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40年代後半がひしひしと匂い立つ。アメリカとしては戦勝後の高揚、アメリカの正義の確認。ユダヤ人にとってはアウシュビッツの被害記憶がまだ生々しく、シオニズム運動の加速からイスラエル建国への高揚(この年にパレスチナの分割を国連が決議し、翌年独立)。と1947年に生まれるべくして生まれたフィルムかもしれない。その年の限界も当然あり、ホテルの前に立ち止まっただけで排斥されていただろう黒人はまだ視野に入ってなく、一人も登場しない。「見て見ぬふり」どころか「見えている」ことにも気づいていない(さらに海の遠くのパレスチナ人も)。また主人公をユダヤ人ではないWASPに設定してあるところも、絶妙の趣向のようでいて隔靴掻痒の感もあり、「自分たちの問題と捉えてほしかったからだ」という言い訳を用意しているだろうが、多くの観客であるWASPがユダヤ人に説教されることへの心理的抵抗を配慮したからではないか(こういうふうに異教徒であるべき主人公が強引にWASPに設定されるのは、最近の『アバター』にまで続く)。そういう40年代のアメリカの良心とその限界を知ることができる貴重な作品である、しかし映画としては面白くない。キャシーが「お説教は聞き飽きた」と怒るところで唯一ドラマとしてワクワクしかけるのだが、深くえぐるまでには至らず、けっきょくG・ペックの正義に飲み込まれていく。ペックが言ってることは実に正論で、そうやって少しずつ社会は良くなっていくのだろうし、こういう主張の映画が作られるアメリカの社会を尊敬はするが、贅沢を言うなら映画に期待するのは、演説よりもその正論を阻んでいるものの解析のほうなんだ。それは「正義を行なう勇気の欠如」だけで片づけられるほど簡単なものだろうか。それとあと一つ、アメリカ映画における母親の強さには独特の芯のようなものがあるなあ。開拓時代の「一家を守った母」の記憶にまで通じているのか。
【なんのかんの】さん [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-09-12 09:55:20)(良:1票)
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