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《ネタバレ》 パート1のあまりの素晴らしさに感激して一気に2も鑑賞。単純な面白さなら1だが、観賞後の味わい深さは本作に軍配が上がる。
若き日のヴィトー・コルレオーネの物語は闇を伴いつつもずっと上り調子なので華やかだが、個人的には鬱々とした展開のドン・マイケル・コルレオーネのその後の方が興味深い。もしもマイケルがコルレオーネ・ファミリーの人間として生まれていなかったら、彼はマフィアのボスになど絶対にならなかったはずだ。そんな彼がファミリーを守るためとはいえ優れた能力を暴力的な方向に開花させていったことは大きな悲劇だった。 この作品は各所で「父権の崩壊を描いた物語」として語られている。父権が崩壊したのはマイケルの器がヴィトーほどではなかったからだ、との論調も多いが、私には崩壊したのはどちらかといえばヴィトー・コルレオーネの父権であるように思える。 マイケルは父を尊敬していたが、暴力を使って他者を思い通りに動かしていることにはおそらく最初から疑問を抱いていた。父が殺されかけ復讐心に火がついたことをきっかけにマフィアの道に入り、父よりも冷酷なドンと化していくものの、最初の疑念が心の中から消えることはない。冷酷さが加速したのも、そうでもしなければ暴力を使うことへの疑問に自分で蓋をすることができなかったからではないか。やりたくないことをやらざるを得ない時、その行為が極端化してしまうのはよくあることだ。 妻・ケイから投げかけられる疑問の言葉にマイケルは心の底では同意しているが、受け入れれば父を否定することになる。父を否定しないためにはこのままマフィアの道を突き進むしかない。その末に、マイケルはついに自分の家庭を崩壊させてしまう。マイケルが真に幸福となるためには、自分の中の「憧れの対象としての父ヴィトー」を崩壊させ、自分なりの道を進む必要があるが、そんなことは容易ではない。周囲もヴィトーを尊敬しているし、自分にも尊敬の気持ちが残っている。でも心の奥底では、マイケルはヴィトーの威光が「虚像」を多分に含んでいることを理解しているのだ。だからこそ、誰よりも苦悩している。 マイケルは正直で理知的で、暴力をそもそも好まない。それゆえに、誰よりも冷酷で、誰よりも苦悩するドンになった。ヴィトーは「自分にとっての正義」のためなら少々の暴力を使うことなどなんとも思わない、いかにもアメリカ人が好みそうな「強い」男だ。私はヴィトーよりも圧倒的にマイケルに共感する。演じたアル・パチーノは、マイケルの苦悩をこれ以上ないほど明確に深く表現していた。どれだけ称賛しても称賛しすぎることのない、素晴らしい演技だったと思う。 【クリロ】さん [インターネット(字幕)] 10点(2019-12-22 16:31:34)(良:1票)
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