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《ネタバレ》 米国アカデミーで賞を獲った契機のリバイバルで久しぶりの劇場鑑賞。
同時に、久しぶりのレビューです。 「シン・ゴジラ」は当時の我が国の安全保障体系を皮肉った、やや後ろ向きの映画でしたが、その思想には共感しました。 その後、ロシアが仕掛けたアレを契機に、我が国も(やっと)「侵略」への対抗策を(少しは)マジで考える姿勢をカタチにしました。 未だ改憲に至らないのは、心地良さげな口上だけで存続している野党に賛同する方々も一定数はいることと、 長期政権に胡座をかいた与党のバカ者が原因と理解しています。 おっと、レビューから外れていますな。 本作を観て感じたことは「フィクション」と云うジャンルの意義でした。 ゴジラの存在自体がフィクションですが、現代の創作物はそれだけをテーマとして成立させるのが難しい。 1954年製作の「ゴジラ」は戦後10年後の銀座を破壊しましたが、本作のゴジラは終戦から3~4年後の銀座を破壊します。 この5~6年の差には意味があります。 戦後復興がある程度は体を成した日本と、暗中模索中の日本の差。 これまで、スポットが当たる機会が少なかったタイミングにゴジラをぶつけることで、 新たな葛藤が生まれ、それが新たな物語になりました。 絶望に絶望を上書きするような存在が本作のゴジラだったと思います。 そんな状況下で、戦争を生き延びた人たちの対応は様々でした。 家族がいるから、と云う理由で戦いを拒否する方々がいます。それがオーソドックスだと思います。 同時に、我々以外にはやる者がいないと、再び戦いに臨む方々もいます。 それは、ドラマを成立させるためのヒロイックな選択にも見えますが、 同種の思想で命を危険に晒す場に臨む方々が実際にいることは、現在のウクライナ報道を見ていると分かります。 「フィクション」の存在意義は様々ですが、あり得ないものや状況を設定することで、 それに対応する人たちの態度を切り分け、強調する道具でもあるとも思います。 映画の大半はフィクションなので、これまでに観た映画のほとんどは上記の理屈で成立しているのですが、 本作には改めてそれを強く意識させられました。 日本人が普遍的に持つ、敗戦に対する感情が刺激されたからかも知れません。 「シン・ゴジラ」でも言及しましたが、本作でも伊福部昭のゴジラ楽曲が大活躍していました。 唐突ですが、先日、70年万博の「太陽の塔」の内部に入る機会がありました。 岡本太郎芸術に感じた「時代を超えた本質感」を、伊福部昭のゴジラ楽曲にも感じました。 本質を担保しているものは後世に残る。 言語表現貧困でちょっと恥ずかしい言い方になりましたが、私はやっぱり伊福部音楽ファンです。 ともあれ、アカデミー賞受賞、おめでとうございます、 と心からの賛辞を送らせていただきます。 【アンドレ・タカシ】さん [映画館(邦画)] 8点(2024-03-17 21:59:10)(良:2票)
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