じで、この時点でもう「ハズレだな……」と思った。 その設定も、借金がどうとか父の株券がどうとか、本当にどうでもいい。1ミリも興味を持てない。なぜ元祖のように「謎めいたナニーの魔法に翻弄されるうちに、機能不全ファミリーが再生していく」といったシンプルな作りにできないのか。 アニメパートは、黄金期のアニメーターの仕事に敵うわけがないのは当然としても、CGにあぐらをかいているのが見え見えで芳醇さを微塵も感じられなかったし、歌については1曲も耳に残らなかった。 エミリー・ブラントは歌唱力以前に、「陰」か「陽」かで言うと「陰」の女優だと思うのでそもそものミスキャスト感が否めない(尾野真千子が明るい役をやっているときの違和感に近い)。相手役のリン=マニュエル・ミランダも、ただただプエルトリコ系のクドさだけが目立った。キャスティングのポリコレにこだわるなら、ヴィクトリア時代の話など作らなければいいのにと思う。 とにかく作り手の情熱とか才能みたいなものがまったく香ってこず、「人から作品が生まれる」のではなく「企画ありきで人を集める(適任者がいなくても無理に作る)」という、近年の業界にありがちな1本に思えた。 [インターネット(字幕)] 3点(2022-04-27 08:09:14) |
7. シュガー・ラッシュ:オンライン
ポリコレ臭くてかなわん料理を、演出のケレン味をふりかけて誤魔化すタイプの映画。近年のディズニーお得意のメニューだ。映像としては楽しいけれど、大切な「作品の核」みたいなものがまったく感じられない。プリンセスたちのネタ化も想像以上に酷かった。これにアラン・メンケンが曲を当てるのだから世も末。ハワード・アッシュマンが生きていたら、きっとこんな時代にはならなかったろう。 [インターネット(吹替)] 3点(2022-02-13 20:14:31) |
8. ウィッチ
《ネタバレ》 魔女を描いた映画は多いが、これほどまでに絵画的で様式美に満ちた作品には出会ったことがない。音のメリハリも良く、不協和音で首筋を撫でられる快感は『リング』以来の満足度。 アメリカ入植時代の考証を、ファッションや生活様式だけでなく古い英語にまでこだわって行ったことにも非常に価値があると思う。特に黒山羊のフィリップが人語を操るシーンの、舌先で転がすような響きは蠱惑的ですらあった。 展開は地味だが、登場人物それぞれのモヤモヤが明快なので「家族が崩壊していく様」だけでじゅうぶん引きつけられたし、トマシンが魔女になる決意を明確にセリフで示しているので、バッドエンドの中にカタルシスもある。この先、これ以上の魔女映画はもう出ないと断言できる。 [インターネット(字幕)] 10点(2021-11-23 14:32:42) |
9. ミッドサマー
白昼夢のような映像の美しさ、検証欲を掻き立てられる世界観はたしかに魅力的だが、絵解きの前にまずきっちり楽しませてほしい。ゴア表現を抜いたら何も残らない内容で2時間半は長すぎる。 『ヘレディタリー』もそうだったが、この監督は作品の門構えをスプラッターにしないくせに、結局のところ「グロさが話題に!」という流れを期待しているのがずるいと思う。「話術で怖がらせてくれると思わせておいて、いきなり殴りかかってくる人」という感じ。そんなことされたら痛いのは当たり前で、暴力でイニシアチブをとる歪んだコミュニケーションでしかない。 殴られたときに出るアドレナリンは脳の防御反応でしかないのに、人はその興奮を「すごいものを見た!」という評価に繋げてしまう。これはただの狡猾なビジネスモデルだ。ホラー映画ファンだからこそ、0点をつけます。 [インターネット(字幕)] 0点(2021-11-14 02:07:42)(良:3票) |
10. ハッピー・デス・デイ
《ネタバレ》 まさに「小気味良い」と言いたくなる面白さだった。 ループものの定石である「パニック→受容→謎解き」の展開を終えたあと、主人公が「どうせ誰の記憶にも残らない」と自暴自棄になって、人前でオナラをブーブーしだす展開が新鮮で楽しい。終始、お笑い用語で言うところの「天丼」がスマートに用いられていて、セリフも今っぽくしゃれている。 結果ありきの不自然な展開(犯人を知りたいのなら、殺される直前にお面を取りさえすればいいのにそれをしない→お面を取ってしまうと「真犯人がいる」という大オチが成立しなくなるから…という都合)は少し気になったが、そもそもシリアスぶっていないので問題点というほどでもないように感じた。 不気味なマスクのデザインは『スクリーム』のゴーストフェイスをデザインしたトニー・ガードナーによるもので、90年代のメタホラーブームの香りを残すシニカルな作風に華を添えている。 [インターネット(字幕)] 8点(2021-09-20 14:21:36) |
11. 暗黒女子
《ネタバレ》 「箱庭的な世界観+いかにも芝居っぽい演技」というのは、ジャンルによっては功を奏することがある。この『暗黒女子』も、そこをわかってこういう作りなのだろう。でも、ひとつ大事なことを忘れてしまっている。「耽美的な世界観を作るためには、ビジュアル的なキャスティングが完璧でなければならない」ということを。 学園の誰もが憧れる完璧なお嬢様・白石いつみ。ミステリアスな死を遂げた彼女を演じた飯豊まりえは、もちろん一般レベルで言えばかわいい部類なのだろうが、銀幕でアップにしたときに鑑賞に堪える美人とは到底言えない。口元が気になる感じが強調され、作品への没入感を見事なまでに削いでくる(花壇に倒れている画ひとつとっても、ソフトフォーカスで神々しく見せようとすればするほどギャグに見えてくるし、終盤で明らかになる性に奔放な一面は非常に安っぽい)。 では、「見た目よりも中身だよね」と言えるほどのミステリーがあるか……というとそうでもなく、最初から怪しいポジションの人物が黒幕というシンプルな構成。それも、現実的に考えたらツッコミどころ満載の筋運び。「ミステリーを楽しみたい」という欲求も「耽美的な世界観を楽しみたい」という欲求も満たしてくれない、毒にも薬にもならない作品という感じだった。 [インターネット(邦画)] 4点(2021-07-24 12:29:23) |
12. ゲット・アウト
《ネタバレ》 あのジョージアン様式の佇まいと広大な土地からして、舞台となるお屋敷がプランテーションのオーナーハウスだったことは想像に難くない。「かつて黒人奴隷が労働させられていた場所で白人と黒人が(表面上)仲良くする」というのは、現代アメリカにおいては地雷原を歩くような行為だ(みんなそんなことは口が裂けても言わないが)。その空気感をまるごと利用しているのは斬新だった。 後半の展開は、意外というより茶番。オチが荒唐無稽なのは構わないが、それならば全体を調和させる何かが前半にもっと欲しかった。また、アーミテージ家の奴らをぶっ倒していくシークエンスで、ミッシー(彼女の母親)への一撃がサクッと終わってしまったのも気持ち悪い。主人公に催眠術をかけた主犯格への反撃なのだから、しっかりしたカタルシスが欲しかった。 [インターネット(字幕)] 6点(2021-06-04 00:09:37) |
13. 葛城事件
《ネタバレ》 断片的な事象だけが提示され、ストーリーのない作品だった。もし「毒親がモンスターを育てる」と言いたいだけであれば、それは周知の事実なのだから、わざわざ映画にする意義はないと思う。 「殺人者自身の葛藤」「その家族たちの苦悩」「死刑囚と獄中結婚する人間の思惑」……どれも、制作者が参考にしたという実際の事件を取り巻くモチーフだ。でもこれはドキュメンタリーではなく創作映画。どこかしらに重きを置いたプロットを示すべきだろう。 どの人物にもいまいち感情移入できない中で、稔を死刑から救おうと接近してくる順子の奥行きのなさは致命的だった。「胡散臭い新興宗教の女」という中傷を否定し、「私は人間に絶望したくないだけ!」などと語っているが、その思想に至った過去は明かされない。彼女をどう捉えて見ればよいのか、最後までわからなかった。 リアルさを狙った演出も、一周回って鼻につく。「ほら、通り魔に遭った群衆って、意外と蜘蛛の子を散らすようには逃げないんですよ」とか、「自殺に失敗したあと、おもむろに素麺をすするのって、リアルじゃないですか?」といったような、厨二病的なナルシシズムをまったく隠しきれていない。 結局のところ、「通り魔殺人」という素材で映像表現してみたかっただけ、という感じ。作中に「オナニー」という言葉が頻出するのは皮肉。 [インターネット(邦画)] 3点(2021-05-23 21:30:11) |
14. ヘレディタリー 継承
《ネタバレ》 私は悪魔ネタがけっこう好きだ。よく「日本はキリスト教圏ではないから、悪魔の怖さはピンとこない」という感想を聞くことがあるが、そんなこともないと思う。「邪悪な集団に追い詰められていく」というのはホラーの定番だし、『ローズマリーの赤ちゃん』は何度見ても背筋が凍る。サタニストがマンハッタンのアッパークラスに巣食っているという設定に妙にリアリティがあり、「悪魔に狙われている」という状況を早々に明かした上でのストーリーテリングが巧いからだ。 本作ではサタニストの存在が終盤で明らかになる上、存在感がどうもボヤッとしている。そもそも、主人公たちはどんな街に住んでいるのか。悪魔崇拝者たちは、どのようにカモフラージュして暮らしているのか。彼らのコミュニティとしてのリアルを描けていないので、現実としての恐怖感がまるでない。裸の信者たちがわらわら出てくるシーンはそれこそ『ローズマリーの赤ちゃん』っぽくておぞましいが、同時に苦笑いもしてしまう。 致命的なのは、誰も彼もが辛気臭い顔・行動を示すので「この家族がどうなろうと知ったこっちゃないよ」という気分になること。ルッキズム否定がトレンドなのかもしれないが、やはり「愛嬌のない者に感情移入はできない」ということを痛感する。息子役だけが中東系の顔立ちをしているのも、「何か意味があるのかな?」と思わせてしまう謎のキャスティング。ポリコレ対策だろうか。 恐怖シーンのひとつひとつはけっこうしっかりしているので、怖くすらない駄作と比べれば高評価になるのかもしれないが、名作として後世のホラーファンに「継承」されていくとは到底思えない。 [インターネット(字幕)] 4点(2021-05-22 01:44:25) |
15. ジュラシック・ワールド/炎の王国
《ネタバレ》 「恐竜を使ってこういう画を撮りたい」というコダワリは、このシリーズを続ける原動力として間違っているとまでは言わないが……もう「それだけ」になってしまってはいないか。インドラプトルがトリケラトプスの化石で串刺しになるシーンの向こう側に、作り手のドヤ顔が見え隠れする感じは不快ですらある。『ファイナル・デスティネーション』シリーズの、「こういう死に方面白くね?」のノリを恐竜でやっているだけである。 過去作のオマージュも散りばめられているが、これがまた安っぽい。特に、「あわや殺されるという瞬間に、横からTレックスが出てきて助かる」というシーン。これを何の脈絡もなく、「ほら、喜べよ」とばかりに入れてくるセンスの無さにガッカリ。 肝心の大筋はというと、人間たちが「恐竜保護派vs恐竜利用派」に別れて争うという、『ロスト・ワールド』の轍を踏む退屈な展開。「恐竜vs人間」以上に明確かつ感情移入できるスリルはないのに、なぜそこを大事にしないのだろうか? 初代『ジュラシック・パーク』はどうしてあんなにも手に汗握るか。それは劇中でもサトラー博士が言っているが、「愛する人が命を落とすかもしれない」という恐怖を擬似体験するからだと思う。それは人物が「生きている」と思わせて初めて成立するもの。気の置けない恋人同士(グラント博士とサトラー博士)。姉弟(レックスとティム)。血の通った脚本と役者の演技力が、観客に「この4人が死ぬところは見たくない」と思わせるパーソナリティーを生んでいる。 以降の作品の主人公たちは、どうにも生きていない。揃いも揃って「ひねった家族関係」の設定(両親が離婚していたり夫婦仲が冷めていたり兄弟仲が悪かったり)が与えられている上に、それを掘り下げるわけでもない(なぜなら本筋ではない)から、どうしても短い時間の中でパッと好きになりにくいのだ。オーウェンとクレアに至っては「ワケありの男女」というしょーもない設定で、この二人の間にどれほどの絆があるかもわからない。『ロスト・ワールド』以降、キャラクターたちが死のうが生きようがどうでもいいと思えてしまうのは、このあたりに原因がある気がする。 ただ、それでも「かっこよかった!」と思わせてくれるクリス・プラットのスター性はすごい。 [インターネット(字幕)] 5点(2021-02-28 19:13:05)(良:3票) |
16. クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん
《ネタバレ》 私は『オトナ帝国』を何回見てもボロボロ泣くが、へそ曲がりなので「クレしん映画=感動」とはみなしていない。しかし世間では、「泣けるクレしん映画」はもはやブランド化されていて、誰もがそれを期待している。 今回の『ロボとーちゃん』は、そんな風潮に対する製作者側の照れ隠しのようなものを感じた。後半の五木ひろしロボのくだりは、「感動作の面構えにせず、あくまでギャグで見せたい」という理由のみで付加されているように思える。なぜなら黒幕の「古き家父長制の復古」という野望と噛み合っていなく、ストーリー上の必然性がまったくないからだ(ギャグ単体としては個人的には笑えた)。 国民的アニメ映画の制作体制というのは、ポーカーで言えば「それなりの役が約束されている」ようなもの。ただし観客側は中途半端な役が見たいのではなく、きちっと5枚全体で「ストレート」や「フラッシュ」を見せてもらいたいのだ(すべての要素が完璧に絡み合った『オトナ帝国』は間違いなく「ロイヤルストレートフラッシュ」)。 その点、『ロボとーちゃん』は「泣けるペア+笑えるペアのツーペア」という印象。プロットに組み込めていない「余分な1枚」(黒岩署長がナルシストである意味・段々原の存在意義…など)も内包してしまっている。 でも、それぞれのペアがエース級なので満足感がある。7点以上をつけるには値すると思う。 [インターネット(邦画)] 7点(2021-02-21 12:21:04)(良:1票) |