1. ロッキー5/最後のドラマ
《ネタバレ》 頂点を極めたアクションスター・スタローンが、ライバルのシュワルツェネッガー人気にどんどん後れを取っていき、一番迷走していた時の作品です。マンネリ、不人気、低迷…何を撮ってもダメな時期に、恐らく起死回生の意味で、自身をスターダムに押し上げた『ロッキー』の続編を投じてきました。 自身が活躍するスーパーヒーロー路線は頭打ちなので、原点回帰を図るヒューマンドラマ路線にしました。監督もアビルドセンを起用し、年齢から、自身が戦うのではなく、トレーナーとして若手を育てるドラマに方向転換してきました。 あの時期にこの映画を、ロッキーⅣの続編を、スタローンの新作を、誰が観たいと思ったんでしょうか? ロッキー・シリーズと言えば、掴んだものを失って、また這い上がってくるのがパターンです。掴んだ大金、父親代わりのミッキー、ライバルにして親友のアポロ。そして今度は…。財産という意味ではⅡと被りますが、Ⅴでロッキーが失ったのは“アメリカンドリーム”でした。 ロッキー=アメリカンドリームと言っても過言ではない存在なのに、ロッキーこそみんなが憧れる成功者のモデルなのに、あんな一瞬で、あんなアッサリと掴んだ成功の全てを失ってしまったことに、このシリーズ全体さえ、虚しさに近いものを感じてしまいました。ロッキーが這い上がるための障害と言えば聞こえは良いけど、今回の破産は、映画の制作側の御都合主義にしか思えません。またペットショップで働きだすエイドリアンなんて、もうコントです。こんなロッキーの最後を、誰が観たいと思ったんでしょうか? ロッキー達は昔の安アパートに住み、ミッキーの残したジムで、才能ある若者トミーを育てます。だけどどうにも彼に魅力を感じません。スパーリングでガンガン行くファイトスタイルも、デュークに丸め込まれてロッキーを捨てるのも、マスコミに認められないからってロッキーに対決を求めるのも、トミーのやってる事の全部が嫌いです。生まれた環境の悪さがチラッと出てきましたが、それ以上の掘り下げが無く、彼に魅力を感じる要素がゼロでした。 そして、着々と勝利を重ねて、遂にケインに勝ってチャンピオンになったトミー。彼を全否定するマスコミは、ある意味私たちの留飲を下げてはくれますが、一方でトミーの掴んだアメリカンドリームを批判しています。ロッキーで言えば、Ⅲでミッキーが仕組んだ好カードで連戦連勝し、強敵クラバーにも勝った状態が、今のトミーです。それを認めないマスコミって、何なんでしょうかね?こんなアメリカンドリームの終焉なんて、誰が観たいんでしょうね? 最後は八つ当たりで喰って掛かるトミーと、ポーリーを殴られて怒ったロッキーのストリートファイトです。殴る、蹴る(!?)、投げ飛ばす(!!)。ボクサー同士の戦いとは思えません。死闘の末トミーを倒すロッキー…。…だから何だってんだ!? ここが映画の中盤で、またトミーと組んで頂点を目指すとかなら良いさ。でもジュニアとの信頼を取り戻しておしまい。って、そもそもトミーが居なきゃ、ロッキーが変にトミーに肩入れしてなきゃ、もともと家族仲は悪くなかったじゃない。この場に及んでトミーに勝ったからって、どうだってんだ?? この後もスタローンは、スター街道を転げ落ちていきます。虎の子の『ロッキー』をこんな作品にしてしまい、どんどん迷走していきます。こんなスタローン、いったい誰が観たかったんでしょう? [ビデオ(字幕)] 3点(2025-02-04 22:48:07)《新規》 |
2. 恋人までの距離(ディスタンス)
《ネタバレ》 “Before Sunrise”『日の出まえ』。初対面の男女が、ウィーンの街並みを背景に、一晩中歩いて話して恋をする。ってだけの映画です。事件も起きず、トラブルも起きず、大喧嘩もせず、見逃せないラストのオチもない。そんな映画、何が面白いねん?って思ってしまいますが、このシンプルな映画に、どういう訳か引き込まれました。 この構成って、もしかしたら、『孤独のグルメ』に近い感覚かもしれません。腹が減った男が、飯屋を探して、黙々と飯を食う。ってだけのドラマですね。事件も起きず、トラb…~~~~そんなドラマ、何が面白いねん?って、思っt…~~~どういう訳か引き込まれるんですよねぇ~。 『鉄道の中でジェシーが、意気投合したセリーヌをウィーンの街に連れ出すことに成功しました。』で、この映画の説明は6割がた終了です。あとは、結末と、そこに至る過程くらい? この映画の大部分って、孤独のグルメで言うと、美味しそうな料理を見て『この料理、先日食べたわ、そうそう、この部分が美味しいんだよね』なんて、自分の記憶の中の類似した料理を回想するか、『こういう料理もあるのか、頼んだこと無いけど美味しそう、今度食べよう』って、後学のための参考にするって楽しみ方があると思います。 孤独のグルメの、男が黙々とご飯を食べる映像は、きっと、あまり外食をしない、出された料理を楽しまない人には、恐らくあんまり興味が湧かないジャンルにも思えます。 ご飯はそうでも、恋愛はどうでしょう?きっと多くの人が、異性と思いもよらず会話が弾んで、時間を忘れて話し込んで、相手の事をもっと知りたい、この人に私の事をもっと知ってほしいって、そんな気持ちになった事ってあると思います。 ウィーンの美しい街並みすら背景(モブ)にしてしまうほど。奇妙な占い師や路上詩人を二人を輝かせるイベントにしてしまうほど。飽くこと無き探求心が湧いてきて、あっという間に過ぎていく二人の時間。『そういえば、私も(俺も)、そんな気持ちになったこと、あったなぁ~』なんて思えた人は、きっとジェシーとセリーヌのように、幸せな時間を過ごした事がある人なんでしょう。この映画は、自分の過去のワクワクした気持ちを、ぼんやりと思い出させてくれる映画に思えました。 [DVD(字幕)] 8点(2025-01-21 22:37:49) |
3. リトル・プリンセス
《ネタバレ》 “A Little Princess”『貴族の幼い女性』って意味あいの児童文学を、当時のセンスある翻訳家が、解りやすく魅力的な言葉を創って名付けたタイトルが『小公女』。 当時『小公女セーラ』のアニメを、家族揃って毎週観てました。思えばそんな、両親もみんなで観たアニメは、この作品だけかもしれません。暗く悲しいオープニング『花のささやき』。重たい空気と、ささやかな幸せと、終わりのない絶望感。セーラと共にミンチン先生の飼い猫・シーザーが、いつ学園を追い出されるかとヒヤヒヤして観ていました。 以前、他作品のレビューで『創作の“主人公を不幸なシチュエーションに遭わせる感動作”が苦手』って書きましたが、こういう、逆境を跳ね返す作品は大丈夫みたいです。 そんなワケで、思い入れがあるだけに厳しめな評価になりそうですが、これがまた、児童向け映画として良く出来ていました。 うろ覚えですが、アニメとの設定の違いを考えると、セーラはアニメ版より気が強く、言われたら言い返す性格です。ミンチン先生との口論や、ラビニアに魔術を掛けるのを、アニメのセーラがやっているのを想像すると、ちょっと微笑ましいです。ミンチン先生、アメリア先生、ラビニアとロッティが、アニメのイメージのまんまで嬉しかったです。ベッキーが黒人になってるのは、まだポリコレとか言われる以前の映画で、人種の変更はどんな意図があったんでしょうかね?原作でもベッキーは田舎出身の白人のようです。アーメンガードは一目で解りましたが、イメージよりポッチャリでメガネっ子でした。シーザーはさすがにアニメオリジナルか。 舞台をイギリスからアメリカにしたため、ベッキーの人種変更とか、インパクトの大きかった衛兵がセーラを手助けするエピソードが割愛されていました。(※アニメオリジナルだったりして) 「女の子はみんなお姫様」良い言葉です。この言葉に生徒たちだけでなく、ベッキーやアメリア先生(!)までが救われていく展開は、胸がスカッとします。 『お姫様と普通の女の子の違いって、何なの?』とか、『どうしてお姫様だと幸せなの?』とか、現代風に屁理屈こねるのでなく、子供でも『幸せな女の子=お姫様』って解釈できる解りやすさが、夢があって素敵です。 “ I am a princess. All girls are.”宇宙飛行士やアイドル歌手になる夢よりも、そこに至る過程の難しさやドロドロした政治的な内情に目が行ってしまう今の世の中で、このシンプルな事実はとっても大切だと思います。 エンディングに向かっての奇跡とピンチ、スリル。そしてアニメ版以上の急展開。とっても上手くまとまっています。アニメ版が好きだった人は、ミンチン先生、アメリア先生、ラビニアの最後に注目ですが、それぞれ、良いですねぇ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2025-01-19 13:15:17) |
4. ファーゴ
《ネタバレ》 “Fargo”ノースダコタ州の都市名。でも映画の舞台のほとんどはミネソタ州…え? そしてず~~っと実話ベースだと思っていたけど、フィクション…えぇ?? 最初観たとき、とても生々しい映画に思えました。というのも、出てくる俳優さんがみんなリアルなんです。マクドーマンド、ブシェーミ、ストーメア、メイシー。皆さん素直に美男美女とは言えない俳優さんで、名バイプレイヤーとしてはインパクトは大きいけど、主演俳優としては、ときめかないというか…報道番組でインタビューを受ける、その辺の人のような、そんなどこでも居そうなアメリカ人。って感じが出てます。 殺人のシーンも痛々しくてリアルですね。保安官を殺した後のカーチェイス→スリップ事故→射殺の流れは、逃げる立場での絶望を感じました。でも、フィクションだったなんて今回の再視聴まで知らなかったわ。『ブラックコメディ』に分類されてるのが変だなぁって思っていたけど、そうか、フィクションだったからか。 登場人物がみんな「ヤー?ヤー!」って言ってるの。ミネソタなまり表現らしけど、当時はリアルだなーって観ていました。でも北海道の映画で登場人物みんなが「なまら~だべ?」とかって言ってる感じかもしれない。「実際そんなにヤーヤー言わないから。」ってツッコミながら観るのが正しいのかもしれない。 それでも私には、この映画をコメディとして観る観点は備わってない気がする。次回は“コレはコメディなんだ!”って念を押しながら観るとしよう。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2025-01-18 23:27:20) |
5. ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 死霊創世紀
《ネタバレ》 '68年のオリジナルと同じタイトルです。ジョニーの車が'60年代からある縦目のベンツなので、時代設定も当時のままかと思っていました。家もガソリンスタンドも、モノクロのテレビなんかもきっと当時モノなので、恐らく視聴者に『当時の作品をまんまリメイクしたんだな』ってミスリードとして、敢えて’60年代風に、始まってます。 オリジナル以上に感心した部分が、作品から滲み出る、死者を含む人間への敬意と思いやりです。事件は突然起きるので、世の中がどうなっているかまだ把握できてない主人公たち。動けないゾンビにとどめを刺す。リビングに転がる家主の遺体をカーペットでくるむ。ゾンビ映画を観慣れてると「ゾンビ=バンバン殺してOK」ってなりますが、現実に起こったらきっと、彼らのようにするでしょう。 オリジナルは主要メンバーが外部の人間ばかりでしたが、トムの叔父の家にしています。叔父の生前の写真を映したり、ベンが2階に上がるときトムにいとこの死体を見せないよう布をかけるなど、ゾンビと言えど殺しにくい事情を加味しているのは流石です。 オリジナルと本作の一番の違いは、時代に合わせた『強い女性』の登場でしょう。ジョニーに言われっぱなしの、母親の尻に敷かれっぱなしの、行き遅れの、お一人様女子なバーバラ。母が死んで、彼女は今後どう生きればいいか解らなくなっていたんでしょう。だから何度も母の墓にきて…恐らくあの伊達(!)メガネは、現実を直視したくない彼女と世間の防御壁のような存在だったんでしょう。 彼女の願いが叶ってか、世界はゾンビによって“リセット”されました。家族のしがらみ無くなった。守るものは身一つ。なんか私射撃上手い。よし!この世界なら私生きていける!!…なんかこう書くと、異世界転生もの走りにも思えますね。 最後の方で「私たちは彼らと一緒ね」って独り言のあと、ハンターたちに「楽しい?」と聞きます。コレどう考えても彼女自身がこの世界を楽しんでるんです。だってこの映画で“人間”を殺したのって、彼女だけなんですよ。 時代設定のミスリードの話をしましたが、終盤、ベンが地下に籠った時のラジオで、ようやく1989年8月23日と解ります。クラシカルなリメイクホラーと思わせつつ、公開当時の現代に繋げてますね。 警察やハンターが集まる安全地帯には、真面目に治安維持活動してる人たちと、ゾンビをいたぶって楽しんでる連中が混在してますが、コレゾンビに出てきたバイカー=暴走族たちです。 そして彼女が陣地で目覚めたとき、上空をヘリが飛んでますが、あれフライボーイのと同型のベル206なんです。スティーブン「ハリスバーグは半時間前に通過した、~もうすぐジョンズタウンだ」の、あの場所がこの場所だったんですね。※もちろん11年の開きがあるのでパラレルですが。 『ゾンビ』はフランが目覚めるシーンから始まりました。本作はバーバラが目覚めるシーンから『ゾンビ』の世界に繋がっていくんです。よく出来てますねぇ。トム・サビーニのゾンビ愛が詰まってます。 [ビデオ(字幕)] 8点(2024-12-30 13:40:19) |
6. 機動警察パトレイバー2 the Movie
《ネタバレ》 ロボットアニメなのにレイバーの活躍は僅かで、騒々しい特車二課第二小隊の面々を、前作以上に脇役にして、両隊長を事件の中心に置いてます。もともとがOVA版『二課の一番長い日』のリメイクともいえる作品です。そこから更に押井テイストが前面に出た本作。観はじめは「私たちが知るパトレイバーらしくない」…って感じもしましたが、観ているうちにグイグイ引き込まれてしまい、最後のレイバー戦すら不要だったんじゃないか?って思えるくらい、見応えのあるSFアニメでした。 この映画のハイライト、幻の空爆が凄いです。平和ボケと言われた当時の日本で、かつて無いヤバい事が起きてるのがビシビシ伝わってくる。追撃に上がったウィザード隊が撃墜された時の衝撃。映像はF-15の編隊が飛んで、管制室と交信しているだけ(!)なのに。無機質なデジタル映像と、淡々とした登場人物のセリフ。場面にマッチした川井慶次の音楽。それら素晴らしいマリアージュが、あの何とも言えない緊張感を産み出したんですね。 ここはビデオテープが擦り切れるくらい何度も観ました。今回初めてサウンドリニューアル版も聞きましたが、俗にいう“素人バージョン”の方が伝わり具合が上回っているように感じます。 ※最初リニューアル版で観ようとしましたが、オープニングに曲を被せたりと、ちょっと違和感を感じたので、結局オリジナルバージョンで通し観しました。 この場面で荒川が急に車を飛ばします。ここから物語の勢いが急加速するので、今まで考えたこと無かったけど、荒川はどこに向かったんでしょうかね?まさか、首都圏から逃げたとか?後藤と南雲はどこに連れて行かれて、そこで何を見たんでしょう??今になって謎が生まれました。 当時の状況を思い出すと、湾岸戦争を機に、自衛隊がついに海外派遣('91年~)を始めたばかりで、OPの“戦場で発砲できずに撃墜される自衛隊レイバー”に、妙な説得力、リアルな未来を感じました。そしてベイブリッジ爆破、たった一発のミサイルで崩れ去る安全神話と繋がるから、実被害ゼロの幻の空爆に緊張感があるんですね。野明が暮らす寮にアジア系(ブラジル系?)の外国人。同じ屋根の下に外国人って、当時はまだ珍しかったんですよね。そして日常世界に武装した自衛隊が居る違和感。映画の中の架空の物語ですが、数年後にこの映画のような緊張感を現実に味わいます。地下鉄サリン事件('95年)で表面化したオウム事件です。都市部での毒ガス散布の脅威、破壊活動防止法。毎日の報道特番を観ながら、悪い意味で時代がSF映画に追いついたような、不思議な怖さを感じましたね。 どういう訳か、作品全体から冷たい印象を受けますよね。冬が舞台なのと、パトレイバーらしいアツい登場人物の出番が抑えられてるから…というだけでなく、なるほど、登場人物同士が、意図的に目を合わせてないんですね。 並んで正面(同じ方向)を向いていたり、人物の横顔を見ていたり。実際には向き合っている場面でも、話し相手を反射するガラスに映したり、敢えて顔を見切れさせたり…押井さんの実験とも取れますが、徹底してます。そして最後、しのぶが柘植に手錠を掛けたあと、無言で見つめ合う二人を映します。それをヘリから見る後藤。どれだけ思っても、しのぶがあの表情を後藤に向けることはない。手袋越しとはいえ、指を絡め、少しの時間でも一緒に居るため手錠の片側を自分に嵌めるしのぶ。ある意味普段のパトレイバーらしい気持ちの行き違いが、押井さんの抑えた演出により、大人の恋愛の切なさを感じさせます。 [映画館(邦画)] 10点(2024-12-19 23:29:48)(良:1票) |
7. ブレイド(1998)
《ネタバレ》 “Blade”『刃』。日米問わず、吸血鬼と刃の相性って良いみたいです。先日ハイランダーを見ましたが、ロングコートに日本刀の正統進化型ヒーローがこのブレイドでしょうかね?アメコミ原作のヒーロー物のようですが、初登場は'73年と結構古いみたいです。 初めて観た時、このダークな世界観とスタイリッシュでスピーディーな展開に結構ハマりました。主人公が“吸血鬼に噛まれた妊婦から生まれた子供”というのも斬新だったし、吸血鬼の血が入っていながら太陽の下を歩ける『デイウォーカー』って名前もセンス良いです。 ブレイドのビルでの大ジャンプ。警官が連射するアサルトライフルがドアに開ける穴(細かいな)。迫りくる弾丸を避けるフロスト。多数の警備員(警官)が守るビルエントランスでの銃撃戦。何ともマトリックスと被るシーンが結構ありますが、本作の方が半年早く上映されています。一般人の知らない社会の裏側で、強力な組織が世界を支配しているのも、吸血鬼とコンピュータの違いはあるけど、よく似ています。偶然の一致なのか、部分的に参考にしたのか解りませんが、どちらもよく出来た作品だと思います。 マトリックス同様、この作品からも日本の漫画やアニメの影響を感じますが、マトリックスに比べ、相当ディープなところをリスペクトしている様に思えます。古文書の部屋でキュートな黒人少女が、正体を表し連続ハイキック…格闘ゲーム真っ盛りの時代、まさにギャップ萌えです。大阪出身のバンドBang Wa Cherryの歌う、その名もズバリ「chin chin」…t.A.T.u.が世間に認知される以前に、このアングラ丸出しでディープすぎる女子高生ファッション・バンドをチョイスするセンス。アジア系のオッサン(何故かみんなサングラス)が、じっとりとした目で彼女たちを見つめる画がシュールで素敵すぎます。 決めポーズが可愛いブレイドも、ガソリン撒きながらタバコ吸う相棒ウィスラーも、バンパイアにドSなお仕置きをするカレンも魅力的ですが、スティーブン・ドーフ演じるライバル・フロストが、現代の王子様みたいな甘いルックスで、また格好いいんだぁ。見た目で言えばブレイドよりフロストのほうがヒーロー顔だよね。クインの腕を斬る冗談が怖カッコイイのです。あぁ、もう少し活躍してほしかった。欲を言えば勝ってほしかった。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2024-12-06 22:58:55) |
8. PERFECT BLUE
『パーフェクト・ブルー 完全変態』という小説が原作(原案かも)で、タイトルの意味は良く解らないそう。 '90年代、羊たちの沈黙の大ヒット以降、サイコ・スリラーものがたくさん創られたけど、日本のアニメの代表作が本作かもしれません。 沙粧妙子みたいな劇中劇の効果もあって、アイドルへのストーカー犯罪として進行しますが、そのターゲット=ヒロインが、人気女優でもクラスの人気者でもなく、デパートの屋上イベントで歌ってる売出し中のアイドルグループの1人で、女優への方向転換期というのが、彼女の立場の不安定さを表しています。 当時はアイドル業界はモー娘。がデビューする辺り。インターネットが一般社会に普及していく拡大成長期。そしてジャパニメーションを世界中の映画関係者が観だした辺り…でしょうか。 ファンがあっけらかんと「未麻の部屋見てるよ~」というのにドキッとしました。あぁファンサイトの事か。と思ったらストーカーの本人なりきり日記風な内容にゾワッと…アイドルへの思いが独り歩きし、勝手な妄想と結びつく。それは未麻本人とは違う、ファンが勝手に作った未麻。現実の未麻が妄想の未麻と乖離したときに感じる不満と怒りが犯罪へと向かわせる。…って流れに思わせといて、女優を選んだ未麻自身の中にも、自分とは違う未麻が生まれ、どこまでが現実で、どこからが妄想か解らなくなってくる。でも現実世界はどんどん進んで、世間の思う未麻と、自分の思っていた未麻も乖離していく。怖い。最後は『うへぇ…』ってなりました。傘を持ってニコニコと追い掛ける妄想未麻と、鏡に映る必死に走る現実の犯人。あれは、誰視点の未麻だったんだろう? アイドルって、こんなにも気持ち悪いものに囲まれてるんですねぇ、怖いですねぇ。最後、未麻が立ち向かったからホッとしましたが、下手すると作品全体の気持ち悪さと不快感の方が、勝ってしまったかもしれません。 本作の素材としての魅力は感じますが、面白いかと言われると微妙です。そう思ったのは、私にアイドルオタクの資質がないからかもしれません。アイドルに対するストーカーやルミの気持ちが、私には自分ごとのように共感できなかったんでしょう。そういう人たちがいて、そういう気持ちが芽生えて、で、そんな事になってしまったって、うわべの部分しか理解できなかったんでしょうね。 [DVD(字幕)] 5点(2024-12-01 14:52:57) |
9. スピード(1994)
《ネタバレ》 “SPEED”素直に『速度』って意味でしょうかね。確かに、これほど上映時間の長さを感じさせない映画は他に無いかも。時速80kmの縛りが出てきますが、タイトル=作品の性質な、珍しいタイトルです。 映画は3部構成。エレベーター、バス、地下鉄。どれも密閉空間で、そこから“外に出る”事が統一ミッション。どれも、誰でも思いつきそうなシンプルさだけど、考える間もなく畳み掛けられるトラブルの数々が秀逸。そして作品の質に対し、実はあまりお金が掛かってないのも凄い。 自分もその場に参加しているような気分を味わえるジェットコースタームービー。優秀なSWAT隊員となってみんなを救う“ヒーロー”になるか。元気いっぱいの巻き込まれ型“ヒロイン”になるか。そしてもう一つ肝心な部分、一生に一度すら体験することもない大事件に、自分が巻き込まれ、ヒーロー・ヒロインに救われる、いわゆる“参加型モブキャラ”になれるのが、この映画のいちばん凄いところです。 思えばディズニーランドやUSJのアトラクションでも、ヒーローでなくモブとして参加するものって多いですよね。 映画が始まってすぐにエレベーター落下の恐怖を体験。そこで突然ハリーが「クイズだ。ガンマンが人質を盾にしている、どうする?」ってジャックに質問を投げかけますね。映画を観ている我々も自然と考えてしまうんです『自分だったらどうするだろう?』って。加えてジャックの解答の奇抜さに、一般人との違いを観せてくれます。さて、エレベーターのモブキャラたちは、ほぼ何も出来ずに助けられますが、ここまでが練習問題です。 さぁいよいよ本番のバスジャック。モブキャラとして、自分だったらどんな行動を取れるのか?ただ恐怖に怯える。銃を持ったやつを取り押さえる。自分だけ逃げようとする…。序盤のハリーのクイズが効いていて、ただ映画を観る(与えられる)だけでなく、自分も考えながら観るから、115分がアッという間に終わってしまうんですね。 このバスジャックでスカッとお腹いっぱい、参加したモブキャラとしては、抱き合うジャックとアニーに大満足ですよ。そこから地下鉄へ… いままでSWAT隊員として、みんなのために戦っていたジャックが、1人の男としてアニーのためだけに、悪党ペインと直接対決します。一本の映画としては、見事なパッケージングだと思いませんか?…でも、最後の地下鉄は蛇足とか言われてます。 最後の地下鉄だけ、モブキャラの参加する余地、考える必要性が与えられていません。この映画をヒーローとして観た人、ヒロインとして観た人より、圧倒的にモブキャラとして観た人が多かったから、最後の地下鉄の評価に影響したのかも? 私はもちろん、モブ中のモブです。 [ビデオ(字幕)] 9点(2024-12-01 12:02:34) |
10. GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
《ネタバレ》 “GHOST IN THE SHELL”=『攻殻機動隊』ではなかった筈です。『薬莢の中の魂』…みたいな意味かと。素子もバトーも体いじくって、戦闘サイボーグみたいになってるけど、その中にはいじることの出来ない人間のゴースト(自我?)がある。じゃあAI(人形使い)が自我を持ったら?…このアンドロイドともクローン人間とも違う、曖昧でリアルな未来感に、当時高校生だった私はとっても衝撃を受けました。 確かに、自分の体の一部が無くなっても、義手なり義足なりを使っても、私に変わりはない。時代が進み、“義体”なるものが出来たとして、最終的に脳さえあれば、それは私と言えるんだろうか?更に脳もいじるようになり、電脳化していったら、どこまでが私なんだろう?こんな世界観を考えるなんて、どんだけ凄い人なんだろう?この士郎正宗って人は。 日本のサイバーパンクSF漫画家として、私のSFヲタ心を満たしてくれたシロマサ。『プレデター』のカメレオンみたいな宇宙人の謎技術を、熱光学迷彩ってリアルで説得力のある未来技術に変えたシロマサ。過去の映像作品アップルシードもブラックマジックも面白かったけど、OVAじゃ一般の認知度は低かった。それらに比べ攻殻はテーマも解りやすく、ストーリーも一般受けしそう。それがいよいよ映画化される。そりゃワクワクしましたよ。 でも絵柄がイメージと違い、なんかコレジャナイ感が…ちょっと不安もあったので劇場ではなくレンタルで観ました。これは…押井さんの作品だわ。 カラッとしたハイテク・ジャパンな原作と雰囲気が異なり、映画はジメッとした和+中華というかアジアンというか、そんな音楽やキャラデザインに、やっぱり違和感を感じました。 80分の短い作品なのに、押井作品らしい独特の間はきちんと入れる。“親切なやつ”が銃撃から逃げて、素子と格闘するまでの“間”。立ち止まってビル越しの空を見上げたり、逃げるあいだにガラクタの山を観せたり。こういうの入れた必要性が解らなかったわ。敢えて言えば、シロマサ作品を踏み台にして、押井テイスト(=オレ流)を押し付けられてる感じがして、そこにどうにも居心地の悪さを感じました。 そして押井さんの作品ながら、この映画の面白いところがほぼ原作の面白いところそのまんまだったのも残念でした。攻殻に関しては劇場版パトレイバーのようなプラスαが感じられませんでしたね。 私の結論として、『あぁこの人、ハリウッド・ウケを狙ってるんだな』って。この映画はシロマサ原作好きに向けられたものではなく、ハリウッド向けに創られた、当時のジャパニメーションの技術サンプルのような作品だなぁ~って、そんな感想です。 まぁ海外では見事にウケて、押井さんの(世界的な)知名度も上がったようです。そして彼の次作は迷作アヴァロンでした。 人間が制御しているAI=フチコマ(多脚戦車)が出ない。「ゴーストがないお人形(ロボット)は悲しいね」などの名セリフも、使う場所を改変してて違和感を感じました。ストーリーもあちこち切り貼りされたこの映画に、技術的な価値は感じても、作品としての価値はあまり感じませんでした。原作の魅力的な部分だけはしっかり抽出して、余計な押井テイストを加味してしまった本作に『もう純粋に攻殻機動隊の面白さが映像化されることは無いんだな』って、ガッカリもしました。(※攻殻の他の映像作品は観てません。) あれからおよそ30年。『コレはコレで、良いのかな?』って、当時違和感ばかりだったこの作品にも、味わいを感じるようになりました。 相変わらず、原作>>>映画版ですが。 [ビデオ(邦画)] 6点(2024-11-24 14:44:03) |
11. アルマゲドン(1998)
《ネタバレ》 “Armageddon”『世界の終わりの最終決戦(の場)』滅亡とかって意味かと思っていましたが、善と悪の滅亡を掛けた決戦なんですね。この映画の前は『ハルマゲドン』って言ってました。デビルマンでも幻魔大戦でも。本作の相手は悪魔や侵略者でなく隕石ですが、地球を当たり前のように善の側としているところが、この映画の単純さを表していて清々しいです。 アメリカ人もノストラダムスを信じていたか知りませんが、世紀末に相応しい、グッド・タイミングな映画です。 私がジェリー・ブラッカイマーにマイケル・ベイって名前を認識したのが、この作品からだったと思います。例えばM・ナイト・シャマランやJ・J・エイブラムスは、デビューから一緒に成長した感じがあるのに、ブラ&ベイは突然大物として現れた感じがしました。堀江貴文が野球チームを買収しようとした時や、剛力彩芽が前澤友作と付き合ってたのを知った時に感じた「誰?この人。何がすごいの?」って気分。私の知らない社会の裏側で、着々と力を付けてきた人な感じが強かったです。人見知りな私は、何か拒否反応が出て、ディープインパクトは割と早めに観たけど、こっちは後回しにしました。 映画館の大画面で観るアトラクションなので、ストーリーに文句を言っても仕方ない作品です。こういう、頭空っぽにしてその場その場を楽しむ作品というのもまた、映画の醍醐味だと思います。 いきなりアトランティス号が爆発。作戦室でぐるぐる動くドキドキのカメラワーク。F-15のスクランブル発進の緊張感。破壊されるニューヨーク。逃げる松田聖子…こういう映画で観たいもの(破壊シーン)を最初っから観せてくれます。親切ですね。 中だるみはしますが、シャトル打ち上げからはノンストップ・アクションの連続。爆破は大成功し、オープニングでNYを破壊した隕石の破片が落ちてくるとかの心配もなさそうで、何よりです。小惑星の不時着であれだけボロボロになっても、きちんと帰ってきて、そこにみんな揃ってて、歓迎のアクロバット飛行まで観せて、大団円で終わる。観客が求めたものをきちんと直球勝負で提供できてたんじゃないでしょうか。 この映画全体がアメリカ人の理想のように思えます。人類最後の切り札が、NASAの精鋭チームでも米軍特殊部隊でもなく、採掘現場のブルーカラーの普通のオジサン達。…まぁ海洋石油採掘プラント勤務だからその辺の肉体労働のおじさんでなく難しい資格を持ったスペシャリストですが、でも親しみは感じます。 油にまみれた男たちの肉体美と、リブ・タイラーのセクシーな下着姿。パソコンの導入で肥満が増加したアメリカ人の思い描く、理想的な身体ですよね。 そして父親の愛情。リブ・タイラーは世界を救ったハリーの娘・グレースであり、主題歌を歌うスティーブン・タイラーの娘リブであり…彼女にとって本作は、愛情あふれるゴージャスなプライベートフィルムになってます。そして今回不覚にも(!?)泣いちゃったのは、ハリーのAJへの思い。「お前をずっと息子のように思っていた」ってところ。ホント、厳しくもカッコいい父親像でした。 世界を守る正しいアメリカ。世界を楽しませる娯楽の中心ハリウッド。ハリウッドの超大物・ブラッカイマーとベイのコンビ。カッコいいアメリカ人を描いて、狙い通り世界中でヒットしてしまったこの映画。3年後、ブラ&ベイ(&アフレック)が創ったパール・ハーバーは世界中から(アメリカからさえも)失笑され、ニューヨークのビルには隕石でなく飛行機が突入する。まるで理想と現実を履き違えたアメリカの解答に対する、世界の答え合わせかのよう。 [地上波(吹替)] 5点(2024-11-17 16:18:18) |
12. リング(1998)
《ネタバレ》 80年代以降のホラー映画は、血みどろのスプラッターか、特殊メイクやVFXで気持ち悪いクリーチャーを観せる“観客を驚かせる”ジャンルと、ある種の固定観念が出来上がっていたところに、日本から強烈な一石を投じたのが、このリングだったと思います。 開発が進んで便利になった生活に、徐々に入り込む余地が無くなってきた“呪い”というジャンル。それを“ビデオ”という、家電の中でも割と後発の機器と結びつけ、都会の中で恐怖を引き起こしたアイデアが素晴らしい。 もうね、最初の智子と雅美(うわ、竹内結子と佐藤仁美だ、若っ!)のシーン。当時の家の中の蛍光灯の冷たい明かり。電気スタンドの白熱球の温かい光。光が届いてないところの薄暗い感じが、懐かしくもあり、何かが潜んでいそうで怖い。LED照明だとあの感じ出ないんですよ。ブラウン管テレビのザラザラ具合も懐かしい。液晶の今と比べると低画質のザラついた映像と、放送終了後の砂嵐の無機質さ、寂しさを巧く恐怖に結びつけてます。 呪いのビデオというアイデアだけ聞くと、殺害シーンとか死体映像なんかを連想してしまうけど、ビデオの内容が何とも意味が解らず、不気味で怖い。あのヒリヒリした音。ジャワジャワ動く文字。私は頭に布をかぶった指差し男にゾワッとしました。暴力とか直接的な表現のホラー映画が多かった当時、心理的に恐怖を感じさせる表現に圧倒されました。ビデオを観た人物の、写真の顔が崩れてるのも怖い。ビデオという新しい恐怖を創る下地として、心霊写真という当時のポピュラーな怪奇現象を入れるのも巧いです。 モニターから出てくる貞子の映像については、観客に恐怖を与えられるか、興ざめされるか、制作陣も入れようかどうしようか判断に迷ったでしょうけど、あの見開いた目が怖いので、正解だったんだと思います。 ここまでで充分満足出来るホラー作品ですが、そこからもう一歩進めて、ビデオデッキを積んで父親のもとに向かう玲子という、悲しい怖さを入れるのも素晴らしかった。特に中盤で孫と祖父の仲の良さを入れてるものだから、残酷さが際立っている。凄い。 余談だけど、みんな運転荒いね。特に松嶋菜々子。徐行運転しない感じ。あと後部座席の人がシートベルトしてないのも、時代だねぇ。 [地上波(邦画)] 8点(2024-11-11 00:25:47) |
13. マトリックス
《ネタバレ》 “The Matrix”『母体』。劇中の意味は『人工知能が人間を支配するために創り出した仮想現実の世界』を指しています。 マトリックスは『映像革命』という言葉とともに私達の前に現れました。今まで表現できないモノや事象を、映画の中に実際にあるものとして映像化してきたCGですが、本作では遂に“その映像を、どんな角度で、どんなスピードで観せるか?”を可能としました。 簡単に言うと、漫画の実写化でしょうか?漫画はコマの大きさや絵(カメラ)の角度、コマ割りの数(時間表現)などで、平面で動かない絵を、まるで動きの一瞬を切り取ったかのように表現する作品です。平面の絵のコマとコマを繋いで、活き活きと動きを付けるのがアニメーションです。その技術を実写映像に取り入れたのが、このマトリックスでした。 具体的には、例えは漫画で描かれたパンチの連打。アニメでは格好良く表現出来たけど、実写にするととたんにウソっぽくなるか、格好悪くなる(実写版北斗の拳みたく)。それをしっかりと格好良く観せてしまった最初の作品が、このマトリックスだったんですね。…伝わってるでしょうか? どうしても“マトリックス避け”とか、映像の奇抜さや素晴らしさばかりに注目してしまいますが、世界観も負けじと素晴らしかったです。 現実と変わらない都市だけど、どこか緑がかった無機質な仮想現実の都市。ダライアスとかのシューティング・ゲームのような敵メカが泳いでる現実の世界。カタカナやローマ字が混ざった緑の文字(マトリックス・コード)が流れるモニター。コネクターとコードを通した生体と機械の融合。SF映画の敵=ロボットやサイボーグだったものが、21世紀を前に、コンピューターとプログラムに変異しました。自由に他人に乗り移れて、物理的に破壊できないプログラム“エージェント”は、過去に例を見ない脅威の敵キャラです。 人間らしく平和な暮らしが出来る仮想現実世界と、ドブネズミのように隠れて生きなきゃいけない現実世界のギャップがキツく、私なんかサイファーの裏切りにとても人間臭さを感じました。うん、多くの人はモーフィアス達みたく強くは生きられない。 モーフィアス救出作戦からの、ノンストップアクションは息を呑む迫力と美しさです。だけどこの映画を何度も観るほどに、最初に撃たれまくるビルの警備員たちが不憫に思えます。彼らは仮想現実世界に住む、いわゆるNPCの扱いだけど、彼らが死ぬと、カプセルで養分になってる本体も死ぬんだよね?たぶん。観ようによっては無差別殺人です。仮想現実を実世界として生きる人にしてみれば、ネオとトリニティは頭のイカれたテロリストです。良くまぁあんなにアッサリと殺せるなぁ…9.11テロ以前だから創れた作品とも言えるかも? ネオが覚醒し、スミスと互角以上の戦いをしてみせるのは、アドレナリン出まくりです。最後は人知を超えたネオの“舞空術”で、映画は終わります。この“これから先、俺は何だって出来るぞ”って感じが、劇中のマトリックスの世界だけでなく、映画業界全体にも無限の広がりが感じられて、今後どんな凄い映画が楽しめるんだろう?って、期待に胸が膨らみましたよ。 '99年と四半世紀も前の作品ですが、マトリックス以降、少なくとも映画の世界では、次の映像革命と呼べるものは、未だに起きていないと思っています。たぶん。インセプションなんか凄かったけど、正常進化型だよなぁ。 スマホのアプリの短編動画の方が、映画業界より進んでる気さえします。映画は3D立体映像や4DXの動いたりするアトラクション化が進んでいますが、スクリーンに映し出される映像自体は、未だにマトリックスの応用の範囲に思えます。 [映画館(字幕)] 8点(2024-10-16 23:15:38) |
14. マグノリア
《ネタバレ》 “Magnolia”『木蓮』。なんだろう?花言葉は“忍耐”とかでした。エイミー・マンの歌が格好良くて、当時アルバム買って聞きまくりましたね。主人公たちの問題がどんどん膨らんでいき、この先どうなるんだろう?どうやって解決&収束するんだろう??…と期待が最高潮に高まったところで、カエルの雨…!何だこりゃ?こんだけ期待煽っといて、こんな終わり方って、あるかい?夢オチと同レベルの酷い終わり方だ。客を馬鹿にしてるわ。記憶から消し去ってやりたい。4点! 数年後、たまたまTVで放送されてて、スタンリーはトイレ行きたいと言い、フランクがインタビューで責められてる辺り…あれ?彼らはどうなって行くんだっけ?内容まだらに忘れてたんだわ。最後にカエルが降ってくるのは覚えてるけど…?? 主人公たちの問題がどんどん膨らんでいき、この先どうなるんだろう?どうやって解決&収束するんだろう??…と、私の記憶力の悪さから再び期待が最高潮に達していきました。あれ?観ている間ずっと楽しめてるってことは、これは良い映画なのでは?即DVD買いました。本作は2度目の鑑賞で好きになった、初めての映画かもしれません。で、結局どうなったのか?子どもたちが過去の呪縛から開放される映画でした。劇中3組(+1組)の親子がでてきます。病人のパートリッジ一家と、司会者のゲイター一家は直接は結びつきませんが、クイズ番組の制作がパートリッジ・プロダクションで繋がってました。 フランクは母を捨てた父を憎み、今は男の片思い(=一方的な愛)を金にする怪しいセミナー講師をしています。苦しんで死んで行く父に会うことが出来て、憎しみを全部ぶつけて涙を流します。でも父は液体モルヒネで意識がありません。息子の赦しが聞こえてません。 クラウディアは父に性的虐待(母親がすぐに察したので事実だったんでしょう)を受け、今は売春婦をしています。妻に過去を告白した父は、自殺さえ出来ませんでした。撃ったTVが漏電してた(+雨+気絶)ので、家が全焼したか感電死したかもしれません。どっちにしろ苦しんで孤独に死んでいくんでしょう。 ドニーは親に金づるにされ『元天才クイズ少年』の過去だけが付いて回っています。今はスタンリーが父親の金づるとして同じ道を進んでいます。敗退で積み上げたものを失った父。「僕に優しくして」「…寝ろ」スタンリー自身に救いがないように思えますが、ドニーと違い親の呪縛から開放されたのが救いでしょう。歯科矯正のため金を盗んだドニーは、矯正する必要がなくなり、彼の一方的な愛は終わりました。 もう(+1組)の親子。クローゼットで白人夫が死んでた黒人女性(他重婚してた)。犯人と思わしき息子のウジ虫と、その息子(孫)のラッパー少年。母親は黙秘することで息子を守ります。ラッパー少年は警官の銃を拾い父を守ります。母は息子に逃げ延びてほしくて、子は父に射殺でなく逮捕されてほしかったんでしょう。最初少年は川に銃を捨てたんだと思いましたが、恐らくカエルのいる池に捨ててきたんでしょうね。その後オーバードースのリンダから金を盗み、ついでに救急車を呼んで救います。でも少年は「俺は預言者、ウジ虫どもは踏みとどまって苦汁を飲め♪」この歌は父であり、死ねなかったリンダのことでしょう。 財産目的で結婚し、影でアールをさんざん裏切っていたリンダ。今はアールを愛するようになったけど、アールは死の間際さえ息子(の母=元妻)を一番に思っていたことを悟りました。リンダの一方的な愛でした。液体モルヒネでアールを苦しみから開放し、自分も死ぬことにします。結果リンダは生き残り、これから憎んでいたフランクと面会します。液体モルヒネを投与したのが、リンダ自身でなくフィルなのが、アールを愛していたので自分じゃ出来なかったとも、勝手に息子に連絡したフィルへの復讐とも取れましたが、そもそもリンダは投与の資格がないからできないのかも?フィルは看護師だから投与したら死ぬことを知っていた(泣いてた)んだし。 一番幸せなのは銃を無くしたジムでしょうか。銃も出てきて、一方的な愛だったのが実って…毎朝毎晩お祈りしてるジムは神の子です。 何の罪もなく、親との辛い過去もないフィルは、きっと傍観者。映画を観ている私の代わりなんでしょう。 『過去を捨てたと思っても 過去は追ってくる』善人が必ず幸せになれるわけじゃない。改心して懺悔や告白をしても許されるわけじゃない。でも罪は消えないし業は背負って生きていかなきゃいけない。せめてカエルの雨のあと、親の身勝手を押し付けられた可哀想な子どもたちが、少しでも幸せに向かって歩き出せたら…涙で目を腫らしたフランクと、クラウディアの疲れ切った笑顔から、そんな希望を観せる結末に思えました。 [ビデオ(字幕)] 9点(2024-10-14 13:40:40) |
15. マルタイの女
《ネタバレ》 伊丹監督10作目にして最後の作品。伊丹作品としてスタンダードだった前作『スーパーの女』。私は面白かったんですが、監督は不満だったんでしょうか?本作では遂にキラータイトルの『〇〇の女』シリーズにまで、大幅なテコ入れをしてきた印象です。当時大人気の脚本家・三谷幸喜を起用して、恐らくはマンネリ打破を狙ったんでしょう。三谷作品が産んだ時の人・西村雅彦の起用も納得。伊丹&三谷のコラボ作品のようですね。それが巧くマッチしていたかと言うと、正直失敗だったと思います。 宮本信子の『〇〇の女』と言えば、彼女自身がその世界のベテランとして登場し、我々に色んなハウツーを教えるというのがパターンです。本作の場合、彼女が『マルタイ』を守る側(刑事)を演じるのがセオリーでしたが、そこを崩してきました。あと敵の組織・真理の羊の上層部、教祖なり幹部の、人間臭い欲にまみれた素顔が、イマイチ観えてこないのも今までのパターンとは違いました。そんなところが過去の『~の女』とは違う印象を受けます。 彼女の、一見トップレスのようなクレオパトラの衣装は、当時ワイドショーでも結構話題になっていたと思います。映画界で一斉を風靡したあの宮本信子が、あの年齢で、ここまで体を張って話題を創っている姿に、ちょっと必死さを感じてしまったのは事実です。伊丹監督も、夫を支える妻の信子夫人も、必死にもがいていたんでしょう。このクレオパトラ衣装の場面が思いのほか長く、その間は肝心の物語が進みません。そのなかで立花刑事のエキストラ出演&アドリブ暴走と、本筋とは無関係な遊びを入れてくる辺り、いつもの伊丹映画のノリではありません。 敵側を暴力団ではなく、宗教団体にしたのも、当時のテレビはオウムの特番をやれば数字が取れる時代だったので、オウムを仄めかすワードを多数入れたんでしょうか。マルサ2も新興宗教が敵で、かなり深く切り込んだ印象を受けましたが、本作はあそこまでの切れ味がなく、オウムっぽい組織が敵という話題性優先のように感じました。そして最後、証言のシーンを入れなかったのは、逆効果だったと思います。宮本信子が警察の守る側の役だったら、あんな終わり方もアリですが、本作では守られる側。証言台で何を話すかも、それに対する教団や警察の動きなんかも、観る側が期待したシーンだったと思いますが… 見所といえば、本作ではビワコが津川雅彦演じる真行寺と不倫していて、そのネタが教団にバレてしまいます。彼は脅迫に来たヤクザを撃ち殺し、自殺してしまいます。これがビワコが見た夢なのか、実際の出来事かはボカされています。伊丹監督の不倫スキャンダルが出ていた最中ですから、真行寺は伊丹監督自身で、相手を撃ち殺したのは、脅迫には屈しないという、監督なりの宣戦布告だったんだと受け止めました。 最後はどうして映画館で『マルタイの女』を観ている警視総監のコメントにしたんでしょうか?こういう演出は、そう、『タンポポ』がそうでした。映画館で役所広司演じるヤクザ風の男が、私達に語り掛けるところから映画が始まりましたね。 タンポポは監督2作品目ですし、何よりこのマルタイが、監督が自身最後の作品として創ったとは思っていません。でも、何と言うか、この演出で、図らずしも伊丹さんの創ってきた、映画の世界の輪が閉じたような、そんな結末に思えました。 [CS・衛星(邦画)] 4点(2024-10-10 22:40:39)(良:1票) |
16. フィラデルフィア
《ネタバレ》 “Philadelphia”都市名。アメリカ合衆国最初の首都で、ギリシャ語の『兄弟愛』の意味を持つ。 振り返ると、コメディ映画で人気者のトム・ハンクスが、社会派ドラマの俳優として一歩踏み出した記念すべき作品かも。 偏見に満ちた社会で、自分の本性を隠して生きてきたアンドリュー。病魔に襲われて死が迫る中で、自分の本当の姿を隠す必要性が無くなり、徐々にやせ細っていく彼に、美しさを感じました。トム・ハンクスにここまで繊細な演技が出来るとは思ってもいませんでした。 '90年頃、エイズもゲイも、遠くの世界のごくマイノリティな問題だと思っていました。同性愛に対する偏見から間違った知識が広がっていたというより、どっちも身近に存在しないから解らなかった、身近な病気として興味を持てなかったんでしょうね。この映画が公開された頃、薬害エイズ問題が大きく報道されるようになり、性的マイノリティ以外にも感染のリスクがあることがじわじわと広まってきて… アンドリューがエイズになった原因は、薬害とかでなくゲイだったから。これはかなり直球でした。まだ同性愛が後ろめたい時代でした(…今がどうなのか良く判りませんが)。同性愛=世間的に良くない行為として観ていたため、「ゲイだったら、エイズになっても仕方ないんだろうな」という観方もしていましたので、一方的とはいえ解雇に踏み切った会社側の反応も、理解出来なくもない時代でした。 裁判に関して、令和6年の今の目で観ると『そうなるよなぁ』というものでしたが、平成5年の当時に観ていたら、どう思ったでしょうか? ゲイに理解を示せとは言わないけれど、それと解雇は別。という進め方に、エイズという今後もっと身近になる問題について抱いた偏見を、崩せるところから崩していこう。…という、映画界(芸能界?)の、エイズや同性愛に対する今後の方向性のようなものを感じました。 この映画が観せたかった社会と、昨今のLGBT運動が目指すものが、同じ方向を向いているのかは、私には判りませんが… あんまり映画と関係ないけど、スプリングスティーンの起死回生の主題歌がとても良かったです。イマイチなアルバムの2枚同時発売、クラプトンに刺激されたイマイチなライブビデオのあとに、しっとりとした往年のBOSSらしいこの1曲が書けたのが嬉しくて、ホッとしました。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2024-09-18 22:08:42) |
17. クール・ランニング
《ネタバレ》 “Cool Runnings”『最後まで安全な旅を』。いやいや『格好良く走ろうぜ!』的なのを想像していましたが…素人同然のメンバーが、練習に努力を重ねて、ついには表舞台で活躍する。そんな定番スポ根映画の元祖でしょうか? 実話をモトにしたスポーツ物の中でも、常夏のジャマイカ人にボブスレーをさせる意外性と、作品全体から感じられるコメディ路線の緩やかな空気が、日本でも好意的に受け入れられたんだと思います。 この時代までは少なくとも「オリンピックは参加することに意義がある」という精神が活きていたんだと思います。お金について、その選手やチームがどれだけのお金を生み出すかで、スポンサーの配分が決まるような時代ですが、当時は純粋に、たくさん掛かるのを如何にクリアして参加するかというハードルがありましたね。 メダルについても、どれだけスマートに上位のメダルを獲得するかの駆け引きが、我々にまで見透かされるようになりましたが、当時は単純に努力と成果がメダルになるように思えたし、メダルに届かないまでも心を打つドラマに魅了されたりしましたね。まぁここは今でも変わりないか。 そして資質。幼少期から専門のトレーニングを積んできたサラブレッド同士のガチ勝負である反面。国を代表して、その時出せる力を出し切って、威信を掛けて参加するのもオリンピック。勝てないから参加しないではなく、どんどんチャレンジする醍醐味も感じられました。 ジャマイカのボブスレーチーム。まさに参加するだけで拍手を送りたくなるチームですが、それが上位に食い込む成績を出してきたら、アツいものがこみ上げ、応援にも熱が入りますね。転倒で残念に感じる気持ちを打ち消してくれる、彼らのゴールシーン。本当に良くやったと、拍手を送りたくなりました。 この当時は、映画を観て笑って感動して、その後本当にジャマイカのボブスレーチームがあることを知って、実際はどうだったのか、映画と現実の違いをゆっくり調べて知っていく、二重の楽しみがあったと思います。今ではスマホで簡単に現実を知れてしまい、余韻としてフィクション部分を楽しむ機会が減ってしまっている気がします。映画もオリンピックも、時代とともに楽しみ方が変わっていくんでしょうね。 [DVD(字幕)] 6点(2024-09-15 17:00:02) |
18. 3-4X10月
《ネタバレ》 このレビュー書くまでタイトル読めなかったす。“3-4X”が野球のスコアだそうで、雅樹が代打ヒットを打った試合のスコアがコレ(※劇中のボードには3-4とは書いてない)みたい。10月は、当初10月公開予定が9月に前倒しになった。とのことらしいが…? 北野監督作品の第2作。日常の中の暴力。どんどん壊れていく歯車。東京の日常と、沖縄の非日常の描写が美しく、いかにも北野監督らしい持ち味が充分に発揮されていて、やっぱり才能のある人なんだなと感じさせてくれました。 本作の目玉は、俳優としては素人同然のたけし軍団をメインキャストに据えていることだと思います。更に掘り下げると、たけしもこの当時、映画監督業や、世界まる見えや平成教育委員会のような教養番組の司会業兼お笑いにシフトしていた時代、たけし軍団の人数を活かした、ドタバタした笑いに限界を感じていたんでしょうか。本作はたけし軍団の“解散記念作品”として制作されたそうです。 そもそも軍団は最初の弟子8人(+結成後の2人を入れた10人)が、元祖たけし軍団と呼ばれているようです。この人数なのは、たけしが『野球チームを作りたかったから』というのもあったようで、映画のイーグルスはたけし軍団を表していたんでしょう。レギュラー9人に、代打の雅樹を入れると、ちょうど10人。監督役のガダルカナル・タカがたけしの役で、ぴったりたけしと元祖軍団になってます。 沖縄に行く前の最後の試合は、代打含めた全員野球で、結局は3-4で、惜しいけど負けてしまいます。この“惜しいけど負けた”というのが、軍団の最終評価、解散の理由としたんでしょうね。 じゃあ、タイトルの10月ってなんでしょう?映画の公開が後送りになるのは解るけど、前倒しになるなんて、あるんでしょうか?私は、最初から9月公開は決まっていて、10月=解散した軍団のその後を表していたんだと思っています。 最後、殿…じゃなかったタカの敵を打とうと軍団がヤクザ事務所を襲います。返り討ちにあっても、タンクローリーで特攻します。この辺ちょっと、フライデー襲撃と被りますね。でもそれは夢オチということになってます。何もなく野球を続ける軍団たちで終わります。この夢オチというのも、最後の特攻バッドエンドが、前作“その男…”の最後、全滅バッドエンドと被ってしまったのと、結局軍団は解散しなかったことに繋がるんだと思いました。 解散記念映画を創って、10月からは軍団を離れて、各自華やかに自分の才能を開花させろよ?みたいに〆ようとしたけど、軍団はまだまだピンとしては実力不足。10月に入った後も、今まで通りの殿と軍団の関係が続いていく。…なんか、「前倒しになって9月公開になった」って理由は、格好つけようとして格好がつかなかった、たけしの照れ臭さがあるんじゃないかなって思ってしまいました。 [地上波(邦画)] 7点(2024-09-15 16:17:15) |
19. ブレア・ウィッチ・プロジェクト
《ネタバレ》 “THE BLAIR WITCH PROJECT”『-ブレアの魔女-計画』。ブレアはメリーランド州にかつてあった村の名前で、現在はバーキッツヴィルとなっている(架空の村)。随分と評価が低いですね。公開された時代もあるけど、レビュー数300超えで平均点5点以下の作品はたった5本しかなく、そのうちの一本が本作です。『全てを観せないから消化不良』『本当の話じゃないからガッカリした』『手ブレが酷くて酔う』『単に怖くない・つまらない』なんて感想が低評価の理由のようです。 公開前にテレビ特番『ブレアウィッチの呪い』を放送し、このブレアの魔女のお話が、実話か作り物かを散々考えさせて、行方不明になっている学生たちが自主制作映画として撮ったとされるフィルムを、映画として公開する一連のプロジェクト(計画)。 ホント時代もあるけれど、『まさか、嘘だろうけど、でももしかして、この事件は本当にあったんじゃないか?』と思わせて、映画館に足を運ばせた手腕は見事だったと思います。メディアミックス作品の集大成として映画で完結させるのも、この時代だからこそかも知れません。そして300人以上が観て、書かずにはいられない低評価を書きなぐる。…と、ここまでがこの映画です。最初にやったもの勝ち。この企画を思いつき、世界規模で展開してみせた制作陣のガッツポーズが目に浮かびます。 モキュメンタリーとして、演技演技してないのも良かったです。ヘザーたちの言葉の端端に出る「Fuck!」が、テレビ特番で音消しになってるのも何かリアルに感じました。森に迷う怖さは体験できたし、目に見えないものに追われる恐怖表現も上手かったです。映画を観ても謎は謎のままでしたが、まぁあの3人組に魔女伝説の謎を解決できる能力がない事は想像の通り。良いもの観せてもらいました。 [DVD(字幕)] 7点(2024-09-15 15:04:01) |
20. がんばっていきまっしょい(1998)
《ネタバレ》 公開当時は時の人・なっちゃん主演ってことで、勝手にふわふわしたアイドル映画だとばかり思っていました。でもここでのレビュー数に対する評価が高いので、観る価値あるんだろうなと思ってました。Wボーイズ&Sガールズのプロデューサー・チームの作品だそうだから、部活ものコメディの元祖的な作品なんだろうかな?って思ってましたが、バリバリ正統派の青春映画でしたね、驚きました。 現代の朽ち果てたボートハウスから、色褪せた写真の当時へ。郷愁を誘うオギヨディオラの美しさから、キラキラした夕焼けに照らされた海面の美しさへ。公開時の22年('76年)も昔の物語で、まるで原作者や監督の、学生時代の記憶の中の美しさをそのまま映像にしたような美しさです。映画化に際して、敢えて現代劇に置き換えなかったのが良かったと思います。 女子ボート部設立の、最低限の人数揃えるのがやっとの状態で、本戦は予想通りの敗退。 写真の'77年。なんか凄いコーチが来たけどやる気ないし、新入部員は1人だし…全校生徒の応援とかもなく、決して華々しい大会じゃないけど、彼女たちの頑張る姿が、なんか心に響きました。朽ち果てたボートハウスの色褪せた写真の中、確かに存在した彼女たちの青春。 学生時代に何かを必死に達成しようとする姿。結果ではなく、晴れの舞台で全力を出す姿。それはきっと多くの人が自ら体験していることでしょうから、彼女たちに自分をダブらせて、心に響いてくるんでしょうね。素直に感動しました。 [CS・衛星(邦画)] 8点(2024-09-05 21:53:19) |