1. チャイナ・シンドローム
《ネタバレ》 “The China Syndrome”直訳だと『中国症候群』。「アメリカで炉心融解(メルトダウン)が起きたら、高熱の核燃料は原子炉容器を貫通(メルトスルー)して、地球の裏側の中国まで行くんじゃないか?」って、当時の研究者のブラック・ジョークなんだって。 公開直後にスリーマイル島原発事故(公開12日後!!)があり、映画と原発に、良くも悪くも世間の関心が高まるという相乗効果が生まれています。福島の炉心って、どこに行ったんだろう? 映画の架空の事件・事故が、現実世界の事件・事故とリンクする事があります。'70年代を全盛期に、パニック映画が大ブームで、ビル火災、大地震、航空機事故、豪華客船の沈没…そんな、自分は遭いたくないけど、どんななるか観たい欲求を満たす映画の一環として、多少なりとも本作も話題になったんじゃないかな?って思います。でも本作はパニックモノではなく、隠ぺい工作のサスペンス映画でした。 いい加減に作られた設備に計器。執拗に行われた調査から導き出された『〇〇だから今回の事故は問題ありませんでした』という、結論ありきの調査報告。原子力発電という、ちょっとしたミスで制御不能になる、危なっかしいエネルギーに頼る現状と、イザという時には現場の人が“一か八か”でどうするかを決める。そして事なきを得たら根拠のない安全性の主張。公開から30年以上たって、福島で原発事故の恐ろしさと、この映画と全然変わってない現場任せの対応、結論ありきの調査報告に、安全性の主張。当時とはパソコンと携帯電話があるだけで、やってる事がほとんど変わってないのが怖い。 [DVD(字幕)] 7点(2025-01-27 12:18:09) |
2. ジョニーは戦場へ行った
《ネタバレ》 “Johnny Got His Gun”『ジョニーは銃をとった』。映画の主人公はジョニーではなくジョー。 第一次大戦の志願兵の募集広告“Johnny Get Your Gun”『ジョニーよ銃をとれ』に対する、その結果どうなったか?を表したとも言えるタイトル。 “鬱映画”とか“救いのない映画”として、ネットで度々目にしていて、あらすじから結末まで知ってしまってからの視聴。観終わって気分が悪くなる映画(=いわゆる“胸糞映画”)って、私の中ではあまり評価が高くありません。でも本作は私が思っていたような作品とは違ってて、確かに救いは無いけど、嫌いではなかったです。結末知らないで観た方が良かったかな。 負傷して視覚を奪われたジョーが、腕が無い事、足が無い事、顔が無い事を、徐々に理解していく過程が残酷。心の中で叫んでも誰にも聞こえない恐怖と絶望感。 現実のモノクロの世界に対し、カラーで表現されるジョーの回想と夢。死者を運んでいく列車に兵士たちを乗せるキリストと呼ばれる男。これは夢だろうな。「私が社長、これはシャンパン、メリークリスマス!」鎮静剤の副作用か、恐らくバグってる回想。どこか幻想的な夢の表現が印象深い。 外界との繋がりを持てない中、日の光を肌で感じて昼夜を知り、メリークリスマスの文字から、今日が何日か判る喜び。どうにか接触方法を探るジョーの努力と、献身的な看護婦の触れ合いは、こんな絶望的な状況でも希望を感じさせ、映画の先を観たい気持ちにさせてくれます。うん、観続けるのがシンドイ映画じゃないんですね。 結末が恐怖です。遂に訪れた意思疎通の場。そこには、ジョーのうなづきがモールス信号だと気が付いた士官、従軍牧師、ジョーを生かすことにした軍医、献身的な看護婦、そして軍の責任者が居ます。 でもここが軍の病院で、ジョーは軍の研究のために生かされています。軍はジョーの回復具合を見るのではなく、この植物状態で、人間がどれだけ生きられるか?だけを観るのが目的だったので、彼が意思疎通の図れる、感情ある人間だとは考えていなかったんですね。 この映画の怖いところは、戦争で手足と顔を奪われた事はもちろんだけど、ジョーが意思疎通が出来た事実を闇に葬る軍の決定にあると思います。見て見ぬふりを決める責任者と、それに反対しない・出来ない軍属たち。巨大な組織の隠ぺい体質には、いま話題のテレビ局の問題に通ずるものを感じます。 日の光すら奪われ、死ぬことも許されないジョー。あまりに残酷な『銃をとった』結果に、言葉を失ってしまいます。 [DVD(字幕)] 8点(2025-01-27 09:28:04)(良:1票) |
3. ロッキー2
《ネタバレ》 “Rocky II”あぁ、いまレビュー書いてて思ったけど“2”でなく“Ⅱ”なのって、ロッキーがイタリア人だから、ローマ数字表記のⅡなのね?きっと。 なにか“最後にロッキーが勝つ”って前提の、筋書ありきの映画です。単独の名作ヒューマンドラマの続編であり、ボクシングのアクション映画シリーズへの、橋渡し作品でもあります。 当時の日本ではこの『困難を乗り越え、トレーニングをして、最後は強敵を倒す』ってシンプルなシナリオがウケたんでしょうね。'80年代を席巻した週間少年ジャンプの格闘アクションものの原点が、この作品から感じられます。 そして表現がイチイチ漫画チックです。初見時中学生だった私も、前作が大人のドラマだったのに対し、急に少年漫画っぽくなったなって思っていました。 序盤こそ前作の続編として静かに始まりますが、動物園で告白するのって、前作でガッツォの部下が「エイドリアンとデートなら動物園にでも行けよ」ってからかわれて、ロッキーも怒ってたような?まぁでも、温かくて良いシーンだけどね。 結婚式のシーンも良かったです。ポーリーにミッキー、ガッツォ(!)にグロリア(ペットショップのオーナー)が出席する、主賓が消えたら横の繋がりが全く無くなる結婚式だけど、前作の繋がりが感じられて、私は好きだな。 そして冗談のような悪夢のCM撮影。確かに、ガッツ、輪島、渡嘉敷、内藤…有名ボクサーってバラエティ番組で観る機会が多かったですよね。それ以外のボクサーは、あまり観る機会は無いから、ロッキーのような真面目なタイプのボクサーは、第二の人生の、チャンスを生かせず、人知れず消えていくんでしょう。 ロッキーの度を越した豪遊っぷりは、今後の転落人生を簡単に想像させますし、エイドリアンが妊娠→出産で倒れるのも、ドラマとしてはよくある展開。言葉は悪いけどベタです。絵に描いたような私生活のどん底と、ずっと寝ないで看病するロッキー。当時は涙ぐましく感じましたが、鼻のチューブとか点滴や心電図もないエイドリアンは、ただ寝てるだけに観えて、そんなに危機感を感じません。エイドリアンの「Win…Win!」は、タリアがこの映画で一番可愛いらしく観える名シーンです。ここにトレーニング中の音楽を被せ、ミッキーの掛け声が入るのは、何とも漫画チックな展開です。ロッキーってこんな映画だったっけ? 前作でも生卵飲んだり、冷凍肉叩いたりと珍しいトレーニングがありましたが、今回はニワトリ捕まえたり、鉄ハンマーで鉄板叩いたり、丸太抱えてうさぎ跳び…効果は解らないけど、お金のないロッキーのハングリーさを表すとともに、きっと、当時世界中で流行り掛けてたジャッキーのカンフー映画からもインスピレーションを得たんだろうな。と思いました。 仕上げはロッキー走りにロッキー階段。このジョギングで子供たちが追い掛けてくるのが訳が分からないですね。なぜかアメリカ国旗(続けて万国旗)の並ぶ車道を走るロッキーと子供たち。階段の頃には子供たち凄い数になってます。もう笑うしかないフィーバーっぷりです。この盛り上がりっぷりって、アポロと試合をしたボクサー、ロッキー・バルボアの応援としてでなく、スタローン演じる映画“ロッキー”の主人公が走ってることへの、盛り上がりに思えます。こんな映画だったっけ? 最後の試合は乱打乱打の乱れ打ち。序盤から終盤まで、疲れを知らないハードパンチの打ち合いです。あれだけテンプルにレバーにボディにガンガン強打が当たってるのに、格闘ゲームのキャラみたいにず~~っと全力で打ち合ってます。長期戦こそ前作みたくクリンチが増えるものだと思うけど…。そして最終ラウンドでダブル・ノックアウトって、絵に描いたような漫画展開。直前に観たファーゴより、コッチのがよっぽどコメディに思えます。 [地上波(吹替)] 5点(2025-01-19 00:48:09) |
4. アメリカン・グラフィティ2
《ネタバレ》 “More American Graffiti”『もっとアメリカン・グラフィティ(=アメリカの落書き)』。おぉ~なんて素敵なタイトル。'62年のひと夏の夜を描いた前作から、今度は'64年~'67年の4年間の大晦日を舞台に、時代を行ったり来たりして、各登場人物の" その後"を描いています。 '64年はミルナーのドラッグレースと相変わらず変化球な恋。'65年はテリーのベトナム戦争。'66年はデビーのロックとドラッグとヒッピー生活。'67年はスティーブとローリーの結婚生活と学生運動。この4つの時代を行ったり来たりしながらだから、一晩の話の前作に比べ、複雑に思えますが、各時代ごとに撮影カメラを変えて、区別が付くように創られています。 制昨年から『帝国の逆襲』で多忙だったと思われるルーカスに代わり、B・W・L・ノートンなる人物が監督を務めています。グーグル検索するとビル・L・ノートンという監督が出てくるので、同一人物かもしれません。ベトナム戦争のテレビ映画なんかを撮っている人なので、オープニングのヘリの編隊撮影と結び付きそうな気がします。でもあの近接撮影の迫力は、ルーカスっぽいんだよなぁ。恐らくアメリカで撮ったであろうベトナムの戦場ですが、良い映像です。 私自身、アメグラは高校生の頃から観続けた好きな映画で、2があることは薄っすら知っていましたが、あまり評判を聞かなかったので、観るほどの映画じゃないのかなぁ?って思っていました。 それがたまたまDVDを手に入れることが出来まして…これがまた、いい映画なんですね。もっと早くに観ておきたかったって気もしますが、アメグラの初見から30年以上たって、こんな偶然みたいなカタチで、彼らのしっかりとした後日談が観られたのが、何かサプライズ的な嬉しさがありました。 前作の登場人物が次々出てくるのが、同窓会的に嬉しいです。時代設定が4年に分けられているので、“この日・この時・あの時のメンバーが顔を合わせる”といった、テレビのスペシャル特番にあるような不自然さが無く、純粋に『あぁ、あのヒト、こんな仕事してたんだ』って楽しさがありました。ファラオ団のジョーがテリーの戦友だったり、ハリソン・フォード=ファルファが白バイ警官になっていたり。キャロルも大きくなって… 見た目はそのままで、すっかり男らしくなったテリーがカッコ良かったです。前作で彼が行方不明になったテロップに、ちょっと気持ちがモヤモヤしましたが『おぉ、そう来るのか!』って感じでした。30年ぶりにスッキリしたし、観てよかった気分になれましたよ。 ミルナーの最後の観せ方も巧いですね。うねった道を走っていくデュースクーペ、対向車のヘッドライトが、ハラハラさせるんでなく、何故かしんみりします。何ででしょうね?この映画は初めて観るのに、新しいものを観るのでなく、懐かしいものを観る気分にさせてくれるからでしょうか? 大晦日から新年へ。オールド・ラング・サイン(=蛍の光の原曲)の、時代を超えた合唱が、心に沁みます。エンディングのライク・ア・ローリングストーンも良いですね。 '50年代からのオールディーズの有名曲ぞろいだった前作から、'60年代中盤のロック・ポップスのヒット曲満載の本作へ。時代を象徴する音楽の使い方が巧いです。コッチのサントラも欲しくなったわ。 [DVD(字幕)] 8点(2025-01-17 23:27:10) |
5. ロッキー
《ネタバレ》 “ROCKY”邦題まま。ロッキー=ボクシングのアクション映画だと思っていたら、一作目はボクサーの人生を描いたヒューマンドラマでした。ランボー同様、2以降を含むロッキーシリーズとは別に、1作目は単体作品として鑑賞するべき作品ですね。 ビル・コンティの名スコアと共に黒地に白文字でデカデカと流れる『ROCKY』のタイトル。もうテンション爆上がりです。何か普段の力以上のものを出さなきゃいけない時、この『ロッキーのテーマ』は体の中の眠っている力を引き出してくれる気がします。ちなみに私が初めて買ったサントラレコードが、このロッキーでした。 タイトルのあと、ボクシング場のキリストの肖像画と“Resurrection(復活)”の文字が印象深い。 復活。時代はベトナム戦争の敗北の傷跡も癒えない'76。アメリカン・ニューシネマ全盛期で、何だかモヤモヤする映画が多い時代、社会の底辺からアメリカンドリームを掴んだ一人のボクサーの物語が、多くのアメリカ人の共感を生みました。 試合が始まり、余裕しゃくしゃくのアポロに、緊張を隠せないガチガチのロッキー。笑顔でジャブを入れてくるアポロに、目の覚めるようなロッキーの左フックが決まった時、崩れ落ちるアポロと同じ『え??』って気持ちになり、全身が震えました。あぁ、この瞬間アメリカ中が同じ気持ちになったんだ。鬱屈した負け犬根性を打ち砕く一撃を観たんだ。 素晴らしいのはカメラです。アクション映画ならボクサー視点のカットを入れるところでしょうけど、本作ではあくまで観客の視点、中継カメラの視点、第三者の視点で、ロッキーの活躍を観ます。観てる自分がロッキーになるのではなく、自分はあくまでロッキーを観ている側の視点なんです。何度打たれても、何度倒されても立ち上がってくるロッキーに、客観的に勇気をもらえるんですね。ロッキーのファイトを観て、自分の中で諦めていた何かが“復活”する。多くのアメリカ人がそれを感じたんじゃないでしょうか?試合の日が建国200年(=1976年)の1月1日、新しい年の始まりというのも、高揚感を感じさせます。 アポロと戦う幸運を手に入れたロッキーと、散々自分を見下してきたミッキーがマネージャーにしてくれと懇願してくるシーンが秀逸です。「俺にはロッカーもないよ」と嫌味を言ったあと、トイレに籠ってミッキーが帰るのを待つシーン。ドアの開け閉めのバツの悪さ。面と向かっては文句を言えないロッキーの人の好さが伝わります。その後ミッキーを追いかけるセリフの無いシーンも素晴らしい。 内気なオールドミスだったエイドリアンが、ロッキーを受け入れ、どんどん綺麗に、饒舌になっていくのも大好きです。エイドリアンと言えばあの“話しかけてくんな”オーラが出まくってる逆三角メガネの印象が強かったけど、この一作の中だけで凄く綺麗にオシャレになってるんですね。地味なネズミ色の上下から、鮮やかな赤いコートに白いベレー帽。ロッキーにバトカス(犬)をプレゼントして、ロ「こいつ何食べるんだ?」エ「小さい亀よ」。ロッキーが一生懸命考えた亀のエサのジョークより上手い。 そして最後の「エイドリアーン!」のシーン。ロッキーは勝敗よりエイドリアンしか見えてない。控室でじっとしていたエイドリアン。試合会場に行き、湧き上がる場内を「ロッキー!」と叫びながら駆けていくところ。赤いベレー帽を落としても拾うことなくロッキーのモトへ駆けていき(※ポーリーのサポートがナイス)、熱い抱擁とキス。この時、劇中のカメラ&スタッフはもう、勝者アポロの方に向いてるんです。でも私たちは、カメラが観ていないロッキーとエイドリアンを観ている。試合には負けたけど、最終ラウンドまで戦い抜いたロッキーのファイトを、私たちは観た。 この映画を観ると、『私もまだ、頑張れるかな?』って、眠っていた元気と立ち向かう勇気が、いつでも何度でも湧いてくる気がして、本当に大好きな映画です。 [地上波(吹替)] 10点(2025-01-13 23:51:21)(良:1票) |
6. THX-1138
《ネタバレ》 “THX-1138”=主人公の名前です。「テックス」と呼んでるように聞こえます(サックス?そう聞こえるかな…)。…登場人物はみな、ローマ字3つと4桁の数字の組み合わせを持っているようです。機械的ですが個別識別出来るところから、名前とそう変わりなく思えます。 最近ネットで松田聖子や中森明菜の髪型を現代風に変えたものを見ました。素材が良いだけにみんな綺麗でした。さて、今回私が観たものは、CG技術で改良を加えたもののようです。手を加えてないモト作品も観ていると思うけど、違いが思い出せないけど、エレベーター付きのビルが観える街の景色とか、ロボットを組み立てるときの熱で溶けるシーンとか、綺麗になっていると思う。オリジナルは、もっとシンプルで退屈な映像の詰め合わせだったように思います。(うろ覚え) この映画の見所の1つとして、パトカーとバイクのカーチェイスが挙げられると思います。言い換えるとここぐらいしか、解りやすくて娯楽要素のあるシーンは無いですからね。最初観たときは、スピード感が凄く、かなり斬新さを感じたけど、この作品の5年も前に、スピード感&迫力満点の『グランプリ』にルーカスが撮影で参加していて、この時の技法を使ってるんだなって、思えるようになりました。 そして、もう一つの見所、エンディングの夕日。シンプルで退屈な白い世界ばかりから、長いトンネルのカーチェイスを抜けて、その先に、あのでっかい、真っ赤な夕日があるから、オリジナルはインパクトが強かったように思います。でも最新CGで、真っ白で退屈なシーンのあっちこっちに余計な手を加えたため、最後の夕日のインパクトが弱まってしまったようにも思えます。 聖子ちゃんや明菜ちゃんの今風ヘアカットは、芋っぽさが減って洗練されていたけど、オリジナルの情熱は感じられなかった。この映画はそんな内容でした。 本作を始めて観たのは20年ほど前だったと思います。あの時と比べて今回、年齢を重ねたぶん、作品の理解が深まったかと言うと、正直今回もサッパリわからなかったなぁ。そもそもルーカスは才能があるとは言え、26歳の青年が自分の脳内のイメージを、少ない予算で映像化したのが本作であるなら、今の私より、20年前の私の方が、当時のルーカスに年齢が近いぶん、より理解も出来ていたのかもしれません。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2025-01-07 21:56:19) |
7. ミッドウェイ(1976)
《ネタバレ》 “Midway”英語で『中間』の意味だけど、ミッドウェー島周辺で起きた日米の『ミッドウェー海戦』を意味する。 連戦連勝の帝国海軍が、この海戦の敗北を契機に、劣勢に追い込まれていく。真珠湾攻撃('41年12月)から僅か半年後の'42年6月のこと。う~ん、我が国はこの状況で'45年まで戦争を続けたんですねぇ… 初見は中学生の頃の、年末の夜中のロードショーだったでしょうか?まだロクに飲めない缶ビールをいたずらしながら、往年の戦争映画を満喫していました。そんなワケで、この映画を観ると年末だなぁ~って気分になれるんです。 当時は気になりませんでしたが、そうとうツギハギだらけな映画だったんですねぇ。実際の戦争フィルムはもちろん、過去の戦争映画のフィルムをパク…借りてきて完成させていたという、トンデモな戦争大作です。振り返ると、本作や『遠すぎた橋』を最後に、オールスタ-キャストの戦争娯楽大作映画って、創られなくなったんじゃないでしょうか?莫大な製作費も、やっぱりオールスターの出演料に消えてしまったんでしょうかね? とはいえ、今のようなYouTubeとかで色々観られる時代と違い、戦時中の貴重なカラーフィルムを、一般の人たちが気軽に観られるという意味では、一本の映画にまとめた意味はあったかもしれません。 日本側から観ると、不運に継ぐ不運が次々と重なり、歴史的大敗北へと繋がっていく様子が痛ましく思えます。映画はアメリカ視点なので、偵察機に艦隊を観られたのに音沙汰なしとか、決死の覚悟で攻撃した空母がボンボン大爆発したりと、事情を知らないアメリカ側としては幸運の連続だったことでしょう。 ただラッキーで終わっては面白くならないので、日本の暗号を解読していたとか、日系人女性と結婚しようとするパイロットとその親の話を織り交ぜたりしていますが…状況説明が多く、それほどドラマチックにはなっていません。 大金をつぎ込んだと思われるオールスターキャストも、ポツポツ出てきてはそれっきりな感じで、キャスト同士が特に物語上で絡むことなく、ツギハギ映画らしいツギハギキャストって感じでした。 [地上波(吹替)] 5点(2025-01-05 21:58:54) |
8. オーメン(1976)
《ネタバレ》 “The Omen”『前兆』。つまりアレでしょうかね?被害者の生前、写真に写った不気味な影でしょうかね?でもオーメン2(Damien: Omen II=オーメンがサブタイに)、3(The Final Conflict=オーメン無くなった)って原題だったことを考えると『悪魔が本領を発揮する前兆』という意味なのかも? 確かに本作のダミアンは自らが悪事を働くのではなく、ダミアンの守護者が災いをもたらしてるみたいだしね。 アラバマ物語('62年)以降、目立った作品に出ていなかった(と思う)グレゴリーペックのヒット作でもありました。ダミアンを演じた子って、その後どんな人生を歩んだんだろう?でも、あの子のあの目が恐怖を感じさせます。舞台がイギリスというのも、近代的なアメリカの都市と違い、当時からレトロ感の演出(=宗教との繋がりの深さ)に一役買っていたと思います。 本作以前のホラーの名作をあまり観ていないので、あくまで想像ですが、この映画以前のホラーの悪魔って、特殊メイクやシルエット状の悪魔々々したイメージだったんじゃないでしょうか?エクソシストでも憑依という形で悪魔が姿を出していますね。 本作では安易な悪魔のイメージを一切出さず、自殺や事故、自然現象に見せて邪魔者を消していくやり方が、一歩進んだ斬新さだったように思います。首吊り、転落死、首ちょんぱ…無残な死を直接観せるのはホラー映画として成立させるための保険だったかもしれませんが、結果的にとてもバランスの良い、怖い映画に仕上がってます。 初見は小学校低学年の頃ですね、曇り空の日曜のお昼、ママンは買い物に出かけたらしく、いつも食べてるケチャップチャーハンと普段食べないブルボンのルマンドが置いてありました。ご飯食べて、ルマンドつまみながら、たまたま午後のロードショーで流れていたこの映画を観てしまいましたよ。自殺する家政婦さんのシーンが怖くて怖くて…だって笑顔で死んでいく彼女の心境って、どんなだろう?って。自分にはどうすることもできない力で殺される恐怖に、すっかり怯えてしまいました。トラウマですね。怖いけど目を離すことが出来ず『お姉ちゃんでいいから早く帰ってきてよぉ~』って願いも空しく、最後まで独りで観てしまいました。エンディングでダミアンを殺せなかった時の絶望感って無かったね。なんか動物を全部数えると666だそうで『これ動物図鑑とかで確かめちゃいけないやつだ、確かめたらきっとダミアンに殺される!』って思ってました。今でこそオーメン余裕で観られますが、ルマンドの紫のパッケージを見ると、休日の曇り空の昼下がりの苦い過去を思い出します。 [地上波(吹替)] 8点(2024-12-29 16:13:07) |
9. ザ・クレイジーズ(1972)
《ネタバレ》 “THE CRAZIES”『狂気の集団』。高校生の頃、ゾンビのビデオを借りたら、『ナイトオブ~』と『マーティン』とコレの予告編が入ってました。まぁ~ま、3本とも、なんて面白そうなんでしょう!中でもこの『ザ・クレイジーズ』の期待値は相当高かったです。 細菌兵器が町でバラまかれて、ガスマスクをした全身防護服の軍隊によって隔離される。住民は反発して暴れだし、軍隊は容赦なく銃を向ける…あぁ、きっとそんな話だな。怖い怖い!「ザ!…クレイジィ~~ズ!!」ドキュメンタリータッチの映像と予告のナレーションが凄く合っていて、恐怖倍増です。だけど当時、こんなマニアックな映画は近所のビデオ屋に置いてなくて、ず~っと観られませんでした。 観たいと思ってから10年ちょっと。2000年代に入りDVDが売っているのを発見。遂に観ることができました。思えば自分で買った映画DVDの第一号だったかもしれません。ワクワクドキドキ。…感想から言いますと、期待の方が上回っちゃったかなぁ~? この映画を観るまでに、カサンドラクロスとかアウトブレイクを観てしまっていて、恐らくこの映画に求めたモノは、もうある程度満たされてしまっていたんですね。作中のディテールに光るものは多数ありましたが、全体的にのんびりした展開で、緊張感があまり感じられず… メインは主人公たちの逃避行なんですが、軍は彼らを執拗に追うでもなく、パトロールしてる軍隊と場当たり的に戦闘して逃げて。を繰り返してる印象。町の中心から、隣町とかに行けばゴールなんだろうけど、どこまで進んだかも掴めない感じ。最後のブロック積んで隠すところも、何でそこ?って思うし、時々隙間から手を出すとことか、特にハラハラしないし… ドキュメンタリータッチな映像はゾンビに通ずるものがひしひしと感じられます。感染者はいろんな行動をとります。狂暴になって非感染者に襲い掛かったり、焼身自殺をしたり。だけでなく幼児退行したり、草原にホウキ掛けしたりと様々。 妻殺しや神父の自殺、父と娘の近親相姦シーンを入れるところは問題児ロメロ監督らしいです。 ガスマスクの兵隊も釣り竿盗んだり好き放題。末端の兵士は状況を知らないのに、逃げる住人撃ち殺したり、重症の感染者を生きたまま焼いたりと手加減なし。マスクしててもじわじわと感染してたのかもしれないけど。 主人公と恋人(妊娠中)が無事逃げられるか?がメインなんだろうけど、時間とともにストーリーを忘れてしまってます。ちょっと微笑ましかったワッツ博士と助手の年配女性の恋模様や、大佐の全裸着替えとかは覚えてるのにね。 数少ないロメロ監督作品の一つで、cult的人気がある作品です。悪い映画じゃないけど、予告編の出来が本編を上回って良すぎでした。 [DVD(字幕)] 5点(2024-12-21 23:14:27) |
10. トラック野郎 御意見無用
《ネタバレ》 子供の頃、近所の玩具屋さんのお爺さん店主が、大きなデコトラのプラモデルを見せてくれました。「見ててごらん」とお店の照明消してスイッチ入れると、トラックに仕込まれた沢山の装飾電球がチカチカ点灯する、それは綺麗なプラモデルでした。…当時LEDなんて無かった時代、あれはムギ球で光らせてたのかな?今となっては謎です。 さてトラック野郎。土曜の昼とかに流れてた気がしますが、子供の頃は観せてもらえませんでした。だってエロいシーンがあるんだもん。ヤクザ映画の人が主役だし、想像では、ヤクザがデコトラ乗って殺し合いとかするんだろう…と思っていました。実際観ると人情ものでした。当時は東映の看板作品として、松竹の寅さんと『トラトラ対決』なんてしてたんですね。 人情ものではありますが、まぁムチャクチャです。スピード違反に過積載。仕事終わりはソープでくつろぐ。ソープ嬢へのお土産は盗んだスイカ。'75年8月と言えば松竹のトラは『メロン騒動』の回。奇遇ですね。食堂では殴り合いの大喧嘩。この食堂が『くるまや』。当時はまだ『とらや』だけど、これまた奇遇ですね。やもめのジョナサンは家に帰ると子だくさん。更にもう一人産まれて、身寄りのない子も養子にしちゃおうなんて、ホントムチャクチャです。でもこのムチャクチャ加減が、当時の日本のパワーを感じさせます。後先考えないエネルギッシュさ。若者が老後のためにコツコツ積立NISAなんかしてる今と大違い。 汚い便所からマドンナが出てきてキラキラ星が輝くなんて、ベタだけど笑っちゃいます。桃次郎の付け焼き刃な紳士的な振る舞いも微笑ましいです。何よりオッサン二人が褌一丁でキャッキャ・ウフフと戯れる姿が可愛くて。桃もジョナサンも、トラック降りて、履き物をバンザイして掲げてから放り投げるのがシンクロしてて、また可愛いのさ。 惚れた女のために、愛車をボロボロの泥だらけにして送り届ける姿は、ちょっとホロリと来ます。1作品に色々詰め込み過ぎな気もしますが、面白かったなぁ、続きも観てみたいなぁ。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2024-11-09 11:07:30) |
11. さすらいのカウボーイ
《ネタバレ》 “The Hired Hand”『使用人』…いや解るよ?解るけど、それタイトルにする? 太陽光を受けてキラキラした水面と、水浴びしたり釣りしたり、遊んでるわけじゃないんだろうけど、少なくともきちんと定職についてない3人組。そこに流れるヒッピー・ムーブメントを感じさせる気怠い音楽。 普通にイメージする西部劇とは何か違う。初っ端、溺死した少女が川を流れてくるのなんて、この映画のその後の、どこに繋がるんだろう??? 「3人で西海岸行こうぜ!」「カリフォルニアだぁ!ハッハッハ!」「…やだ」「…え?」「お家帰る」「えっ!?」7年も放浪して、時間の無駄だったと思い立って、今さらながら捨ててきた女房のもとに帰るハリー。それに付き合うアーチ、彼とはもう女房より長い付き合い。 夫は死んだものとされている女房ハンナの家で『使用人』として働く2人。「ハンナは『使用人』とも寝るんだぜ?良かったな!ハハハ!」街で誹謗中傷を聞き激怒する2人。ピュアな男たちと現実的な女。あの当時の女だって、いくら西部開拓時代とはいえ、一方的に出て行った夫をいつまでも待っているほど優しい世界じゃない。 「俺やっぱ海見てくるわ」アーチが選んだ男のロマン。「彼を助けたら戻ります」「最初から計画してたんだろ?あんた絶対戻らないわ」ハンナはハリーが心の奥底で、アーチを追い駆けたい気持ちを察していたんだろうな。 最後、アーチの腕の中で、ハリーはやっと、追い求めていた自由を手に入れる…そういう解釈でいいのかな? 男2人の友情。その2人の終着点の違い。オートバイでフロリダを目指したイージーライダーと、馬でカリフォルニアを目指した本作って、敢えて対になるように創ったのかも。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2024-10-22 23:09:27) |
12. 少林寺木人拳
《ネタバレ》 “Shaolin Wooden Men(少林木人巷)”『少林の木製人間(少林・木人の路)』。中国に(嵩山)少林寺がありますが、そこ発祥の拳法は少林拳。少林寺拳法は日本で創られた武術です。子供の頃は一緒だと思ってました。 ジャッキーのカンフー映画ブームの中で、拳精と並んで異彩を放つ本作。鎖に手足を繋がれた木人の存在がシュールでファンタスティックでした。本作が日本で最初に公開されたジャッキー主演映画だそうで、テレビで流れた回数は少なかったと思うんですが、無感情で怖可愛い木人と、勢いある日本版の主題歌のインパクトが強く、“ジャッキーを語る際に欠かせない名作”ポジションだったと思います。 久々の鑑賞。童顔一重のジャッキーが初期作品なのを感じさせます。功夫の源流とされる少林寺が舞台だけに、五獣拳、蛇拳、酔拳と、多彩な拳法の達人が出てきて賑やかです。オープニングの五獣拳の組手、真っ暗な舞台にロウソクと文字だけと、そんなにお金掛かってないのに良い雰囲気が出てます。当時のカメラとフィルムが成せる技ですね。続いて、ウルトラマンの切り絵オープニングを連想させるような、木人のシルエット…あぁ、可愛い。小刻みにプルプルしてる。真ん丸なお手々のアップ(右手?)に続き、おんなじカタチの逆の手のアップ(左手かなぁ?)、あぁ愛おしい。 そんな木人の可愛らしさから、ジャッキーらしいコミカルな映画だったと思っていたんですが、龍拳並みに真面目な復讐劇でした。少林寺で厳しい特訓をして、尼さんから善の拳を、罪人ファユーから邪の拳を学ぶ。相乗効果で強くなってる反面、急所攻撃に躊躇するなど師によって違う教えに葛藤が出てしまうのも面白い。更に管長から無敵の拳を学ぶという、少年ジャンプ黄金パターンですね。少林寺の癒しキャラ、酔拳の師匠からもちょっぴり学んでますが、真面目な復讐劇にコミカルな酔拳は合わないとの判断でしょうかね? 洞窟に幽閉されてるファユー。両腕が下ろせない位置で鎖に繋がれるという、かなり酷い扱いを受けていますが、饅頭を食べるときとか修行で竹を動かすときとか、けっこう自由に腕を動かしています。どういうカラクリか伸縮自在の鎖なんですね。このネビュラチェーンみたいな謎技術は、きっと木人を動かす鎖と同じ技術が使われてるんでしょう。恐るべし少林寺の鎖技術。まさにミラクル。ユーガッザ ミラクル。奇跡を起こーせー 今その腕ーでー♪ [地上波(吹替)] 6点(2024-10-13 10:13:39) |
13. ナバロンの嵐
《ネタバレ》 “Force 10 From Navarone”『ナバロンから第10部隊へ』…とかかなぁ?バーンズビー中佐率いる特殊部隊『フォース10』は、橋を爆破する任務を任されていて、そこにマロリーとミラーのナバロン島メンバーが、旧知のスパイ・ニコライ暗殺任務で、ユーゴスラビアに同行する…と。 今回ナバロン島全く関係ないです。マロリー版ジャック・ライアンシリーズみたいな感じだけど、シリーズ・タイトルにずっと『レッドオクトーバー』を付けてるような感じですかね。そもそもニコライなんて居たっけ?『~要塞』の、アンナの上官?キャストも全とっかえで混乱しますが、映画自体が前作から17年経ってて、ビデオもない時代だし、当時の人は多分誰も気にしないでしょう。 オープニングで前作の要塞爆破シーンが入ってます。巨砲が海に落ちるシーンは新カットかな? 多分ですね、この映画が、私が最後まで観た、一番最初の洋画だったと記憶しています。当時8歳で、ゴールデン洋画劇場で放送されてて('82年4月だって)、普段だと寝かされる時間でしたが、最後まで黙認してくれてました。たぶん父がこの映画を観たかったんでしょうね。 怖がりな子どもで、撃たれた血とかは大丈夫でしたが、パルチザンのマスクの二人が怖くてねー。もしマスクを取る場面なんてあったら、そこでリタイアしてたかもしれません。この火傷の跡のある、無しは、要塞のアンナの背中のオマージュですね。 ドイツ軍がモロに戦隊モノとかの悪の組織な印象で、ワイヤーカッターで首斬られるのとかも、アレは悪い奴らだからって平気でしたね。8歳児強し。 ディア・ハンターと同じ'78年の戦争映画にしては、戦場描写がのんびりしているように思います。まるで'60年代の戦争映画な印象。当時はリアル志向とかニューシネマとか、観終わってズシンと来る映画が多かったからか、きっと制作陣も意図的に“戦争を舞台とした古き良き明るい冒険活劇”にしたんでしょう。 ストーリーは全然覚えてませんでしたが、フォース10がバタバタやられて、最後バーンズビーだけになってしまうのも思いきった決断。きっと特殊部隊の映画ではなく冒険映画なんだって、バランスを取るための措置でしょう。白人だらけのユーゴでの潜入任務なのに偶然にも黒人ウィーバーが入るのも、ハラハラ要素として面白いです。マリッツァやレスコバー、マスクの2人も、映画の意外要素として掻き回してくれました。 ダム爆破から崩壊までの間と、脱出を諦めたマロリーとバーンズビーが、やっぱり駆け出すところとか、成功したあと、絶望的な孤立無援状態でも、明るく前向きに脱出について話し合ってる終わり方とか、とても心地よいです。映画観終わって「あぁ面白かった!」って思える終わり方って、やっぱ良いですね。 [地上波(吹替)] 7点(2024-10-05 16:41:22) |
14. 狼よさらば
《ネタバレ》 “Death Wish”『死を望む』≒死ねや。テレビ放映されたロサンゼルス→スーパーマグナムを観てから、シリーズものだと知り、本作を借りて観たと記憶しています。街の処刑人として、どんどん過激になっていくポール・カージーでしたが、一番最初はこんなにも大人しい、いわゆる普通の人のリアルなドラマだったことに驚きました。単独作品として秀逸です。 最初の武器は靴下に詰めた硬貨。実行する前に手が震え、撃退に成功したけど走って逃げ帰って、震える手でブランデーを飲み、成功を喜ぶように靴下を振り回して、硬貨をばら撒いてしまう。初めて銃を撃ったときも、家の電気も付けず、後悔の言葉をつぶやき、トイレに嘔吐する。この感情の波の極端さが現実っぽく“自分がポール・カージーの立場だったら”って“if”を体感させてくれます。 追う側のオチョア刑事も印象深く、パワハラチックな部下の使い方と、細かくも抜け目ない、真綿で首を絞めるように執拗な捜査で、じわじわとカージーが追い詰められるのが見て取れてスリル満点です。 オチョアがずっと鼻炎に悩まされてるのが『この設定…いる?』と思える反面、オチョアという人物が、とてもリアルに思えました。 家族の仇に出会えないのもまたリアルに思えます。カージーがこれだけ活躍しても、ニューヨークでは家族の仇に偶然にも出会えないくらい、犯罪者が多いって表現でもあるでしょう。ですが何よりカージーは直接的な復讐を目的としていません。彼自身が犯人を目撃していないのと、あんなになってしまった娘に犯人像を聞くわけにも行かない。そもそも“直接犯人を殺して、めでたしめでたし”って類の物語ではありません。 警察に正体がバレたカージー。最後のギャングに銃を構えさせようとするところは、ここを死に場所としたかったのかな。 到着したばかりのシカゴの駅で、さっそくゴロツキ共を目撃した時のカージーが、指で銃を構えるところ、めちゃくちゃカッコイイですよね。 このシーン、私には『この街にもぶっ殺していいクズが居たわ』って喜びに、目がキラキラしてるように観えました。 実はカージー自身が、ゴロツキを殺したい快楽殺人者として、もう精神が崩壊していたんじゃないでしょうかね? [ビデオ(字幕)] 8点(2024-10-02 09:06:41) |
15. フレンチ・コネクション2
《ネタバレ》 “French Connection II”…ですってよ。 同僚への誤射、大物の取り逃がしと、前作はモヤモヤするカタチで終わりました。でも私は、敢えてあの終わり方をしたところに、あの作品のリアリティを感じていました。あのモヤモヤ事件の続きです。シャルニエを追ってマルセイユまで飛ぶポパイ…って、あの前作の硬派なリアリティ路線を考えると、随分と映画チックなシナリオですね。 捜査に参加させてもらえず、良かれと思ったスタンドプレイは裏目に出てしまい、酒のんでブラブラするしかないポパイ。映画の大部分を占める拉致監禁からの麻薬漬けの拷問。開放されてからの薬物を抜く孤独な戦い。あんな屈強なポパイでも泣き言を言うところに、薬物の怖さがしっかり出ていました。う~ん…私アレルギー持ちなんですが、花粉症で目が痒いのに目薬打たせてくれない、そんな苦しみでしょうかね?そんなモンじゃない?まぁ、想像を絶する苦しみでしょうね。 前作はゴミゴミした街と走り回る刑事でしたが、ここまでポパイ個人にクローズアップした映画になってしまって、ホントガラッと雰囲気が変わってます。 最後はポパイ、やりたい放題の大暴れ。ガソリン撒くわ、銃を撃つわで、マフィア共に10倍返しです。スパッと終わってスカッとします。前作がスカッとしなくてモヤモヤした終わり方だから、こんな続編が創られたのかなぁ?なんて思ってしまいます。 この続編の必要性はイマイチわかりませんが、最後勝たないと終われない、そんな、負けず嫌いとかの力が働いたんでしょうかね?初めてロッキー2を観たときもそんな感じしたんだよな、たしか。 [地上波(吹替)] 5点(2024-09-22 23:16:52) |
16. スネーキーモンキー/蛇拳
《ネタバレ》 “Snake in the Eagle's Shadow”『鷲の影の中の蛇』。鷹爪派に抹殺されかけている蛇形派を意味しているんでしょう。ガンフーが猫爪を取り入れた蛇拳の事を見て、猫爪は無いだろうと、師匠が名付けた拳法が““蛇形刀手”。 '80年代前半、テレビで大量に放送されたジャッキーのカンフー映画。その中でもハイクオリティ作品(想像です)に付けられたモンキー・シリーズの、一角を占める本作。期待を裏切らない面白さでしたねぇ。歴史的には、コメディ要素を取り入れたジャッキーチェンのカンフー映画ヒット作第一弾。ここからジャッキー映画の歴史が始まったと言っても過言ではないですね。 ジャッキー映画ではおなじみの顔も勢揃い。師匠のお爺さんにディーン・セキ、強敵・音尾琢真にデブの弟子…オマケにカンフーハッスルの仕立て屋さんまで登場。彼らがワイワイ動いてるのを観てるだけで楽しい。 蛇拳は蛇を真似た動きが特徴的で、酔拳と同じくらい“習いたい拳法”ですね。おなじみの修行も特徴的で、線香立てて指で腕立て伏せは、観ててこっちの指先が痛くなる。竹の先に置いた卵を、蛇の口でくわえる動作が美しくカッコイイ。オマケに蟷螂拳の達人も登場(螳螂拳使いはジャッキー映画では唯一無二かも?)するし、もう大満足のカンフー映画です。 大ヒット作の酔拳以降、拳法+コミカルさがマシ・マシになったことを考えると、形が綺麗で特徴的なこの蛇拳は、拳法部分の正統派っぽさもあって、観る価値が高いと思います。…もっとも、猫形蛇拳というミックス拳法になってしまうけど。 敵の鷹爪派が4人(音尾、色白、神父、謎の男)も出てきて、後半20分で一気に倒していくのも勢いがあって好き。気がつけばジャッキーの歯が無くなってるのも、迫力があっていいですね。…あ、歌がないこの映画! [地上波(邦画)] 7点(2024-09-15 00:07:31) |
17. いちご白書
《ネタバレ》 “The Strawberry Statement”『いちごに関する声明』当時の学長が学生の主張を揶揄した発言がモト。白書“white paper”は政府発行の報告書なので意訳。 サイモンとは無関係なところで、学生の起こした抗議運動。単なる好奇心から学生運動に参加していく過程が丁寧に描かれていてとても興味深い。 心のどっかにあった漠然とした不満を、言葉にして行動に移す。それを似たような不満を持った同士で集まって、大きな声にしたら、あんな学生運動になるんだなぁ。自分の主張を認めてくれる同士で、お互い認めあって、異性と抱き合って寝泊まりしてたら、そりゃ、楽しいよなぁ、まだ子供だしぃ。なんて、この映画を通して学生運動の原動力(異性)を観たような気がします。サイモンは運動よりもリンダに惹かれていましたね。リンダへの気持ちを運動にぶつけたんでしょう。 話は脱線しますが、このリンダの服装や雰囲気が、Zガンダムのファを連想させました。デモとか反政府とか、今思うと、あの作品ってどことなく学生運動の雰囲気がありましたね。 日本でも、私よりひと回り以上上の世代が熱心に取り組んでいた学生運動。たぶん私の世代にはこんな集団のエネルギーなんて無くなってたんでしょうね。集団ではなく個の時代になっていったんだと思います。学生が団結力を失った代わりに、'80年代以降、二本の場合は集団のエネルギーはカルト宗教なんかに移行したように思えます。いまはどうなんでしょうね? サイモンの運動なんてお構いなしに、8mmを壊す黒人ギャングが印象的です。誰のための、なんのための運動だったんだろう?って。それでも運動は止まりません。機動隊の突入。最後にサイモンを突き動かしたのも、リンダ個人への思いだったんでしょうね。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2024-09-14 22:33:18) |
18. フレンチ・コネクション
《ネタバレ》 “The French Connection”フランスを経由してニューヨークに入る、麻薬の密輸組織・密輸ルートの名称。 中学生の頃、深夜枠で放送された本作を観て、映像から感じ取れるリアリティにとても痺れました。当時('90年前後)のハリウッドの刑事ものは、銃撃戦やカーチェイスのアクションがド派手で、ちょっとコミカルで、主人公が魅力的なヒーローでした。 一方、この20年も前の刑事ドラマに描かれていたのは、地味な張り込み、地味な捜査の積み重ね。倫理的に賛同できない捜査方法。追跡ためには暴力も厭わない主人公に、妙にリアリティを感じてしまったのですね。西部警察のハリウッド版のような派手派手な映画に食傷気味だった時代、特捜最前線のような、密着ドキュメントのような大人の刑事ドラマに、とても魅力を感じました。 久しぶりに鑑賞して、ドラマ以上に目を見張ったのが、当時のニューヨークの生々しい街並みです。映画の世界に入り込むのではなく、'71年のNYを旅行している映像を観ている気分が味わえます。 旅行と言っても、目的の有名観光地じゃなく、ましてディナーとかショッピングとか思い出深い体験なんかじゃなく、例えば薄曇りの早朝の路地で、観光バスを待っている時間。楽しい旅行の最中の何もしてない隙間時間のような、そんな記憶からは抜け落ちるけど、確かに体験した時間。そんな旅行を観ている気分。…なんて伝わるかなぁ?フリードキン監督のドキュメンタリー風の画作りから、そう感じるのかも知れませんね。 どうでもいい話。私がここでレビューを書き始めて、初めて筆が進まなくなったのが本作です。過去に一度観たものも、レビュー用に再鑑賞して書いてるんですが、本作は3年前に鑑賞。でも何もアタマに浮かばず、結局その時はレビューが書けなかったんですね。 今回再鑑賞して(内容はともかく)何とかリベンジできました。ちなみにもう一本、クリムゾン・タイドもレビューが書けなかった(リベンジ済み)ので、私はジーン・ハックマンと相性悪いんじゃないか?と悩んだこともありましたとさ。 [地上波(吹替)] 7点(2024-09-02 16:47:11) |
19. マッドマックス
《ネタバレ》 “Mad Max”『狂ったマックス』になるのかな。マックスは人名ですが、文字面から受ける印象は『最高潮の怒り』でしょうか? この映画は衝撃でした。今より少し先の未来。治安は悪化の一途を辿り、法に縛られる警察の対応は常に後手に回る。 当時のオーストラリアでは暴走族が社会問題になっていて、同様に日本でも校内暴力など、若者による暴力行為が問題化してきた時代でした。そのため、こんな近未来も可能性として存在するんだろうな…と素直に思えました。 マッドマックスは止まらない暴力に対し、より強力な暴力で抑え込むという、一つの答えを示していたんでしょうね。黄色いパトカーも【INTERCEPTOR=迎撃】に【PURSUIT=追撃】と、物騒な役割分担がされていました。 '70年代の海外の暴走族イメージと言うと、ピカピカのハーレーに乗った髭面ロン毛、サングラスにノーヘルといった、イージー・ライダーのスタイルが思い浮かびます。彼らに直接的な暴力イメージはなく『俺を見てくれ』と言わんばかりの美しさも感じますが、本作の暴走族は、薄汚れたカワサキに乗ってて、ヘルメットの中に血走った目。革ジャンはホコリまみれ。ナイトライダーの死体を受け取りに来た際の、理不尽で一方的な暴力が、交渉の余地を感じさせません。このあと逃げ出したカップルが襲われますが、マックスたちに発見されたときは、男性もズボンを脱がされ、お尻に血が…関わりたくない野犬集団の怖さを感じさせます。 野犬の狂気を見せ付けたのが、冒頭のナイトライダー。薬物の影響か、ず~~っと叫んでます。『スーサイド(自殺)・マシーン』はBスプリングスティーンの“明日なき暴走”の歌詞にも出てきますね。 「アイアム・ロッカー!アイアム・ローラー!アイアム・アウト・オブ・コントローラー!アイアム・ナイトライダー・ベイビー!!」きちんと韻を踏んでてカッコイイです。そんなキレッキレのナイトライダーが、マックスとたった1回交差しただけで、自信を喪失して泣き出します。薬の効果が切れたのか、内なる狂気が一気に冷めて、ちっぽけな人間に戻った瞬間です。この落差こそが、狂気を抑え込む狂気の演出として際立ってます。 友人と家族を失ったマックスは、法を捨ててトーカッター達を追い回し、無慈悲に殺して回ります。暴走族を殺す行為に、何の感情も、カタルシスも、達成感もありません。ただブッ殺すだけです。 でもジョニーだけは違いました。ババも言ってましたが「奴はナイトライダーとは違う」と。ラリったジョニーはトーカッターの台詞「夜空を見上げるたびに…」を叫びますが、ちゃんと覚えてるのは「ナーイトライダー!!」だけ。ジョニーはファッションとしてトーカッター達に憧れるだけの弱い若者です。 マックスはそんなジョニーを野犬の一匹として無慈悲に殺すのではなく、人間として助かる選択肢を残します。でもそれは、とても選べない選択肢でした。暴走族に身を落とすという選択は、もう人間として後戻りができない選択なんだと。 全てを失ったマックスからの、暴走族に憧れる現代の若者へのメッセージ。2以降のバイオレンス作品とは違う、至高の一作です。 [地上波(吹替)] 9点(2024-07-07 15:12:06)(良:1票) |
20. ゲッタウェイ(1972)
《ネタバレ》 “The Getaway”『逃走』。高校の頃でしょうか?テレビでスティーブ・マックイーンのアクション映画が立て続けに放送されました。'80年代のアクション俳優に比べ、ジョークを言うでもない寡黙なマックイーンは、これはこれで男臭くてカッコいい俳優でしたね。 そして本作のドクは銀行強盗犯と来たから、刑事モノに見慣れた目には、ちょっと異色のアクション映画でした。 この歳になって観ると、アクションシーンより、ドクとキャロルの絡みの方に注目してしまいます。今回の計画の際、ベイノンと関係を持っていたことを知ったドクの怒り様。運転が乱暴になって、怒りのビンタ。そりゃ気持ちはわかるけど、自分でベイノンの所に行かせたのに。キャロルもドクの為を思い、割り切った作戦として関係を持ったのに、やりきれない気持ちを抱えて、ウジウジしてるドクに、子供っぽさというか、男の幼稚さを感じました。 ショットガンで警官を撃退した後、キャロルがバックで急発進してドクをビックリさせるのも、キャロルの面白くなさ(ドクの自分勝手さに怒ってる感)が滲み出ているようで、良いシーンでした。 幼稚さと言えばルディもです。クリントン夫婦を人質にやりたい邦題。車中のスペアリブの投げ合いなんて、自分から始めたのに気に入らないと怒鳴り出す。ガキ大将の典型です。フランと寝るときもわざと夫のハロルドに見せつけるのも、子供じみた性格の悪さを感じます。 フランはよく解りません。自分たちが殺されないようにルディに合わせてたんでしょうけど、どこかからストックホルム症候群になってしまったんでしょうか?最初はきっと、ルディから無事に(ハロルドと猫とともに)逃げるチャンスを伺っていたんだと思います。 そのハロルドも抵抗することもなく、フランに怒りをぶつけるでもなく、アッサリ自殺を選んでしまうのは、今の状況もこれからの人生も、もう耐えられなかったんでしょうね。苛められっ子の末路のようで悲しい。 当時はアメリカン・ニューシネマ真っ盛りの時代。更に逃避行と言うと悲しい結末が定番ですが、清々しい結末。アンチ・ヒーローながら、ハッピーエンドという組み合わせが却ってよかったです。 [地上波(吹替)] 6点(2024-03-17 23:50:26) |