1. ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
《ネタバレ》 気持ち良く意表を突かれた逸品。 「ブレックファスト・クラブ」(1985年)的な「学校に取り残された子供達」が主人公の話かと思いきや、実は「彼らの見張り役となる教師」のハナム先生も主人公であり、問題児のアンガスと絆を深めていく物語と判明する流れ、かなり良かったです。 改めて観返してみると、序盤からハナム先生の出番が多く、彼が主人公格である事は示唆されていたのですが、見事に騙されちゃいましたね。 正直、初見の際には戸惑いが多かったし「ミスリードの尺が長い」「最初は喧嘩してばかりだった子供達が仲良くなる流れを期待したのに、そちらに関しては裏切られる形になる」って辺りは、欠点と呼べそうな感じなのですが…… ここまで面白かった以上は、素直に脱帽する他無いです。 本作に関しては「嫌な奴かと思われたデナム先生が、実は良い奴だった」と判明する種明かし的な面白さを重視せず「生徒のアンガス共々、デナム先生も少しずつ変わっていく」という成長物語のような形で纏めたのも、上手かったと思いますね。 生徒達が喧嘩した際に、学友を売るよう誘導している場面とか、ハナム先生の憎たらしさも序盤で丁寧に描いていたからこそ、カタルシスが生まれてる。 他者に対し「行く所の無い哀れな孤児なんだから、多めに見てやれよ」なんて皮肉ってたアンガスが、後に「クリスマス休暇にも実家に帰れず、学校に残る破目になる」って顛末を辿る辺りも痛烈で面白かったし、そこから更に踏み込んで「ハナム先生と共に過ごすアンガスは、決して一人ぼっちの孤児なんかじゃない」と観客に感じさせる辺りも、見事な構成でした。 ハナム先生と、生徒のアンガス、どちらに偏るでもなく、両者を好きになってしまうような作りだった点も良い。 こういう映画の場合、普通なら「子供の頃に観ればアンガス側、大人になってから観るとハナム側に感情移入させられる」って形になりそうなものなのに、本当に等しく、二人とも主人公だったんですよね。 それまで生意気だったアンガスが、父と面会出来た際には子供らしく嬉しそうな顔になり、その後に現実を悟って悲しげな顔になる場面。 気難しいハナム先生の「停学は目の前に迫ってる」「私は手を引く」なんて台詞が伏線になっていて、前言を撤回するように、終盤でアンガスを庇う場面。 どちらにも見せ場というか、大いに心揺さぶられる場面が有り、ダブル主人公物として、理想的な出来栄えだったように思えます。 最後はハナム先生が学校を去るという、悲しい結末を迎えてしまう訳だけど「前々から書きたかったモノグラフを完成させる」という目標が有るので、暗くなり過ぎず、前向きな希望を残している形なのも、これまた素晴らしい。 別れ際「君なら出来る」と伝えるハナム先生に、アンガスが「俺も同じ事を言おうと思ってた」と返すのも良かったし…… その後の「またな」を言い合う場面といい、教師と生徒という関係性では無くなったとしても、二人には確かな絆が残ってると感じさせてくれるんですよね。 「仲良くなった二人が別れてしまうだなんて、可哀想」という悲劇を描いた映画では終わらずに、そんな悲劇を乗り越えるだけの強さを感じさせる映画でもあるのが、本当に良い。 此度、時間をおいての再鑑賞という形になったのですが、上述の「ハナム先生が前言を翻してアンガスを庇う場面」といい、伏線の巧みさや、構成の緻密さには、改めて驚かされましたね。 感動させるだけでなく、積み重ねの大切さを教えてくれる、良い意味で教科書のような…… 観客に対する先生のような映画でありました。 [インターネット(吹替)] 8点(2025-06-02 17:42:48) |
2. バービー(2023)
《ネタバレ》 何だか中途半端というか……やりたい事が多過ぎた映画って印象ですね。 基本的には「人形のバービーが人間になる話」と「バービーワールドを通じてフェミニズムを喧伝してる話」の二つが同時進行する作りになってるんですが、とにかくバランスが悪くって、どちらも心に響かないんです。 監督が力を込めてるのは後者の部分なんだけど「一応これはバービーの映画だから」とばかりに前者の部分も盛り込んでるのが、悪い意味で優等生的。 これなら「男達に乗っ取られたバービーランドを、女達が奪い返しました」「男達は可哀想だけど、これから頑張って立場を向上させてね。現実の女もそうしてきたんだから」という場面で終わらせて、徹頭徹尾フェミニズムの映画として完成させてくれた方が、まだスッキリしたように思えます。 だって本作ってば「人形であるバービーが人間になりたいと願い、それを叶える話」という話の幹が有るはずなのに、監督が拘ってるのは「観客にフェミニズムを伝えたい」という枝葉の部分ばかりなんです。 主人公バービーが人間になりたいと願う理由がサッパリ伝わってこないっていうのは、どう考えても致命的な欠点。 あえて言うなら、バービーが現実世界を訪れた際に老女と世間話して、その美しさに驚くという件が「人間という存在への憧れ」に繋がったのかと思えますが、それなら老女の人形に生まれ変わる展開でも良いじゃないかって話ですからね。 主人公カップルが現実世界を訪れた際に、重要であるはずの「人間の素晴らしさ」を殆ど描かずに、尺を取って描いてるのは「人形のケンが男社会に感化されていく流れ」の方なんだから、監督が描きたかったのは「フェミニズム」の方だったとしか思えないです。 そんな構成の拙さを補うように、クライマックス場面で僅か五十秒ほどの「人間」を描いた映像が流れる訳だけど、それを観ても「バービーが人形を捨てて人間になる事を決意する程の、人間特有の美しさ」なんて感じられなかったし…… これは映像のセンスが云々って話ではなく(長々とフェミニズムの話なんかやってるせいで尺が足りなかっただけじゃん)と失望させられた形なので、そんな自分からすると、この映画を褒めるのは難しいです。 それでも、あえて長所を探すとしたら…… 「シャワーや飲み物に、微妙にスケールがズレてる車など、バービー人形として生きる日々を描いた場面は面白かった」 「色んな映画の小ネタを盛り込んでるのは、オタク的で微笑ましい」 と、そのくらいになるでしょうか。 最初に述べた通り、非常に中途半端な作りなので「バービーの映画ではなく、フェミニズムを題材にしたシニカルな映画として観れば面白い」とも言えないのが辛いところですね。 捻くれ者な自分にとっての「バランスの悪い映画」って「色んな魅力が詰まってる、贅沢な映画」と感じる人も多いでしょうし、世間で絶賛されてるのも、分かるような気はしますが…… 何にせよ「バービー」と「フェミニズム」という、二つの属性を兼ね備えた品であるのは確かなので、話のタネにするならば、一粒で二度オイシイ映画なのかも知れません。 [インターネット(吹替)] 4点(2025-05-26 18:20:46)(良:1票) |
3. Broken Rage
《ネタバレ》 御年77歳のビートたけしが「凄腕の殺し屋」を演じるのは無理が有るだろう……と思っていたのですが、意外や意外。 「説得力」の代わりに「ギャップの魅力」をアピールする作りとなっており、中々良かったです。 階段を登るのも億劫そうな老人が、銃を手にすれば容赦無く相手を撃ち殺し、殺しを終えて家に帰ってきたら、再び無害そうな老人に戻って湯呑で茶を飲んだりする。 「生活の為に、仕方無く殺し屋をやってる主人公」ならぬ「隠居暮らしの退屈凌ぎに殺し屋をやってる主人公」という印象ですね。 展開には色々不自然さが目立つし「覆面捜査官としての仕事を全うし、自由になって終わり」という捻りの無いオチは如何なものかと思うけど、まぁ御愛嬌。 この特異な主人公の魅力だけでも、観て良かったと言える一本でした。 ……と、以上は「Broken Rage」本編に対する感想。 で、本編終了後に、長い長いスピンオフが始まる訳ですが……これまた評価に困る内容で、参っちゃいましたね。 さながら前半は「アウトレイジ」(2010年)のような北野武監督版、後半は「みんな~やってるか!」(1994年)のようなビートたけし監督版となっており、一粒で二度オイシイ映画と褒める事も出来そうでは有るんですが……ちょっと厳しいです。 まず、前半と後半のギャップを楽しむにしても、主人公のねずみが殺し屋って点は共通してるし、意図的に殺人を犯してる事にも違いない訳だから「何でもない素人が凄腕の殺し屋と誤解される」みたいなノリの面白さは無いんですよね。 途中、動画サイトのコメントを意識したような「時間調整」の演出にも白けちゃったし、この辺りは「年老いた監督が感性の若さを維持しようと、無理してる感じ」も伝わってきて、観ていて辛かったです。 そもそも前半部分が「シリアスな殺し屋映画として、凄く面白い」って訳でもなく、贔屓目に観ても「主人公のキャラは中々魅力的で、それなりに楽しめる映画」くらいの出来栄えな訳だから、後半部分で「シリアスで真面目な傑作としての前半部分をぶち壊すカタルシス」が生まれていなかったのが、致命的だったように思えます。 でも、まぁ、自分としては嫌いになれない一本というか…… 77歳のビートたけしが、映画の中で「コマネチ!」ってギャグを披露してるって一点だけでも、単なる駄作とは言い難い魅力が有るんですよね、これ。 今になって思い返してみると、面通しの場面で「俺に決まってんじゃねぇか、バカヤロー」とツッコむ件が面白かったとか、椅子取りゲームで優勝した事を親分が祝福してくれる場面が微笑ましいとか、何だか「良かった事」ばかりが浮かんできちゃいます。 巷で評判の良い北野武監督作も、評判の悪いビートたけし監督作も、どちらも好きな身としては、中々興味深い実験作でありました。 [インターネット(吹替)] 6点(2025-05-14 13:05:01)(良:1票) |
4. オッペンハイマー
《ネタバレ》 なんと豪華な俳優陣。 これだけの名優達が次々に画面に現れ、多彩な演技を披露してくれている訳だから、それを眺めてるだけでも楽しかったです。 主役が似合う存在のジョシュ・ハートネットに、マット・デイモンなんかが脇役として渋い魅力を放っているのも、こういったオールスター映画ならではの味わい深さですよね。 脇役陣に負けないだけの存在感と演技力を見せ付けたキリアン・マーフィーにも、大いに拍手を送りたいところ。 ただ、ストーリーに関しては…… 史実ネタのもどかしさとでも言うべきか、あちこちに「無理してる」感じが有ったりして、そこは残念。 女性問題や、原爆投下に賛成していた事など、主人公のオッペンハイマーを過度に美化していないのは好みのバランスなんだけど、それはそれで(こんな奴を悲劇の天才のように描かれても……)という困惑に繋がってしまうんですよね。 実験の成功や、原爆投下直後のオッペンハイマーの歓喜や煩悶は上手く描けていたと思うんだけど、その後に続く聴聞会は長過ぎて、バランスが悪いように感じられた辺りも残念。 ちょっと意地悪な言い方をしちゃうなら「原爆の開発や投下に比べたら、オッペンハイマー個人が共産主義者だとか反水爆主義だとか、問題のスケールが小さ過ぎない?」なんて、そんな風にも思えてしまいました。 後は、被爆描写に関しての問題が有り、これまた評価を難しくしているんですよね。 正直、鑑賞前の自分は「原爆に関する描写に、科学的、あるいは政治的な正しさを求めるべきではない」「映画は映画として楽しめば良い」くらいに思っていたんですが…… 鑑賞後には(あっ、これは流石に拙いな)と、掌返しをしちゃいました。 それは何も「やはり道義的に問題の有る映画だ」って結論に至った訳ではなく、単純に一つの作品として、被爆描写の弱さが完成度を落としてると思うんです。 だって本作ってば、オッペンハイマーが「原爆を投下した事を、大いに後悔する」って展開なのに、被爆描写が弱過ぎるだなんて、片手落ちも良いとこですからね。 中途半端に皮膚が剥がれる女性の姿などは「あくまでオッペンハイマーの妄想に過ぎず、現実の被爆者は更に悲惨である事を当時のオッペンハイマーは知らない」って事なんでしょうけど、それならそれで「後に現実は更に悲惨であった事を思い知り、苦悩するオッペンハイマー」っていう描写は必要だったはず。 悲劇を巻き起こした事に苦悩する主人公って映画なのに、その悲劇に関する描写が拙いっていうのは、流石に見逃せない欠点です。 大好きなクリストファー・ノーラン監督作ってだけでも贔屓目に見ちゃうし、主人公オッペンハイマーとグローヴスとの友情を示す場面なんかは流石と思わせる物が有ったのですが……絶賛するのは難しいですね。 映画という娯楽品、あるいは芸術品として優れた傑作という訳ではなく「米国映画にて、原爆の開発と使用を否定的に描き、表現の幅を広めたという点においては、意義の有る作品」「名匠と名優による豪華なオールスター映画」と、そんな評価に落ち着きそうです。 [インターネット(吹替)] 6点(2025-05-14 12:39:12)(良:1票) |
5. 映画ドラえもん のび太の絵世界物語
《ネタバレ》 「芸術(音楽or絵画)がテーマ」「幼女がゲストヒロイン」という共通点を考えると、前作と似たり寄ったりな映画になってしまうんじゃないかという懸念が有った訳ですが…… そんなアレコレは吹き飛ばす傑作に仕上がっており、もう大満足です。 しかも今回、言葉で語るのが難しいような「映像で見て分かる面白さ」が満載な品となっているんですよね。 映画公開前に刊行された小説版と、映画本編との面白さのギャップが一番大きかったドラ映画という意味でも、記憶に残る逸品となりそう。 序盤の時点で「クレアが工事現場に迷い込む場面」の面白さに心奪われたし「逆さまにされて地面に突き刺さるクレア」の可笑しさには、映画館の客席で声が出そうになったくらい、ツボに嵌っちゃいましたね。 そういったギャグの面白さだけでなく、ラスボスのイゼールが登場して以降のシリアスな面白さも格別であり、そのギャップが心地良い。 「色を奪って生命活動を停止させる」という特性を持った敵だからこそ「どうやっても殺せないはずのメインキャラ達の死亡シーンを疑似的に描ける」って形になってる事にも、観ていて感心。 それによって「のび太達を庇って死ぬジャイアン」「頼みの綱のドラえもんすらも死んでしまう絶望感」などを描く事に成功しているんだから、本当に見事です。 ラスボスが歴代でも一番ってくらいに(えっ……コイツどうすれば倒せるの?)っていう圧倒的な存在だった事も、素晴らしいと思います。 モーゼステッキを兵器として活用して巨大な怪獣を倒すという作戦が熱かっただけに「それでも倒せなかった」という衝撃が大きかったし、その後の「射撃の天才のび太が的を外すという、有り得ない事が起きる」→「実はラスボスの後方にある水の砦を狙った攻撃であり、背後からの洪水によって倒す」という決着の付け方も、実に鮮やか。 強敵である事を存分に描いた後、それを説得力の有る形で倒すって流れになっており、観ていて気持ち良かったです。 色んな過去映画のオマージュが織り込まれているので、それらを探す楽しみも有るし…… 主人公であるのびドラ二人だけでなく、残り三人のジャイスネ静香にも見せ場が有って「いるだけ参戦」のキャラがいなかった事も、凄く良いですね。 静香ちゃんは知性派としての魅力を見せているし、スネ夫も敵の弱点は水と気付いてみせたりして、全員が活躍してる。 特にジャイアンの恰好良さは特筆物であり、柔道十段のおじさんに習ったのであろう柔道技を駆使して悪魔達と戦う場面なんかは、痺れちゃいました。 処刑シーンで板に嚙みついて絶体絶命なのに、それでもスネ夫を離さない場面なんて、もう最高。 脚本も丁寧で「この時代には存在しない『不思議の国のアリス』がキッカケでパルの正体がバレる」→「その事が伏線になってて、静香ちゃんがこの時代には存在しない『チョコレート』をブラフにして偽物クレアの正体を見破る」って展開は、特に見事でしたね。 何気無い「クレアは、お風呂が嫌い」という場面さえも「彼女は水を浴びると溶けちゃうから」という伏線になっていた訳だし、答えを知った上で二度三度と観たら、初見の時とは違った面白さを味わえるという、贅沢な作りになってます。 「空飛ぶ箒で間一髪助けると思わせて、間に合わない」という展開で観客を驚かせた後「今度は、ちゃんと助けられたという場面も見せる」という形で、意外性だけでなく王道の魅力も提供してるから、驚かせた上で満足させるという、映画として理想的な「観客の楽しませ方」をしているのも、凄かったです。 難点としては…… ゲスト声優は過半数が上手かったのに、出番多めで重要キャラなパルが棒読みだった事。 王妃がいたら子供達の処刑に反対する為、邪魔だから出番が無くなったんでしょうけど、それでも「急に王妃が出てこなくなった」という違和感が有った事なんかが挙げられそうですね。 この辺りは、画竜点睛を欠いた感が有り、残念至極。 ちなみに、おまけ映像からすると来年は矢嶋哲生監督による「新・海底鬼岩城」あるいは「海を舞台にした映画オリジナルストーリー」となるようで、こちらも今から楽しみです。 本作同様、絵の中ならぬ「映画の中」に入り込んで、観客も一緒に冒険したくなるような…… そんな素敵な映画であって欲しいですね。 [映画館(邦画)] 9点(2025-03-07 12:54:43) |
6. リバー、流れないでよ
《ネタバレ》 「続きが気になる」「結末が知りたい」と観客に感じさせるのは、良い映画の条件の一つだと思います。 その点に関して、本作は文句無しの出来栄えでしたね。 ただ、面白かったかというと……ちょっと微妙です。 「続きが気になる」って感情と「面白い」って感情とは、本来別種の代物なんだなって、この映画に教えてもらったような気分。 やっぱり、タイムループの期間が二分っていうのが短過ぎて、主人公が階段を登る姿なんかを何度も何度も見せられるもんだから、流石に(もう良いよ……)って気持ちになっちゃうんですよね。 一つのループ期間を、一回の長回しで見せるって手法も、アイディアとしては面白いんだけど、実際に観た限りでは「手ブレで酔う」「アングルがワンパターンで退屈」っていう、デメリットの方が際立っていた気がします。 劇中の人物達もタイムループで気が狂いそうになってたけど、観客まで同じ気持ちにさせられるっていうのは、正直辛いです。 冒頭に出てきた白服の女性が全然出てこない(途中で出てくるけど、タイムループに巻き込まれているのに、妙に冷静だったりする)のが気になっていたら、それが伏線だったとか、タイムループ中のはずなのに雪が降り出して(いや、駄目だろ。ロケやり直せよ)と思っていたら、それに対しても台詞上のフォローが有ったりとか、丁寧に作られているので、映画としての完成度は高いんですけどね。 「面白い映画」っていうよりは「良く出来た映画」っていう、そんな誉め言葉が似合いそうな感じ。 「ループするのが二分間だなんて短過ぎる」って点を逆手に取ったような「たった二分間のデートでも、色んな事が出来る」って示す終盤の展開も、独特な魅力が有って良かったです。 個人的には、タイムマシンを直す件よりも、あそこのデート場面の方が、本作のクライマックスと呼べるんじゃないかなって気がしました。 そんなデート場面での、雪化粧した旅館や山の景色が、本当に美しくて…… あれって、最初から計算尽くで「この場面には、雪が必要だから」と、天気を狙い定めた上で撮影したのか、それとも偶然雪が降ってしまっただけなのかと、気になっちゃいますね。 もし前者だとしたら、作り手の拘りに「粋」を感じて嬉しくなるし、後者だとしたら、まるで映画の神様からの贈り物のような「素敵な偶然」だよなって、そんな風に思えました。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-11-28 11:56:58)(良:2票) |
7. ゴジラ-1.0
《ネタバレ》 ゴジラ映画の最高傑作。 ……なんて言い出すと、ほんの一年前の自分に「最高傑作は初代に決まってるだろ」とツッコまれそうなんですが、本当にそう評したくなるような逸品だったんだから、参っちゃいますね。 まずは何を置いても、主人公の敷島浩一というキャラクターが素晴らしい。 基本的に自分は「悲劇に酔ってる」って感じの主人公は苦手なんですが、本作の敷島は「悲劇に溺れてる」人物であり、その溺れ方が圧巻で、観ていて惹き付けられてしまうんです。 どんなに自分が不幸であっても、赤ん坊を預けられたら見捨てられないという善性の描写も丁寧であり、自然と感情移入出来る。 本当にベタですが「どうか幸せになって欲しい」と、心から応援したくなる存在でした。 思えば初代ゴジラが芹沢大助という人間の物語であったように、本作は敷島浩一という人間の物語だった訳で、その辺りの「初代ゴジラを徹底的に研究し、魅力を理解した上で、それを越えるような映画を撮ってみせた」って事も、観ていて心地良かったです。 特に、有名な「ゴジラのテーマ」の使い方が初代と同じであり「ゴジラに立ち向かう人類の曲」として流れる演出なんて、もう最高。 山崎貴は天才というだけでなく「ゴジラを愛してる人」なんだと、そう確信させられました。 脇役陣も魅力的であり、自分としては「隣のおばさん」こと澄子さんが、特にお気に入り。 憎んでたはずの敷島に「とっときの白米」を渡してやる場面も良かったし「あの子に重湯作るのに使いな」という台詞が、終盤で敷島が澄子さんに託す手紙にて「明子のために使って下さい」と大金を同封してる場面に繋がる脚本も、素晴らしいの一言。 幼子を救うという善意が、大人達の心を優しく繋いでみせたという流れ、本当に大好きです。 戦えなかった兵器の代表格である震電に、戦わなかった兵士の敷島が乗る展開も熱いし、敷島が死なせた兵士達の写真束の中に、明子に似た娘を抱いてる兵士の写真があるという(そこまでやるか……)って描写も、本作の面白さを高めていますね。 整備士の橘さんが足を引き摺る仕草を印象的に描いておき、彼が再登場する場面で「足を引き摺って歩く男の足元」を映すカメラワークになって、顔を見せるより先に(橘さんだ!)と観客に覚らせる辺りも、実に良い。 終盤で敷島が特攻死せずに生き延びたと知った時の橘さんの表情も、印象深いです。 「本当は生きたいと願ってた奴の命を救う」という形で、宿願を果たせた訳だし、憎かった敷島の命を救う事で、橘さんの戦争もようやく終わったんだなと感じられる、忘れ難い名場面でした。 一応、欠点らしき部分も挙げておくと「ヒロインである典子の黒い痣」や「最後にゴジラが再生していく場面」など、せっかくのハッピーエンドに影を残す終わり方をした点が挙げられそうですが…… 「黒い痣」に関しては、ゴジラが原爆の象徴である以上「たとえ生き残ったとしても、重い影を背負って生きなければいけない」と示す為に必要だった気もするし、初代より前の時間軸の話である以上、この映画世界にも芹沢博士が存在して、復活したゴジラと相対し「ゴジラを殺せるのは、オキシジェン・デストロイヤーだけである」と証明してみせたのではないかとも考えられるしで、決定的な瑕とは思えませんでしたね。 他にも、小説版にて文章で描かれた「震電から眺める家の一つ一つに、明子がいて、典子がいて、敷島がいて、日々の暮らしを営んでいる」「これをゴジラに破壊させる訳にはいけない」と敷島が決意を新たにする場面を、台詞に頼らず映像だけで描いてるのが凄いとか「録音した声をゴジラの同族の声と思わせて呼び寄せる作戦」は、ゴジラの元ネタである「原子怪獣現わる」(1953年)の更なる元ネタの「霧笛」(1951年)を彷彿とさせるとか、本当、この映画について語ると、止まらなくなっちゃいますね。 邦画でありながらアカデミー受賞作であり、作品賞や脚本賞を取っても驚かないくらいの出来栄えだったのですが、本作が受賞したのは「視覚効果賞」であったというのも、味わい深いものがあります。 それは怪獣映画にとって、最高の勲章。 逃げ惑う人々を踏み潰し、家屋も容赦無く破壊するゴジラの存在感が、圧倒的でしたからね。 人を殺すのも、家を壊すのも、それを実際に見せるのは大変だからって「見せずに想像させる」演出に逃げがちな部分を、全力で描いてみせた作り手の姿勢が、本当に素晴らしかったです。 「いるはずのない怪獣が、スクリーンの中に確かに存在してると感じさせる」という意味合いにおいて、本作は最高のゴジラ映画である以上に「最高の怪獣映画」なのだと、強く思えました。 [映画館(邦画)] 10点(2024-06-03 23:49:22)(良:6票) |
8. 映画ドラえもん のび太の地球交響楽(シンフォニー)
《ネタバレ》 音楽を嫌いだった少年が、音楽を好きになるまでを描いた映画。 「冒険」を主題にしたドラ映画が多かった中、本作では「音楽」が主題になっているという、それだけでも斬新さを感じますね。 映画の強みとは映像だけでなく、音にもあるのだと実感させられたし、漫画という媒体の原作では生み出せない「映画ドラえもん」ならではの魅力を生み出す事にも成功してるのだから、大いに感動。 実にシリーズ18作目(スタドラを含めたら20作目、旧アニメ版も含めたら40作以上)でありながら、未開拓の分野に切り込んでみせた作り手の発想力と冒険心に、熱い拍手を送りたいです。 そんな本作で一番心に残ったのは、クライマックスの場面。 地球上の音楽全てを結集させて敵を打ち払うという、とても盛り上がる場面なのですが、そんな中で、さり気無く「戦場でハーモニカを吹く兵士」という一コマを挟んでいるんですよね。 恐らくは傷付いた戦友の為、束の間の安らぎを与えてるという、その姿を刹那的に描く演出には、本当にグッと来ちゃいました。 主人公であるのび太達は、平和な日本で暮らしているけど、地球には戦争をしている人達もいる。 そして、そんな場所でも人々は音楽を奏でているという、正に「地球交響楽」を体現した場面であり、文句無しで素晴らしかったです。 序盤にて、のび太が風呂場で笛の練習していたお陰で地球が救われたとか、脚本の伏線回収も鮮やかだったし、ゲストキャラクターも魅力的。 ロボットの語源になったというカレル・チャペックから拝借して、ゲストロボを「チャペック」と名付けるセンスにも、ニヤリとさせられましたね。 幼女のミッカちゃんも可愛らしく「のほほんメガネ」と呼んで小馬鹿にしていた相手を、最後の最後に「のび太お兄ちゃん」と呼ぶツンデレ表現なんかも、幼い女の子ならではの魅力があって、良かったです。 主人公のび太と同世代の女の子ではない、妹のような幼女だからこその可愛さが、上手く描けていたと思います。 そんなミッカちゃんとの別れの場面を直接描かず、エンディングの一枚絵でのび太に抱き着く姿や、皆から貰ったプレゼントを部屋に飾ってる描写などで、断片的に伝えて想像力を刺激する形になっているのも、非常に御洒落。 今井監督って「新恐竜」でもピー助との二度目の別れをさり気無く描いてみせていたし、こういった「さり気無い描き方で、大きな感動を生み出す」という手法が、本当に上手いですよね。 「十八番」や「職人芸」と言って良い領域に達してると思います。 「中盤でジャイスネ主役になる場面は、ちょっと浮いてるし、観ていてダレる」「ゲストキャラも多過ぎるし、個々に見せ場を与えようとして散漫になっているので、ミッカちゃんとチャペックの二人に焦点を絞っても良かったのでは?」等々、不満点も有るには有るんですが…… 主題歌も大好きなVaundyだし、映画にも合ってる曲だったしで、満足度の方が高かったですね。 そうして、最後の「おまけ映像」には、心から興奮。 満を持しての寺本監督復帰作で「新・夢幻三剣士」の可能性が高いだなんて、期待するなという方が無理な話です。 また一年後に、スクリーンでドラ映画を満喫出来る。 そんな幸せを噛み締めながら、劇場を後にする帰り道まで、楽しく過ごせた一本でした。 [映画館(邦画)] 8点(2024-03-01 21:29:24)(良:1票) |
9. AVA エヴァ
《ネタバレ》 「美人女優による殺し屋映画」という、そんな一言で片付いてしまいそうな内容。 取り立てて語るような事も無い出来栄えだったのですが…… それって要するに「際立って良い部分も無ければ、悪い部分も無い」という事であり、娯楽映画としては優れてるのかも知れませんね。 とりあえず、観ている間それほど退屈しなかったのは確かです。 あえて良かった部分を語るなら、冒頭の場面。 最初に主人公エヴァに殺される男が「聞き飽きてるかも知れないけど」と前置きしてから命乞いする様は中々面白かったし、この映画を象徴する台詞にも思えましたね。 「皆、こういうタイプの映画は観飽きてるかも知れないけど、それでも観て欲しいんだ」っていう、作り手からのメッセージみたいでした。 如何にも怪し気で、ラスボスになるかと思われたジョン・マルコビッチ演じるデュークが「実は主人公を大切に想ってる親のような存在」として終わったのが意外だったとか、逆に良い人そうな元彼のマイケルが意外と駄目な奴だったとか、程好いサプライズがあった辺りも、何か安心感がありましたね。 多分これ、完全に予想通りの展開だったら、退屈な映画って印象になってたと思うんです。 でも本作に関しては「娯楽映画に必要なだけのサプライズ要素」を、しっかり備えてるバランスであり、ここは評価に値すると思います。 映画の終わりでは「幸せな最期だった」というデュークのメッセージと共に、主人公エヴァも殺される事が示唆されるんだけど、あんまりバッドエンドとは思えなかったのも、不思議な感覚でしたね。 案外あっさり敵を返り討ちにして、エヴァが生き延びる未来も有り得そうだし、結末を観客に委ねる度合いが高かった気がします。 「ハッピーエンドでも、バッドエンドでも、好きなように解釈して良いよ」って優しさが感じられて、それが心地良いんだけど、ちょっと物足りなくもあるという…… 何か、つくづく曖昧というか、語るのが難しい一本でした。 [DVD(吹替)] 5点(2023-03-28 07:27:10)(良:2票) |
10. 映画ドラえもん のび太と空の理想郷(ユートピア)
《ネタバレ》 「世界平和」を目的とした人物と戦うドラ映画というのは、今回が初めてではないでしょうか。 非常に大人向けというか、難解とも言えるテーマであり、ともすれば観客の子供に「レイ博士は世界を平和にしようとしているのに、どうして悪い人なの?」という疑問を抱かせてしまいそうなのですが…… そこを、しっかり分かり易く、万人に伝わるよう作ってあったんだから、お見事でしたね。 「ユートピアとは、即ちディストピアである」という事を感じさせるパラダピアの描写も秀逸であり、空に浮かんだ理想郷としての魅力と、人の心が消されてしまう地獄としての恐ろしさ、その双方を描く事に成功しているんだから凄い。 特に、ジャイアンとスネ夫が「浄化」され「穏やかな善人」に変わっていく様は、何とも言えない不気味さが漂っていて、印象深いです。 メインゲストとなるソーニャが「もう一人の、ドラえもん」として描かれているのも、見逃せないポイント。 それはのび太に対し「キミは私に似ている」と呟いたレイ博士にも通じるものがあり、彼は「もう一人の、のび太」として描かれている。 過去作でも「アリガトデスからの大脱走」(2012年)のマジメー(声もレイ博士と同じ)という前例がありましたが「一歩間違えば、のび太もこうなっていたかも知れないという悪役を倒す物語」の系譜として、本作は決定版と呼べるほどの、素晴らしい仕上がりになっていると思います。 「南極大冒険」(2017年)や「STAND BY ME ドラえもん 2」(2020年)の系譜である「時間軸を弄った脚本」としての質の高さも、特筆に値しますね。 「青い虫の正体」「晴れてるのに雨が降っていた理由」どちらの伏線も巧妙に張られており、その回収の仕方が、実に鮮やか。 思えば脚本担当の古沢良太は三丁目の夕日シリーズでも山崎貴監督とコンビを組んでいた人ですし、それゆえにスタドラ2を踏まえたような内容にしたのかも知れません。 ドラえもんに「ボク達は、皆の友達になる為に作られた」と言わせたのも印象的であり、正に現行アニメ版を象徴するような一言。 そもそもドラえもんとは原作初期において「セワシの子分」であり「のび太の見張り役」でしかなかったんです。 そこから徐々に「のび太の友達」へと変わっていった原作漫画を踏まえ「ドラえもんがのび太の友達になるまで」を描いたのが「STAND BY ME ドラえもん」(2014年)でしたが、本作は更に踏み込んで「ドラえもんが生まれた理由」まで断言させているんですよね。 そこに「自分が生まれてきた理由(作られた理由)は、誰かが決めるんじゃなく、自分で決めるものなんだ」という、強いメッセージ性を感じました。 レイ博士の過去が詳細に描かれていないのも、想像をかき立てるものがあり「パーフェクトな存在になる為には、心は不要」と言うレイ博士と「心は絶対に必要」と言うのび太との対比で(レイ博士はのび太と違い、誰かの優しさに触れる事無く、年老いてしまったんだな……)と感じて、切なくなったりもしましたね。 劇中における「ボクは、そのままの、のび太くんが……」というドラの台詞が、エンディング曲の「大好きなんだ、そのままで大好きさ」に繋がる構成も、本当にグッと来ちゃいました。 一応、不満点も述べておくなら「静香ちゃんは強情っぱりなのが欠点というのは、無理やり感ある」「0点の答案が降ってきて終わるよりは、ソーニャが生き返るという感動の余韻に浸らせたまま終わらせて欲しかった」とか、その辺りが該当しそうなんですが…… これも「エンディング絵にて、母が薦めるピアノではなくバイオリンに拘って演奏する静香ちゃんの姿に、否応無く納得させられる」「人間は駄目なまま変わらなくても良い、という誤った受け取り方をされない為、0点の答案で叱られるオチは必要だった」という具合に、不満に思えた箇所に関しても、すぐに答えが浮かんでくるし、本当に完成度が高かったですね。 「心を失うくらいなら、パーフェクトな存在になれなくても良い」というメッセージが込められてるのに、この映画自体がパーフェクトな出来栄えじゃないかって思えるのが、何とも皮肉。 でも、大前提である「心」を失っておらず、優しさに満ちた作りだったというんだから、本当にもう、参っちゃいます。 劇中にて、敵に狙われた故郷を守り切ったのび太が「この町の事を、もっと好きになった」と、満足気に呟くのですが…… 観客の自分としても「ドラえもんという作品を、もっと好きになった」と、そう感じるような、素敵な映画でした。 [映画館(邦画)] 8点(2023-03-03 12:52:06) |
11. サンダーフォース ~正義のスーパーヒロインズ~
《ネタバレ》 スーパーヒロインだけでなく市長まで女性にしているし、とことん女性賛歌の映画って感じですね。 例えば、悪の美女であるレーザーとの決着が付いておらず、取り逃がした形になってるのも「続編に繋げる為」というより「たとえ悪役でも女は倒さないよ、倒すのは男だけ」っていうメッセージに思えちゃうんです。 主人公の一人であるエミリーがシングルマザーっていうのも象徴的であり、明らかに「正義の味方」側から男を排除してる。 一応、序盤には脇役として男キャラも何人かいたはずなのに、途中からどんどん出番が減っちゃいますからね。 そんな中、一番出番のある男性キャラが悪役のクラブであり「主人公リディアと恋に落ちて、土壇場で裏切る」というオイシイ役かと思われたのですが…… これまた全然活躍しないで、裏切った途端あっさりラスボスに蹴飛ばされて終わりっていうんだから、徹底しています。 世の中には男性賛歌の映画なんて溢れてる訳だし、こういう映画もあっても良いとは思うんだけど…… ここまで極端だと、流石に戸惑いが大きくて、素直に楽しめなかったのが残念です。 米国では妙に人気がある「嘔吐ギャグ」も、個人的には全然ピンと来なかったりするもので、最後の最後にそれが飛び出すっていうのも、何か印象的したね。 極端な女性賛美も、嘔吐で笑いを取るのも、別にそれが悪い訳じゃないんだけど、何となく肌に合わないっていう、居心地の悪い気分のままで映画が終わっちゃいました。 痩せた美女じゃなく、太ったオバさんがスーパーヒロインになるって発想は面白かったし、薬を飲んだ途端に超人に変わるのではなく、地道にトレーニングを重ねて強くなる描写も好みだしで、良かった部分も色々あるんですけどね。 エミリーの祖母に「実は私達、サンダーフォースなの」と正体を明かそうとしたら「レズビアンなの」って告白だと勘違いされちゃう件も可笑しくって、個人的には、ここが一番お気に入りかも。 爆弾と共に身を投げる直前、リディアが「友達でいてくれて、ありがとう」とエミリーに告げる場面もグッと来たし、映画のクオリティ自体は高かったと思います。 他にも、主演のメリッサ・マッカーシーはベン・ファルコーン監督の妻とか「ソー:ラブ&サンダー」(2022年)にも二人は本作を連想させる役柄で出演してるとか、色々と面白い小話に事欠かない映画ですね。 こういう形のスーパーヒロイン物もあるって事で、この手のジャンルが好きな人なら、チェックしておく価値はあると思います。 [インターネット(字幕)] 5点(2022-10-19 09:59:07)(良:1票) |
12. 映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ) 2021
《ネタバレ》 ドラ映画としては監督&脚本が新人コンビである為、不安も大きかったのですが……中々の仕上がりになってたと思います。 まず、何と言ってもアクション描写が素晴らしい。 小説版を読んだ時点では「アストロタンク」だの「アストロスラスター」だのといった兵器名が並んでるのを見ても、全然ピンと来なかったのに、映画本編を観た今となっては、こうして名前を書き込んでるだけでもワクワクが甦って来ちゃうくらいですからね。 火力重視の戦車モードと、機動力重視の戦闘機モードを使い分ける戦闘シーンが、本当に見事でした。 正直、最初は(どうして戦車に名前を付けたの?)(変形する必要あったの?)って疑念を抱いたりもしたんですが、それが映画を観ていく内に「名前を付けて正解だった」「変形させて正解だった」と思えてくるんだから凄い。 この「謎が解き明かされていく」ような感覚は、ちょっと独特な楽しさがありましたね。 例えば、原作漫画では「パピ君が銃を使って探査球を撃ち落とす場面」が、本作では「スパナを投げて探査球を破壊する場面」に変更されているんです。 (何故?)と思っていたら、後に「野良猫のクロの口に翻訳ゼリーを投げ込み、説得するパピ君」という場面に繋がって、そこで(おぉ、なるほど! だから事前にパピ君のコントロールの良さを示しておいたのか……)と納得出来ちゃう。 この改変、原作で一番不可解な部分である「窮地に追い込まれたパピ君が、突然謎の超能力でクロを洗脳して助かる」という場面を、自然に変える事にも成功しているんだから、本当に効果的だったと思います。 悪役のドラコルル長官も「原作以上に知的で、部下想いな一面がある軍人」というキャラに生まれ変わっていたんだから、嬉しかったですね。 ギルモア将軍から「有人兵器ではなく、無人兵器を用いるように」と命じられた際の 「我々の犠牲を恐れているのでしょうか?」 「……将軍が恐れているのは反乱だ。我々ですら信用ならんのさ」 という副官とのやり取りなんて、もう痺れちゃうくらいに良い。 万策尽きて敗れた後、巨人と化したジャイアンに対しても一切怯まず「長官から手を離せ!」と銃を向ける副官という描写も、ドラコルルの人望が伝わってくるものがあり、好きな場面。 最後まで毅然とした態度を貫き、降伏する代わりに部下の安全を保障して欲しいと交渉するドラコルルの姿は、作中で一番恰好良いと思えたくらいです。 それと、地球人であるのび太達だけでなく、ピリカ星の人々が頑張って「自分達の手で自由を掴もう」と独裁者に立ち向かう要素がアップしているのも、良かったと思います。 これに関しては、旧アニメ版の「宇宙小戦争」でも同じような試みが為されていたのですが、本作の方が更に徹底しているし、戴冠式におけるパピ君の演説などによって、市民による革命に至る流れも、とても自然になっていましたからね。 「原作を改変し、原作より面白くなった映画」という意味合いでは、間違い無く本作の方が上だと思います。 「アストロタンクの戦闘シーンが素晴らしかっただけに、ラストの巨人VS小型兵器という戦いが見劣りして感じる」「自由同盟のリーダーが恰好良くなっていただけに、出来れば本職の声優さんを配して欲しかった」など、細かい不満点は色々あるんですけど…… 明らかに長所の方が多いので、まぁ良いかって気持ちになっちゃいますね。 なんていうか「才能は豊かだか、経験が足りない若手監督」っぽさを感じる作風というか「ここは、もっとこうすれば良いのに」って思える箇所が多い映画なんだけど「ここは素晴らしい、本当に素晴らしい!」って箇所も同じくらいあるっていう…… 悪く言えば完成度の低い、良く言えば破天荒でパワーを感じる品に仕上がってたと思います。 あと、出木杉くんの扱いが良かったというか「皆の仲間外れにされてる」感じが薄くって、むしろ「出木杉くんも皆の仲間」って形になってたのも、凄く嬉しかったですね。 冒険に参加出来なかった理由も「塾の合宿で不在だったから」と、きちんと理由が説明されているし、ラストにて一緒に「宇宙大戦争」を観て、冒険の顛末をのび太達から教えてもらう事になるのも、良いオチだったと思います。 おまけ映像からすると、次回作は「創世日記」か「ブリキの迷宮」が有力に思えますが…… いっそ出木杉くんと一緒に冒険するような、オリジナルストーリーの映画でも良いなぁと思えちゃうくらいでしたね。 そんな「禁じ手」を用いたとしても、きっと面白くなると信じられる程に、今のドラ映画はクオリティが高い。 また来年も、映画館に足を運ぼうと思えるような、良い映画でした。 [映画館(邦画)] 8点(2022-03-04 12:48:39)(良:1票) |
13. STAND BY ME ドラえもん2
《ネタバレ》 前作がコレ以上無いほどに綺麗な結末だった為「無理やり作った続編」感は否めない訳ですが…… そんなハンデを抱えた上で、それでも傑作に仕上がっていた事に吃驚です。 予め断っておくと、完全無欠の出来栄えという訳ではなく、色々と欠点があるのも確かなんですよね。 監督インタビューからしても「前作だけで完結するはずだった」「予想外の大ヒットとなった為、続編を作る事になった」という事は窺えましたし。 何といっても、前作の白眉であった「あえてドラえもんに会わない大人のび太」の感動が薄れる形になったのは、本当に寂しかったです。 「ドラえもんに会わないと語ったからこそ、こんな失踪事件に発展した」って形なので、ロジックとしては綺麗に繋がってるんですが、理性ではなく感情が納得出来ない感じ。 それと、出木杉くんが急な出張のせいで結婚式に出席しないというのも、欠点というか不満点。 恐らく「彼がいたら、のび太の入れ替わりに気付いてしまう」「原作と違って彼が出席しない未来に変わったから、のび太は迷いが生じた」って事なんでしょうけど…… やっぱり、出木杉くん好きとしては式に参加して、一緒に祝う姿を見たかったんですよね。 「月面探査記」を踏まえて考えると、彼の出張先が月っていうのは嬉しかったんですが、それならそれで「出木杉くんだけでなく、ルカも月から結婚式を見守ってる」的な描写を挟んでも良かったんじゃないかと。 その他「入れ替えロープで記憶が戻る際に、ドラえもんの涙が起こした奇跡という力業に頼ってる」「0点の答案や亡くなった祖父などの要素をエンディング絵で補う必要があった為、今回はNG集が存在しない」って辺りも、人によっては欠点になるかも。 では、何故そんな「欠点の数々を抱えた映画」が傑作に成り得たかというと…… やはり、脚本と演出が上手いからなんですよね。 自分の場合、山崎監督筆の小説版も読了済みだったのですが、小説では大して感銘を受けなかった場面が、映画では凄く面白い場面になっているんです。 例えば「透明マントを被ったドラが、こっそり道具を回収していく場面」に「時間軸の異なるのびドラ達が、エスカレーターで擦れ違う場面」なんかがそう。 この辺りは、やはり魅せ方が上手いというか、脚本担当でもある山崎監督は「小説家」ではなく「映画人」って事なんでしょうね。 メイン監督である八木監督の演出手腕と合わさって、本当に観ていて楽しかったし、序盤の伏線が回収されて一つに繋がる場面では、凄くスッキリとした知的昂奮が味わえました。 そういった大人向けな魅力も備えている一方で「スクーターに乗って町中を暴走する場面」とか「小さくなったドラが結婚式場を飛ぶ場面」とか、子供の感性に寄り添ったような、ワクワクさせられるアクション要素が備わっている辺りも、これまた素晴らしい。 上述の「複雑な時間軸ネタ」を理解し切れないような幼子だったとしても「パパが鏡を覗き込みつつ『親の顔が見たい』とボヤく場面」なんかでは、自然と笑えそうでしたからね。 こういうバランス感覚って、とても大切だと思います。 ニヤリと出来る小ネタも色々散りばめられていたし、前作で示唆されていた「満月教会」から繋がる形で、満月牧師が登場してくれた事も嬉しかったです。 同じ2020年公開の「新恐竜」ではピー助の再登場という、ドラ映画史上最高のサプライズがあった訳ですが、それと同年公開の本作でも「劇場版ゲストキャラの再登場」が拝めた訳だから、非常に感慨深い。 お婆ちゃん絡みの場面も、情感を込めて描かれており、とても良かったのですが…… 何といっても一番感心させられたのは、ジャイ子の扱い。 本作における彼女って、全然喋らないし出番も無かったのに、最後の最後でMVP級の活躍。 「のび太と静香の、幸せな結婚風景」を絵に描くという、素敵なプレゼントを用意してくれたんですよね。 思えばジャイ子こそ「本来のび太と結婚するはずだった花嫁」であり、そんな彼女の扱いって、静香ちゃんと結婚してたかも知れない出木杉くん以上に難しいはずなんです。 もしかしたら、今でものび太を好きなのかも知れない。 結婚式の姿を描く事で、ようやく恋心を断ち切って、二人を祝福する気持ちになれたのかも知れない。 そんな彼女について多くは語らず「最小の出番で、最高の結果」に結び付けてみせたのは、本当に見事でした。 ジャイ子が、二人の絵を描いてくれたように。 のび太とドラえもんが、お婆ちゃんに「お嫁さん」を見せてあげたように。 この映画もまた「ドラえもん」という作品を愛する人々への、素敵な贈り物だと思えました。 [映画館(邦画)] 8点(2020-11-20 16:23:15) |
14. 映画ドラえもん のび太の新恐竜
《ネタバレ》 名作「恐竜2006」の続編となる映画。 本作を手掛けた今井監督自身「恐竜2006を手掛けた渡辺歩さんは、僕が尊敬し憧れてやまない監督」「あの作品が無ければ今の劇場版ドラえもんは存在しない」「子供だけでなく大人も『映画』として鑑賞できる作品になった」と絶賛している品の続編であるだけに、確かな意気込みが伝わってきましたね。 とにかく映像と音楽のクオリティが素晴らしいし、脚本の川村元気氏と話し合い作り上げたというストーリーに関しても、非常に練り込まれていたと思います。 何せ、これまで頼もしい味方だったTPが敵に回り「のび太が時空犯罪者として逮捕されそうになる」という衝撃の展開まで描かれていますからね。 滅びゆく恐竜達を救おうとする終盤の展開は、ともすれば「竜の騎士」の二番煎じというだけで終わってしまいそうなものなのに、そこに独自の要素をアレコレと盛り込んで、全く新しい魅力を感じさせる品に仕上げてみせたのだから、お見事です。 一応、上述の「竜の騎士と展開が被っている」部分。 それから「恐竜2006の『続編』であるにも拘わらず、まるで『リメイク』に思わせるようなミスリード展開があった事」「キャラデザが月面探査記より微妙に思えた事」「オープニング曲が流れない事」など、細かく言えば欠点になりそうな箇所も幾つかあるんですが…… それ以上に「キューは滑空する翼竜ではなく、羽ばたいて空を飛べる始祖鳥だった」と判明する場面の爽快感。 「のび太達が冒険していた島の正体が分かる」までの脚本の巧みさなど、長所の方が圧倒的に眩しくて、霞んじゃいます。 それと、本作の好きなポイントとしては「主人公の『努力』が濃密に描かれている事」も挙げられそうですね。 これまでのドラ映画って、尺の都合もあるにせよ、主人公のび太が努力して何かを身に付けるとか、そういう展開って殆ど無かったんです。 精々が魔界大冒険の「スカートめくり」くらいであり、あれが完全にコメディタッチに描かれていた事を考えると、真面目な面持ちで何度も諦めず挑戦し、傷付きながら「逆上がり」に挑んで見せるのび太の姿は、本当に新鮮に感じられて良かったです。 これも恐竜2006以降の「僕も頑張る、とピー助に約束してみせたのび太」だからこそ、また「キャラクター達が傷付き血を流す描写を、原作同様に描くようになった」からこそ出来る展開であり、非常に味わい深い。 思えば原作コミックス第一巻にも「人にできて、きみだけにできないなんてことあるものか」とドラに励まされ、特訓の末に竹馬に乗れるようになるのび太って場面がありましたし、本作が紛れも無く原作漫画「ドラえもん」の魂を受け継いだ品である事を実感させられます。 そもそも前作の月面探査記では「これまで舞台になった事が無い月が舞台である」という分かり易い斬新さがありましたが、本作はその点不利であり「これまで何度も舞台になってきた恐竜達の時代の話」なんですよね。 それでも、そんなハンデをものともしないというか、むしろ逆手に取って「生まれ変わったピー助との再会」という、これ以上無いほどの劇的な展開に繋げてみせたんだから、もう脱帽です。 鳴き声を聞いた時点で(もしや……)と思っていましたが、スタッフロールにて「ピー助/神木隆之介」の表記を目にした際には、本当に声が出そうになったというか、涙が溢れて止まらなくなったくらい。 本作のノベライズを読んだ時点でも(これ、神木隆之介ボイスだったら良いのになぁ)と思いつつ、やはりそれは諸々の理由で難しいんじゃないかと諦めかけていただけに、まさかの神木ボイスであった事、そして別れの場面でも登場させ「恐竜は滅びていない。ピー助も生き続ける」と伝えてくれた事に対する感激というか…… 作り手の皆さんへの「ありがとう」という気持ちが抑え切れなくて、ひたすらに「涙」という代物でしか感情を表せなかったんですよね。 ドラえもんを好きで良かった、映画館に足を運び続けて良かったと、そんな事をしみじみ感じられた瞬間でした。 なお、来年の映画は山口晋監督による「新・宇宙小戦争」であるみたいで、これまた期待が高まりましたね。 原作漫画の「市民による武力革命」を映像化してくれるかどうか、戦車のカラーリングを原作準拠にしてくれるかどうかと、色んな面で注目しつつ、また来年の公開日を楽しみに待ちたいと思います。 [映画館(邦画)] 8点(2020-08-07 12:42:44) |