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《ネタバレ》 あらゆる意味で、その後の私の人生に絶大なる影響を与えた映画。70年代ホラーやパニックブームの中で、娯楽映画の楽しみに浸っていた中学生は、この映画に出会って初めて、世の中にはただ楽しいだけでなく、価値ある映画があることを知る。そして世の中には不条理があること、自分の心で感じ、頭で考えることの自由さ。中学生という多感な年頃にこういう映画に出会ってしまったことはある意味不幸であったような気もするが、とりあえず私はこの後数十年に渡って「正義」という言葉の意味についてクドクドと考え続けることになる。この映画の主人公R.P.マクマーフィは、本当に精神異常者だった「かもしれない」し、あるいは刑務所の強制労働を逃れるために精神異常者を装っていた「かもしれない」。マクマーフィ役を演じたジャック・ニコルソンや監督のミロス・フォアマンも語っているとおり、マクマーフィが精神異常者だったのかどうか、映画は最後まで明らかにしていない。実はそのことがこの映画のテーマなのである。精神異常者である以前にれっきとした犯罪者である彼は、精神病院の「体制」を維持するためにロボトミー手術を受けさせられる。体制の維持は、人間性の剥奪に勝るのか。精神異常であるか、単なる犯罪者であるかという点で、人はその精神の自由を奪われることを判断されて然るべきものなのか。そしてマクマーフィの押し通そうとした「自由」を、異常であると決めつける権利が本当は誰にあるのか。犯罪者であるから抹殺して良い、精神病患者であるから治療しなければならないと考える多数派による「良識」のあり方を、この映画は問題提起の形で描くだけで答えは観客の手にゆだねられている。決して正しくはない主人公の生き方を、異端として排除する多数決社会の価値観は、我々が無意識のうちに選んでいるはずのものであり、それを支えているのが「常識」や「道徳」という名の社会規範である。主人公の行き過ぎた自由を容認するほど社会は優しくはないが、病院側の行過ぎた制裁を支持するには、人々の心は冷たくもない。ただ一方的に自由だけを高らかに歌い上げるのではなく、非常に曖昧かつ必要不可欠な「バランス」そのものに疑問を掲げるこの作品は、多くの人の人生にとって避けて通ることのできないものであると私自身は考えている。
【anemone】さん 10点(2003-12-11 23:18:09)(良:6票)
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