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《ネタバレ》 ダニー・エルフマンの音楽に乗って、奇妙かつ奇ッ怪な機械が、踊るように、歌うように、チョコレートの原料を溶かし・固め・包装していく。そのオープニングで、ぼくは確信した。“これだ、この感じだ。あのバートンが還ってきた!”と。…そう、ティム・バートンの映画は、常にこんな「ガジェット感覚」に満ち満ちていた。どこかグロテスクなまでに誇張された、オブジェのような機械が、精確無比に動き出すことの驚きと快感。その「荒唐無稽さ」が、もはや忘れていた(と言うか、「封印」していた)幼い子供時代の「熱狂」と「破壊衝動」を呼び覚ます(…そう、子供たちは「動くもの」が大好きで、しかもそれを「壊すこと」に夢中になるものだ)。それこそがバートン作品の“核心”でなり、そのアナーキーな魅力の中心だったはずなのだ。
それが『マーズ・アタック』以降、彼の映画は、そんな破壊的なパワーをあっさりと失ってしまう。一見するといかにもバートンらしい題材や物語であり、美術やセットでありながら、そこにはあの「熱狂」も「破壊衝動」もすっかり消え失せてしまっていたからだ…。 しかしこの最新作でバートンは、ふたたび彼独自の「ガジェット感覚」を、そのアナーキーな“毒(!)”に満ちた魅力を、画面いっぱいにブチまける。あの、子供たちをひとりひとりを見事に、そして最高にイヂワルく“始末”していく装置=機械の、何というブラック・チョコレートな味わい! そう、やはりバートンはこうでなくっちゃイカンのだ。 しかも、初期のバ-トン作品が「父親」を失った「孤児」の物語であったこと。彼らの“反社会的”な振る舞いが、結局のところ「孤独」に起因し、それがいびつな形で表出されてあったものであったことを、この映画はあらためて教えてくれるだろう。最後にジョニー・デップの主人公が父親と“和解”する。その父親を、クリストファー・リーが演じていることにも、ぼくたちはナミダするだろう。…そう、バートン作品で真に「父親」を演じられるのは、ヴィンセント・プライスとリーしかいない。ユアン・マクレガー=アルバート・フィニーでは駄目なのだ! とにかくバートンの<天才>は、この「クリスマス映画」において見事に復活した。そのことを、何より嬉しく思う。 【やましんの巻】さん [試写会(字幕)] 9点(2005-09-07 13:35:42)
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