4. 羅生門(1950)
《ネタバレ》 「昨日から彼氏と南の島に来ています。こんな景色、日本じゃ絶対見れないよぅ」とバカンスの写真をアップする女性。もしくは、「今日は会社の先輩が所有するクルーザーでナイトクルージング!海の上から見上げるレインボーブリッジも最高!」などと友人と一緒に賑わう写真を上げる男性。 この物語のテーマは、人間の弱さ、そして自己顕示なのだろうか。 一人の男性の死にまつわる関係者それぞれの証言が食い違う。志村喬演じる杣売の話が本当だとするなら、当事者3人はそれぞれ事実とは異なる事を言っている。何故そんな事をするのか?事実には自分たちに取って都合が悪い事が含まれているからである。事実そのままだと、正直かっこ悪いのだ。(本当は、多襄丸と金沢武弘二人ともへっぴり腰で戦っている!) 「少しでも本当の自分よりかっこよく見せたい」という想いがある。ここでのポイントは、すでに生死には拘っていない事だろう。(多襄丸に関しては、原作の中で「どうか極刑に遇わせて下さい。」と言っている。)死ぬ事よりも大事な物があり、それは人間としての尊厳や見栄なのだ。つまり、死ぬ事よりも周りからどう思われるかを気にしているのである。「死んでいる人間が嘘をつくとは思えない」という台詞が出てくるが、いやはや金沢武弘は既に死んでいるのであるから、それこそ生死にこだわりはなく、であるなら、そこには少しでも周りから良く思われたいという思いのみがあるのだ。死してなお、自分の体裁を気にするのが人間。だから恐ろしい。 さて、現代においてバカンスの写真を上げる女性は真砂であり、クルージングの写真を上げる男性は多襄丸であり金沢武弘なのである。みんな、自分の事を少しでも良く見せたいと必死なのだ。そう。この物語は普遍であるどころか、SNSの浸透により一人一人が己の自己顕示欲と対峙せざるを得なくなった現代人にこそ、強く響くのではないだろうか? 「昨日買ったエルメスのバッグ〜」、「今日はお友達とおしゃれなレストランでランチ♥」、「ジャーン!新車買っちゃった!」etc,etc,etc...... 本当に人間とは弱く、不思議で、恐ろしい物なのである。 ちなみに小生はそういった人間の自己顕示がある時急に恐ろしくなり、某Facebookをやめてしまった。(本当にFacebookをやめようとすると、結構面倒な手続きが必要です。) 杣売 [ブルーレイ(邦画)] 9点(2015-11-09 10:32:23) |