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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(10点検索)】
2.あの時の「ひろしま」はこんなふうだったのかと、大きな衝撃を受ける映画だった。 燃えさかる街から川へと逃れる大勢の女学生たち、負傷者で溢れる救護所など、胸に焼き付くような圧巻のシーンの連続だった。 原爆を扱った映画は多々あるが、ここまで生々しく迫る映画は他にないのではなかろうか。 特に、このような悪魔的兵器を民間人の上に落としたアメリカ人の言い分、第三者のドイツ人の見解をさりげなく挿入してくれているので、人間の犯した原爆投下という行為の恐ろしさが、より一層、胸に突き刺さる。配給会社はこのシーンを問題視して、配給を取りやめたそうだが、当時の日本人もアメリカにずいぶんと飼いならされてしまったものだ。残念なことである。 原爆投下による民間人大量殺害は、天変地異ではなく、人類の犯した最大の罪の一つだろう。この映画が一人でも多くの人に鑑賞されることを願って止まない。 【駆けてゆく雲】さん [地上波(邦画)] 10点(2019-09-10 16:23:44)(良:1票) 1.《ネタバレ》 【妻投稿】 1953年といえば原爆投下からわずか8年だ。戦後8年の高校のシーンでは被曝者が8割くらいいる設定になっている。それなのに「原爆を鼻にかけている」「原爆に甘えている」という言葉が出てくる場面がある。 この作品はおそらく広島の原爆投下の惨状を初めて描き出した部類に入るだろう。そしてその悲惨な状況を再現する事に物凄い「執念」が感じられる。私はNHKが作ったドキュメンタリーで、広島の橋でやけどに苦しみ死んでいく人々を撮影した写真を、最新の技術と当時その場にいた人の証言で「映像」として再現する番組を見たことがある。「ひろしま」の被曝者の場面とかなり近い。被曝者の記憶も新しい状況でこんな映画を作るのは、逆に難しかったのではないかと思う。 では何故こんな「再現」に拘る映画を作ったのか。そのヒントが前述の映画の冒頭とラストに存在する。ラストの台詞は2010年代どころか当時から「反米的」「思想的」だと言われていたようだ。だが私にはこれは「思想」ではなく、広島を被曝させ人々を虐殺させた戦争への「怒り」の台詞のように見えた。その後群衆が原爆ドームに歩いて行き、犠牲者が起き上がって歩く場面は、「原爆を語ること」「核兵器や戦争を許さないこと」「怒る」は決して思想的に偏っているわけでも甘えているわけでも間違っているわけでもないという事を表現しているのだ。この場面は(骸骨を売ってでも)生き残った(そして1950年代も死の恐怖と戦っている)被曝者の為に作られたものだ。そして被曝者の視点から、日本人に原爆の悲惨さをぶつける為に作られた場面だ。 【はち-ご=】さん [ビデオ(邦画)] 10点(2017-08-07 02:45:28)(良:2票)
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