みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(7点検索)】
15.神は等しく人々を見守っています。キリスト教もイスラム教もオウム真理教も統一教会も、それは同じです。神は見守るだけで、沈黙を保ち何もしません。人々が神に尽くしている(気になっている)のです。それで良いのです。宗教というものはそういうものです。天文学や医学の進歩より祈りが大切です。真理など毒です。 …というお話しでしたが、映画としては良く出来ていたと思います。特に布教的要素もないので、技術を評価して比較的高い評価ポイントを付けておきます。 【傲霜】さん [地上波(字幕)] 7点(2024-07-08 12:28:20) 14.予想外に見応えがありました。もっと単純に、殉教するキリスト教徒と神なき日本の残虐性みたいな勧善懲悪の図式かと思っていたらさにあらず。日本人的な宗教観もそこそこ語られていて楽しめました。中盤のイッセー尾形との問答や、終盤のリーアム・ニーソンの説く太陽の話などは感心するばかり。江戸初期の田舎の役人のみならず庶民まで、軒並み英語が堪能ってのも驚きです。 しかし逆に美しすぎて、ちょっと気持ち悪いというか。そもそもなぜポルトガルやスペインの宣教師が、遠路はるばる日本にまで布教しに来たのか。宗教的には「これこそ世界にたった一つの真理だから教えなきゃ」という傲慢な善意であり、政治的には「まず文化侵略して手なづけ、次に経済的利得を、そしてあわよくば植民地化してやれ」という意図があったものと思われます。そのことは、ほぼ同時期に中南米で展開された〝布教活動〟からも明らかでしょう。下手すると、日本人も今ごろポルトガル語やスペイン語を母国語にしていたおそれもあるわけで。それを、わざわざ寺請制度まで創設して徹底阻止した幕府は偉かったと言わざるを得ません。 しかしこれ、日本人とキリスト教圏の人とでは、受け止め方がずいぶん違うんじゃないですかね。後者にとっては、どんなに言い訳されても「鬼畜日本」にしか見えないかも。 ちなみに舞台設定としては、かなり前に見た「ミッション」とよく似ています。同作にもリーアム・ニーソンが出ていて、たしか宣教師として〝職務〟を全うする役どころ。この作品とどちらが共感できるのか、ちょっと聞いてみたいところです。 【眉山】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2023-11-24 03:23:52) 13.宗教の意義について考えるきっかけになる作品ですね。よくぞ、スコセッシが作ってくれました。大切なのは自分が信じる神様を自分一人で心の中で信じれば良い、ということ。信じる神様が他人と違うということで他人を不幸にしてはいけない、ということ。自分の中の神様は自分だけのものなのです。そして、自分の中の神様の存在を他人に言う必要もない、ということ。ジョンレノンが言うように、宗教のない世界は平和な世の中になるのかもしれません。でも神様が必要な人も多いことでしょう。一人ひとりが自分の信じた神様を他人に強要(布教活動)することなく自分の中だけで信じれば良いのだと思います。。。 【みるちゃん】さん [DVD(字幕なし「原語」)] 7点(2022-09-10 02:28:21)(良:1票) 12.《ネタバレ》 キリシタン迫害の映画。拷問の痛々しさと、逃げ道も救いもない流れが想像できるので、重たい気持ちで鑑賞。 劇中、キチジローが日本を国として考えてるのとか、村人から番人まで流暢な英語を話してるのとかは、映画らしいディフォルメと考えるにしても、ここまで日本と日本人が違和感なく反映されたハリウッド映画が出来てくることに、時代の変化を感じる。 ディフォルメ表現はあっても、クリスチャン→切支丹、パードレ↔伴天連、パラダイス→パライゾなど、当時の日本で使われていただろう単語はそのまま残しているところが、よく研究して創っているなって感心させられる。 テーマは重たいけど思いの外エンターテイメント作品としてグイグイ惹き付ける内容で、言葉の通じない(とは言えないけど)敵だらけの異国の地で、役人から隠れながら布教活動に務める2人の神父の勇敢さ。切支丹を迫害する悪として登場する役人だけど、そうするに至った理由が語られるたび、ロドリゴ神父への対応を見るたび、日本がしっかり考えた上で、キリスト教を拒否した経緯が観えてくるのが興味深い。 本編とは関係ないけど最初のジェダイ、クワイガンを探しに、最後のジェダイ、ベン・ソロが旅立つ流れは勝手に胸熱。 誤解して、あるいは故意に誤解させて広まった日本のキリスト教。ロドリゴ自身の信仰と、眼の前の信者の命を天秤にかけた説得、棄教を迫るやり方。拷問の残忍さ。何が正しいのか解らなくなってくる。波に打たれても賛美歌を歌い続けるモキチの純粋さ。死を覚悟してもパライゾを信じるモニカの真っ直ぐな眼。どう考えても一番可愛そうなのは末端の切支丹たちに思える。 忠庵の話はなんか納得。ザビエルが“神の御子(SON)”を“大日=太陽(SUN)”と教えた下りは、八百万の神を信じ、その頂点に天照大御神(大日)を置く日本古来の考えとマッチした…と言うか寄せてきたんだなって。科学技術も宗教の研究も進んでるポルトガル人が、村人一人ひとりに寄り添って「この教えが正しいんだよ」と言えば、普段顔も見られない殿さまと、その下の役人に足蹴にされて、重たい年貢を強いられる村人は「そうなのかぁ、知らなかったなぁ」って信じただろう。踏み絵の際の「カタチだけで良い」は、悪魔の甘い囁きなんだろうか。キチジローのように踏んだ者への扱い(放免)を考えると、本当に出来る限りの譲歩はしていると思える。日本に限らずキリスト教徒はこの映画をどう観るのか。 日本は無宗教の国家だけど、宗教を信じている人は人口の2~3割。だけど各宗教団体の信者数を足すと2億人を超えるらしい=人口の約2倍。これも正しいのかどうかわからないけど、キリスト教を拒否した結果、日本は植民地支配を免れたのかと思うと、宗教の必要性とか役割について、色々考えてしまうなぁ。 【K&K】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2022-05-22 14:35:54)(良:1票) 11.なんだろ~ 観ていくうちに ぐいぐい引き込まれていきました~ 江戸時代初頭 キリシタン弾圧を背景に、一人の神父が辿った運命を深く丁寧に描いた物語..とてもシリアスで、信仰とは何か について考えさせられる作品... 【コナンが一番】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-22 18:31:11) 10.キリスト教を信じている人を悪くいうつもりはないが、やっぱり、キリスト教って怖い。殉教って観念があるのが怖い。でも、そんなキリスト教にすがるしかなかった当時の百姓のことを思うと複雑。キリスト教って人の弱みにつけ込む宗教なのがよく分かる。 【木村一号】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2020-09-20 10:56:38) 9.「意味がないから形だけ」と言われても、踏めないものなんでしょう。ただここまでの悲劇を強いる宗教の依存性に怖さも感じる。キチジローの存在は非常に違和感を感じるが、映画のテーマには不可欠。 【noji】さん [インターネット(字幕)] 7点(2019-05-05 08:08:20) 8.<原作未読>キリスト教禁止令下における信者への言葉は渡辺謙演じる伊達政宗のそれが記憶に残っている。「心の中で信じても良い。しかし、宣教師は近づけてはならん。自らの教えを広めることもならん。また『キリシタンを信じても良い』と言うた儂(わし)の言葉を世間に漏らしてはならん」というものだ。この映画に出てくるお役人も「形だけだ」「心から踏まなくていい」などと言っている。信仰は自分の中に留めておいてくれればそれでいいと。イノウエ様のやり方は惨いが、目的は国を守るためであり、通訳が言った「一方に引き入れなくてもいいじゃないか」には思わず頷いてしまった。単なる善悪にはしてないから日本人が見ても納得できる。映像もいいし、おかしな日本語を話す日本人が出てこないのもありがたい。ただ、一つ気になるのはキチジローのこと。これはスコセッシではなく、遠藤周作への注文ということになるかもしれないが、少なくとも自分は家族を生きたまま焼かれたら復讐の鬼と化す。転んで、許しを請うて、また転ぶ。弱者の象徴としての存在意義は分かるが、なかなか共感できないのが難点だ。 【リーム555】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2018-02-13 17:37:48) 7.《ネタバレ》 世界的感覚なら、9点10点を付けるべき名作なのかもしれない・・。 しかしながら、原作小説自体に、感銘も感動も無く、感慨はあるという程度の内容で、 それを、長々と映画にして見せられるのは、自分の映画嗜好とはベクトルが違いました。 キリスト教の思想が、当時の社会構造を引っくり返しかねない危険な物だとされたのは、 あの時代だから仕方ない事。宗教戦争や弾圧は世界中で繰り返されたのだし・・。 なんか、これ見ると(読むと)日本人として悲しくなってしまう。 日本は沼ですか・・ 現代の日本人は、キリスト教も浸透せず、仏教にも無関心になり、葬儀ですら形式だけだ。 よくよく話してみれば、神の存在を信じない無神論者のカミングアウトも少なくない。 神は何故沈黙を続けるのかを、悩む前に「居ない者に何を期待しているのかの疑問符」 今時の日本人には、他人事ポカーン状態だと、スコセッシは認識しているのだろうか・・? キリストの布教活動を、中国・インド、そしてイスラム圏で実行したら何が待っているかなあ それらが上手く進展するのなら、世界平和も夢物語では無くなるのかもね。 形だけで一瞬軽く踏むだけでいいぞと言う一方で、首チョンパでゴロンゴロン・・ 世界に宗教が一切無かったら、どんな世界だったかなあ? 【グルコサミンS】さん [DVD(字幕)] 7点(2017-09-25 00:04:05) 6.時代考証などがしっかりなされており(たぶん)、洋画にありがちなヘンテコな日本が出て来ないので安心できる。俳優達の演技も凄いし見応え充分。ただ、テーマがあまりにも重厚かつ宗教がテーマなため、信者でない私にはそこまで入り込めなかった。人気若手俳優だろうと関係なく容赦なく殺されるのが素晴らしいと思った。 【ヴレア】さん [映画館(字幕)] 7点(2017-03-28 00:17:23) 5.これは、中島みゆきさんの「背広の下のロックンロール」思い出したよ。 うまく化けてるね 見分けがつかない程に 怒り 願い たくし込んで 誰に見せる為じゃない 己れの為だ・・。 【タケノコ】さん [映画館(字幕)] 7点(2017-02-14 15:56:45) 4.《ネタバレ》 ないものねだりの感想です。今回、禁教となった日本への潜入を宣教師の視点から描くために、徳川時代の日本がひどく暗鬱に描かれています。公平さに努めながらも、宣教師のフィルターにかけられた日本を、監督も意図しているのでしょう。クリスチャンの監督には地獄ですからね。 ですが、当時の長崎の、迫害と関係ない人々から見ればその地の美しい自然と景観を楽しむことができたはずなのです。それこそ「神に祝福されている」ように。眩しいほどの美しさの中で踏み絵が行われているほうが、イエスへの疑いに苦しむ様子をさらに恐ろしく演出できたかもしれないな、と思いました。 パンフレットによると、監督は「自然をクローズアップで撮りたいと思っていますが、私にはどうしてもできなかった。」と述懐しています。 今作ではBGMはほとんど使われず、虫の声や風雨の音を多用しています。監督はこれを神の声が聞こえない虚無・雑音と捉えたのか?それとも神の声そのものと捉えたのか、知りたくなります。 【みみ】さん [映画館(字幕)] 7点(2017-02-14 11:13:06) 3.《ネタバレ》 期待が高すぎた。最初に噂を聞いてから何年も経っている。自分の中でかなり都合よく再解釈されてしまったかも知れないこの魂の物語を、写実的表現の映画で納得・感動できるというのが、無理だったのかもしれない。 それでも大好きな小説の映画化だ。人間の行いと不釣り合いなほどの大自然の美しさとの対比などは、映像作品ならではの魅力である。 私にとってのこの小説の魅力というかキモは最後の「踏むがいい」という「主」の声である。イエスでさえこの場にいたら踏むだろうという極限の選択を迫られた者にしか聞こえない、主の声である。それからの「そのために私は十字架を背負ったのだから」までは、初めてこれを読んだ高校生で無宗教であった私を打ち震えさせた。だが、これは魂の描写だ。映画でここを感動させるのは難しいだろうと思っていた。果たして実際にその場面を見てみると、実に普通の、モノローグと変わりない表現で肩透かしであった。奇を衒った表現を期待したわけではないが、あまりに普通。そこが感動の頂点になるような、盛り上がりがあって良かったと思うのだ。原作では絶えずロドリゴは主に呼びかけていた。これは主観的な表現でそれに対応した表現としての声。それまでの客観表現に突然声が聞こえれば??となるだろう。 棺桶の中で最後に持っていたものについて。あれは、日本に入ってきて変質してしまったキリスト教の象徴のような思える存在なのに、それを持っているのは違和感がある。ロドリゴは教会のでも切支丹のでもない、彼のみに答えた「主」を感じて、絵を踏んだのだ。彼が生涯持っていたとすると、それを表現したものでなければおかしいのではないだろうか。 さて本編とは関係ないのだが、パンフレットにキチジロー役の俳優のインタビュー的なものが載っていて「キチジローは弱い人間ではないと思う」などと書かれている。いやいや、キチジローは弱い人間なんだってば。なんでもポジティブに或いはユニークな考え方をすりゃ良いってもんじゃない。遠藤周作は転び者・弱い人間を肯定的に描いて、それを許す母性の神というものを描いたのだ。キチジローが強くなっちゃったら作品世界が全く違うものになっちゃうよ。こういったチグハグ感がこの映画をイマイチ感動できないモノにしているのかもしれないなあ。 【Tolbie】さん [映画館(字幕)] 7点(2017-02-09 10:53:00)(良:1票) 2.《ネタバレ》 ドラマの流れは篠田正浩版(1971)同様、ほぼ原作に忠実だが、冒頭のポルトガルの場面やエピローグの「切支丹屋敷役人日記」の章が映像化されたことで 長尺となっている。特にスコセッシ流の解釈が施されたラストの十字架のショットは映画独自の表現となって印象深い。 1600年代を再現するランドスケープも厳選されており71年版に引けを取らないし、波音をはじめとする環境音の演出も充実している。 浅野忠信、塚本晋也らも安定の好演だが、イッセ―尾形はエキセントリックすぎて嫌味な印象だ。 岡田英次のほうが、穏やかな凄みがあった。 原作のクライマックスシーンは現国の教科書にも採用される有名な箇所だが、 その文章のもつドラマティックな迫力は、「白い朝の光が流れこんだ。」「朝方のうすあかりの中に」「黎明のほのかな光」「鶏が遠くで鳴いた。」などの 極めて映画的描写の充実にもよる。 篠田版は宮川一夫を撮影に起用してそれらの光を忠実に導入し、壁の「LAUDATE EUM」の文字を、踏み絵の図柄を、ロドリゴのシルエットを崇高に浮かび上がらせた。 遠藤周作が強く意識して描写しただろうその肝心な「夜明け」の光をなぜかスコセッシは映像化しない。 その代わりに、篠田版が賢明にも省略した「あの人」の声を聴かせてしまうという、この辺の感覚は違和感を抱かざるを得ない。 あるいは、スコセッシがあえてそのように処理して安易な審美性を拒んだというのは、現在の世界は未だ夜明けには至らないという諦念ゆえだろうか。 溝口的な、濃霧の中に浮かぶ小舟のショット。その視界不良で不穏な様も、全編を覆う曇天とともに何やら現実世界を連想させて、ぞくっとさせる。 異教と民族を巡る分断と排他主義が拡がる現在、時宜を得た公開ではある。 【ユーカラ】さん [映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2017-01-22 11:29:49) 1.原作は読んでいません。長い、そして暗い! そして宗教は面倒くさい。映画としては悪くなかったですけど。。。 【kaaaz】さん [映画館(字幕)] 7点(2017-01-21 18:36:16)
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