みんなのシネマレビュー |
|
|
|
ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(8点検索)】
3.《ネタバレ》 酷評の嵐だったので、ハードルが下がっていたためか、だいぶ楽しめた。 ドラクエⅤはSFCやDSで何周もするほど大好きで、モンスターも全部仲間にし、レベルを全キャラカンストさせたほどでもう愛していると言ってもいいのだけど、この映画、私にとっては悪くなかった。 あの壮大なストーリーを2時間の映画にするのは土台無理な話で腹をくくっていたのだが、要所要所を丁寧に綺麗で迫力ある映像に仕上げつつも大胆にストーリーのカットや改変、ダイジェスト等を行っていたのでやはり不満は募った。一方でキャラクターの喜怒哀楽を表情豊かに表現していたのはとても満足できた。ビアンカもフローラもすごくかわいく、結婚関係のエピソードは改変しつつも良くできていたと思う。 そして問題の終盤の展開は、よく「制作者はゲームのプレイヤーをバカにしている」と炎上していたが、私は世界観のネタバラシに関して、なるほどそういうことであればダイジェストも改変も仕方ないよなというのと、これは「天空の花嫁」ではなく「ユアストーリー」だから別物だよなと割り切り、そう思えば悪くないのではと思えてきた。 そしてコンピューターウイルスの登場とその発言は、ゲームを楽しんでいる人に水を差す、世間のゲームを良く思わない人・関心がない人たちとそのいまだによくある価値観・意見であり(自分も幼少の時から今でも、ゲームにのめりこんでいると親からよく言われたものだ)、それに対しそんなことはない、ゲームをプレイした経験や体験は本物であると否定する。これは今までドラゴンクエストをプレイしてきた・している私たちを全肯定してくれていることに他ならない。劇中の主人公同様、自分が子供のころにドラクエシリーズをプレイした思い出がぶわっとフラッシュバックし、胸が熱くなった。 この「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」はタイトル通り、ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズをプレイした鑑賞者個人の経験で補完することで完成する映画だった。ドラクエⅤの映画化なんて無理ですよ、原作ゲームより面白い映画なんて作れないですよと白旗を上げ、ゲームをプレイした思い出を懐古させる。確かにドラクエの映画化というのは、これが正解なのかもしれない。どうやったって個人がプレイするゲームに勝る映画なんてできっこないのだ。 なかなか思いついても実行はしないような構造をしている映画だが、そこのチャレンジ精神も含めて、評価したい。エンディングで名曲メドレーをやってくれたのもうれしかった。映画のエンディングが終わり、現実に戻るとき寂しさは、ドラクエを全クリしてエンディングを見終わったときの寂しさと同じものを感じた。 【eureka】さん [映画館(邦画)] 8点(2020-08-06 01:44:13) 2.公開当時の結末の不評が気になるところだったが、 実際に観てみたら案外思ったほどでもなく、むしろ良かった。 ただのドラクエだけに留めなかった手法はアリだと思います。 随所に渡る「ドラクエっぽさ」や冒険感がすごく再現されてる。 ドラクエの魅力がたくさん詰められてる感じがします。 色んな要素も練り込んであるので飽きないですね。 個人的には結婚を申し込むシーンが最高潮でした。 はすっぱな有村架純(ビアンカ)も悪くないなぁ。 ゲームは悪と言い張るオトナにこそ伝わってほしい内容(伝わらないだろうけど) そしてドラクエ(FC/SFC)で育った世代のオトナこそ観てほしい内容。 『大切なことはゲームから学んだ』 FFの映画よりは…うっ!頭がっ… 【愛野弾丸】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2020-06-14 09:33:13) 1.《ネタバレ》 CG映画が、ポリゴンの塊であることは、誰もが知っている。そもそも映画とは、暗い部屋に投影される光と音にすぎない。そもそも小説は文字の順列にすぎない。ミッキーマウスは労働者の着ぐるみ。人間とは血と骨と臓器のうまい具合の絡まりにすぎない。そんなことは言われなくてもわかっている。みんな知っている。なにもかも虚構であり、物理で記述可能なのだ。そんなことはもうとっくのとうに『新世紀エバンゲリオン』で味わっている(特に、世界の中心でアイを叫んだけもの)。だから「それがどうした。」なのである。そして、こういうメタ認知構造を突き付けてくる作品は、僕は嫌いじゃない。 だいだいだなあ笑い男よ、僕たちはね、ぼうけんのしょが消えるという、我が実存そのものを全消去されるショックを耐え抜いて今を生きているのだ。なぜって、勇者だからさ。 僕たち人間のスゲエところは、上記のような「現象」でしかないものに「価値」を見出すことができるということ。そしてその「価値」は、いかなるものからも傷一つつけられることはない。そう、あのラスボスであってもだ。(ぼうけんのしょが消えたときはかなり傷ついた) ここは意見が分かれるところだと思うが、僕は、あのラスボスは何も破壊できていないと思っている。だってミルドラースのバグですよ、そりゃ弱いでしょ。 しかもこの映画、ちゃんと笑い男に打ち勝ってるではないか。そのときの武器がアレなのも大いに共感できる。てんくうのつるぎは、僕(=ゲームの主人公)には装備できなかった。でもアレは、僕にも装備できる。なぜって、勇者だからさ。そしてエンディングが「そして伝説へ」。 それに中盤、ところどころにラスボスシーンの必然性(ピンクの聖水のトリップ反応、クエストというセリフ、設定というセリフ、雑な端折り)が仕込まれていたので、丁寧な仕上がりとなっていると言える。轢かれた猫のような衝撃はそれなりに緩衝できるように作られている。 でもさすがにラスボスに負けていたら、今頃ボロカスに書いていただろう。 ガキの頃ドラクエと出会い、ドラクエで言葉や計算を学び、ドラクエで人付き合いが増えた。20歳くらいになるとDSとかプレステとかでリメイクされ、ドラクエと再会した。最近ではユーテューブでプレイ動画(ありえねえ裏技があってびっくり!)見る。そして今、CGで映画としてよみがえりしドラクエだが、僕にとってのドラクエは最初から今まで一貫して変わらぬ存在。これが「価値」だ。しょせんゲームで、しょせんドラクエだ。「時間の無駄」と言われれば何も言い返せない。それでも、今でも僕が僕であるための支えの一つである。これはきっと多くの元少年も思いを同じにするところだろう。 要するに、つうこんのいちげきと捉える人が多いけれど、僕にとってはかいしんのいちげきな映画だった。僕は支持する。感動した。ありがとうドラクエ。 【no_the_war】さん [映画館(邦画)] 8点(2020-03-27 14:39:13)
【点数情報】
【その他点数情報】
|
Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS