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《ネタバレ》 原作マンガはごくごく私的な物語として描かれていると思うの。作者の個人的な気持ち、感情の発露。そしてそれは京都アニメーションの事件をなんとか自分の中で消化して昇華して(もちろん、しきれないのでしょうけれど)って作者の葛藤があって。
だけどそれをアニメ映画として企業と多くの人の手を経た作品にするとなるとニュアンスに違いが生じてきてしまうと思うのね。商品としてパッケージングされ公開されるものへと移行してゆく、そこに個人的にどうにもこうにも割り切れなさが生まれてしまうの。良かった、感動しました、で消費して完結していいモノなの?っていう。アレはまだ全然終わってないのに、終わり様もないのに。 アニメとしては良く出来た作品よね。原作にほぼ忠実な映像化だし、キャラの心情に寄り添う、その細やかな表現に心が動かされるわ。でもこれはあくまで藤野の物語。京本の「もしも」の物語はあくまで藤野を救済し一歩を踏み出すための存在。京本に訪れる理不尽な出来事を打ち消すモノではなくて。 そしてだけどアタシは藤野ではなくて京本に心を寄せていた。と言うか京本の物語としてしか捉えられなかった。ので、そこに閉じ込められたわ。塞がった感覚ね。そこにあるのはただ藤野を見送る視点。閉ざされた未来。 京都アニメーションの事件を経て、でもそこから先に進んでいる人たちがいるわ。新作も生まれているし、そこから離れて新たな進化を続けている人もいて。 だけど勿論それぞれに疵と痛みを抱えているのでしょうし、そこから先に進めなかったり、消化も昇華もできなかったり、立ち止まったままだったりって人も存在していて、それを否定はできないわよね。 アタシにはまだこれを商品として消費するのは無理だったわ。そして多分ずっと無理ね。 【あにやん🌈】さん [映画館(邦画)] 6点(2024-07-18 16:07:25)
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