| 作品情報
レビュー情報
《ネタバレ》 映画館で初めて見た時には劇中のクリスティンの状況に激しく心を揺さぶられましたし、最近改めて見直してからもその点は一切変わりなかったのですが、今回見返してみて漠然と思ったのは、「組織に埋没している人間が一番『非人間的』になる可能性があるものなのだな」という感慨であり、また「そういう点をかなり強調してこの作品は作られている」という印象でした。
それは例えば劇中でニセのウォルター少年が「自分は警察から『ウォルターを名乗れ』と言われたのだ」と叫ぶ場面や、あるいはあの凶悪犯ノースコットさえも、(劇中「警察から」と特定はしないものの)「<誰か>から『ウォルター少年を殺した』とクリスティンに言うこと」を「強要」されているようなそぶりを見せる描写などからも感じられました(それは劇中後半で「ウォルターが逃げ出した」ことが明かされることからも窺えると思います)。さらに言うなら、この犯人と母親との緊迫の対面場面において、僕はむしろ自身死刑が迫っている(何もかもどうでも良いという投げやりな心理になってもおかしくない)身でありながら、それでも「嘘をつきたくない」という信念に基づいて、「ウォルターを殺した」という(事実に反した)言葉を一切口に出さなかったノースコットに、ある種の「誠実さ」すら見てしまうのです。 そして上記ロス市警に属する(ヤバラ刑事を除いた)上層部やあの精神病院の面々の腐敗ぶりの横にこのノースコットを置いた時、(あくまで「映画の中だけ」に限ったことですが)あの凶悪犯でさえ、(遅すぎたとはいえ)「信念に基づいて『真実』に逆らわずに行動している」だけ、僕には何とも「人間的」に見えてしまうのです。 それだけでなく、この作品には例えばノースコットに殺人の方棒を担がされるクラーク少年や、あるいは事件の7年後に初めて名乗り出た生存者の少年のように、「激しく悔いる」人物が登場します。そして彼らに共通しているのは、最後には「自分の気持ち」に逆らわず、それに従って行動をするという点です。そして僕自身はこの点に、作中極めてイノセントに自分の信念を行動に移すクリスティンと他の(組織に属した人々以外の)登場人物を結ぶ「共通の糸」を見る思いがします。 個人的にはこういった点に、「真実を曲げない」という信念を持った人々への製作者側の(あるいは監督自身でしょうか)共感といったものを感じます。もしかしたら実際の事件から色々と脚色が加えられているのかもしれませんが、僕自身はそういう点とは関係なく、「組織(や、あるいは漠然と「自分より大きいもの」)に埋没せずいかに『真実』を曲げずに生きていけるか」という点を切実に思い返す契機となっただけで、この作品は称賛に値すると思えました。 【マーチェンカ】さん [ブルーレイ(字幕)] 10点(2010-08-10 22:00:22)(良:2票)
その他情報
|
© 1997 JTNEWS |