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諸般の事情で吹替版を見に行くことになってしまったのですが、映画開始前にトム・クルーズの肉声の挨拶が聴けたのは、良かったです。本当にコレ、嬉しかった。作品の良し悪しとは関係ないけど。
映画の中に「走るシーン」、それも全力疾走のシーンが出てくると、昔からテンション上がっちゃうのですが、そういう嗜好というのか指向というのか、同様のこだわりを演じ手であるトム・クルーズの方でも持っているようで、これまでの作品でも何度も見せてくれた「走り」を、今回もたっぷりと披露してくれます。 しかしもう一つ、私が偏愛するのが、「疾走する乗り物に人間がしがみ付くシーン」というヤツでして。『カサンドラ・クロス』や『暴走機関車』がなぜここまで好きなのかというと、列車にしがみつくシーンがあるからなのか、それとも好きになる映画ってのはちゃんとそういうシーンも押さえてくれているということなのか。あるいは『レイダース/失われたアーク』のトラックのシーンとか。「ジョン・グレン監督の007映画」なんて、誰にも評価されていないかもしれないけれど(私も手放しで喜んでいる訳ではないけど)、ヘリにしがみつき飛行機にしがみつき列車にぶら下がり、いや、素晴らしいではないですか。 で、今回のお題は、複葉機。『トップガン』のトム・クルーズが、元祖トップガンたるサイレント映画『つばさ』の世界に舞い戻り、複葉機での空中戦を繰り広げます。しかしこれらの作品とは違って、彼はあくまで複葉機にしがみつかねばならぬ。と来れば、やはり私の愛する『カプリコン・1』、なのですが、、、この『~ファイナル・レコニング』で展開されるのは、あの空中戦を撮ったハイアムズですらさすがにここまではできなかった、という、もはや自分の目が信じられなくなるような、「頭おかしい」級の驚愕の空中スタントの数々。 スタント映画の神様がついに舞い降りた、と思う瞬間でありました。 まあ、別の場所で展開される物語と、このアクロバティック過ぎる空中スタントとが並行して描かれるのは、ある意味「引き延ばし」であって、限られた映像素材でいかに長くクライマックスを持続させるか、ということでもあり、結果的にややスピード感が阻害される要因になってしまった感も無きにしも非ずですが、そうであれ何であれ、「えっもう終わり?」とだけは絶対に言わせない満腹感充分のクライマックスになっています。この空中での戦いを表現するのに、どういう映像のショットで見せるのか、に対して、どういうショットが映像化可能なのか、どういうスタントが人間に可能なのか、の究極のせめぎ合い。 で、作品全体としてはどうかというと、これはもう、間延びしてしまってます。『フォールアウト』あたりから顕著になってきていた映画の長さが、今回はついに169分という長さ。それも、前作『デッドレコニング』が「2部作の1作目」という(当初の)位置づけに乗っかって「話のオチはつけるけど収束はさせない」という自由度でもって長尺を乗り切ったのに対し、今回の作品は、MIシリーズ自体の集大成ですとばかり、やたらと過去に遡っては「実はああでした」「実はこうでした」とやりまくる。そんなこじつけみたいな話をいくら聞かされてもなあ、と。お陰で、映画の尺は延びる、テンポは悪くなる。 だけどまあ、この「歳月の流れ」みたいなもの自体が、今回の作品のテーマの一つでもあるんですよね、きっと。トム・クルーズを含め、みんな歳を重ねて。シリーズ初期の、かつての若かった頃の映像が何度も挿入されるたびに、あの若かった時代というものはもう戻ってこないんだなあ、と思わされつつ、それでも年輪を重ねたトム・クルーズが「歳食ってなお」限界に挑み続ける。 などと思っていたら、一緒に見に行った高校生の息子(彼と時間的な都合を合わせるために今回、吹替版になったのだけど)も、要するにこれってそういう映画なんでしょ、みたいな事を言ってて、ああ、同じようなコトを感じてるもんなんだなあ、と。 という訳で、それなりにしみじみともする作品で、しみじみとさせんがために(要は昔の映像を出さんがために)蛇足的な贅肉もついてしまった作品でもあるのですが、そしてまた、登場人物を増やし過ぎていささか手持無沙汰な様子も見られちゃったりもするのですが、そうは言っても、これだけ素敵な数々のシーンがあれば、不満はありません。 中盤の潜水艦のシーンなんて、クライマックスの空中戦とは対照的に、スピード感と言えるようなものは無いのですが、しっかりと、じっくりと、緊迫のシーンを描きつくしていて。 ああ、この映画、見て良かった、と思います。 【鱗歌】さん [映画館(吹替)] 8点(2025-06-08 09:15:52)(良:2票) 《新規》
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