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過剰な言葉。ハンディカメラを多用して疾走する子どもを追う。現実には口に出さないような弁論的な言葉を発し続ける人物たちが現実とは違うもう一つの世界へと連れて行く。それはどこなのか、と聞かれたら「別の世界」と言うしかない。もう少し具体的に言うなら、「もっともらしい場所で、もっともらしいことを喋り、もっともらしい行動を取る世界」つまり非現実の世界だろう。映画が虚構であるという事実は、ここまでしないともはや伝えることができないのかもしれない。塩田監督が創り出した世界はラストの向井秀徳の自問自答に至るまで素晴らしかった。それは新興宗教に顕著にみられる組織と教条とを、国家の相似形として表現した世界だ。宗教集団の白のイメージやとめどない緑色の流出といった色彩感覚がその世界をさらに極端にする。徹底してフィクションを作ることに努めた彼の方向性こそ大正解だと思いたい。過剰な言葉の森を抜けるのに必要なものは言葉にはならない「何か」だろう。この「何か」は、「繋がれた手」と「疾走」が全てを表している。主人公の光一がバットで車を壊す。由希が男に手錠をかけて車から出る。二人は殴りあう。後ろからクラクションが聞こえたと同時に二人は手をつなぎ走って画面から消える。このシーンこそ「カナリア」をよく象徴している。手が繋がれた瞬間だけ、異様でグロテスクな教義に包まれた世界は消失する。それでもまた離れて・・・・でも最後は繋がる。あらゆる悲しみを受け入れて劇的な変化をした少年を前に、もはや言葉も言葉をなくす。全ては「生きてく」に辿りつく為。
【Qfwfq】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-04-03 02:32:45)(良:1票)
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