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《ネタバレ》 発想が面白いと思ったが、実際見てみるとあんまり面白くなかった。人間の感情ってあんなに単純じゃないだろうという疑問が消えない。これはもしかすると製作者(アメリカ人中心だと思われる)の文化的限界かも知れない。土居健郎著「甘えの構造」によると、欧米の言語には「甘える」という言葉がないという。日本語も英語もできるある女性が自分の子供のことについて英語で筆者と話していたときに突然「この子はあまり甘えませんでした」とそこだけ日本語でいい、また英語に戻って話を続けたという出来事があって、筆者が後で「なぜあのときだけ日本語を使ったのか」と質問すると「あれは英語では言えません」という答えが返ってきたという。またマーク=ピーターセン著「日本人の英語」によると「悔しい」という気持ちを英語で一言で表現することはできず、「彼女は悔しかった」という言葉を英語で言うなら「彼女はちょっといらいらしてどうのこうの…」といちいち説明しなければならないとのこと。日本人は感情をあまり顔に出さないが、それは文化的に感情を表に出すのが大人の態度ではないと考えられていることに加えて、日本語が欧米の言語では表現できないような「ちょっとした感情」までをも事細かく表現できる語彙を持っているせいかもしれない。ある欧米人神父によると日本語で一番わかりにくいのは「気」という言葉だという(甘えの構造)。確かに「気が重い」「気が晴れる」「気になる」…等々、いくらでも出てくるちょっとした感情を表現する言葉がある。日本人には普通に使い分けられても欧米人には難しいということは、逆に言えば欧米人の言葉は感情(ことに微細な感情)を表現することにおいて日本語よりも格段に劣っている可能性が高い。言葉だけの問題ではなく、理解そのものが浅い可能性もある。「甘えの構造」には英米人の精神医たちが患者と面接する部分を筆者が見学する場面があるが、そのとき筆者は医者たちが患者の隠れた甘えの感情を容易に察知できないでいることに気がつき「専門家ですらこうなのか」と驚きを隠せなかったとある。
これらがことごとく事実だとすると、人間感情を理解する点において、欧米人は日本人の足元にも及ばないと言えるだろう。あまりにも単純すぎる理解しかない。この映画にしても人間感情がたった5つの感情の働きで支配されているわけだし、しかもその5つのうち映画で活躍するのは「よろこび」と「かなしみ」だけで、極論すればたった2つの感情だけに人間は支配されているとも単純化できる。これはあまりと言えばあまりにも浅い人間理解であり、ここの批評を見てもわかるように物足りなさや浅さを感じてしまう日本人が多いのも納得できるような気がする。それと蛇足だがカタカナ邦題(しかも原題と違う)が気に食わない。「心の中の物語」とかなんとかした方がいいだろう。子供向きなんだから、子供にもわかる方がいい。 【空耳】さん [インターネット(吹替)] 5点(2017-06-17 11:32:18)
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