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ホラー映画のオチは、たいてい不遇の死を遂げた人間の怨念が原因となっている。怨念は閉じられた場所でそれに関わった人間や時には全く関係のない者に危害を与え、用が済めば消えるか、あるいはその場にとどまり続ける。これが起こっている世界はそれゆえ非常に狭い。何というか都市伝説的だ。と、確信するほどにホラー関係に詳しいわけではないのだが、これが世界の崩壊に導くほどの範囲を描いたものに「リング」がある。伝染という発想がこれを可能にした。ただ、「リング」ははっきり言って発想だけ。映画として(小説でも)世界の崩壊を描けたかというとはなはだ疑問で、それは多分主人公達が恐怖の発信源に近すぎるからなのだと思う。で、黒沢の「回路」。ここまでホラーの話で引っ張ってみたが「回路」はホラー映画ではないかもしれない。ただ恐怖という原点は同じなので強引に進めると、この映画は個人の怨念に恐怖のもとはない。「死」というルール(法則)そのものからあの映像を具現化させている。魂というものがあるならば死後の世界にもルールがあるということだ。そのルールの崩壊が同時に世界の終末の始まりとなる。この映画がうまかったのはそういう死の永遠の孤独と、ネットという開かれているようで実は閉じられた世界を違和感なく変換できたことだろう。この変換の媒介となったものこそ「開かずの間」で、それはこの世に一個ではなく個人が一つずつ持っている。つまり中心がない。中心がないということはどこでも起こりうるということでもある。地上からどんどん人が減っていく感覚。黒沢監督はアンゲロプロスのようにロケは曇天にこだわり、時にはデジタル処理を施して崩壊のプロセスを展開した。システムは一度動き出すと、それが複雑であるほど止められなくなる。それはこの映画で見た未来の方向性とどこか似ている。
【Qfwfq】さん [DVD(字幕)] 9点(2005-05-15 16:25:03)(良:1票)
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