| 作品情報
レビュー情報
《ネタバレ》 写真というものが、身体的外見を人工的に固定し、存在を時間から引き離す事で、存在を生につなぎとめるものであり、被写体を死の運命から解き放つ事で、生者の心をかき乱す存在であるとするならば、それは幽霊とも似ているのではないか。
ドゥニーズは幽霊となりステファンの前に現れ恐怖させ、悩ませる事で、彼の精神を縛り続け支配下に置いていた。 それは生前彼女が、”写真を撮る”という行為を通して行われていたであろう束縛を、最も体現した報復律。 彼女は、そのように死後幽霊として夫を苦しめていた時の方が、マリーは死後幽霊としてジャンと逃避行をしていた時の方が、生前より自由であったのではないか。 肉体的な生と死(人が一般に定義する生死)、どちらがより自由で幸福であるかは、他人の尺度で測れる事ではない事実と同時に、生と死の境界線の曖昧さも描いている。 そして、写真が良くも悪くも、身体と精神を永遠に縛り付けるものであるとするならば、映画という映像芸術は虚構を映像化する事で、そのものを解放する作業(今回であれば、幽霊となったドゥニーズとマリー)となり得る。 正負どちらにも転びうる、生と死の概念、映画と写真という芸術の関係性や特性を見事に表現していた。 他にも、水銀が植物園を枯らしてしまう(ステファンの罪がマリーの尊厳を犯す)という視覚的表現や、階段下にカメラを置く事で原因を不明にし、結果のみを伝えるという落下表現も瑞々しい。 この監督は、あらゆるものの可能性、とりわけ映画という媒体の可能性に挑戦し、生と死の境界線を揺るがし続けている。 だからこそ、その大きな挑戦から目を離すことが出来ない。 【ちゃじじ】さん [DVD(字幕)] 9点(2017-09-24 20:27:59)(良:1票)
その他情報
|
© 1997 JTNEWS |