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最初図書館でDVDを借りて見た後でアナログ経由の劣化コピーで何度見たかわかりません。終戦前日正確に言うと玉音放送が放送されるまでの二十四時間に政府内部で起きた政変にも近いような天皇人質のに取った政争劇がそれほど強烈だったのです。対立の構図は戦争継続を絶対に望まない天皇と本土決戦を望む軍部、とりわけ陸軍の若手将校たち、そしてその間で立場決めかねた総理大臣以下の閣僚たちでした。閣僚の中でも真珠湾攻撃の直前まで開戦反対していた海軍の長である米内海軍相は早い段階から本土決戦に反対し、陸軍相阿南は血気はやる若手将校らの意気を理解し、また陸軍内でのクーデターを恐れたのか内部的には懐柔策を取り、閣僚会議や御前会議では強硬論を唱えます。しかしやはり決定的だったのは昭和天皇の強いいしでした。
「四方の海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらん」と開戦決定がなされた御前会議で天皇は明治天皇御製の短歌を朗詠して戦争に対して精一杯の抗議をなさいました。この時点で昭和天皇は明確に抗議しよう思えばできたはずでしたが、また明日に抗議すれば聞き入れられないことも十分に承知しておられたはずです。この時に天皇の頭をよぎったのは維新の元勲の山県有朋と仲違いして一説には暗殺されたとされる父の大正天皇のことだったかもしれません。昭和天皇はご自分が万能ではないことも議会制民主義の枠組みだけは成立している日本で自分がしゃしゃり出ることは適当ではないこともご存知でした。昭和天皇は開戦時に「とにかく生きよう。父大正天皇の轍は踏むまい。」と思われたのではなかったでしょうか? そして広島長崎の原爆投下ソ連の宣戦布告後の御前会議で全て状況が日本にとって不利であるとの閣僚からの報告の後で天皇の意志は強固でした。「日本国民を生かすためには無条件降伏やむなし。」と思われ、また「自分はそのために生きてきたのだ。」思われたかもしれません。そして宮殿の一室での玉音放送録音後、ご寝所に入られた後で天皇は皇居を占拠した陸軍将校たちの実質的な人質となるのですが、天皇はご寝所の周囲じ止まった忠実な侍従らに守られて熟睡されたのではないでしょうか。 終戦後、昭和天皇はマッカーサー元帥に対面されて自分は戦争責任を追求されて縛り首になってお構わないおっしゃったそうですがマッカーサーは天皇の紳士的な人柄に惚れ込んで天皇の戦争責任は追求しませんでした。昭和天皇の長い在位期間中に日本は復興を遂げ経済成長を果たして国民総生産世界2位の国家になりました。昭和天皇はご自分が終戦の時に果たした役割に満足し、さぞかし長生きをしてよかった思われたことでしょう。 【かわまり】さん [DVD(邦画)] 10点(2020-04-01 13:56:16)(良:1票)
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