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1.  南極料理人 《ネタバレ》 
 冒頭の逃走シーンで吹雪の中にも係らず、カメラが寄った画で風は全く吹いてなく、とってつけたような眼鏡の雪などを見て、「ディテールも何もあったもんじゃない…ヌルいなあ」とか思いながらも見続けていると「なるほど作品全体がヌルいというか緩いんだ、しかもかなり」という事が分かってきます。どちらかというと、良い意味で。  舞台が南極となれば屋外は極寒。閉鎖空間での話となるのは必然ですが、同じ閉鎖空間の酸素と気圧のない宇宙でのそれとは全然違い、天気の良い日は外で野球をしたり、夜中にパンイチでほっぽり出されたり、みんなで記念撮影等々、我慢しようと思えば我慢できちゃうレベルで、閉塞感も緊張感も殆ど無いです。良い意味で。  このユルユルで緊張感も殆どなくエピソードの羅列とも言える、ほぼ起伏のないドラマから逆に監督の気概が見えてきます。 引き算の演出を全編通してしている結果、余白の多い作品になっていますが、詰め込み過ぎのD難度の技を狙って骨折する様な事は無く、こじんまりと纏まって掴み所は無いのですが分かり易いコメディーに仕上がっている印象に思えました。  屋内では必然的にカメラとの距離が短くなる役者さん達の信頼できる抑えた演技に頼り、屋外では逆に失笑を誘うかの様にロングショットを多用して状況を傍観させています。  俳優陣は全員、間延びした隙だらけの、俳優同士のコンビネーションに重きを置いた演技が心地良く、特に主演の堺さんは勿論ですが、オールラウンダー的に演技の出来る豊原さんが本作でも特出していた様に思えました。  物語は男子校の昼休み的なかなりくだらない男8人の群像劇。 作品の構成上、飲み食いのシーンが多いのですが、そうなると西村くん以外の7人は必然的にオフショットになるので結構なダメ人間に見えてしまいますが、好きで来た人は元よりそうでない人もなんだかんだ言いながら仕事は皆さんちゃんとやっていたと思われます。 そうでなければ極寒の地で必要最低限の人数で構成された隊は生き延びる事は出来ないでしょう。 料理人の仕事は食材に付加価値を付けて食べる人に提供する事です。 そう考えれば西村くんはかなり頑張っていたと思います。 ですが、上手に観測が出来ても褒めてもらえない様に、おいしいゴハンを作っても褒めては貰えません。 「うまい」の一言はラストカットへの伏線として使って無いのですが、その為に作中では少し不自然に映るきらいもありました。   手作りラーメンエピソードでは、やはりタイチョーが1番幸せそうに見えますが、結構頑張って料理を作り、それを食べるみんなのリアクションに目を配っていたそれまでの西村くんを見せられていると、みんなの為にラーメンを作る事が出来るという事自体がタイチョーと同じか、それ以上に幸せだったのではないかと思ってしまいます。 そう思ってあげなければ、ピーナッツの使い方でしか褒めてもらえないのでは少し気の毒です。  観測期間が終了して誰もいなくなった厨房に『ドアの閉め忘れに注意』と書かれた張り紙が、手を離せば勝手に閉まるスウィングドアに最後まで貼られているカットを見てなんとなく本作を象徴していた緩さに感じました。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2021-04-03 17:02:44)(良:1票)
2.  THE 有頂天ホテル 《ネタバレ》 
見始めて1時間ぐらいして自分が殆ど笑っていない事に気付かされ、ラストまでそのような状態が続いてしまった事は残念でした。 大きなどんでん返しや、エピソードや登場人物の多さに比べてそれらのお互いの絡みもそれ程無かったのでストーリーではなくて状況や各人の関係性で笑わせるのかと思いきや、そうでも有りませんでした。 生瀬さんや西田さん、伊東さん等コメディに強い俳優さんが出てくるシーンでもそれぞれの設定の制約に彼等の個の力が抑え込まれてしまっていた印象を受けました。  また、本作で決定的に欠如していたのが緊張感だと思います。 全体として登場人物の心境には余り入り込まずにあくまで状況を描いている客観的な演出なので、筆耕係の右近がカウントダウンパーティー迄に『謹賀新年』を書き終えるか、ダブダブが見つかるか等のタイムリミットを課せられたものや、ハナがなおみではない事や新堂の元妻に対する嘘がバレるかどうか等の要所々々でそうした緊張感が感じられない為に作品にメリハリが無くなり、コメディタッチで描かれているだけでコメディと言える程面白いものにはならずに盛り上がりの乏しい単なる緩い作品になってしまったと思います。  グランドホテル形式、長回し、只野の三種の神器や灰皿等のプロップの使い方等、三谷監督は映画の仕組みや仕掛けの方法論に拘る事に執着し過ぎて作品自体の押さえどころがずれている様に見えてしまいます。 一方、有名な俳優を多用したり局アナ等のカメオ的な起用による話題性の作り方や、テレビを中心としたマスメディアでの効果的な宣伝は本当に上手だという印象で、そういう意味では内容の良し悪しとは別に、確実に売れる作品を作る方法を知っている監督だと思いました。
[地上波(邦画)] 4点(2015-12-13 23:33:21)
3.  マイレージ、マイライフ 《ネタバレ》 
オープニングの空のワイプ映像、パッキングの模様やスーツケースを短いカット割りで繋いで行く映像効果に余り魅力を感じられず、同様に魅力の乏しい登場人物が織り成す話にも入り込め切れなかった印象の作品でした。 大学で心理学を専攻し首席で卒業したというナタリーも彼女の会話からそれを感じさせてくれるようなものはないですし、主役のビンガムも独身を謳歌しているやり手のビジネスマンで交渉相手の幸福度と彼への評価の高さが反比例する仕事の内容などで観客の感傷を誘う方法など少し前時代的な古さとありがちとも言える人物設定となっていたと思います。  一般的には副産物でしか無いマイレージをステータスと考え、超一般的とも言える家族や結婚というものを否定的に捉えているビンガムの生き方は価値観は人それぞれなので全然否定はしません。 近親者の結婚やアレックスとの関係の顛末など彼にしてみれば小さなイベントの1つや2つではないかと考えてしまいますし、そうでなければそれ迄培ってきた自由を愛し感情を極力排除してきた彼の生き方という設定に疑問が生じてしまいます。 逆にそれらの事柄が彼のストイックとも言える生き方を変える程の描かれ方をしていたようにも感じられませんでした。 彼の感情や考え方の変化の見せ方や動機付けが弱かったように思います。  仕事と家族の絆との葛藤といったようなハリウッド的なテーマやそれなりの域を出ない映像表現、結末を描かない脚本等、まさにありがちな作品という印象でした。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2015-10-14 21:22:49)
4.  ザ・インタープリター 《ネタバレ》 
ニコール・キッドマンの演技は下手ではなく、ショーン・ペンのそれは上手くはない印象でした。 話の内容で引っ張っていくシーンは気になりませんが、彼等の演技で見せるシーンは2人の存在感が有る為に逆に平均点辺りをウロウロしている演技だと物足りなく感じてしまいます。 ショーン・ペンは直近に妻を亡くした悲壮感から抑えた演技をしているのは解かるのですが、微妙な表情を作り過ぎて若干台詞回しが単調になっていたシーンがしばしばあったように思えます。  また、どのプロットも作品から逸脱するようなものは無かったので最終的には上手く纏まっていたと思いますが、幾分話を詰め込みすぎている印象があり、特に全貌がまだ明かされない前半部は私にとっては付いて行くのが大変な所も有りました。 少し気になったのが市バスの爆破テロのシークエンスで、作品的な盛り上がりでは絶対に必要だとは思いましたが、ストーリー的にはゾーラと共闘体制を取ろうとしているクマン・クマンをあのタイミングで殺す事はズワーニ派の犯行とみられるのは必至ですからズワーニの自作による暗殺未遂での印象操作を相殺してしまう事になると思います。 終盤の国連ビル内での一連の騒動も多少力技で押し切られた印象が残りました。  見終わってみれば映画としての枠組みはしっかりと作られていますし、内容も幾重にも話は重なって濃いものになっていたと思いますが、正直それ程魅力を感じさせてくれるような作品には仕上がっていなかったように思いました。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-09-01 21:17:45)
5.  ホタル(2001) 《ネタバレ》 
山岡夫妻のしっとりとした関係を静かに見せていきながら、彼等を取り巻く太平洋戦争中の特攻という根の深い問題をバランス良く描いています。 反戦という一方的なイデオロギーではなくそれぞれが秘めている個人的な想いを言葉や行動によって静かに吐露させていますが、私には戦争そのものよりも彼等の死生観についての意味合いの方が強い印象がありました。 金山の遺族は朝鮮人が特攻で死ななければならなかった理由に拘る為に彼の死を受け入れられずに、藤枝は生と死両方(命を救ってくれた山岡と一緒に逝けなかった戦友)に負い目を感じながら昭和の終焉を迎えた時に恩人の山岡と決別し死んでいった戦友に再会する道を自ら選び、山岡はそれらの十字架を背負いながら生き続けます。 新聞記者の特攻として生き残った事が苦しみだったのかという問いに対して、山岡が生きるという事にそんな余裕はなく、生きている者も死んだ者も皆一生懸命前を向いて進んでいるだけだという答えは生死の差に意味が有るのではなく前を向いて進む事の大切さと同時に、金山や戦友への無念の思いを感じながら今日まで生きて来た事の辛さを安易に戦争に転嫁しない彼の強さを感じさせてくれます。 しかし、藤枝の自殺も戦友への呵責により生きる事から逃げたというような単純かつ軽率に語られるものでもないと思います。  ベテランの俳優さん達は全員安定していましたが、女優さんの演技が良い意味でも悪い意味でも特出していたと思います。 水橋さんの演技力は彼女の容姿と見事に反比例しています。 ことわざ辞典の「天は二物を与えず」の項目の参照例に彼女の名前が載っても良いくらいだと思いました。 対して奈良岡さんは重要かつ一人語りが多いという難しい役どころを大袈裟になる事なく完璧とも言える形で演じていた為に作品自体の説得力が数段上がったと思います。 また、田中裕子さんはほぼどんな役にも染まる事の出来る貴重な女優さんだと思いますし、彼女の表情で魅せる演技は本作でも活かされていました。 彼女の繊細かつ絶妙な表情の付け方は台詞以上に状況や心情を表現してくれます。 本作は彼女を始めとして配役がかなり良かったと思います。  回想シーンも差し込み方やタイミング等が良いために作品全体の抑えた雰囲気を壊す事なく自然な流れになっていたと思いますし、作品を通してシークエンス同士の繋ぎ方にそれ程無理がない為にストレスなく見る事が出来ました。  しかし、映像自体が粗末なものとなっていてVFXやSFXは論外ですし、画にも奥行きが感じられないカットが多数あり完全に興醒めしてしまいます。 字の下手な書道家の書き初めを見せられている様でした。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2015-07-17 17:55:19)
6.  バンテージ・ポイント 《ネタバレ》 
これだけの作品でここまでブラッシュアップされていない脚本も珍しいと思います。 設定に説得力は無く、展開はストーリーが何時破綻してもおかしくない位に運や偶然に頼り切っている感じです。 この様な脆弱な脚本ですとあの様に同じシークエンスを違った視点から何度も見せて1つの話に擬似的な厚みと深みを付けていく方法は非常に効果的だったと思います。 また、その見せ方も気を持たせる所でカットをするなど少しあざとすぎる感じもしますが徐々に事件の真相に近づいていく作品のリズムは私には調度良かったです。 そして、各シークエンスの登場人物がそれぞれ繋がり、状況の全貌が明らかになった時点で激しいカーチェイスに突入して事件は収束します。 90分という短尺の中で結局監督はテンポという事に重点を置いていた様に感じますし、幾分強引とも言える展開でしたが、私自身も見終わった時には脚本の不出来さを嘆くよりもこの畳み込むような演出による高揚感の方が勝っていましたし、勢いで押し切られた結果になりましたが心地良い敗北感のような「まぁ、これはこれでいいんじゃないかなぁ…」というものが余韻として残りました。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-07-16 17:42:47)(良:1票)
7.  ワルキューレ 《ネタバレ》 
この話は脚色は出来ても史実の根幹を違う表現には出来ないと思うのでやはり見せ方を工夫するしか無いと思います。 前半を淡々と見せて2時間で収めるのでしたら作戦決行後はやはりもっと盛り上げた見せ方にしないと見ている側も不完全燃焼で終わってしまいます。 クーデター勢力がベルリンを制圧していく見せ方は良かったのでその後の正規軍が鎮圧していく様子をオセロの最後の一手でパタパタとひっくり返して一気に形勢逆転してしまうように作中でももっと大胆に畳み掛けて見せるか、逆に後半をあの程度で見せるのでしたら前半部の人間関係や登場人物の見せ方に厚みを持たせて2時間以上の深みのある作品に仕上げるかにしないと淡々とした話が少しテンポアップして終わっただけの作品という印象しか残りません。 作品全体を通して見ても次の展開に急いで進もうとしているだけで、緊張感というより質の良くない焦燥感のようなものを感じるだけでした。 史実に基づいた作品は脚本に限界があるので映像や演出に特出する所が無いと魅力を感じられないものになってしまいます。  アメリカ側の製作者はシュタウフェンベルクをハリウッドが大好きなファミリーマンとして、またドイツ側の製作者は彼を英雄として描きたかったのではないでしょうか。 勿論これは推測ですが確かな事は前者の描き方が中途半端な為に後者のイメージを損ねてしまっているという事です。 家族を大事にする男というよりも大事の前で私事に目を向ける残念な人物に映ってしまった印象があります。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-07-13 00:20:53)(良:1票)
8.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 
ちゃんとした形があった物を2,3太刀入れてバッサリと切ったような作品。 ゲームを買って来てケースを開けたら説明書がB4の紙切れ1枚だけでプレイしながら覚えていくしかないような作品。 しかし、そのような見せ方がとても気持ちが良かったです。 余計な情報が無い分、返ってカフェの爆破テロからトゥモロー号に辿り着くまでの濃密な内容だけに集中出来ました。  ダビデ像、ゲルニカ、バターシーの豚、階段の下の倒れた乳母車(なんでこの時代に…)等の象徴的芸術作品の見せ方や音楽の使い方で作品自体はそれ程重厚ではないものだと認識出来ます。 『子供の生まれない世界』も映画のテーマではなく要素の1つとして見た方が良いかもしれません。 話の内容、映像の迫力、映像のギミック、個性的な登場人物等によってシーンごとに見せ所が目まぐるしく変わる為に見ている側を飽きさせない演出は見事です。  子供が出来なくなる為に種の存続が出来なくなり希望を失った人々が刹那的に生き退廃的な社会になるというロジックで作中のような世界になるという可能性は選択肢の1つとして有ると思います。 そう考えると世界の秩序を保っているのは警察でも軍隊でも思想家のイデオロギーでもなく、子供達ではないのかと言う事が出来るかもしれません。 ファロンがキーと子供を探して廃墟ビルの3階まで上がる途中には泣き叫ぶ住人や活動家と軍隊の激しい攻防の混沌とした中を進んでいくのに対して、保護した2人と降りて行く時には立場が違い殺し合っていたそれぞれの人達の間に争いが無くなり秩序が生まれ、しかも彼等は勿論の事ファロンとキーも理由を完全に理解し切っていないこの情況は人としての本能のなせる業(わざ)として説得力を感じさせてくれる映像になっていました。 しかし、ルークやシドのように自分達の思想や私欲の為に利用しようとするのも人間の業(ごう)として確実に存在するものとしてバランス良く描かれているのには好感が持てます。  作品は単純に逆境の中を母子が「トゥモロー号」まで辿り着いた事を描いているのであって彼等がヒューマンプロジェクトに救いを求めたことが正しかったのかは見ている側も彼等自身も判断出来ません。 いきなりブラックアウトして終わってしまうラストカットを見てもそこに手放しで受け入れられる希望を映し出していない事は明らかです。 しかし、邦題の「トゥモロー・ワールド」は明らかに船の名前とリンクさせて『明日』という言葉を強調させており勝手に希望を抱かせるようなミスリードをさせています。 配給会社の担当者が自分の勝手な解釈で、しかもセンスの欠片も無いような邦題をつける事は、素人の私が勝手に読まれているかどうかも分からない映画評をしているのとは重みが違う行為なので止めて貰いたいと思いました。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-07-05 18:17:48)
9.  母べえ 《ネタバレ》 
佳代の本音は何処にあったのでしょうか。 滋との面会時でも小菅の非礼に対して逆に照美に謝るように強要します。 拘置所にいる滋へ手紙を書く時も娘達へは本当の事を書けと言いますが、自分の気持を言葉にすると途中で感極まってしまいます。 彼女にとって思想統制等はそれ程重要ではなかったと思いますが、愛する滋の自尊心を守る為ならば彼の恩師や父親をも敵に回します。 滋に一番戻って来て貰いたいのは佳代の筈ですが自分の気持を抑えて、あくまでも滋を立てます。 彼等が激昂した後にそれぞれの奥さんの言動を見ていると佳代の気持ちを理解出来ていたのはやはり女性なのだという事も分かります。 彼女自身、学校や隣組では嘘しか言えずに仙吉の前でしか本当の事は言えないと言っていますが、そんな仙吉も初子の為に奈良に帰って貰う事になります。 母として妻として自分を犠牲にして我慢に我慢を重ねる佳代は痛々しくさえ映ります。 そんな彼女の最後の言葉である「あの世でなんか会いたくない、生きてる父べえに会いたい」という言葉こそが彼女の本音だったと思います。 そしてその言葉を聞いた照美が号泣する姿を見ると、作中省略されている戦後から現在までの長い間も佳代は本音を言う事なく我慢して想いを秘めていた事が想像できます。 その後にエンドロールで流れるものは内容から推測すると滋の死後に届いた彼の手紙だと思います。 献身的に家族や自分を支えてくれている佳代への感謝と、自分と彼女を苦しい境遇に追い込んだ憤りを検閲に引っかからない程度(微妙な表現もありましたが…)に暈して書かれながら僅かですが生きる希望も感じられる内容にもなっています。 そんな滋の仄かな願いが理不尽な死によって掻き消された事を受けてもう一度佳代の最後の言葉を考えると非常に重いものとなって心に残ります。  作品全体を通してみると佳代のキャスティングは吉永さんが適役だったと思いますが山崎との無法松的な恋の話を絡めるとかなり無理が有るように感じてしまいます。 作中での彼等の年齢差は恐らく10~15歳位の設定が妥当ではないかと想像すると吉永さんは雰囲気や演技でなんとかなるという範疇を軽く超えていると思います。 彼女を起用するのならば久子に山崎の気持ちを語らせずに彼の想いをわざと有耶無耶に表して見ている側に委ねたほうが良かったと思いますし、その場合は山崎と久子の関係を兄妹の様に仲良く描いてあげればすっきりと纏まると思います。 本作通りの脚本にするのならばやはり佳代を他のもう少し若い女優さんでキャスティングした方が山崎の出征を知った時のシークエンスは映えると思いますし、別れを告げた山崎を追っていく吉永さんの姿は前述したのとは別の意味で痛々しく見えてしまいました。 個人的には吉永さんの佳代が良かったので前者の様な内容にして貰いたかったです。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-07-04 13:47:09)
10.  ピンポン 《ネタバレ》 
見始めた時の感想は窪塚さんの演技が鼻につき集中出来ませんでした。 昔のNHKのアナウンサーが聞いたら発狂しそうな台詞回しの日本語も体が痒くなってしまいましたが、こういうものだと自分に言い聞かせ、それらが慣れてくると徐々に面白くなっていきました。  話は恋愛や誰かの死という様な安直な感傷装置を使わないで『敗北・挫折・努力・勝利』を友情で包んだスポ根の王道の真ん中を行っていますが、原作がマンガという事もあり登場人物のキャラクターがおかしな方向に立ち過ぎていたり、奇抜な演出等も話とギャップがあってかなり楽しめました。 特にドラゴンのバックハンドリターンは金剛力士像みたいで笑ってしまいますし、「24勝……94敗」正直なアクマには好感が持てます。 音楽も良い意味で作品を軽いものにしてくれて見易くなっていました。 それでも青春映画という事で何箇所かは青臭い所は有りましたが、それは私が順調に歳を取れた裏返しという解釈をさせて貰いました。 また、表現方法としては映画と同じビジュアルで見せるマンガが原作なので強調させたいであろうシーンや台詞が主張してしまって作品のリズムが失われている所があったと思います。  見始めた時の感想は前述した通りですが見終わった時のそれは結局窪塚さんで作品が成立していた感じでした。 個性的な登場人物達を彼の極端な演技でバランスを取っていた印象です。 彼の演技を頭ひとつ抜け出た奇抜さにしたおかげで他の役者さん達も伸び伸びと演技が出来て、それぞれのキャラクターにも違和感は生まれず逆にそれぞれが目立つ事が出来て作品全体も纏まったと思います。 窪塚さんは正直好きでは有りません(大嫌いでも有りません)が、本作では役にハマっていて最終的には魅力的に映りました。  この手の作品は内容云々というより、高揚感や爽快感だと思うのでそういう意味ではそれらを感じられた本作は良かったと思います。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-06-30 02:24:41)(良:1票)
11.  クライマーズ・ハイ(2008) 《ネタバレ》 
社会派ドラマとして見ると痛い目に会うというか肩透かしを食らいます。 「チェック、ダブルチェック」を旨とする主人公が大事故の全権デスクを任されたタイミングで同僚の入院や部下の死が重なり自分を見失いかけながらも奮闘する物語なのですが、中身はスッカスカです。 情況描写は非常に上手いのですが本来それを支える作品のテーマや主人公の信念といったものが見えて来ません。 スポーツの試合を一試合最後まで見届けて勝敗や内容を堪能すると言うより、同じ時間で好プレー珍プレー集を見せられた感じです。  特に作品のメインとなる圧力隔壁のスクープの掲載判断を迫られる場面等は醜悪です。 フィクションとはいえ毎日新聞が抜いたスクープを覆すような安い脚色にしないのは当然ですから話の落とし所は最初から決まっているので、判断結果ではなく判断理由を克明に表現すべきなのにほぼ出来ていません。 あれでは主人公が慎重というより次長の言う通り腰が引けたといった感じに見えてしまいます。 その後の辞表提出のタイミングにより主人公が「コネ入社のキレやすいビビリのダメ社員」という印象になってしまいました。 こうなってしまうと本作が何を表現したいかが全く解らなくなってしまいます。  しかし、役者さんの演技や個々の演出にはかなり魅せられます。 田口さんを除くほぼ全ての登場人物が肉食系といった感じです。 そんな彼等のバラバラの利害を絡めてカオス寸前の北関東新聞社を見ていると、こちら側にも緊張感が伝わってきます。 事故の遺族や関係者の方には不謹慎とも取られてしまうかもしれませんが大事故が起きて色めき出す新聞社内や配慮のない社員の言動等には説得力が有り作品としては好感が持てます。 記者の葬式の後に短く差し込まれた所以外は音楽や話の内容をオーバーラップさせながら見せる登山シーンもそれなりの効果を出せていたと思います。  右脳にとっては良い映画だったかもしれませんが、左脳にとっては退屈な145分になってしまったと思います。 作品を通して役者さん達の高い熱量の演技を維持させる演出は見事なので原田眞人さんは監督業に専念して脚本は外注した方が良いのではないかと思いました。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-06-28 16:57:19)
12.  インサイド・マン 《ネタバレ》 
作品の核となる最大のギミックは壁の後ろにラッセルが隠れていた事と犯人達が人質に紛れ込んでしまうという2つだと思います。 ラッセルが冒頭に計画に自信があると言っていましたが冷静に考えてもギャンブル的な要素が大き過ぎます。 357マグナムが本物であったとしても他がモデルガンだったら初動の段階で警備員に撃たれていたかもしれませんし、肌と髪の色、体格、性別、壊れる前の防犯カメラの映像、顔見知りの行員は内通者の可能性はあっても押し入ってきた4人から除外できればかなり絞り込めるはずですし、身元は全員はっきりしているので事件後の追跡調査を地道にやっていれば犯人に辿り着ける可能性は有ると思います。 何も盗られていなくても警察が一番重要としている面子を守る為でしたらその位の事はやっても普通だと思います。  切り札となるナチの秘密書類もケイスとの取引材料に過ぎず、警察から逃れるものでは有りません。 ラッセルに接触した人物が2人いますがホワイトはナチの書類を表沙汰にはしたくないので積極的に協力はしないと思いますが、刑事のフレイジャーがあれだけラッセルと話したり取っ組み合ったりしているので人質・容疑者グループにラッセルがいない事は直ぐに分かると思います。 そうなれば建物内に彼が残っているという事は勉強嫌いの小学生でも理解できます。  監督はスパイク・リー、出演者はビッグネーム揃い、映像はしっかりと撮られています。 これだけのものを揃えても脆弱な設定と脚本をフォローしきるのは難しかったようです。 また、貸し金庫の中身をナチの書類にした事や監督のいつもの人種問題を絡ました演出が作品を少し重たいものにしようとして返って迷走させています。 ナチの書類ではなく買収した政治家のリスト程度にして、人種問題等も極力抑えてスパイク・リー色を払拭した方が丁度良い軽さになって見易くなったと思いますし、本作はその位の娯楽作品に落とし所を見つけた方がすっきりとして良かったと思います。 スパイク・リーも割り切って撮った方がこの程度の娯楽作品に無理やりねじ込んだ人種問題等で中途半端に仕上がった印象を後世に残す事は彼の為にも良くないかと思いますし、前述した設定の甘さ等も目くじらを立てる程にならずに観客にとっても良かったのではないかと思いました。 作品の質を上げようとして色々と画策しても肝心の脚本や設定が追いつかない結果になってしまっています。  フレイジャーがケイスにダイヤの指輪を見せる時に中指にはめて指をおっ立ててるカットは良かったですが、私にとってはオープニングのミクスチャートライバルの音楽の使い方のカッコ良さで終了してしまった感じです。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-06-21 18:47:50)
13.  クヒオ大佐 《ネタバレ》 
堺さん扮するクヒオ大佐はよくあるコントからライブ感を引いて鮮度の落ちた所に良くないリズム感を足したようなキャラクターで、笑えるかと聞かれれば正直笑えませんし笑ってくれと頼まれても笑えません。 しかし新井浩文さんがそんなヌルい詐欺師の前に現れ鋭いツッコミを入れると僅かばかり可笑しくなります。 コメディとしてはその程度です。 ドラマとしても政治や湾岸戦争を絡めてこられてもそれ自体について訴えたかったのか、ラストのクヒオの妄想の前フリの為だったのかもはっきりとはしません。 本作でのクヒオ自身は恐らく幼少時のトラウマから来る解離性同一性傷害だったのではないかと思われ、作中では殆ど彼の交代人格の方が描かれています。 だとしたら捕まっても案外すぐ出てこれちゃうかもしれません。 この様にコメディとしてはほぼ笑えず、ドラマとしてもフォーカスがぼけてしまいながらクヒオの妄想でラストを迎えますが、怖いのはこのクヒオの脳内妄想が現実のしのぶにも見えてしまっている事です。 路上でしのぶは実際には飛んでいないクヒオの乗るヘリコプターに敬礼しています。 後ろで見ている弟はドン引きです。 クヒオの精神世界を共有する事が出来るしのぶって…。 これが「愛の力」なのでしょうか。 だとしたら、しのぶはクヒオと結ばれる以外幸せになる事は有りません。 まあ、可能性としてはハンバーグに入っていたのがニガクリタケでもクリタケでもなく、○藤英明さんが食べたヤツと同じキノコだったという方が高いと思いますが。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2015-06-20 03:34:56)(良:2票)
14.  歩いても 歩いても 《ネタバレ》 
阿部寛さんの演技は最近では褒めるのが当たり前になって来ました。 信夫を演じた高橋和也さんが役どころも良く作中では光って見えます。 特筆すべきは、孫達を演じた子役と言ってしまったら失礼に値する3人の役者さんです。 作品を通して大人達が作っている淡々と安定した世界観を壊すことなく、それどころか作中での夏という季節にシンクロするように作品に瑞々しさを与えてくれています。 3人の演技は勿論ですが『そして父になる』での子供達も同様の印象だったので是枝監督の演出や撮影現場の雰囲気作りが卓越していると考えるのが自然だと思います。 百日紅の紅い花を手に取って遊んでいるシーンは本当に素晴らしかったです。  家族だから言えない事、言ってしまう事、家族なのに伝わらない事、伝わってしまう事、家族の中で比較してしまう者、比較される事を否定する者、比較の対象として受け入れて貰いたい者等を親族の死を絡め、何気ない伏線を自然に回収させながら絶妙の距離感や台詞と丁寧な脚本、映像で厳しさや優しさとして小さくすれ違いながら表現されています。  長男の墓に水を掛けながら語りかけるとし子を死んだ兎に手紙を書こうと言った友達を笑ったあつしがじっと見ていますが、何年後かの墓参りで良多も同じ事をしています。 あつしの中に良多がじわじわと入ってくるというシーンを基に考えると、そんなあつしにも彼等の行動を理解する日が来るのかもしれません。 また、助けられた男性を長男の仏前に呼ぶ本当の理由を吐露するとし子の後ろで低く一定に鳴る換気扇の機械音は彼女の消える事のない怨念のような不気味さを増幅させる効果となっています。  登場人物が画の中にわさわさと居ても各人が的確な演技を見せてくれています。 しかし自然ではあるものの演技や演出に無駄や隙がなさすぎるので作品全体が無機質になってしまう箇所もあり、話の抑揚がかなり抑えられて各シークエンスもそれぞれに完結してまっている所が多く、そこからの発展が少ない為に見ているこちら側が委ねられるような大きな流れのようなものを感じられません。 この様な演出は監督の狙いだと思いますし私自身も劇的な展開やあざとい心理描写等を本作からは望んではいませんし程度の問題だと思いますが、話の本筋というものが掴みづらいと単なるサイドストーリーの集合体で成り立っている俳優や雰囲気で見せる作品という印象になってしまいます。 そこに少し上手過ぎる演出の弊害のようなものを感じてしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-06-19 18:58:41)
15.  座頭市(2003) 《ネタバレ》 
殺陣のシーンにCGを多用したり、時代劇でボリウッド的ラストのタップダンスを挿入したりとアイデア自体は面白いのですが個々のクオリティーを見るとそのアイデアに全く追い付いていない印象です。 殺陣に限らずアクションシーン等でもCGに頼る事は肯定しますし必然な時代だと思いますが、作中での血の飛び散り方等は何時何処で誰をどの様に斬っても一様な表現で、テレビアニメの使い回しのカットを見せられている様で、『暴力』に拘りのある北野監督作品としては残念に感じますし、刀が体を貫いているカット等は前世紀のCG技術で今世紀のそれとは言えない程に見ているこちらが恥ずかしくなってしまうレベルです。 また、タップダンスからは本来見せたかったであろうダイナミックさは感じられません。 理由としてダンサーの数と技量、カメラアングル、編集、そしてナイトシーンにした事で画に拡がりがなくなってしまっていることです。 ストーリーとは切り離した割り切っているシーンだと思うので、途中からデイシーンに瞬間的に転換させて青空の下で撮っても良かったのではないかと思いましたし、欲を言えば作中にあった狐の嫁入りの様な中での殺陣シーン宛ら晴天の雨降りという中で踊るくらいの極端な振り切り方をして、スケール感を出して貰いたかったです。 幾つかの場面で作業をパフォーマンスにしたり、それらの生活音をミクスチャーさせて遊んでいるシーンがある為にラストのタップダンスにそれ程違和感なく繋がっていたので残念です。  役者としてのたけしさんは相変わらず存在感が有りカッコ良かったです。 台詞回しにはムラが有り良い時もあればそうでない時もありますが、体の左右のバランスが崩れた姿勢の悪い佇まいから来る危険な雰囲気は未だ損なわれていませんし、居合の達人座頭市としての凄みは十分感じられます。 殺陣シーンでの決して美しいとは言えませんが地に足をしっかりと付けた低い重心からの直線的な斬り込みや、目を閉じているので歯を噛み締めた力んだ表情で見せる演技の付け方等は、強さと同時に市の不器用な性格と人を斬るのに力が要らない訳がないという勝手な想像から来る説得力を感じてしまいますし、掛け値なしで痺れます。  最後に一映画ファンでしかない私ですが生意気な事を書かせて貰えれば、良いアイデアを具現化出来ないのは『コメディアン上がり』という生粋の映画業界出身でない為にスタッフに遠慮してしまっているのかなぁとか、自分自身に言い訳してしまっているのかなぁ等と考えてしまいます。 役者にしても監督にしても『コメディアン上がり』等という低いレベルで評価されるような映画人でないのは周知の事実なのですから、もっとストイック且つ丁寧に拘りを持って作品を仕上げていって貰いたいと思いました。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-06-17 18:57:14)
16.  ブラックホーク・ダウン 《ネタバレ》 
ソマリア内戦への米国の軍事介入を総体的な視点ではなく、モガディシュでの局地戦をあれだけの映像で米兵同士の絆の人間ドラマと共に描けば、米国万歳とまでは行きませんが明らかに戦争も米国も肯定している昨品だと感じてしまいます。 それは、冒頭のプラトンの『死者だけが戦争の終わりを見た』という言葉でも解ります。 拡大解釈すれば生きている者は誰も戦争から逃れられないという意味です。歴史年表を見れば明らかです。 戦う事は善悪の範疇ではなく世の常だという様な偉大な過去の哲学者の言葉は、戦争を生業の一部にしている米国からすればこれ以上ない後押しになりますし、本作は完全に米国からの立場で米国中心に描かれていますが、逆に潔ささえ感じます。 やってきた事と撮っている事が違うという様な中途半端な客観視による反戦的な道徳観の押し付けより、やってきた事を主観で思いっ切り撮りましたという本作の方が正直好感を持って見る事が出来ます。 作品に関わった人達も(監督は英国人ですが)実際に戦った米兵も、彼等の主観から見れば米兵とソマリア民兵の命の重さは違うと考えるのは当然ですから、作中の様な敵か味方で差異のある描き方になるのは自然な事だと思います。 ある意味戦争とは命の価値の差別化が無ければ成り立ちません。 本作はそれすらも忠実に表現しているのかもしれません。 逆の立場から撮ればソマリアの解釈で撮るだけの事です。 どっしりと軸足を米軍に置いたことで、見方によっては純粋な戦争映画になったのではないでしょうか。 戦場映画といった方が良いかもしれません。  ヘリからの機銃掃射でM134の焼けた薬莢が雨のように降って来てエヴァーズマンの服の中に入ってしまうシーンや、オシックが落ちている誰かのちぎれた手を反射的に自分のポーチに入れてしまったり、サンダーソンが上官の話を上の空で聞いているシーン等、説明もなく一見意味もない様な演出にリアリティを感じてしまいます。 この様なシーンと迫力のある戦闘での映像が相まって作品に引き込まれていきます。 また、戦場真っ只中で命令に翻弄されながらもそれに従い命懸けで奔走するマクナイト、任務とはいえ上空で命令と状況を現場と司令部に伝える事しか出来ないマシューズ、泥沼化する状況を把握しながらも苛立ちと苦悩を募らせながら次々と命令を下すガリソン等を、対比させながら見せる演出は俊逸です。 敵と味方の間に埋める事の出来ない深い溝が有る様に軍内にも格差があり、それが直接生死の差に繋がる描き方には言葉を失います。  戦場で戦う事に淡い理想を見出そうとしたエヴァーズマンに対して、最後にフートは帰った方が良いといった様な趣旨の台詞を言います。 そんな彼の戦う意味とは仲間の為というもの迄に簡略化されています。 思考をそこ迄削ぎ落さなければ生き残れないのではないかと感じさせる程に、十分な戦場の描写に本作はなっていると思います。  米兵19人の犠牲に対してソマリア民兵ではなくソマリア人の犠牲者が1000人という所が気になります。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-06-02 17:09:39)(良:1票)
17.  おとうと(2009) 《ネタバレ》 
山田洋次とは社会や人間に対する大きなテーマを、市井の人々に溶け込ませてユーモアや哀愁を織り混ぜながら、それらをイキイキとした役者さんに語らせて作品を撮るハズレのない監督だと思っていたので、本作を見終わった時には正直残念でした。  とんでもなく下手な役者さんはいませんでしたが、上手な役者さんもいませんでしたし、彼等が演じている世界からは生気が全く感じられませんでした。 そんな世界観の中でステレオタイプの登場人物が次から次へと出て来れば薄っぺらい作品になるのは当然だと思います。  テーマは誰にでも訪れる死と如何に向き合うかという事と、生きている時には誰にでも居場所が必要で、それは一人では築けないという事でしょうか。 生きる事が下手な人間には尚更難しい事だと思います。 そんなテーマを物語に上手く落し込めておらず、無理矢理に話にくっつけた様に見えましたし、テーマに対する社会状況の説明になってしまっているプロットが多すぎて物語自体に魅力を感じられませんでした。 それぞれの登場人物の話も描き切れていないので中途半端にストーリーが進み、全体的に底の浅い作品になってしまい、深みや広がりではなくただ単に散らかっただけに感じてしまいました。  渥美さんや倍賞さんが出ていない山田監督の現代劇を初めて見ましたが、本作がこの様な印象だったので、もしかして今まで私が評価していた山田監督の作品とは、彼等役者さんへの評価だけだったのかと思ってしまう程でした。 ボーカルが代わったバンドの久々に出たアルバムを聴いて「やっぱり違うな…。」という感覚です。  また、薬局の中から外の道が見えるカメラアングルは、寅屋からの仲見世通りのそれを踏襲したものだと思いますが、殆ど活かし切れていませんでした。(活かそうとしていたカットは有りましたが…)  山田監督には映画の可能性を語っていた「キネマの天地」を見て頂きたいと思ってしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 2点(2015-05-04 03:02:21)
18.  ザ・マジックアワー 《ネタバレ》 
過去の映画作品のパロディやオマージュをふんだんに挿入して誤魔化さなければ恥ずかしくて描けないような使い古された設定と展開ですが、そこまでこのプロットに拘っただけの事はあり大変面白かったです。 地に足が着かないで浮ついているが緩すぎない世界観が話の展開や登場人物のキャラクターを無理の無いものにして見易くしてくれていますし、この様に笑うために調度良い世界観を作品を通してキープして貰えるのはコメディ映画を見るに当っては非常に助かります。 監督の行き届いた演出に依る所が大きいと思います。   他のレビュアーの方同様、佐藤さんの絡んだシーンは非常に魅力的でした。 コメディパートでは、大根役者が下手に演じている事が面白いのではなく、演じる内容が面白くそれを村田のアクの強さで際立たせているといった感じで、見ていて大笑いしてしまいました。 騙されて演じているシーン、騙されていると気付かないで備後やギャング達と過ごしているシーン、騙されていたと気付いてからのシーンのそれぞれのシチュエーションに適した演技を大胆かつ微妙な加減で演じ分けているのは素晴らしかったです。 また、ゆべしの現場で屈辱を受け、雨が降る夜のセットのスタジオの扉を開け、現実の昼間の世界に出て行く後ろ姿が光の中に溶け込むシーンや、劇場で自分が写っているスクリーンを見て感極まってしまうシーンなどはとても印象的でした。 小日向さん演じるマネージャーがいつも村田の味方になっていたのも見ていて好感が持てました。   しかし、戸田恵子さんの役どころはいちいち面倒臭かったですし、高瀬と村田の会話はくどくて長過ぎるように感じました。 いっそ、「マジックアワー」というタイトルの拘りを捨て、その辺りのエピソードも変えてスッキリさせた方が良かったのではないかと思ってしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2015-04-27 00:22:27)
19.  ゴールデンスランバー(2009) 《ネタバレ》 
冒頭、主人公の友達が主人公に「人間の最大の武器は、習慣と信頼だ。」と言います。 信頼は、それに足りうる言葉かもしれませんが、習慣は疑問です。 逃走劇を扱った作品は、追う側(本作では警察)の追い詰め方によって作品のハードルの高さが設定され、逃走側(主人公)の逃げ方によって作品の世界観が決まっていきます。 本作はハードルの高さや世界観がかなりバラバラです。 話が進むに連れ加速度的にハードルが地面スレスレまで低くなります。 そして逃走劇のクライマックスである主人公と香川さん率いる警察側の直接対決での一連のシーンで気付かされます。ハードル走だと思っていたら、バーリトゥードの格闘技だったと…。結局、なんでもありです。 前半の主人公の最大の武器は信頼だったかもしれませが、後半の主人公の最大の武器は製作者の都合の良い脚本です。 そのあたりの脚本や演出に統一性を持たせて丁寧に撮っていればもっと見やすく、娯楽大作と呼ばれるような作品になったと思います。 個々のシーンも面白かったですし、メインの役者さんで下手な方は居ませんでした。 特に濱田さん、石丸さん、伊東さんが良かったです。 伏線の張り方や、その処理の仕方、台詞回しなども良かったです。それだけに非常に勿体無く感じました。  また、主人公の役者さん自体を整形後に変えるのでしたら、冒頭のエレベーターのシーンで滝籐さんの顔を軽く見せてしまい、ラストの方も同じエレベーターのシーンで顔出しした方が演出的に良かったのではないかと思いました。(ラストシーンのインパクトが増したのでは無いかと…)  周知の通り「GOLDEN SLUMBER」はビートルズの曲で、三曲からなるメドレーの中の一曲です。「Carry That Weight」「The End」と、続きます。 主人公は友達の車の中で目覚めると、首相暗殺容疑者の濡れ衣を着せられ、この事件に巻き込まれます。二曲目の「Carry That Weight」で、本家は「お前はこれから長い間ずっとその重荷を背負うんだ」という歌詞を叫ぶように連呼しています。 そして主人公は友達や知り合った人の信頼を武器にしてこの事件を乗り越えます。 「The End」では「結局、あなたが受ける愛は、あなたがもたらす愛に等しい」と、歌っています。 最後に主人公は顔を変えて、青柳雅春に戻れず生きていきます。「GOLDEN SLUMBER」の歌詞は劇中でもあったように、「かつてそこには故郷へと続く道があった」 即ち、今はもうその道はなく故郷へは戻れない、という意味です…。少し切ないです。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2015-04-25 18:34:32)
20.  私は貝になりたい(2008) 《ネタバレ》 
豊松には同情してしまいます。 何故ならそう描かれているからです。 子供の頃から貧乏で、足に障害を持ちグズだと言われ、身籠の妻と駆け落ちしてやっと小さな店を出したら軍に招集され、帰ってきたら刑務所に入れられ、二人目の娘には金網越しにしか会えず、SMAPなのに歌が下手で、最後には死刑になってしまいます。 製作者はそんな豊松への慈悲を感じて欲しかったかといえば、そうではない様な気がします。 大北山での出来事は背景や感情も含めるとかなり複雑です。 当時の日本はジュネーブ条約の捕虜に関する条項には批准していないので、矢野中将の「適切な処置を行え」という命令からしてあやふやですから、豊松までの間に入った士官達の命令責任も問えなくなりますし、「上官の命令は陛下の命令」としているならば、天皇陛下まで責任が及ぶことになってしまいます。 豊松の行動も「上官の命令は絶対」と言っているので銃剣が右腕をかすめたのは結果であって、受動的にせよ殺意はあった事になります。(それとは関係なく捕虜が死ぬ事も複雑にしています) この様に戦時中の陸軍の軍規に沿った出来事を戦後の戦争裁判(これ自体の賛否は省略します)で裁く事には無理が生じますが、それによって齎される軍国主義との決別と民主主義の到来を望んでいたのは、豊松の様な貧しい庶民であった筈です。 しかし、民主主義の基本的人権と法の下の平等を享受するには個人の行動に対する責任という代償が必要になります。 作中ではほぼ冤罪とも取れる罪に死刑という極端な表現をしていますが、製作者は、軍隊というヒエラルキーの中でさえ「責任」を有耶無耶にした日本人に戦勝国による戦争裁判で一様のけじめは着けられた様に見えるが、自らが総括もしないで今日に至っている私達に、出生や環境、個人の能力に関係なく与えられる人権や平等に対する個人の行動の責任の重さを理解しているのか、と問いている様に思えました。 人が社会の中で牛や馬ではなく人として生きるには人権が必要です。 人権を含む民主主義を主張する事は、個人としての行動の責任が伴います。 しかし、責任を負わずに生きる方法は有ります。 社会システムの外で生きるという事です。 深い海の底で誰にも干渉されず誰も干渉せずに、貝のように生きるということです。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2015-04-25 18:07:32)(良:1票)
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