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【クチコミ・感想(10点検索)】
1.映画の終盤近く、ダムに沈む村の人々を写真に撮り続ける父と息子が、山道で立ち止まってふもとの景色を眺める場面があった。そこには、山々に抱かれるようにして村落が広がり、いろんな生活風景が繰り広げられている。農作業に勤しむ老人、洗濯物を取り入れる主婦、学校帰りの子どもたち、自転車をこぐ女子高生、散歩する犬、…。そのひとつひとつを、画面は衒いなく、ただ丁寧に映しとる。そしてぼくという観客は、このなんでもない短い場面に途方もなく魅せられ、いつしか涙ぐんでいる…。
そう、これは、何よりも「風景」の映画だ。徳島の山深い自然の風景ばかりでなく、たとえば人間の日々の生活や営みをも「風景」としてとらえ、見つめるまなざしによって創られた映画。父と子、家族の葛藤と和解を主題としながら、それすらも「風景」のなかの点景として描く映画なのだ。しかも、決して高みから見下ろすような(ある種“傲慢”な)「神の視点」なんかじゃなく。
そんな、「人間」をも「風景」のように見つめること。日が昇り日が沈み、風が吹き木立を揺らすようにして“時間(とき)”が過ぎるごとく、人は生き、やがて死んでいくことを、ひとつの「風景」としてスクリーンに映し出そうとすること。…その時、この映画は、大げさじゃなくひとつの<コスモス(=宇宙・調和・摂理)>をフィルムのなかに創造し得たのじゃないか…と、ぼくは思う。
繰り返すが、それは決して「運命」だとか「死生観」だとかといっただいそれたものじゃない。それは、慎ましい人生の哀歓を、「物語る」のではなくそっと「見つめる」ことで成立していたかつての日本映画のように、ささやかだけれど美しい「風景」それ自体なのだ。
…かつて本作の三原監督が、『風の王国』で福岡アジア映画祭でグランプリを受賞した時、その作品を強く推したのが台湾の候孝賢だったという。彼もまた、「人間」を「風景」のように見出し、映し出す監督に他ならない。そう、『村の写真集』は、たとえるなら候監督の『恋恋風塵』のように美しい映画なのである。 拍手! 【やましんの巻】さん [試写会(字幕)] 10点(2005-05-17 21:21:53)(良:2票)
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【点数情報】
Review人数 |
14人 |
平均点数 |
7.21点 |
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3 | 0 | 0.00% |
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4 | 1 | 7.14% |
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5 | 3 | 21.43% |
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6 | 1 | 7.14% |
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7 | 2 | 14.29% |
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8 | 2 | 14.29% |
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9 | 4 | 28.57% |
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10 | 1 | 7.14% |
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【その他点数情報】
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