みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
6.1933年版はクロード・レインズの雄弁な語り口の恐ろしさと、お茶目な映像に味わい深さがありました。対するリブート作は喋らない、姿を見せない演出でのヒリヒリする怖さに息を詰めての鑑賞でしたが、次第に怖さが薄れて盛り下がっていったのが残念。「へぇ、そう来たか」な結末に+2点。 【The Grey Heron】さん [DVD(字幕)] 7点(2022-04-27 04:50:50) 5.人物描写が丁寧。 そのおかげで、透明人間に負けない人物像をもって 相対することが出来た。 ストーカーは透明人間を包括しきれないし 透明人間も然り。 撃たれて出現することや兄弟の存在など、 その微妙なバランスが保たれている映画と思った。 オチもなかなか好みで、 目に見えるもので証明すれば文句ないでしょ? という強気な主人公像がようやく報われたような、良い後味。 【元祖】さん [インターネット(字幕)] 7点(2022-01-09 21:34:41) 4.犯人は始めからわかっているし、テンポは悪いし、私には退屈でなりませんでした。 そもそもエリザベス・モスって女優さん、どこが魅力的なのか全くわからないし、夫がどうしてそこまで主人公に執着するのか疑問でした。 【クロエ】さん [DVD(字幕)] 4点(2021-12-06 02:58:40) 3.透明人間というのはなかなか想像力をかきたてられるテーマなわけで、そこからどんな面白い物語が生まれるのか、期待にワクワクしちゃうわけです。 しかしその扱いが難しいテーマらしく、意外と透明人間を主題においた映画は少なかったりします。 透明なキャラというのはそれが想像で補える小説とかならまだしも、映像で見せる映画との相性が最悪ですからしょうがないのかもしれません。 そんな中で生まれた新しい透明人間映画、これは観るしかないのですが… これ「透明人間」というギミックをはずしてみればそこにあるのはありがちなサイコホラー映画の姿。 この映画の内容であれば「透明人間」というギミックを使わなくても話が成立してしまうのが致命的です。 (もちろん劇中のトリックの類は変更の必要がありますが、そこは映画の本質ではありません) 透明人間じゃなくても同じような話が作れる時点で「透明人間映画」としてはダメでしょう。 シンプルに「透明人間の無駄遣い」 つかインビジブルのレビューあたりでも書きましたが、男子たるもの透明人間になったらやりたい事はエロいいたずらですよ、えぇ。 ワンピースで透明になる実を食べた奴も女湯に侵入してたし、ジャングル黒べぇでも透明になったらヒロインのお風呂を覗いてました。 それこそが透明人間としてやるべき行動です。きっとそうです。 いや一般論としては違うのかもしれませんが、個人的には絶対それです。それしかありません。 そういう意味でもこの映画は間違ってます、うん。 【あばれて万歳】さん [インターネット(字幕)] 5点(2021-04-14 02:55:41) 2.深夜、自室で今作を鑑賞後リビングに入ると、薄暗いいつもの室内が何だかとても恐ろしく感じた。 ぽっかりと空いた何もない空間に“何かがいる”かもしれないという感覚。それはまさしく、この恐怖映画が描き出した「恐怖心」そのものだ。 全編通して、主人公のみならず、観客にもそういう“怯え”を生み出したこの映画のアプローチは、“透明人間”という怪奇映画の伝統を引き継ぎつつ、圧倒的にフレッシュだった。 この新機軸の透明人間映画が、これまでの透明人間映画と異なる最たる点、それは「視点」だろう。 伝統的な透明人間映画が、透明人間となってしまった人物自身の恐れや悲哀、または透明人間としてのモンスター性を描き出してきたことに対して、今作は透明人間に襲われ、「凝視」し続けられる女性を主人公に配し、徹底的に彼女の「視点」でストーリーが展開される。 「何かに見られている」という不安やおぞましさをシンプルかつ洗練された映像表現で徹底的に描きつけ、“何もない空間”に恐怖を生み出した映画的手法が見事だったと思う。 主人公の背後に浮かび上がる“吐息”や、バスルームの“手形”など、ヒタヒタという物音すら全く立てずに主人公に歩み寄る恐怖演出も巧みだった。 主人公の女性の愛称が“シー(see)”であることも、シチュエーションスリラー「ソウ」を生み出した作り手らしいこの映画のテーマ性に対する隠喩であろう。 ただし、この映画が描き出す「恐怖」の真髄は、そういう映像的に表現されている要素のみには留まらない。 夫から支配的なハラスメントを受け続けていた主人公は、その夫婦生活から逃げ出した後も彼の精神的支配から脱却することができずに、苦しみ続ける。 夫の死を知らされても、一人それを信じることができず、見られ続けていることに恐怖し、究極的に追い詰められる。 結果的に方法としての“透明人間”は存在し、夫は死を偽装してまでも妻である主人公を支配し続けようとする……。 が、果たして本当にそうだったのだろうか? “透明人間”による凶行は現実だったけれど、それが本当に夫による策略であったかどうかは最終的に明確にならない。 凶行はすべて夫の兄によるものだったかもしれないし、夫にまつわる恐怖心のすべては心を病んだ主人公の誇大妄想だったかもしれないという可能性が、最後の最後まで拭い去れない。 そういったまた別の「視点」を生む演出も見事だし、主人公を演じたエリザベス・モスの演技と、狂気性を孕んだ表情も素晴らしかったと思う。 人間同士の関係性、もっと言い切ってしまえば「夫婦」という関係性から生じた綻びが導き出してしまった憎しみと怖れ。 この恐怖映画が最終的に紡ぎ出したものは、その普遍的な人間関係が内包する“危うさ”だったのではないか。 そういうふうに、この映画の結末を捉えると、同じく“恐怖夫婦映画”の傑作である「ゴーン・ガール」的なゾクゾクとしたおぞましさに包まれ、思わずこう呟きたくなった。 「こ、怖えぇ」と。 【鉄腕麗人】さん [インターネット(字幕)] 8点(2021-02-21 00:07:08)(良:2票) 1.透明人間なんていう、「見えないもの」を、映画でどう見せるか。というところですが、いや実際、透明なんだから、見えなくったっていいじゃないの、というアプローチの作品になっていて、これが功を奏してます。誰かがそこにいるんじゃないのか、という空間、それが映画の中で重要なファクター、というか重要なキャラクターと言ってもよいような役割を果たしています。何かが起こるんじゃなきいか、という、ボヤっとした空間。この雰囲気は、パラノーマル・アクティビティなんかにも繋がるものがありますけれど、ホレ、この通り、別にインチキドキュメンタリ形式にしなくったって、ちゃんと恐怖が成立するのが、本作を観ればよくわかります。 とは言え、何もない空間に対してひたすら怯える演技をし続ける映画、ってのもさすがに昨今、流行らないワケで、随所に取り入れられた特殊効果が、ちょいとドキリとさせるスパイスになってます。 基本は、SFというより、心理サスペンス。見えるものが正しいもの、である以上、見えないものに怯える主人公はすなわち「正しくないもの」であり、彼女は、ひとり追い詰められていくことになる。だけど透明人間がその姿を垣間見せ、見える・見えないの境界が揺らぎ始める時、物語は一気に加速し始めて。で、最終的にはまた「見えるものが正しいもの」へと回帰していく、ちょっと意表を突くラストへ。 今さら透明人間、という先入観を逆手にとった、意外な面白さのある作品でした。 【鱗歌】さん [ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-01-02 17:26:00)
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