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プロフィール
コメント数 116
性別 男性
自己紹介  2014年12月に投稿を始めてから9年が過ぎました。

 「映画評論家になれるのでは?!」と思える素晴らしい言葉を綴られる先輩レビュアーさん達に憧れつつも、私には、あのような文章を書けそうもありません。私の場合、少年時代に気に入り、DVDなどで観直しても好きであり続けている映画を中心に、まだピュアだった(?)少年時代の気持ちや、当時の状況を思い出しながら書きたいと思います。大人になってから観た映画も少しずつ追加しています。

 レビューの文面は長くなりがちですが…最後まで私の拙文を読んで下さる皆様に感謝申し上げます。

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1.  妖怪巨大女 《ネタバレ》 
 【未知空間の恐怖/光る眼:1960年】【続・光る眼/宇宙空間の恐怖:1963年】【光る眼:1995年】…と【光る眼シリーズ?三作品】の投稿をして以来、諸事情で1年強、経ってしまいました…このままでは、今年は未投稿になりそうだったので、頑張って投稿します。  実は、当作品は“昨年の7月=上記三作品とほぼ同時期”に観ていました。厳密に言うと、まず、某レンタル店で【妖怪…】が目に入ったのが最初です。そのとき、以前は取り寄せ不能だった【未知空間の恐怖/光る眼】と【続・光る眼/宇宙空間の恐怖】のことを思い出したのです。【光る眼】と【妖怪…】は公開年が近いと知っていたので、念のため調べ直したら、取り寄せが再開されていると判明。そこで1995年版も含めた【光る眼シリーズ三作品】をレンタル。一通り観て投稿してから、当作品を観たのでした。さて、結果は…    当作品の出来は、↓の【なにわ君】がおっしゃっている通りです。  ストーリー自体はいたって真面目です。本編(ドラマ)で笑える要素は、本来、コメディーリリーフとして登場している保安官助手‐チャーリーの言動だけのはずですが…特殊撮影の“質”があまりにも低いために、作り手の皆さんが意図していないシーンで笑いが触発されてしまう…そんな仕上がりになっているのです。  私が印象に残ったのは、巨大化した主人公(の手)を見て看護師さんが悲鳴をあげる場面です。迫真の演技ではあるのですが、否、真に迫っているからこそ、おそらく、現在、マニアの方々が集まる上映会では、この場面で大爆笑が巻き起こるんだろうなぁ…と想像しました。   以下、特殊撮影の“質”について、合成場面に絞り、私なりに真面目に解説してみます。  合成場面の大半はフィルムの2重露光のようです。着陸して動かないボール状の宇宙船では、背景の荒れ地に対して明るく合成することで、背景が透けるのをカバーしているとわかります。しかし巨大宇宙人や巨大化した主人公という“動く被写体”では、明るく合成しただけでは限界があり、どうしても背景が透けてしまっています。  透けるのを防ぐには【①:トラベリングマット(被写体と同じ輪郭を持ち、被写体とシンクロするように動くシルエット)を、背景に重ねて未露光状態にしたフィルム】に対し【②:人物の被写体だけの映像】を焼き付ける、といった必要がありますが、それをしていない。そもそもトラベリングマットを作るには【人物を、無地の背景のスタジオで別撮りし、光学処理をする】もしくは【一コマ一コマ手書きする:これはこれで大変です】といった方法があるのですが…そういった予算も時間も無かったのでしょう。なお“浮気した夫を握りしめたまま絶命している主人公に、町の人々が集まるラストシーン”では、主人公が動かないので、ステーショナリーマット(被写体と同じ輪郭を持っていて、かつ、動きのない固定されたシルエット)を使っているらしく、透けずに済んでいます。  …と、この合成の解説を読んで、果たして若いレビュアーさんはピンと来るでしょうか?。スッと頭に入るレビュアーさんは、おそらく相応に年配で、しかもフィルム合成に興味があった人達に限られることでしょう。因みに、上記の“無地の背景のスタジオ”で使う背景の色は、かつては青色(俗にいうブルーバック)が主流でしたが、現在の映画・TV・CMの舞台裏を紹介する映像を見ると緑色が多くなっているようですね。合成はトラベリングマットを作るまでもなく“デジタル処理”で済むようになっており、隔世の感があります。   見方を変えれば、一口に「合成」といっても、フィルムによる光学合成は、お気軽な技術ではなかったことが垣間見える貴重な作品と言える…かもしれません。  また、ネイザン・ジュラン監督を始めとするスタッフの皆さん達の「この予算と時間で作ること自体、無理があったんだ~」といった苦悩に満ちた声が聞こえてきそうな気もします。  それでも本国ではヒットし、現在でもカルト的な人気があり、日本でも字幕付きでDVDがレンタルされるくらいですから、ある意味、すごい作品と言えるかもしれません。これでスタッフの皆さんの苦労も報われた…のかなぁ?…   さて、採点ですが…お世辞にも良作とは言えませんが、長年の夢だった【未知空間の恐怖/光る眼】を観るきっかけをつくってくれた作品です。その感謝を込めて1点プラス。また、上記の“見方を変えれば”で述べたことも、一応、意義があると言えなくもないので、おまけとして1点プラス、計2点を献上します。  *ダリル・ハンナさん主演のリメイク「ジャイアント・ウーマン」も、取り寄せできたので、別途、鑑賞・投稿しています。 *【光る眼シリーズ三作品】も、別途、投稿しています。
[DVD(字幕)] 2点(2023-09-15 15:57:29)
2.  雨に唄えば 《ネタバレ》 
 数か月前に某ローカルTV局で放送されたのを機に投稿しようと思ったのですが…諸事情が重なり、気がつけば年末に…今さらですが、ようやく投稿させていただきます。   私が当作品に出会ったのは、小学校低学年の頃のTV放送時。両親が「いい映画だから」と勧めてくれて一緒に観ました。私にとって初めて観た【往年のハリウッド映画の名作】です。  当時のブラウン管のカラーテレビの画面はとても小さいものでしたが、映像は色鮮やかで、音楽には温かみがあり、楽しい歌やタップダンスと共に展開される物語は、とても新鮮でした。何故なら、それまで私がTVのCMや街頭ポスターで目にしていたアメリカ映画といえば、人間が食べられたり、悲鳴をあげて命を奪われたり…というパニック・ホラー・オカルトものばかりだったからです。「昔のアメリカ映画って、こんなに素晴らしかったんだ!」と子供心に感激したものです。  一方、同じ郷里で少年・少女時代に地元の映画館(その地域ではとても立派な施設だったとか…)で当作品を観た両親にとっても、大変、懐かしかったようです。なお、両親によると「キャシーがスターになってから、皆で歌い踊るミュージカルシーンがあったはずなんだけど…カットされている。TV放送だから仕方ないかな…」と残念がっていました。   その後、高校生の頃にTVで観たときは深夜帯の放送。当時、ビデオレコーダーは無く、両親は眠っていたので一人で鑑賞しました。  前振りで「以前のTV放送ではカットされていたシーンを、今回はお見せします!」という解説があってからスタート。それが【ブロードウェー・メロディー】の場面でした。本筋とは独立したものであって確かにカットしても支障が無いものでしたが…大がかりで熱のこもったシーンであることは伝わってきましたし「ストーリーを追うだけが全てではなく、歌と踊りを前面に出して魅せる。これもミュージカル映画の在り方の一つだろう」と好意的に受けとめました。  ただし、上述の両親の解説は明らかに記憶違いだということもわかりました。当時、私は思春期で両親に反発することが多々あったものの、さすがに二人の思い出を傷つけてはいけないと思い、翌朝になっても「小さい頃に観たときと同じで素晴らしかったよ」と伝えるに留め、違いの指摘はやめておきました。   あれから何十年経ったでしょう…これまでにもビデオやDVDで何度か観てきましたが、幼い頃に観た感激が色褪せることはありません。  特に今回のTV放送(字幕)では「Nothing can keep us apart, our love will last 'til the stars turn cold」という台詞のアフレコのキャシーの声が、実はリナ役のジーン・ヘイゲンさんの本当の声である、という予備知識のもとに鑑賞。これまでビデオやDVDで聞いていたはずでしたが、知識のおかげであらためて「ああ!こういう声だったのか!」と再認識できたことに感激しました。  同時に「公開当時は、感情移入したお客さんから『キャシーを苛める悪声女優』と勘違いされ、キャリアに傷をつけるリスクも予想されただろうに…よくこの役を引き受けたものだ」と、ジーン・ヘイゲンさんへの敬意も沸いてきました。否、新人だったわけではないから「あのジーン・ヘイゲンが、こんな裏声を出して面白い役を!」と、今でいうところの“ギャップ萌え”でファンを増やした…かもしれません。   さて、採点ですが…まず、鑑賞環境は今回のローカル局放送に則って地上波(字幕)とさせていただきます。上述の通り、思い出深い作品のため、減点はしたくないですね…。  敢えて批評的なことに言及するなら…当作品の設定は、初のトーキー映画“ジャズシンガー”が発表された1927年頃=公開当時の約25年前の時代であり、当時のアメリカの人達には昔懐かしいレトロな風俗を再現した物語だったはずです。このようにもともと【昔懐かしい=心地良い古さ】を醸し出しているからこそ、現在に至るまで【時代を越えて愛される普遍性】を獲得したと言えるのではないか…と思ったりしております。もし1950年代当時の最先端のファッションで見せる作品だったなら、時代と共に急速に“流行遅れ”など悪い意味で古びて見づらくなり、忘れ去られていたかもしれません…。  ちょっとこじつけがましいかもしれませんが、そうした普遍性もあり(無いかもしれませんが(笑)…)、当サイトの採点基準である【傑作中の傑作】として10点を献上させていただきます。少なくとも私にとっては、これからもずっと【昔懐かしい作品】であり続けることでしょう。
[地上波(字幕)] 10点(2021-12-29 18:46:54)(良:1票)
3.  クォ・ヴァディス(1951) 《ネタバレ》 
 2020年7月以降、当作品の投稿が続いたため、かつて観たことのある私も、デイスクをレンタルして再鑑賞の上、投稿しました。   当作品の鑑賞は、今回で3回目です。   1回目は高校生のとき、TVの深夜放送(吹替え版)でした。スパルタカス(1960年)も同時期に深夜放送し、両作品に出演していた俳優・ピーター・ユスティノフさんの吹替えも同じ人(後で確認しましたが、田中明夫さん)でした。当時はビデオレコーダーが無くタイムリーに観ましたが、スパルタカスと同様、最後まで引き込まれました。  題材は【皇帝ネロによるキリスト教徒迫害】でしたが、印象深かったのは、前述のピーター・ユスティノフさんが演じるネロの人物像でした。「僕ってすごいでしょ!天才だよね!」といった【幼児さんにありがちな“万能感”を抱いたままの未成熟な人物】のように描かれており…自分の考えた新たな街づくりを実現させるために市街を焼き払い、竪琴で自画自賛の歌をうたいながら、燃える街並みを、宮殿から高みの見物をする…その姿にゾッとしました。このような言わば【大人になり損ねたガキ】になった【経緯】は描かれていなかったものの「どうしてこんなガキを皇帝にしておくのか!」と高校生なりに憤ったものです(当時の私は授業で日本史を選択。世界史を選択した方々なら【経緯】は常識?)。   2回目は、社会人になり、レンタルビデオで鑑賞。このときは【ローマ市街の大火/ペテロの逆さ十字架/ガルバ将軍の軍団の行進】の場面のBGMに、後年の【ベン・ハー:1959年/キング・オブ・キングス:1961年】と似たメロディーが使われていると気付きました。私は当時『音楽担当のミクロス・ローザは、この作品からMGMの歴史劇大作に携わるようになり…その際、物語が展開した時代や現地の音楽を、調査・研究して作曲に臨んだ』と知っていたため「これが、ローザの歴史劇キャリアの原点だったんだ」と実感できました。    そして3回目は【今回】なわけですが…もともと2回目の鑑賞時から念頭にあり、今回、一層、強くなった思いがあります。それは「皇帝ネロの人物像にしろ、街を焼き払ったか否かにしろ、後世の研究では見解が違ってきており、当作品は“一解釈”にすぎないものの…いずれにせよ、キリスト教徒の【迫害】、というより【虐殺】を扱った物語であることに変わりがない。当作品が公開された1951年は、第2次世界大戦が終わってまだ6年足らず。原作の小説が書かれたのは19世紀末で、世界大戦が念頭にあろうはずはないが、当時の観客さん達は【キリスト教徒の虐殺】を【ナチスによるユダヤ人の虐殺】と少なからず重ね合わせながら観たのではないだろうか…」ということです。  当然、当時の観客さん達は【虐殺シーン】に“リアルな映像によるカタルシス”を望んだわけではないでしょう。特に【円形闘技場で、互いに身を寄せ合いながら祈るように歌い、その後、次々と命を奪われていく場面】では「強制収容所の人達も、きっと、このように祈りながら亡くなっていったに違いない…でも、このような悲しく恐ろしい時代は、きっと終わる…」と、客席で祈りながら観ていたのでは…と思わずにはいられません。【虐殺】の映像表現が“控えめ”というか【節度】のあるものになっているのは【当時の映画界の表現規制/技術的な限界】だけが理由では無いのでは…と思われます。   このように映像表現に【節度】があるため、若い世代の人達にお勧めするには不安があります。「もっと血みどろの迫害シーンを期待したのに…/猛獣に食い殺されるシーンにガッカリ。もっとリアルに首根っこを…」といった感想が並びそうで、私にはそのほうが、この映画以上に恐ろしい気がします。たとえ【映像しての迫力】という意味合いだとしても…。もしご覧になるなら、最低限【公開当時の時代背景】を念頭に…。もっとも、ディスクの特典映像では、私が推察したことへの直接的な言及は無く、他に色々な背景・状況があったようですけど…。また、当サイトのレビュアーさん達なら、上記のような感想は、お持ちにならないとは思いますが…  現在のアメリカ映画界はリメイク流行りですが、【迫力ある映像】が安易に【過激な残酷描写】に陥らないよう、もしリメイクする場合は慎重に…。   さて、採点ですが…【虐殺】を扱っているので、好きな作品には位置づけられませんが、熱演した役者さん達や、作り手の皆さんの労苦を察すると低得点にも…ということで、当サイトの採点基準である「出来としては良い」に則り、8点を献上します。  そして最後に…【〇〇教徒/〇〇人】といった括りに留まらず、現在の国際的な世相が【排他的】になってきている今日、【虐殺】で命を奪われる人達が現れないように…と願ってやみません。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2020-08-30 15:52:33)(良:1票)
4.  空の大怪獣ラドン 《ネタバレ》 
【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】【怪獣大戦争:1965年】【モスラ:1961年】と共に鑑賞する機会を得たので、投稿します。  ラドンは、小学生のときにTV放送された【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年/怪獣大戦争:1965年】で知り、“ゴジラと互角に戦い、協力してキングギドラを追い払った頼もしい怪獣”という印象を持っていました。当作品は、その後、同じく小学生の間にTVで観たのが最初です(かつて、日本テレビの日曜のPMに“社長シリーズ”など東宝映画をよく放送していた時期があり、その一環だったようです)。さらに1~2回、TV放送を観たと思いますが、初見時の記憶が強烈でした。  そして【三大怪獣…】らと共に約30年ぶりに観ました。以下、①殆ど覚えていなかったシーン、②今回の再見で初めて認識できたシーン、③あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーン、の3つに分けてお伝えします。    まず、殆ど覚えていなかったシーンとは、前半の炭鉱の場面です。メガヌロンが部屋に現れる箇所しか覚えていなかったので、今回の再見でやっと筋道立てて認識できました。そして↓の【S&Sさん】がおっしゃる通り「洋画なら、ここだけで一作品にするのでは」と思うほどしっかり作られていると思いました。おそらく洋画の場合、グロテスクな殺傷シーンを見せ場にするような作風になるだろうと想像しますが…私にとっては、病室に亡骸が運ばれてくる当作品のシーンだけも十分、生々しく感じました。  また、本多監督の真骨頂でしょうか、炭坑で生きる人々の生活感のある描写が見事だと思いました。惜しむらくは「キヨの兄・ゴロウが、我が夫のヨシゾウの命を奪った」と誤解していたおタミさんが、キヨと和解する場面があれば、なお良かったでしょう。こうした【人間ドラマの浅さ】は、他のレビュアーさん達のご指摘の通りだと思います。   次に、今回の再見で初めて認識できたシーンとは、【謎の超音速飛行物体】について各国が放送する場面です。その中に「その飛行物体は、速度・航続距離などから判断すると、ただ1個の物体による被害だとは考えられません。すなわち、北京襲撃11:00、マニラ襲撃11:20…」と“ラドンは1匹ではない”と示唆するアナウンスがあります。私は小学生当時から「ラドンは2匹いる」と思っていましたが、このシーンもその伏線だったようです。  私が「ラドンは2匹」と思ったのは【小鳥の卵が割れたのを機に、ラドンの孵化の記憶がシゲルに蘇るシーン】があったからです。今回の再見でも、小学生当時と同様【帰ってきた大人ラドンの声と共に砂ぼこりが巻き上がり、赤ちゃんラドンが喜んでいる場面】だと思いました。しかし観る人によっては【砂ぼこりも鳴き声も、赤ちゃんによるもの】という印象を受けかねない【曖昧さ】もあると思いました。もし赤ちゃん独自の声を挿入していれば【曖昧さ】を払拭し、福岡の場面で誰もが「思った通り2匹いた」と確信できたかもしれません。   さらに、あらためて「すごい」「味わい深い」と思ったシーンとは、ラドンが本格的に登場してからの特撮シーンとエンディングです。  佐世保や福岡での特撮シーンは、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私が詳しく書くまでもないでしょうが…特に突風による破壊シーンは、9年後の【怪獣大戦争:1965年】でも再活用されるほどの素晴らしい出来栄えだと、私も思います。  こうして迎えたエンディング…畳みかけるような阿蘇山への砲撃は、ラドンへの一方的な暴力のようで小学生当時から辛かったです。そして1匹目は噴火に耐えられず落ちてしまい、2匹目も、助けようとして近づくものの叶わず『それなら私も…』とでもいうように身を重ねて炎に包まれていく…このように観た当時の私は【三大怪獣 地球最大の決戦:1964年】でのゴジラとラドンの台詞(小美人による翻訳)を思い出しました。『人間は、我々を苛めてばかりいるではないか』『そうだ、そうだ』…私は「ああ、こういうことだったのか」と、胸を締め付けられる思いが残りました…後年、炎の熱でワイヤーが切れるなど偶然が大きい場面だったと、私も知りました。しかし、今回の再見でも胸に迫る気持ちに変わりはなく、偶然を名シーンに昇華し得たのは、スタッフの皆さんの情熱があればこそだと思います。   さて、採点ですが…上記の通り【人間ドラマの浅さ/2匹いることを示唆する演出の曖昧さ】といった面は否めません。しかし【東宝初のカラーの怪獣映画大作】としてのパワーは十分伝わる仕上りだと思います。【三大怪獣】のまさに“一翼”を担う存在として、【ゴジラ:1955年】や【モスラ:1961年】と同様、大甘だとは思いますが、10点を献上させていただきます。
[DVD(邦画)] 10点(2018-02-01 22:12:12)
5.  地球へ2千万マイル 《ネタバレ》 
 押入れの整理をしていたら、10年ほど前に録画したビデオテープを見つけたため、あらためて再見してみました。感想は10年前と殆ど変わりませんが、当時、我が家にはインターネットが無く、当サイトに投稿出来なかったので、この機会に明記します。なお、日本未公開になった理由は、私も知らないのですが「ひょっとして…」と思うところはあるので、そのあたりもチラチラっと書いておきます。  イーマについては、他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り素晴らしく、ハリーハウゼン氏の愛情がたっぷりと注ぎ込まれているキャラクターだと思います。そして「シンバッド七回目の航海(1958年)のサイクロプスの声は、イーマからの流用だったんだ!。巨大化し、川から濡れた身体で現れるイーマは、タイタンの戦い(1981年)のクラーケンと似ているような…。ひょっとすると、ハリーハウゼン氏は、大好きなイーマを再登場させたくてクラーケンをデザインしたのではないかな」とも思ったりしました。  また、象との格闘も見応えがあると思ったのですが…ただし、当作品が発表された前年・昭和31(1956)年の日本では、某動物園で、象にまつわる事故がありました。そのため、当時、日本での象に対する眼差しが微妙・ナーバスな時期であったかもしれず、そのため当作品も未公開になったのかも…と思ったりもしました。   …と、ここまでは肯定的な意見をお伝えしましたが、実は、私には【引っかかる面】があります。それは当時の社会世相に関連したものであり、脚本上の問題であって、ハリーハウゼン氏のせいではないことを、あらかじめ、お断りしておきます。  【引っかかる面】とは、アメリカのカウボ-イに憧れるペペ少年の描き方です。第二次大戦でアメリカは連合国軍として、日本やイタリアに勝利しました。それだけが要因ではないにしても当作品の公開時、ドルは依然として強く、アメリカの人々にとっては僅かな金額(ドル)でも、イタリアの【リラ】や日本の【円】に換算すると大金になる時代でした。獣医・レオナルド先生にペペがイーマの卵を売るやりとりは【無邪気な子供の小遣い稼ぎ】という程度で気になりませんでしたが…軍人・マッキントッシュ少将とペペとのやりとりからは【敗戦国の少年達は、優れた我が国に憧れを持っている。その少年にご褒美としてのお金を施し、憧れの思いを満たしてあげることは、大変、良いことなのだ】とでもいうようなニュアンスを、私は感じてしまったのです。そして「もし当作品の舞台が日本で、少年が日本人だったら、この場面を見て、当時の日本の観客は、いい気持ちはしなかっただろう」と思うのです。これが未公開になった最大の理由かも…と思ったりしています。ましてや、イタリアの人達は、この場面を見てどう思ったのでしょうか?…もちろん映画の本筋というわけではないし、当時の脚本家や監督にも悪意は無かったでしょうから、私の考え過ぎだとは思いますが…ハリーハウゼン作品に限らず【現代劇】という括りの過去の作品には、こうした当時の世相で引っかかってしまうことが、私にはときどきあります。  その点、その後のシンドバッドシリーズなど【神話・ファンタジー系の作品】は、こうした面を感じなくて済み、時代を越えて愛される普遍性を獲得していると思います。ハリーハウゼン氏が【現代劇】から路線変更してくれて、ありがたく思っています。  さて採点ですが…イーマ自体は素晴らしく10点を献上したいのですが、上述の通り、社会世相絡みで私には看過できないものがあります。同じモノクロ作品の原子怪獣現わる(1953年)に7点をつけたので、それよりも面白いという意味でプラス1点、そして些末的な面に引っかかってしまう自分の小ささを自戒してプラス1点、計9点を献上します。
[ビデオ(字幕)] 9点(2017-08-12 21:42:43)(良:1票)
6.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
 シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、GODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。原子怪獣現わる(1953年)を観た後でした。『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』というストーリーラインこそ、前年発表の米映画『原子怪獣現わる』をなぞったものだとは思ったものの、「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。  ただし、その後に、私はビデオで怪獣王ゴジラ(1956年)という作品も観ました。これは【来日したアメリカ人記者が、ゴジラに遭遇する】という海外向けの再編集版であり、1作目のメッセージ性を見事に削ぎ落としていました。後年、ある本で海外の書評を読みましたが…「都市の破壊シーンは迫力があるが『原子怪獣現わる』のように、何故、怪獣が現れたのかの説明がない。しょせんは二番煎じであり『原子怪獣現わる』には遠く及ばない」という趣旨の文面に複雑な気持ちになったものです。GODZILLA(1998年)が公開された当時も「1作目と比べてどうか」という評論はたくさんありましたが【日本人が語る1作目】と【アメリカの人々が語る1作目】では、かなりの温度差があると言っていいのではないかと思いました。  さて、採点ですが…当作品の優れた点は、他のレビュアーさん達がおっしゃっているので、私がここで繰り返すまでもないかと思います。日本が生み出した傑作として文句なく10点を献上します。  *令和6(2024)年8月4日(日) 追記  【ゴジラ-1.0】の鑑賞を機に、当作品もDVDをレンタルして観直しました。あらためて、ドラマの映像・演出からは“人々の生活感や温もり”が伝わってくる思いがしました。漁村の場面は勿論、山根博士の自宅の様子も(博士の部屋は、いかにも“研究者の書斎然”としていますが…)、畳を基調とした居間の描写は質素で、いわゆる「庶民とかけ離れた生活をしている」という印象は受けませんでした。このように人々の生活に根差した描写を積み重ねたからこそ、ゴジラがもたらした災害による悲惨さが際立ち、かつ、「オキシジェン・デストロイヤーを、命を奪う兵器として為政者に利用されたくない」と、ゴジラと命運を共にする芹沢博士の姿に説得力を持たせたのではないか…と思われます。もちろん実写の映像自体は、撮影を担当した玉井正夫氏のお力によるものかもしれませんが、本多猪四郎監督に確固たるポリシーが無ければ、こうはならなかったでしょう。あらためて本多監督の誠実な姿勢に敬意を表します。  特殊撮影については、“現在の視点”で観ればチープに映っても仕方ないかもしれませんが…少なくとも私は“当時の現場の人達の試行錯誤に思いを巡らせながら観るという視点”に立つので、「よくぞ、これだけの映像を…」と、円谷英二氏をはじめとするスタッフの皆さんに敬意を表さずにはいられません。  いずれにせよ、原子怪獣現わる(1953年)が元ネタになっているとはいえ、【それに便乗し『その場限りで儲かればいい』と考えて安易に作られた手抜きだらけの作品】ではないことは確かでしょう。  以上、【ゴジラ-1.0】の鑑賞を機に、私は、当作品の偉大さを再認識できました。広島・長崎に原爆が落とされた8月6日・9日に近い日の投稿ということもあり、「唯一の被爆国であり、戦争によって深く傷ついた日本だからこそ生み出すことができた」という当作品の重みを胸に、投稿を締め括らせていただきます。
[ビデオ(邦画)] 10点(2016-08-06 15:13:14)(良:2票)
7.  原子怪獣現わる 《ネタバレ》 
 シン・ゴジラ(2016年)の公開を機に投稿いたします。  当作品を観たのは、エメリッヒ監督のGODZILLA(1998年)が公開されるずっと以前。ゴジラ1作目(1954年)とセットにしてビデオで観ました。私の中での感想は、①ゴジラ1作目を観る前、②ゴジラ1作目を観た後、③GODZILLA(1998年)を観た後…と3つの時期に大別されるので、以下、順々に述べていきます。  まず①について、ハリーハウゼンの特撮シーンは、リドサウルスの造形といい、実写との合成といい、当時の同時期の作品を知っている私としては、そのクオリティーの高さに感心しました。一方、リドサウルスを攻撃する場面や逃げ惑う群衆シーンは、映像がこじんまりとしており「噂には聞いていたけど低予算映画なんだな…」と痛感したものです。また、これはリドサウルスに限ったことではありませんが、海外の怪獣は、皆、銃の攻撃がそれなりに効くなど生物的な面が強調されており【軍隊の攻撃にもビクともしない日本の怪獣】に慣れていた私には、違和感がありました。  次に②については、↓のとかげ12号さんのおっしゃる通り『太古の巨獣が核実験で目覚める→都市で暴れる→新兵器で倒される…』という点は、ゴジラ1作目のストーリーラインもそっくりであり、実は、当作品こそ、ゴジラの1作目の元になっているんだろうな…と思いました。ただし、ゴジラの1作目は「反戦/核の脅威への警鐘」といった真摯なメッセージを組み込んで見事にオリジナリティーを獲得していると思いました。その点、当作品における核実験は【怪物が現れるきっかけ】にすぎず、日・米の温度差を感じざるを得ませんでした。  さらに③についてですが、真っ先に思ったのは「GODZILLA(1998年)は『ゴジラ』ではなく『原子怪獣現わる』のリメイクじゃないの?」ということでした。これは、公開当時の日本のマスコミでも話題になり、事実、後年になって、プロデューサーだったディーン・デヴリンが「もともと『原子怪獣現わる』のリメイクをつくりたかったが、資金集めが難しく、ゴジラのネームバリューを借りました」という趣旨の話をしていたとか…思わず納得したものです。  さて、採点ですが、ハリー・ハウゼンが特撮マンとして独り立ちしたデビュー作であり、アメリカで当時、放射能関係で出現するモンスター映画が作られるようになった先駆けであり、ゴジラの元ネタ映画であり…と記念碑な作品だとは思いますが、特撮場面は良いとして、劇映画として「これは面白い!」と万人受けするかというと…他のレビュアーさん達もおっしゃっている通り、あまりお勧めはできないですね…。歴史的な意義とハリーハウゼン氏への敬意から、大甘ですが7点を献上します。
[ビデオ(字幕)] 7点(2016-08-06 15:09:44)
8.  ローマの休日 《ネタバレ》 
 この映画を見たのは、中学生の頃、TV放映時でした。親の代理として不本意に“いい子”を演じなければならず閉塞感で一杯だったお姫様が、念願の自由を満喫することで、最後には王族としての自分を自覚し、成長していく…王女を特ダネのネタとしか考えていなかった新聞記者も、いつしか彼女への愛おしさからヒューマニズムに目覚め、最高のプレゼントを残してくれます。恋愛という意味では切ない結末でしたが、人間にとって大切なものは何かを、思春期だった私に再確認させてくれた映画でした。私は感激して、翌日、クラスメートや部活動仲間に話をしたのですが…共感してくれる人は皆無でした。一様に「昔の映画=劣ったもの」というレッテルを張り付け、観てもいないのに「そんな古い映画のどこがいいの?」とまで言われました。白黒映画であることも、このレッテルを助長していました。「何でも新しいものほど優れている」という電化製品の類と同じような価値観を、映画にも当てはめることに対して私は疑問を感じ「きっとこの作品は、これからも時代を越え、愛されるはずだ」と陰ながら思ったものでした。  あれから30年以上が経ちました。他のレビュアーさん達のご意見を拝見すると、(もちろん、万人受けする作品はこの世に無いとしても)、私の陰ながらの思いは間違っていなかったとわかり、安堵しています。以前ほど地上波で放送されなくなったのは残念ですが、ビデオ(DVD・ブルーレイディスク)の普及により、若い世代の人達にも気軽に、この作品が観てもらえるようになったことを幸せに思います。採点は、文句なく、10点を献上します。
[地上波(吹替)] 10点(2015-08-23 21:41:35)(良:1票)
9.  喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》 
 この映画を見たのは、小学生の頃、TV放映時でした。当時、雪国である両親の郷里に帰るにも夜行列車などを乗り継いだものです。そのため、映画の中で赴任地が地図で映し出されるたび「こんな遠くに…」と驚きました。一緒に観た両親は、特に戦時下の場面で「殉職と簡単に書いてあるけど、戦闘機の機銃掃射で亡くなったということなんだよ」「お前のお爺さんやお婆さんは、戦争中、このような苦労をして子育てをしたんだよ。そして私達も空襲などに怯えて暮らしたんだよ」と涙ながらに語ってくれました。  その後も、TV放映のたびに観ましたが、都内の松竹系映画館の閉館直前に企画された特集上映で、婚約した彼女と観に行きました。自分達の未来(職業は灯台守ではありませんが)を重ね合わせながら「人生には苦労がつきものだが、二人一緒なら乗り越えていける」と語り合ったものです。  そして今回、DVDで再見しました。あらためて、夫婦の何気ない言葉や仕草の機微の一つ一つ、悪く言えば「似たり寄ったり」の繰り返しから紡ぎ出されるものが、この映画の味わい深さだと思いました。また、各赴任地でのエピソードは、その場限りのものだけではありません。【男木島で息子さんが亡くなりそうなとき、安乗崎で息子さんが買ってくれたバッグを握りしめて病院へ向かう】【息子さんの遺骨を抱えて帰るとき、観音崎で出会った“交通事故でお子さんを亡くしたのを機に、気がふれてしまった奥さん”と、自分の心境を重ね合わせる】というように、エピソードが幾重にも重なり合っていることも、あらためてわかりました。重なり合っているといっても、必ずしも物語を劇的に展開させるわけではありませんが、私達一般人の人生における各エピソードの関連性とは、このようなものでは…と思います。こうした重なり合いが縁で娘さんが結婚し、夫婦二人で灯台の灯をともして門出を祝うラストに至ります。見応えのある2時間40分間でした。  なお、DVDを通じて感じたのは、それだけではありません。①交通網が発達した現代の地理的感覚のままで、この映画を観る方、②灯台守の人達の業務内容の詳細を期待して観ようと思う方、③「次から次へ」といったスピーディーな場面展開や、大どんでん返しといったストーリー展開(そのための伏線)に慣れている方…このような方々には、観るのがしんどいだろうな…感じるものは人それぞれ、万人受けは難しい作品だな…とも思いました。  さて、採点ですが、万人受けは難しいとは思いつつも、灯台守の人達をはじめ、当時の時代を真摯に生きた人々、そして、この作品を世に送り出した木下恵介監督やスタッフの皆さんへの敬意を込め、10点を献上します。
[DVD(邦画)] 10点(2015-07-26 19:38:17)
10.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
この映画と出会ったのは、私が中学生のとき、TV放映時でした。当時は、史劇ならではの大がかりなシーンは勿論ですが、それ以上に、ドラマ部分が印象に残りました。  数年後、大学の視聴覚室にあったビデオ(当時、まだビデオは珍しく、HiFi音声の鮮明さに感激したものです)で再見し、この思いは、さらに明確になりました。何よりもインパクトがあったのが「約束通り、帰ってきたぞ/嘘じゃなかったんだな」と再会を喜び合う冒頭のベン・ハーとメッサラの場面でした。短いシーンですが、どれほど熱い友情で結ばれていたのか、きっと子供時代だけでも1本の映画になるのでは…と想像できるぐらい、二人の演技が素晴らしいと感じたのです。その後の二人の悲しい結末を知っていただけに、あまりに切なく、このシーンから涙ぐんでしまいました。勿論、二人の演技を引き出したウィリアム・ワイラー監督の技量、映像を引き立たせるカメラ・照明、そしてミクロス・ローザの格調高い音楽…と、スタッフの熱意が結実していればこそだと思いました。以後の場面も、同じことが言えるかと思います。また、主人公を演じているチャールトン・ヘストンは、私にとって、それまでは大柄でワイルドな印象が強かったのですが、この作品では、繊細な感情をもにじみ出るように表現していると思いました。映画評論家の水野晴郎さんの言葉だったと思いますが、まさに「全身で演技している」と感じたのです。そしてイエス・キリストの描き方も「これが、欧米の人達が子供の頃から親しんできたキリストのイメージなんだろうな」と感じ「人々の憎しみを洗い流す不思議な力があったのだろう。ベン・ハーも救われてほしい」と自然に思い、クライマックスまで感情移入できました。  その後、映画館で何度かリバイバル上映され、そのたびに見ました。大画面での感動はいつも変わりません。そのため、このレビューでの「鑑賞環境」は「映画館」とさせていただきます。  さて、採点ですが、全盛期のハリウッド映画を代表する作品である一方、どうしても宗教色が強いので、他のレビュアーさん達がおっしゃる通り、意見が分かれるところです。私にとっては、ドラマ部分の力により、宗教色を超えて感情移入が出来たという意味で「奇跡の映画」です。ワイラー監督をはじめとする当時の製作に携わった全ての皆さんへの敬意をこめて10点を献上します。 
[映画館(字幕)] 10点(2015-02-21 16:21:34)
11.  シンバッド七回目の航海 《ネタバレ》 
 私が小学校の低学年のとき、リバイバル公開されたディズニー映画の「バンビ」を母に連れられて見に行った際、ちょうどこの作品のリバイバル公開の予告編が流れました。そのときの衝撃は今でも忘れられません。サイクロプスの「目」には、それまで慣れ親しんできたウルトラ怪獣には感じられなかった「意志=しっかりと人間を見つめている」が感じられましたし、人間が投げた槍がサイクロプスに突き刺さるなど、幼い私にも「どうやって撮ったんだろう?」と技術の高さが十分に伝わってきました。残念ながら、当時の私は字幕を読む自信がなく「洋画は怖いもの」という先入観もあり、親に映画館へ連れて行けとはねだらずに「いつか見てみたい」と願い続けていました。  それから10年後、某名画座でシンドバッドシリーズ全作品を見ることができ、ようやく夢が叶いました。上映順は、①黄金の航海、②当作品、③虎の目大冒険、でした。個人的には黄金の航海も好きで、その旨、レビューにも投稿していますが、やはり当作品が最高だと思いました。巨大なモンスターとの絡みや、緻密なチャンバラシーンなど、その後のハリーハウゼン氏のカラー作品の出発点・雛形と言ってもいいと思います。その魅力については、他の皆さんが語ってくれているので、私がここに詳しく描く必要はないと思いますが、必ずしも恵まれた予算ではなかっと聞いていますので、それも驚きです。バーナー・ドハーマンによる音楽も、よーく聞くと予算を裏打ちしてか、必ずしも大編成のオーケストラではないようですが【オープニングやバグダッドの場面での曲は華やか、サイクロプスなどの場面では重厚で力強く】というように多彩であって【低予算の音楽】という印象は全く受けず、映像を一層、際立たせていると思います。ハーマンと言えば、ヒッチコック作品などサスペンス映画が有名ですが、本によっては、当作品をハーマンの代表作の一つに挙げている場合もあり、個人的には「なるほどな」と思います。  なお、その後、DVD収録版で見直してみると、画像の鮮明さが裏目に出て?、背景の実写に対し、人形の合成が十分に溶け込まずにやや浮いているようなカットもあるな…とは思いました。しかし、それまで誰も成しえなかった「カラーフィルムによる実写と人形との合成」にチャレンジし、一定の成果を挙げたわけですから、些末的なものかな…と思われます。  数多くのフィルムメーカーに多大な影響を与えたファンタジー映画の古典として、10点を献上するに相応しい作品だと思います。   平成29(2017)年8月12日(土)追記:【カラーフィルムによる実写と人形(モデルアニメーション)との合成】による最初の特撮映画作品は、当作品より2年早く公開された【原始怪獣ドラゴドン(1956年)-製作会社・特撮担当は全く別】だと、最近、気づきました。知識が曖昧なまま投稿してしまい、今さらではあるのですが失礼いたしました。ただし、モデルアニメによる恐竜の登場シーンは短く、クオリティーも残念ながら低いと言わざるを得ません。したがって【それまで誰も成し得なかった】は不正確でしたが【一定の成果を挙げた】という意味では、当作品に軍配が上がるように思われます。  そして最後に…これは余計なお節介、或いは、年配者による上から目線の物言いかもしれませんが…豊富な予算に裏付けられたCGを使った作品が当たり前になっている若いレビュアーさん達には、可能なら、上述の【ドラゴドン】をはじめとする当時のトリック映画の数々を観てから、当作品をご覧になることをお勧めします。如何にハリーハウゼン作品の映像のクオリティーが高いかがおわかりいただけることでしょう。
[DVD(字幕)] 10点(2014-12-12 22:54:53)
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