1. 秋日和
なるほど、『晩春』のセルフパロディのような映画です。私はこっちから先に観てしまいました。 主役の父娘を母娘に変えていますが、娘の結婚の呼び水として親の結婚を絡めるという部分も、いつも二人で暮らしているのに、旅行先が本音を語り合う場になっているのも共通しています。 親の性別以外で大きく違うのは、前作から11年経っていること。戦後から15年も経っていることでしょうか。晩春との比較が多くなってしまいますがご容赦を~。 この15年で日本は大きく発展しました。朝鮮特需と高度経済成長。また若者の結婚に対する考え方も変わったと言えるでしょう。『晩春』の紀子が叔母の紹介でお見合いする相手(熊五郎だっけ?)が一切登場しないのに対し、本作の後藤は、最初こそ間宮の紹介だったけど、結果的には恋愛結婚をしています。心の拠り所だった父自らが、娘を結婚という未知の世界に飛び込ませ、幸せになることを何度も強調していた『晩春』と違い、本作は恋愛の延長としての結婚を描いていて、自然と幸せになれる雰囲気を感じさせます。母親の存在が“自分だけ幸せになる心残り”として描かれているように感じました。幸せを掴み取る時代から、幸せのカタチをを選ぶ時代になった。といったところでしょうか。 本作は母娘以上にオヤジトリオが目立ちます。これがまた、素直に楽しめる方は良いんですが、あの時代だから許された、今の時代にはそぐわない過去の遺物にも思えます。娘の友達にお茶を運んできた周吉の家庭っぽさに対し、外食にゴルフに酒場にと遊び盛りのオヤジたち。家に帰れば服をポンポン脱ぎ捨て、それを妻が拾って片す。このシーンを入れておいて、伊香保の旅館で秋子が「結婚して幸せになるのよ」なんて何度も強調されたら、それこそ茶番です。オヤジトリオも秋子も、古い価値観の結婚像しか描けないんでしょう。 更に、母娘以上に活躍するのが百合子です。友人思いで家族思い。頼まれてもいないのに、単身オヤジトリオを打ち負かす様子はまさに痛快です。 最もオヤジたちも、この映画の悪として描かれている訳ではないので、百合子の破天荒さを温かく見守っている存在。そんな雰囲気も感じられました。 [DVD(邦画)] 7点(2024-12-26 23:58:15) |
2. ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド ゾンビの誕生
《ネタバレ》 “NIGHT OF THE LIVING DEAD”『生ける屍の夜』。 全てのゾンビ映画の起源。モノクロでレトロな雰囲気が漂うけど、'68年と意外と新しい。この作品までの『ゾンビ』とは、ヴードゥー教の“畑とかで奴隷労働をさせられる死体”が原点で、人を襲うことはしません。本作よりもっと昔、'32年に『恐怖城』というゾンビ映画があったようですが、怖いのはゾンビではなく、ゾンビを作り出すマスター(祈祷師)の方だったみたいです。なので、この作品からゾンビ自体が恐怖のモンスターとなりました。 そして本作で追加された新設定①人を襲う。②頭を破壊しないと死なない。…といった今ではスタンダードな設定が誕生しました。また⑤火を怖がる。⑥動きが遅い。といった、宗教ルーツのモンスターらしい特徴も備えていますね。ここは恐らく次作までは継承されてます。 ※だけどベンの話だと猛スピードの給油トラックを襲ったらしいので、新鮮なゾンビは足が速いのかも? 作中ではモンスターを『ゾンビ』とは言ってなくて、これらの設定は、映画の中で徐々に解っていくようになっていきます。 ※基礎として、多くの人が本作を観る前にゾンビの設定を知っているので、徐々に明かされるモンスターの特徴を、新鮮な気持ちで観る視点は要求されます。 本作で一番の衝撃設定が、人を襲うだけでなく③襲った人を食う=カニバリズム。でしょう。ゾンビを怖いものにした最大の要素がこの“共食い行為”で、映画も残すところ20分って辺りに行われます。この映画のハイライトですね。人間の形をしたモンスターが、第三者ではなく映画の登場人物・トムとジュディの手や内臓を食う映像は、当時は倫理的に相当際どい描写だったと思います。’68年なのにモノクロ作品だったのも頷けます。 そして④噛まれた者もゾンビになる。この描写は、残り10分って辺りに、クーパーの娘と、バーバラの兄の登場で明らかになります。ゾンビが延々と増え続ける絶望感に繋がっていますが、作中では、クーパーの娘が父を食い、母を刺し殺すというおぞましい描写が描かれます。更に普通の映画だったら助かるヒロイン・バーバラが兄ジョニーに抱き抱えられて連れ去られます。その場で殺すのでなく“集団で女性を連れ去る”という行為が強姦(しかも兄妹)を連想させます。 物語も終盤に来て、カニバリズム、親殺し、近親相姦(を連想させる描写)といった、宗教倫理上の“禁忌行為”をバンバン入れてきます。この辺りが作中のモンスターを“ヴードゥー教のゾンビと同一のモノ”としなかった要因だったのかもしれません。後々を考えると、宗教ではなく原因不明(彗星や隕石とも言われますが)としたことが、他のモンスターと比べ、ゾンビの使い勝手の良さを拡大させたんでしょう。 恐怖の夜が明け、保安官達によって、ゾンビ騒動の鎮圧が成功しそうな方向で終わります。そうでもしないと、あまりに救いがなかったからでしょう。 ちなみに私が最初に観たの(レンタルビデオ)は、今となってはレアな着色カラーバージョンでした。普通のカラーと比べてそんなに違和感はなかったけど、炎の表現は透明感のないベタ塗りのオレンジでしたね。 [ビデオ(字幕)] 8点(2024-12-08 11:44:27) |
3. マンハッタン無宿
《ネタバレ》 “Coogan's Bluff”『クーガンのハッタリ(ブラフ)』クーガンズブラフって、昔NYジャイアンツの野球スタジアムがあった場所の地名・俗称から付けたもの…だそうだけど、なんで?関連性は良く解らなかったです。マカロニ・ウエスタンで名を馳せたイーストウッドが、刑事アクションで名を馳せる、その第一歩と言える作品であり、近代化したニューヨークを時代錯誤なカウボーイが走り回るという、まさにイーストウッドの歴史の橋渡し的な作品。 観てて思ったのは「クロコダイル・ダンディー?(※実はまだ観てない)」。何度も出てくる「テキサスだっけ?」「…アラバマや」のテンドンについつい笑ってしまう。 パンナムビルのヘリ定期便が印象深い。昔はこんなのが運行してたんだ。アラバマ出身の主人公クーガンは、こんな未来チックな乗り物で現れ、最後もヘリで飛び去る。もう一つ公園を2台のバイクでチェイスするシーンも印象的。まさに“現代はカウボーイも馬からバイクに乗り換えて”って感じでしょうか?あ、そもそもクーガン馬に乗ってないわ。 後のダーティハリーの雰囲気をプンプン感じさせるものの、このクーガンって男が凄いんだか凄くないんだか、良く解らない。セクハラ男にはガツンと言ってやる硬派男かと思いきや、美女と二人っきりになるとグイッグイ迫りよる。宿に紹介された年増の娼婦(ん?無宿??)は足蹴にするくせに、保護官ジュリーにはメッチャ迫るし、精神を病んでる犯罪者の女にも手を出す。ヒッピームーブメントでラブ&ピースな時代だけど、クーガンもけっこうフリーダム。荒削りだけど嫌いじゃない映画です。 [地上波(吹替)] 5点(2024-11-28 22:38:53) |
4. おしゃれ泥棒
《ネタバレ》 “How to Steal a Million”『大金の盗み方』。作中のセリフ同様『100万ドル』でも良いんですけど、フランスが舞台だからフランだよなぁ…みんな英語で話してるけど。ちなみに'66年当時の100万ドルは3億6千万円。100万フランは…良く解らなくて7千万円以上っぽいです。『おしゃれ泥棒』ってタイトルがセンス良いですよね。可愛らしくて私は大好きです。 ヘップバーンの黄金期の中でも後半の作品です。当時彼女は37歳。今の時代の37歳と違って“可愛い女性”を演じ続けるのは難しかったと思うけど、見事に可愛い一人娘を演じています。服装から真っ赤なちっちゃいオープンカーから、作風と相まってとてもチャーミングです。 ちょっとコミカルな作品の雰囲気で、それを盛り上げる音楽もとても印象的でした。おぉジョン・ウィリアムズの初期のスコアだったのか。さっすが。 ヘップバーンの映画と言えばオジサマ達の清純派アイドル的女優。そのためか彼女より一回り以上高齢な男性との恋愛が多い印象だったけど、本作のオトゥールは34歳。ここに来て彼女よりちょっぴり年下。でも今の価値観で観ると、これくらい年の近い同士の恋愛のほうが、自然な感じで感情移入しやすいです。 強力磁石にブーメランに変装…美術館での犯行もまたコミカルで、それでいて一つ一つに工夫が感じられて、ここもやっぱり可愛らしいです。2人で物置に長時間潜んでるのも微笑ましい。ワイラー監督はオードリーの魅力を引き出すのが上手い人ですね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2024-11-27 22:23:14)(良:1票) |
5. 霧の旗(1965)
《ネタバレ》 仕事熱心で真面目な兄を思って、自分もタイピストとして、貧しいながらも真面目に働いて、ろくに恋愛をしてこなかった桐子。…兄思いでキーパンチャーだった寅さんのさくらと被るなぁ。殺人犯の妹として熊本で働き続けられなくなり、銀座のスナック(※BAR海藻とあるが、同僚「表の明かりを消して12時過ぎまで営業云々」って、ちょっぴり違法な店)に身を落とす。 さて、熊本の田舎から遠路はるばる東京まで(しかも終始鈍行列車で)、電話の1本も入れず弁護士事務所に直接訪問する桐子。こんな常識外れな桐子に、大塚弁護士は直接会って断るという、誠心誠意、紳士的な対応をしています。弁護費用は約80万円。当時の初任給が約17,000円~20,000円、ラーメン1杯は80~100円の時代、およそ今の1/10と考えると、20歳そこそこの娘に払える金額じゃありません。それでも『費用を1/3にまけろ』と言うから、桐子はそれなりの金額は払う覚悟はしていたんでしょう。 大塚は弁護を断ったがために逆恨みされます。桐子のしつこい性格から考えて、もし引き受けて、裁判で負けても、やっぱり逆恨みされたんじゃないでしょうか?この時の大塚に非があるとしたら、断る口実の一つに『多忙』と言っていたのに、愛人の経子に会いに行っている。特に説明はないですが、川奈(ゴルフのメッカらしい)と聞いて、桐子は察したんでしょうね。 推理好きは、サウスポー山上の登場と『犯人は左利き』って情報を結びつけます。観るものに『こいつが真犯人だ』と思わせます。更に桐子の前で2回もライターをいじって、そのライターが経子の事件現場に。 兄の事件と経子の事件は良く似ています。兄も経子も犯人じゃないのに、嫌疑を恐れて現場を逃げています。桐子が、山上こそ2つの事件の真犯人だったって証明する結末こそが、復讐劇の王道展開です。でも桐子は死んだ兄の汚名を晴らすのではなく、大塚の因果応報に結びつけたんでしょう。お金が払えないから兄を救わなかった大塚を逆恨みし、自分は復讐のために愛人経子を救わない。また大塚に対し仕事外(ツン)と仕事中(デレ)のTPOの使い分けを徹底しているのも、結末を考えると計画的で恐ろしい。 タイトル『霧の旗』。「霧は音を立てて流れる」…じゃあ旗は?霧は=桐子でしょう。旗は…昔は女の生理日を“旗日”と呼んでいました。当時白が多かった女性下着の一部が赤く染まる様子から生まれた隠語です。桐子は憎い大塚に自分のもっとも大切な処女を捧げ、それが大塚を陥れる動かぬ証拠となりました。水商売の桐子が処女だったという予想外の結末が、意味不明だったタイトルに結びついたようで、モヤモヤが晴れるとともに、改めてゾッとしました。 [DVD(邦画)] 8点(2024-10-26 11:09:19) |
6. 椿三十郎(1962)
《ネタバレ》 「椿…三十郎。もうそろそろ四十郎ですが…」用心棒の続編だったのか。三十郎がどんな人物か解っているから話が早い。神社で若侍が集まった辺りから“面白そうなことが始まった”って思ったんだろうな。一匹狼の三十郎に、ひよっこ侍が九人揃って付いてくる様子が何とも微笑ましい。 この面子に呑気な睦田婦人と娘が加わって、緩い空気が作品全体を覆う。椿を使った合図で盛り上がる母娘と対象的に、苛々して屏風の字をなぞる三十郎と、その苛々を察しておろおろする若侍たちが面白い。 神社で菊井の手下多数を、次々と叩き切る迫力満点の殺陣はあったけど、まるで現代の若者そのままの若侍たちと、陸田母娘のゆるふわな会話が、緊張感を和やかに解きほぐす。終盤も討ち入りの緊張感よりも小川を流れる大量の白い椿の美しさに、お伽話を観ているような気分にさせてくれた。 さぁ、有名なあの場面はどこに出てくるのか?私は序盤で出るものだと予想していたけど、最後でした。和やかな雰囲気の作品の終盤、三十郎と室戸の緊張感溢れる対峙のからの、一閃。抜刀から一瞬の決着。おびただしい量の赤い血が噴き出す過剰とも言える演出が、日本映画の新しいかたちを作る。 最後の最後で凄いものを観せたため、血の場面ばかりが取り上げられるけど、大量の赤い血は、大量の白い椿の対比として入れたんだと思う。本作が娯楽映画の傑作として今でも語られるのは、決して奇抜さだけの作品ではなく、映画全体の緩急の付け方の巧みさにあるんじゃないかな。 [DVD(邦画)] 9点(2024-09-23 23:07:50)(良:2票) |
7. ナバロンの要塞
《ネタバレ》 “The Guns of Navarone”『ナバロンの大砲群』とかでしょうかね?~要塞(fortress)の意訳はカッコイイです。 小さい頃に観た戦争アクション『ナバロンの嵐』の、その前のお話ということで、興味はあったけど今回まで観る機会がなかった作品です。 冒頭に状況説明があって、この映画の目的(ミッションクリア条件)が大変わかりやすい。味方の船を沈める2門の巨大要塞砲の、悪そうなこと…どう観ても悪の側の秘密兵器ですね。コレをもっとでっかくしたのがデス・スターでしょう。 急遽、少数のエキスパートを集めての強行軍。本部も“成功の可能性ゼロ”と見ている無謀な作戦。でもいきなり難関、122mの垂直の崖を、登山素人つれて、爆弾背負って登れときた。しかも運悪く嵐の中。この絶望的な状況がスリル感満点です。 手に汗握るこの崖登りは、序盤のクライマックスですね。カモメには驚かされました。この時代に、こういうビックリ演出は珍しいかも知れません。 中盤のクライマックスが、味方の中の裏切り者です。負傷した少佐の時と同様、3つの選択を迫られます。作戦のためとはいえ、何ともやりきれないですね…。そしてクライマックス、要塞砲爆破へ。それぞれのキャラクターの魅力を引き出しつつ、要所要所できちんと山場を用意して、最終目的へ突っ走る。戦場を舞台にした冒険活劇として見事な構成です。 潜入作戦なのにいきなり哨戒艇爆破しちゃう問題。決死の崖登りも一本の電話ですぐバレちゃう問題。地中海なのに雪が降ってる問題。ナバロン島、私の想像の100倍くらい広い問題。この映画で色々突っ込めるのは、近年の展開の早い映画に慣れたからでしょうか。 時代を感じる部分はあるけど、サービス満点、栄養満点、大人のお子様ランチ('61年版)みたいで楽しかったです。 [DVD(字幕)] 6点(2024-09-06 10:54:18)(良:1票) |
8. 若い人(1962)
《ネタバレ》 華やかな女子校が舞台です。こんなところに足が長くて爽やかな石原裕次郎をポトリと落とせば、そりゃあモテモテでしょう。でも当時の生徒の、顔立ちの幼いこと。中学生か下手したら小学生に観えます。そんな中、江波恵子の目鼻立ちの整い具合が群を抜いています。当時吉永小百合は17歳。 テストの裏に、メンデルやら相合い傘や先生のイラストと共に『愛と憎しみは双生児である』とある。野上弥生子の言葉を引用する辺り、学のある子なのが解る。江波恵子が橋本に提出した歴史の答案。自分が私生児であること、父が誰か解らないこと。『私は母を愛している。それと同じように母を憎んでいる。』と、また聖母マリアを引き合いに出し『神様の父を欲するより、人間の父を欲する』と自分の心情を赤裸々に書いている。 江波恵子には、父親という本来自分に必要な存在が、もともと欠けている自覚があるんだろう。恋愛対象として間崎を求めるとともに、未だ見ぬ父親像までも求めていたんだろう。『先生がどっか行っちゃう、先生どこにも行っちゃイヤだ、私だけの先生でなきゃイヤだ!』泥酔した母親の、女の部分があまりに強烈で恐ろしい。母として恵子と2人で間崎のアパートを訪ねたときとのギャップ。娼婦の母親の生き方を幼少期から見てきた見た恵子が、母を愛し母を憎む理由がこれでもかと伝わる。 若い人は4回も映画化された作品。この'62年版は、間崎が喧嘩に巻き込まれたあとの展開が原作とは異なるようで、マイルドで爽やかな終わり方をしているようだ。清純な吉永小百合のイメージに合わせたのかな?間崎が「橋本先生が好きだ」と言ってからの、恵子の心の変化が急カーブな感じ。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2024-08-27 23:38:01) |
9. 史上最大の作戦
《ネタバレ》 “The Longest Day( Must Have An End.)”ロンメル元帥が上陸作戦が行われる日を称して『一番長い日になるだろう』といった言葉から。また『(どんなに)長い一日(にも、必ず終わりは来る。)』って、ことわざの一部でもあるようです。連合国軍の大規模反攻作戦で、第二次世界大戦のターニングポイントになった、ノルマンディ上陸作戦の映画化です。 この時代、第二次大戦を扱った映画が多数創られていますが、米英独仏の各国豪華俳優陣の共演、米英独それぞれのパートをそれぞれの国の監督が撮影、軍の協力で予算以上の大規模な撮影を可能にしたなど、上映時間の長さもあって、まさに当時の戦争映画の集大成のような作品です。 落下傘が教会に引っ掛かって死んだふりしてやり過ごした兵隊、味方識別のクリケットの悲劇、塀を挟んですれ違う敵味方、たった2機の戦闘機で出撃、自宅を艦砲射撃されて歓喜するフランス人などなど、史実・創作入り混じって、当時の戦争映画らしい大小の珍エピソードがいっぱい出てきます。 圧巻は自由フランス軍のスウォード・ビーチ攻略戦の長回し空撮。行軍に合わせた着弾と爆発のタイミングが絶妙。カメラが180°回転し、橋を渡った兵士を追う機銃掃射。丘の上からも降りてくる兵士。独軍の要塞と化したカジノビルの屋上までを収める。今の目で観てもかなりの臨場感が感じられます。 当時の戦争映画は反戦色がほとんど無く、西部劇同様の娯楽色のほうが強かったんでしょう。殺し合いをしているのに痛みは感じにくいです。また題材も“軍隊同士が戦場で戦闘する”のがメインで、そこに住む武器を持たない市民が犠牲になる様子はほぼ描かれません。 昔はたくさん創られていた、戦闘シーンの格好良さがウリの戦争映画。映画界にも軍(スポンサー)にも、お互いにWIN-WINの関係だったんでしょうね。 [ビデオ(字幕)] 6点(2024-08-18 20:59:57) |
10. 白い巨塔
《ネタバレ》 今から20年前の年末に人生初の入院を経験。その時、唐沢寿明の白い巨塔が一挙放送されていて、38度超えの高熱にうなされながらもイッキ観してしまいました。内容はうろ覚えですが、先の展開が気になって、ベッドに横になったまま、テレビにかじり付いてました。入院中ず~っとアメイジング・グレイスが頭の中で鳴り響いてました。 いきなり実際の手術シーンから始まるのはかなりショッキングでした。モノクロだったから耐えられたけど、あんなにスパッと人の体にメスを入れるって、凄い度胸だなって感心させられました。外科医って凄い職業だな… 話は逸れるけど、'62年の椿三十郎の、あの大量の血しぶきから、以降の映画の残酷描写が映画の話題作りの一つに、大きな影響を与えたそうです。そう考えると、本作のこの生々しい手術シーンも、恐らくは当時の観客に大きなインパクトを与えたことと思います。 もちろんそれが売りの映画ではなく、教授の座を賭けた醜い争いのドラマ自体も、充分に面白かったです。 大学病院の裏側、財前も東教授も教授というポジションに対し執拗な執着を見せる。不健全な票の奪い合いが生々しい。温厚な菊川を追い込む脅迫手段も、「全員で非協力」というドロドロした内側を垣間見せる粘っこさ。あぁ、会社内の派閥の気持ち悪さはどこも一緒だわ。 裁判では里見と大河内の正論にスカッとした気持ちで観てたけど、鑑定結果と偽証でズブズブと飲み込まれていく、この後味の悪さ。一握りの勇気と真っ当な正義感では変えられない、世の中という仕組みが恐ろしい。 入院中、唐沢財前の後半のセリフ「無念だ」を覚えていたけど、本作は150分。映画としては長編ですが、私が観たドラマの、だいたい半分までの物語でした。でも、観ごたえのある映画でした。この時代の空気、このキャスト、このスケールで、この続きを観て、最後スカッとしたいところ。…いや結末も財前に感情移入してしまって、そんなにスカッとはしなかったっけ? [CS・衛星(邦画)] 7点(2024-07-06 19:07:09) |
11. 用心棒
《ネタバレ》 これは、格好良い。日本男児の格好良さが全部詰まっている。そんな気がする男の映画です。 一昔前までの、外国人が想像する日本人の男=侍。それって映像作品で言えば、かなりこの映画から来てるんじゃないでしょうか? 実際には勤勉で真面目で仕事が細かい日本人。その裏で、本作の桑畑三十郎のような日本人像も確かに存在します。 棒っ切れを投げて行く先を決める。悪党が覇権を争う街に、無関係なのに首を突っ込む。この男の行動原理が『楽しいかどうか』。居酒屋に戻っては“飯”を食い“酒”を飲む。大きな体で忍び足して、内緒話に聞き耳を立てる。自分の話題だとぺろっと舌を出す。こんなお茶目な男、女なら惚れてしまうだろう。一瞬で悪党三人も斬り殺す腕っぷしの強さ。こんな男に『おめぇ、強ぇんだってな?』なんて言われて喜ばない男が居るだろうか。ただ強いだけじゃない。寡黙な中に人間の魅力が詰まっている。 回転式拳銃と八州廻りが出てくるので、江戸時代末期の設定だろうけど、どこか異国感がありますね。女郎が踊る時の楽曲も賑やかでどこか南米風な味わいも…。米国の『血の収穫』という探偵小説を下地にしているそうで、そう考えると時代劇を下地とした西部劇『荒野の用心棒』の親和性が高かったのも頷けます。最後の見どころ、丑寅一家対三十郎。卯之助も亥之吉も見せ場もなく簡単に斬り捨てられます。日本の映画界で長年培われた殺陣の手法を廃し、徹底した現実主義を貫いた斬り合いが、時代劇の新時代を切り開いた黒澤作品らしく感じられます。 [DVD(邦画)] 8点(2024-05-23 23:12:04) |
12. 荒野の用心棒
《ネタバレ》 “Per un pugno di dollari”『一握りのドルのために』。夕陽のガンマンの原題に繋がってます。 『西部劇のイーストウッドと言えばこの作品』って勝手に思ってたくらい、例の鉄板のシーンが印象的です。 監督自身が認める黒澤作品のオマージュ映画だったことから、まず用心棒を観ないことには何とも評価が難しいかもしれませんね。 「あっちにバクスター、そっちはロホス。真ん中に俺」意味は解らないけどカッコいい。「俺の馬が怒ってるから謝れ」なんて、メチャクチャな言い掛かりがマカロニ・ウエスタンらしくて良い。ロホスとバクスターの2大勢力を手玉に取って、抗争に持っていく巧みさが痛快。 けど、ジョーに都合よく事が運びすぎる気がするなぁ。兵士2人の死体を墓場に配置するのは良いけど、アレどう見ても墓に伸し掛かった死体にしか観えないのに、両陣営撃ち合い始めるなんて。 ジョーが両陣営にフリーパスなのも、あの狭い街でそんなに器用に出来るのかなぁ?とか。…でも借金の方に取られた女房の監禁先が、親子が住んでた家の向かいにある(だよね?)くらいだからなぁ。ゴロツキのアジト2つと酒場と棺桶屋しかない変な街なのが、生活感を排除したマカロニ・ウエスタンらしいかな。 BTTF2にも登場する鉄板。その辺の適当な板かと思ったら、結構手を掛けて作ってたのね。ラモンが西洋甲冑の胸を綺麗に撃つのが良い前フリになってますね。でもあんなに何発も撃ってたのか。鉄板に当たる音でバレそうな気がしないでもないけど、そのツッコミは野暮でしょうね。 [DVD(字幕)] 6点(2024-03-20 20:43:20) |
13. 特攻大作戦
《ネタバレ》 “The Dirty Dozen”『汚らわしい12人(≒1ダースの囚人兵)』。私がレビューを書くようになってから既に2回もNHK-BSで放送されていることから、結構支持されている映画なんだと思う。リー・マービンにチャールズ・ブロンソン。更にドナルド・サザーランドやら刑事コジャックやらエアウルフのドミニクやら、内容的にも'60年代版のエクスペンダブルズって感じでなかなか豪華。 何より『めぐり逢えたら』の男が泣ける映画として紹介されてたのが印象深くて、変に期待してしまいました。 考え方も罪歴もバラバラの死刑囚たちが、少佐のもと、一つにまとまって大きな作戦に取り組む。少佐への反発が徐々に信頼に代わり、軍事演習で、いけ好かない大佐に一泡吹かせる前半部分は、痛快な戦争スポ根モノって感じで楽しめます。 問題は後半、作戦本番ですね。ヘミネスが台詞のみの説明であっさり死んで、戦争の無情さを感じさせます。そこまでは良いとして、そもそも潜入作戦なのにウラディスロー以外ドイツ語が喋れないってダメでしょ。本部もよくゴーサイン出したよ。 なかなか引っ掛からない登りロープ。抜ける屋根。マゴットたちは米兵の格好のまま建物に侵入(せめて撃ち殺したドイツ兵の服着たらどうだ?)。マゴットの暴走で作戦失敗、からの少佐たちも作戦中に米軍服に着替え(これ必要か?味方の誤射を防ぐため?)。何ともグズグズである。 それに負けじとドイツ軍の対応もグズグズ。女の悲鳴がしても銃声がしても2階に確認に行かない杜撰さ。ロクな抵抗をせずあっさり地下室に閉じ込められる将校と御婦人たち…なにコレ? やはり、主人公側が女性も含む無抵抗な人間を殺害する結末は、いくら戦争とは言え、とてもモヤモヤします。ここで彼らの目的を再確認しましょう。 彼らの作戦は、ノルマンディー上陸作戦に合わせた将校の殺害と後方撹乱。そのターゲットはドイツ国防軍の将校。つまり憎きナチスではなく、どこの国にもいる普通の軍人さん達です。 目的地は軍の保養所…日本で言えばKKRの宿泊施設みたいな場所ですね。フランス領の施設だから、建物の詳細な模型も作れたんでしょう。戦地から離れてる田舎の施設だから、通信施設や弾薬は置いてあっても(他に安全に置ける場所がない)、国防軍の中でも練度の高い兵隊は配備されていません。 Dデイ直前だし、当時のドイツは人材不足。あの施設に居たのは再任官された退役将校と、非戦闘員の文官、動員された予備役兵たちじゃないでしょうか(想像ですよ)?それなら、最初の銃声からドイツ軍の抵抗が少なかった理由も納得。遅れてやって来たどこかの基地の増援部隊が、軍隊らしい普通の抵抗をするのも納得。あのパーティは、退役将校に国のために再度働いてもらう、決起集会のようなものでしょう。言わばKKRで開かれる、奥様同伴の退職者の慰安行事。 そんな、居ても居なくても戦局に影響のない、国防軍の退役将校(想像)をたくさん殺すのが、彼ら囚人兵の仕事です。まさに汚れ仕事ですね。戦局に影響はなくても、ガソリンで無慈悲に焼き殺されたとあっては、ドイツ兵は戦意喪失したことでしょう。 アメリカ軍ももし世論に非難されても『少佐が囚人兵を使って勝手にやったこと』と切り捨てたでしょうし、少佐も『ジェファーソン(黒人)が勝手に暴走した不幸な事故』にしたかもしれません。運良く作戦は成功し、囚人兵の大半は死にました。ウラディスローは恩赦を受けますが、どこかの戦場で口封じされたんじゃないかなぁ…原作読んでないから全部想像ですけど。 詰まらなくはないんだけど、なんか、めぐり逢えたらで詳細に紹介された意味も、BSでよく放送される意味も、この作品がどんな人達に支持されてるのかも、よく解らない映画でした。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2024-03-20 15:35:49) |
14. 明日に向って撃て!
《ネタバレ》 “Butch Cassidy and the Sundance Kid”『ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド』。どうしても『俺たちに明日はない』と比較してしまうし、邦題も意識して付けたと思われる。 観終わった後スカッとするでなく、ズウ~んと重たくなってしまうアメリカン・ニュー・シネマ。ベトナム戦争で世の中が暗くなってるから創られたというより、まだ全体的に明るい世の中に『一部暗い影も落ちてるんだよ。』って気付かせる目的の作品。言い換えればまだ世の中に“打たれ強さ”があるから創れた作品だったんだと思う。打ちのめされてたら、暗い結末の作品は敬遠するものね。 その日暮らしの強盗ブッチとサンダンス。どっちつかずなエッタとの関係。流行り物の自転車。将来に夢を抱けないアメリカの若者のような2人。追いかけるピンカートン探偵社。逃げても逃げても追ってくる彼らは、さしずめ当時の若者の、不安な未来の象徴だろうか。 夢のゴールドラッシュに湧くボリビア…とその前に最先端のニューヨークで遊ぶ3人を写真で見せる演出が見事。そして好き勝手やってきた若者が、現実から逃げて辿り着く先に相応しい極貧のボリビア。 結局はケチな強盗に逆戻りしてしまい、エッタも呆れて変える始末。より悪くなった状況に追い打ちをかけるような包囲網。こんな状況でも夢を語る2人に、当時どれだけの人が共感しただろうか?なんかこの2人から漂う「明日から本気出す」オーラが強い。 地元警察を相手に「レフォーズ保安官じゃないなら勝てる」「今度はオーストラリアに行こう」でも警察は軍隊を呼んでいた。飛び出した2人の静止画に、響き渡る多数の銃声。 容赦ない最後の姿を観せた『俺たちに…』に対し、観せなかった本作。まるで世間を知らない半人前(泳げなかったり、人を撃ったことがなかったり)の若者が、突っ走った挙げ句の最後、「カッコ悪い死に様だけは観ないでくれ」って叫びにも思えた。 [ビデオ(字幕)] 7点(2023-09-02 18:01:25) |
15. サイコ(1960)
《ネタバレ》 “Psycho”『精神病質者』。'60年の日本で“サイコ”って言葉がどれだけ通じたか知らないけれど、原題をそのまま使うとは思い切った決断だったと思います。憶測だけど、この映画の影響で“サイコ”という言葉が日本で浸透したんじゃないでしょうか? 私が小さい頃、テレビで放送される映画はカラー作品ばかりで、これだけ有名な作品でも放送されることはなく、高校に入ってから、レンタルで観たんだと思います。でも観る前からテレビの『ホラー映画特集』とかで、この映画のハイライトシーンは観ていました。 サイコのハイライトといえば『女の悲鳴』シーンと『母親登場』シーン。 DVD特典の当時の予告編から『シャワー中に女性が悲鳴を上げる』シーンがあることは、当時の観客も知っていたと思います。 だけど有名な『母親登場』は、御存知の通りこの映画の最高機密となっていて、きっとリアルタイムで観た人は、意外な犯人に驚いたことでしょう。物言えぬ母親の画。女装したノーマン。最後の精神科医の説明が、一般人の疑問の隙間を埋めてくれます。そしてリアルな母親の死体のショックからクールダウンする時間を与えてくれます。素晴らしい。 映画を観る前から結末を知っている私が、この映画で驚いたのは、序盤からノーマンではなくマリオンが主役で、彼女の突発的な犯罪を、映画のおよそ半分を使って、しっかり追いかけたことです。こんな映画だったなんて知りませんでした。 だけどクライム・サスペンスだとしたら、マリオンの犯罪はあまりに愚図愚図です。具合が悪いと会社を早退したのに路上で会った社長に笑顔。仮眠のつもりが寝過ごして警官に起こされる。逃走の車を買い替えるところをその警官に見られ、試乗もしないで700$もの大金をキャッシュで出す。宿帳に偽名で書いたのに、うっかり実名を伝えてしまう。成功の見込み無しの犯罪。 私にとって予想外だったクライム・サスペンスは、有名な『女の悲鳴』を境に主役が入れ替わり、殺人映画に。そして当時の人にとって予想外だったであろう、サイコ・スリラーに様変わりします。 つまりこの映画の本当に凄いところは、『母親登場』の最後ではなく、その最後に至るまでの過程の方にあるのでしょう。愚図愚図なマリオンの犯行と、4万$の行方にヒヤヒヤし、今度は異常な母親の犯行を隠すノーマンの気持ちになって、マリオンの死がバレないかとハラハラします。だからこその、そして最後は…。になるんですね。 沼から引き上げられる車のトランクには、序盤のキーアイテムの4万$と、後半のキーアイテムのマリオンの死体が一緒に入っています。そのトランクのアップで終わるのもまた、一本の映画としてのパッケージングの上手さ爆発です。 [ビデオ(字幕)] 9点(2023-07-04 22:21:03) |
16. 大脱走
《ネタバレ》 “The Great Escape”『偉大なる脱出劇』。Greatには『大量の』なんて意味も含んでますが、もう『大脱走』で充分ですよね。 私が観たのは'87年の放送でしょうか?カラッと陽気な古き良き戦争映画として、また脱走モノとしてのハラハラドキドキ&ワクワクを存分に楽しみました。そしてスティーブ・マックイーンの格好いいこと。バイク・スタントのシーンはもちろんの事、独居房で独りキャッチボールする姿がとても格好良かったです。 物語は大きく分けて、収容所生活とトンネル掘り。脱走とその後の2部構成です。単純だけどこの構成が素晴らしい。 オープニングで誰もが知る大脱走マーチと共に、捕虜収容所に向かうドイツ軍のトラックを映します。ここから脱走計画実行まで、ず~~~~~っと収容所の中の話になります。例えばヒルツとアイブスがどんな風に捕まったのかとか、ウェルナー(白イタチ)が、どこでカメラを手に入れたかとか、想像すると笑えそうだけど、収容所の外の話は一切描写しません。 2時間ほど、ずっと収容所とトンネル掘りからの決行当日。息を殺しての脱走劇。この後半1時間に、一気にヨーロッパの風景がなだれ込みます。どこまでも続く牧草地帯、雄大なアルプス山脈、古風な市街地、戦時中とは思えないお洒落なカフェ…収容所で貯めに貯めたストレスが、まるでヨーロッパ観光でもするかのように、開放感となって一気に炸裂します。 実話をモトにしているものの、架空・創作の部分がまた良い味付けになっています。アイブスとヒルツ。トンネル王のダニーとウィリー。偽造屋コリンと調達屋ヘンドリーの友情が、映画らしく印象的に描かれています。またヒルツのバイクチェイスといい、飛行機強奪といい、史実に忠実にするのではなく、後半に向けて娯楽映画としての醍醐味を加える、良い味付けに思えます。 脱走の常習犯を一箇所に集めたにしては、随分と簡単に手に入る物資。あんな大規模なトンネルを3つも掘れたり、密造酒が飲めたり、ドイツの収容所の緩さが、ほのぼのとした当時の戦争映画らしく思えます。そして当時のドイツがゲシュタポのような“悪の象徴のナチス”と、ルーガー所長ら“普通に国を守る軍人さん(国防軍)”が混在していたことが、きちんと描かれています。 脱走した76名のうち50名が殺害。ヒルツもヘンドリーも運良く国境警備の国防軍に捕まったようだけど、ゲシュタポに捕まった捕虜は全員殺害されたようです。史実や原作は解りませんが、緩い警備体制で脱獄成功というヘマは国防軍におっ被せて、ビッグXら脱走常習犯の捕虜を公的に殺害する。というのが、ゲシュタポの目的だったのかもしれませんね。 最後は独居房に響く独りキャッチボールの音と、何か言いたげなドイツ兵(4回とも同じ兵隊さん)。カラッと陽気な古き良き戦争映画だけど、単なる娯楽に終わらない深みも味わえました。 [地上波(吹替)] 10点(2023-06-12 17:48:13) |
17. 続・男はつらいよ
《ネタバレ》 BSなんかで放送された映画は、レコーダーに録画したのをDVDに焼いて、後日それを観てます。男はつらいよは50作もあるので、間違いなくどれが何作目か解らなくなるので、タイトルの他に“○作目”って書いてます。さてシリーズ2作目。当時は本作でシリーズ終了予定だったそうで、寅次郎の過去を広げる作品で、“続”の名が示す通り前作の続き=後編の色合いが強く感じられました。オープニングの歌も2番でしたね。 序盤で涼しい顔してさくらに5,000円札を渡して、見えないところで「痛かったなぁ今のは…」ってボソッと言う寅が人間らしく、訪ねてきた男が息子だと知った菊が、一瞬嬉しそうな顔をしたあと「今頃なんの用事かね、銭か?銭はあかんで」と突き放すのもまた人間らしい。親子だなぁ。 グランドホテルが今で言うラブホテルだったのと、ラブホに女中が居るのも驚いた。女中がお茶持ってきたり浴槽とかバイブとか鏡とかの説明するんだね、カルチャーショック。お決まりのお笑い要素、お母さんとか母親とか言っちゃダメって言ってるそばから次々と言っちゃったり、葬儀の車で藤村先生ととなりになったり。“気まずい状況”を笑いにするのは、寅さんシリーズらしい面白さ。 2作品を前編と後編として考えると、本作の根っこにあるテーマは引き続き“寅次郎の家族との再会”です。そして前編に当たる1作目が妹の結婚に甥の誕生と“若さと生”がテーマだったのに対し、後編に当たる本作のキーパーソン、母と恩師による“老いと死”がテーマでしょう。 京都で再会した散歩先生は寅に「お前の母親もいつかは死ぬ。その時では遅いのだぞ」と会いに行かせる。母との再会は、観ていて辛くなるほど凄まじく重たい結末に。だけどその後、寅が先生と2人で泣いてるのが、映画全体が湿っぽくならない上手い塩梅だと思いました。 今朝、天然のウナギが食べたいと言った恩師が、夕方には静かに死んでいる。死はそれくらい突然訪れる事を身を持って体験した寅。あれだけ凄まじい出会い方をした母親と、仲良く三条大橋を歩いていく。前作の登とのエンディング同様、菊と寅が仲良く歩くまでに至った過程を省く作風が想像力を掻き立てて、私はとても綺麗な終わらせ方だと思いました。 ところで、前作のマドンナが坪内冬子。本作のマドンナが坪内夏子。同じ坪内姓なのって、御前さまと散歩先生って親戚とか遠縁とかなのかな? 冬子に夏子。あと妹がさくら(春の花)、母親がお菊(秋の花)と、『前作がヒットしたから急きょ創られた』みたいだけど、この2作品で見事に完結させてます。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2023-06-03 17:16:18) |
18. 座頭市血煙り街道
《ネタバレ》 シリーズ17作目。しかし5年で17作って、当時の日本映画のハイペースさに驚くばかり。 座頭市観るのは2作目だけど、劇中突然歌い出したのには驚いた。シリーズを重ねるうちにそういう映画になってたのか? 歌は花のさだめ(2番)。歌うは中尾ミエでございます。本作公開が12月、レコードが年明け1月に出ていたようで、何かコラボだったんでしょうかね? 歌には驚きましたが、市のキャラクターは安定して魅力的。前観たのでは「メクラ」「ドメクラ」とイイように言われていたけど、ゲスト俳優からは「目の不自由な人」「おメクラさん」と、ちょっぴり配慮が見られた。 本作は小さな子供とのふたり旅。これがまた結構な悪ガキなもんだから、市相手に悪戯を仕掛けるんだけど、石ころの頃にはお互いに悪戯合戦になっていって可愛らしい。母・おみねの似顔絵を市が庄吉に見せるシーン。良太は悪戯のつもりで市を描いたんだろうけど、使われ方が上手くホロリと来る。 権造一味との殺陣の華麗さは見事。シリーズも回を重ねると、目新しさを出すのも大変だろうなぁ。 実力伯仲の赤塚との真剣勝負。市が庄吉を守るために刀を投げてしまう。他人の親子を救うために無防備で立ちふさがる市が格好いいし、対する赤塚が自身の負けを認めるのも格好いい。 [インターネット(邦画)] 6点(2023-05-31 23:30:32) |
19. 男はつらいよ
《ネタバレ》 寅さんはテレビドラマの最後にハブに噛まれて死んでしまった。って、バラエティ番組で観た記憶がある。そんな主人公が銀幕に蘇り、ギネスに載る長寿シリーズ化するとは、当時のスタッフたちも、ファンたちも、思っても見なかったことだろう。 本作はまだ長期シリーズ化は考えていなかったため、一本完結のまとまりの良さを感じる。…といっても、シリーズの各作品の関連性・連続性なんて、殆ど感じない作品だけど。寅さんは私も、数作品程度は摘んで観てみたことはあるけど、全話CSで放送されるこの機会に、通して観てみようと思い立った次第です。さぁ最後まで完走できるかな? 1作目にして寅さんの基本設定が全部入ってるように思う。寅が帰ってくる。トラブル起こして出ていく。マドンナに恋して気分良く戻ってくる。フラれる。出ていく。更に柴又のレギュラーキャラは、本作で殆ど全員出てくるんじゃないかな?まさか1作目からさくらが結婚して、満男まで産まれるとは思わなかった。このまんま50作突っ走ったのか。やっぱりすごい作品だわ。 1作目は他作品と違って、寅が20年ぶりに柴又に帰ってくる。寅さんと言えば『生まれも育ちも東京葛飾柴又』…って本人言ってたけど、14歳で出ていって以来の帰省だろうから、地方の方が長くなってるぞ? さくらが凄く可愛い。私が観たのは'80年代以降のシリーズだったから、本作の若くて美しいさくらに驚いた。たぬき顔で茶髪で膝上スカートで脚が綺麗で身体細くて。キーパンチャーなんてモダンな仕事してて。キツネ目でいい加減で馬鹿でヤクザな寅と、兄妹なのが信じられない。 本作は冬子がマドンナ・ポジションだけど、真のマドンナはさくらじゃないかな。20年ぶりにやっと会えたら、結婚して離れ離れ。本作以降いつも隣りにいるけど、永遠に距離が縮まることのないシリーズの陰のマドンナ。そんなさくらにスポットが当たったのが、まさかの1作目だったとは。 大企業のBGからお見合い、結婚、出産と、1作の間に大人の階段を登っていくさくらに対し、35歳にもなって麦わら帽子に釣竿持って冬子のところに遊びに行く子供みたいな寅。『生まれも育ちも東京葛飾柴又』あぁ、寅次郎って20年前から、14歳の頃から時間が止まっているんだな。 父との大喧嘩から家を飛び出し、テキ屋稼業で生計を立て、舎弟の登の面倒を見て、可愛い妹は嫁に行き…『男はつらいよ』の意味が、マドンナにフラれるから以外の意味も、しっかり持たせてある1作目でした。 一年後、喧嘩別れ同然に故郷に帰したハズの登と一緒にテキ屋をしている寅次郎にほっこり。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2023-05-24 23:48:27)(良:1票) |
20. 太陽がいっぱい
《ネタバレ》 “Plein soleil”『炎天下』。いやもう『太陽がいっぱい』って素晴らしい邦題じゃないですか。'60年にこの邦題付けるセンス。酒場の女店主に「リプレーさん、電話ですよ」と呼ばれ、笑顔で向かうところで終わるのも、その先どうなるか私たちは解っているのも、素晴らしい。 中学生くらいの頃、親戚のおじさんが「Kちゃんは映画が好きなのか!おじさんのオススメは太陽がいっぱいかな!」って言われた作品。聞いたことはあるけど、古い映画だし観る機会がなくて… でリメイク作から先に観ました。しかもこの映画のリメイクと知らずに。その後本作を観て「・・・あれ?これリプリーに似てない?」って。 そのお陰か、リプレーがフィリップに近づいた過程が理解しやすかったし、改めてフィリップへの思い・感情を深読みしてしまいました。フィリップの服を着て鏡にキスするいところって、そうだったのか?って。 私の中でリメイク作はそんなに評価高くなかった(当時)んですが、オリジナルのアラン・ドロンはとても魅力的でした。OHPに移したサインをなぞるシーンがすごく格好良かった。甘いマスクと運の良さであのポジションを手にしたのではなく、人知れず努力をしているのが伝わってくる名シーン。 ニーノ・ロータの音楽と地中海の景色は映画だからこそ。短時間の観光ツアーでは味わえないであろう、時間が止まっているような感覚を体験できました。そして最後の衝撃。絡まったワイヤーを観て「あああっっ!!」って声が出てしまった。いや映画って素晴らしい。 [ビデオ(字幕)] 10点(2023-04-16 16:14:17)(良:1票) |