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《ネタバレ》 冷静に考えてみると、この久里子とかいう女の思想と行動は、かなり傲慢であると言わざるを得ない。いきなり故郷に帰ってきたと思ったら、昔惚れられていたのをいいことに幼馴染の健太を無茶苦茶使いまくっているのである。ある時は車で、またある時は船で、ある時は元カレ探し、またある時は祠探し。健太にも漁師という立派な仕事があるにも拘わらず、対価の支給も見返りもなく、完全に健太君総動員体制、いわばアッシー君状態なのである(懐かしい言葉だ)。こうした行動の底流にあるものは、「東京は地方を使う、地方は東京に使われる」、あるいは「東京が主で地方は従」、さらに言えば「東京の繁栄の為には地方が犠牲になっても仕方がない」という思想である。この映画の関係者は多分否定するであろうが、意識的にせよ無意識的にせよ、そういう傲慢な思想が久里子の言動に潜んでいることを、少なくとも小生は感じ取ったのである。我が身の来し方を振り返りつつ発せられる「自分だけ幸せでいいの?」という久里子の問い掛けも、自分さえ良ければそれでいい、自分が幸せなら他人がどうなろうと知ったことではない、という今の日本社会の風潮からすれば、誠に以って殊勝かつ奇特と言う他無いが、そう言いつつも結局最後は彼氏と二人ラブラブで船の上、とは一体何なんだ、この女は?結局、死んだ者にいちいち拘っていては生きていけないよ、ということを言いたいのか?それを確認するためにわざわざ東京から来て、また戻っていくのか?この地方の取り残され方は一体何だ?
【鳥居甲斐守】さん [CS・衛星(邦画)] 4点(2007-03-23 21:36:00)
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