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《ネタバレ》 物語は、とある女性が彼氏の運転で田舎町をドライブしているシーンから始まる。目的は、彼の両親に初めて会い、夕食をともにするため。予定が立て込んでいる彼女はその日のうちに家に帰りたいと何度も念押しするのだが、出発前から降り始めた雪は次第にその勢いを増していた。「大丈夫なの?」と何度も問う彼女に、彼氏は「ちゃんとチェーンを積んでるから」とどこか他人事。次第に険悪になってゆく車内――。と、ここまではよくある映画の冒頭部。でも、本作はそこから次第に変な方向へと舵を切ってゆく。全く噛み合わない二人の会話、何度も挿入される意味不明なシーン、詩の朗読や過去に読んだ小説の作品論を延々と繰り返す二人、そして彼女のスマホに何度も掛かってくる謎の電話……。目的地である彼氏の両親の家へと辿り着くと、この不穏な空気はますますその濃度を濃くし、やがて観客は気づくことになる。「あ、これはそっち系の映画なのか」と。いわゆるデビッド・リンチ系のシュルレアリスム劇。ここで監督の名前を確認し、僕はなるほどと納得する。そこには、こういう前衛的な作品を撮り続けてかつて天才の名をほしいままにしたチャーリー・カウフマンの名があったからだ。観客の生理に直接訴えかけるような不条理なエピソードを積み重ね、次第に悪夢のような世界に誘う独自の手法は相変わらず健在。この主人公を迎え入れる両親の神経症資質な感じや常にブルブルしている愛犬などなんとも不気味で、この世界観は嫌いではない。最後まで観ても明確な答えなど提示してくれない、監督の嫌らしさも非常に意図的だ。恐らく物語の合間合間に出てくる孤独な用務員のおじいさんがある雪の日、車の中で自殺したときのその脳内に走馬灯のように駆け巡った願望や妄想、過去の思い出を映像化したものだと僕は解釈したのだが、どうなのだろう。ただ、これが緻密に構築された、知的好奇心を刺激する内容だということは分かった。とはいえ、それが面白さに繋がっているかと問われると正直微妙と言うしかない。この分野の大家であるデビッド・リンチの数々の作品と比べると、やはり圧倒的に映像センスや芸術的な深みが足りないように思うのだ。ほんのちょっとシュールなだけの映像を延々見せられ、そこまでこの手のジャンルが好きではない自分としては非常に退屈に感じてしまった。そればかりか、この監督の自己顕示欲ばかりが鼻につく醜悪な自慰行為を見せつけられたようで嫌悪感すら湧いてきてしまった。結論。この監督の映画を観るのは、これで「もう終わりにしよう。」と思う。
【かたゆき】さん [インターネット(字幕)] 4点(2020-11-11 10:13:08)(良:1票)
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