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《ネタバレ》 1937年のトーキー映画。監督山中貞雄、前進座の四代目河原崎長十郎と三代目中村翫右衛門が主演。今やこういった貴重な歴史的作品もU-NEXTで容易に観られる。良い時代です。
河原崎といえば、現在、空席の歌舞伎の名跡、河原崎権之助。屋号は山崎屋。河原崎座の当代座元と言える立場にあるのは、十七代目市村羽左衛門の三男、四代目河原崎権十郎。そして、その価値を上げた初代河原崎権十郎といえば、明治に一時代を築いた「劇聖」九代目市川團十郎である。彼は生後すぐ、河原崎座の座元・六代目河原崎権之助の養子となり三代目河原崎長十郎を襲名。初代河原崎権十郎、七代目河原崎権之助を経て、九代目市川團十郎となる。(九代目は、元々七代目市川團十郎の実子で宗家の血を引いており、その襲名は正統であった)劇聖から引き継いだ河原崎座の座元・八代目河原崎権之助の実子が四代目河原崎長十郎である。ちなみに彼の息子が俳優の河原崎長一郎、次郎、建三の兄弟。 中村翫右衛門も歌舞伎の名跡で屋号は駒村屋。三代目中村翫右衛門の父親、二代目中村翫右衛門は浅草の小芝居小屋の出身。中村梅雀を名乗り人気役者となったが、明治末頃には活動写真に客を奪われるようになり、小芝居に見切りをつけて、大芝居の歌舞伎俳優「東西随一の女形」五代目中村歌右衛門一門に弟子入りする。その際に二代目中村翫右衛門の名跡を継ぐ。その実子が三代目中村翫右衛門である。 四代目河原崎長十郎と三代目中村翫右衛門は歌舞伎界の正統ではない為、その世界での出世や稼ぎは望めない。よって、彼らは歌舞伎の門閥制度から独立し、座元から破門されて、松竹と袂を分かった上で、前進座を結成することになる。それが1931年のこと。歌舞伎をベースとした新しい演劇を目指す一方、映画に出演。山中貞雄監督との縁があり、前進座の役者が大挙出演する『人情紙風船』が生まれる。ちなみに山中貞雄は、高校の1年先輩マキノ正博(日本映画の父、マキノ省三の息子)を頼って映画の世界に入る。それも縁。 『人情紙風船』の重要人物である(四代目河原崎長十郎演じる)海野又十郎の妻おたきを演じるのが四代目河原崎長十郎の妻でもある河原崎しづ江。その妹の娘が岩下志麻となる。 そして、加東大介。この頃は、市川莚司と名乗っている。彼の兄が四代目沢村国太郎で、その息子である長門裕之・津川雅彦は甥っ子ということになる。四代目沢村国太郎の妻はマキノ智子。彼女はマキノ省三の娘である。 非テキスト論的な見方で恐縮だが、この映画の出演者の背景を知るだけでもかなり面白い。内容については、いろいろなところで言及されている通り、戦前の、今から90年前の映画とは思えないほどに見応えがある。分かりやすく、聞きやすく、見やすい。江戸時代と共に戦前の庶民の生活観、粋と恥の文化、価値観の一端をよく理解できる。物語の中に、彼らの生き様と死に様を貫く男伊達たるルールが浮かんでくると同時に、作り手の手触り、演者の背景も透けて見える。それもこの時代の映画の趣であり、鑑賞の醍醐味なのだと私は思う。 【onomichi】さん [インターネット(邦画)] 9点(2025-07-21 14:51:19)《新規》
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