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《ネタバレ》 侯孝賢が偉大なのは解ってるけど、なぜ彼を「小津安二郎」に結びつけるのか、まったく理解できなくて、そういう考え方も風潮もキライだった。そんなこともあって、この映画の前半部分はまったく興味をもてなくて、とくに高崎のシーンは「こんなに凄い監督が撮ってるのに、どうしてこんなにも、日本の風景ってつまらないんだろう‥」とショックすら感じてた。ところが、ある瞬間から、急に目が離せなくなりました。主演の2人が喫茶店を捜し歩く場面。カメラが銀座の通りの一角にあるビルを見上げたとき、その壁の映像を見て、不思議なことに「あ、小津だ」と思ってしまった。そして、そこから先は、もう何かの暗示にかかったみたいに、何を見ても全部「小津」に見えた。カメラが止まってようが動き出そうが、そこに映ってるのが稔侍だろうが忠信だろうが、何もかもが「小津」っぽい。つーか、そもそも「小津」って何??‥みたいな(泣)。そのうち浅野忠信が佐田啓二に見えてくるし、向かい側に座ってる女の子が原節子だったように思えてくる。そりゃあ、今の世の中、笠智衆の娘だってシングルマザーになるわよねぇ、‥みたいな。もはや近所にお酒を借りに行ったり、父親が口下手だったりするのは「蛇足」にすら思えてしまった。テーブルの表面でうっとりするように反射する光。現代人たちが足早に行き交う街頭の、不思議な穏やかさ。かりにこれらが「小津」じゃないとしても、そういう風景は紛れもなく美しかった。
つまり、こういうことでしょうか?昨今の日本の映画が昔のように美しくないのは、べつに風景や社会や人間が変化したためではなく、たんにカメラのせいなんだと。カメラが然るべき方法でちゃんと撮れば、現代日本の風景だって小津のように美しくなるのだと。そういうことでしょうか?素人のわたしには解せないし、現代日本の風景がこんなに美しく、しかもそれが「小津」っぽく見えるなんて、どうにも詐欺としか思えないんだけど、いつしか陽水の作った一青窈ちゃんのエンディングテーマを聴きながら、ぼんやり「これも小津っぽい音楽だな‥」と感じてしまう自分がいました。 【まいか】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2007-07-31 02:03:20)(良:1票)
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