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《ネタバレ》 こと教育(或いは種々の訓練法・トレーニング法)とゆーのに関しては、残念ながら中々「絶対」というモノはないのかなあ…とも思っていますね。それは「絶対に良い」というモノも無いのだし、誤解を恐れずに言えば「絶対に間違っている」というモノも(実はあまり)無いのではないかな…とゆーか、唯々「受ける側の素質・性質に依る」というコトなのかもな、と(仮にその人がその方法で適切に成長できた=目的を達成できたのなら、兎にも角にもそれは多分「正しい」方法だったのだろう、と)。
だから私としてはまずは例えば、特に義務教育の様な(ある面で強制的な)教育の場面においては、本来的には教師・学校の側が生徒個々に合わせて教え方を変えるとゆーのが「あるべき姿」だと思ったりもするのですね。しかし、それは中々理想論の域を出ないコトだよな~ともまた思うのですし、特に今作の様な「スパルタ」をモットーとする教師の場合は生徒に依って態度を変えるとゆーのは尚更困難なコトだとも思いますし、そもそも今作は(自分で選んで入った)大学のお話でもありますので、だからどーいうコトになろーが半ばは生徒自身の責任でもあるのかな、とも。我々生徒の側としては、つくづく入念に情報収集+各所に相談のうえ慎重に慎重に選択をする、というコトの腹積もりは常に必要になってくるのでしょーね(まあそれも、常にそんなにウマいコトいくとは思わないのですが、この世間で一定以上のレベルで「ヤバいヤツ」の噂ってのは集めれば集まってくるモンだとも思いますし)。 とは言え、一方でこの場合でも当然、教育を授ける側の責任として自分がどーいう目的でいかなる教育を行うのかは事前に生徒に誠実に説明する義務があるとまずは思います(取分け今作のフレッチャーについては、その目的にせよ手法にせよ通常の範囲からは間違いなく逸脱したレベルのコトをやっているのですし、あまつさえ生徒からはカネを取ってやってるコトなのですから)。更には、万一にも自分が施した教育の結果として何らか非常に「重大な失敗」が起こったのならば、少なくとも教育者としてはその責任を問われずには済まされないだろう、とも確実に思います。施す者と受取る者という非対称な関係性の観点からも、そこでは常に「目的が正しかったから」「受取る側の同意があったから」「他では通用したから」といった類の「言い訳」とゆーのも総じて通りはしないものだ、とも思っていますね。要は説明責任と結果責任とでも言いましょーか、それを今作のフレッチャーは果たしていたのか。 結論的にはそこら辺も含めて、私は今作のフレッチャーには全く共感・賛同できなかった、なので映画としては諸々の点でかなり優れた作品だと感じつつ、評価としては高くは付けられません(=その示す価値観に根本的に共感できないから)。そして、これは私とフレッチャーのあるひとつの「見解の相違」でしかないとは思いつつ、私はどだい(例え純粋芸術の分野においても)人間性の伴わない才能に価値が有るなどとは全く考えていないのですよね。人間が人間でなくても善かった瞬間など、この世界の・歴史の、何処にも・どの時点にも存在しなかったと考えているからです。音楽でもスポーツでもどの分野でも、最も優れた指導者とゆーのは教え子に何らかの「Arts」と同様に人としての在り方をも教え込むモノだと確信していますし、だからその意味では彼は確実に二流以下の指導者だと思うのですね。更に言うなら、彼は次なるチャーリー・パーカーを見出すコトがその唯一なる目的の様ですが、そもそもジャズという芸術自体を何故に、そーいった一握りの天才の(且つは)才能のみで成立している様なモノだと見做せるのでしょうか。諸々と実に近視眼的で、そして浅薄な男だと思うのですよね。 重ねて今作、私には「それこそが芸術だ」と言っている作品に見えていました。私はそうは思わないので、この評価とさせていただくのですね。 【Yuki2Invy】さん [インターネット(字幕)] 6点(2022-08-26 16:07:29)(良:1票)
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