みんなのシネマレビュー |
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2.この映画の良いところはゴジラへの愛がないところです。愛なんてろくなもんじゃありません、くだらないこだわりでしかないです。既存の作品のイメージにこだわらずに震災のイメージを借用し現代的な作品として再構築することに成功しました。その上で言います、この映画の悪いところはゴジラへの愛がないところです。庵野秀明という人はエヴァンゲリオンというアニメーション作品においてキリスト教の要素をあちこちに散りばめておりましたが肝心のキリスト教がどういう思想かという点には全く興味を持っておりませんでした。あくまで表層的に言葉のカッコよさだけで引用していたわけです。この映画ではゴジラは日本神話に登場するヤマタノオロチになぞらえられております。しかしこれがまさに表層的にしか物事を理解していない人間の陥る誤りなのです。ゴジラは日本の作品である、ゴジラは神のごとき存在である→日本神話の中から何かを引用しよう→日本神話に出てくる怪獣といえばヤマタノオロチだ、こういう思考の流れだと推測します。しかしゴジラはヤマタノオロチではなく、むしろそれを退治したスサノオに近くはないでしょうか?高天原(≒東京)を荒らした後、地上に降りヤマタノオロチ(≒キングギドラ)を退治し英雄となるような存在なのです。スサノオのように複数の顔を併せ持つことがゴジラが愛されてきた理由ではないでしょうか。この映画はその点の解釈で致命的な誤りを犯しているためシリーズにおいて異端でしかあり得ません。そしてその方が一個の作品としては正しいとも言えます。 【Сакурай Тосио】さん [インターネット(邦画)] 1点(2023-03-11 23:25:41)(良:1票) 1.映画見に行くまでに、下記の葛藤を経て見に行ったわけです。 「なんか評判いいなあ・・・庵野ファンが持ち上げてるだけじゃないだろうなあ・・・」 「この監督の実写って、評判よくなかったよなあ・・・でもこの高評価は、それなりに上達したって事なのかなあ・・・」 「まあ他に見たいものもないし、とりあえずこれにしようかなあ・・・」 で、見に行ったら、案の定でした。 一言で言えば、庵野監督ファンか「日本国だいすきー!てゆーか日本国大好きな俺自身がだいすきー!」な人のための映画です。 上記のどちらでもない、ただの娯楽作品が見たい人にはおすすめしません。 全編を通してひたすらひたすら、偉い人たちがくどいまでに会議をやってるわけですよ。 登場人物個々のキャラクター性だのドラマだのは一切カットされ、ひたすら室内で早口で話し合っているわけですよ。 噛みそうなくらいの早口で、滑舌も悪く、演技に重さもドラマ性もない。 そしてセリフが聞き取れなくてもあんまり支障がない。 破壊された街も、悲劇の姿勢の人々もほとんど出てきません。肝心のゴジラさんの出番もかなり少なめ。 もう華がないったらありゃしない。 唯一華があったのは、ゴジラさんが暴れる一瞬のシーンだけ。さすがこのシリーズの主人公だけはあります。 「キャラの個性やドラマを押し出さないのは個を消して全体を映そうとしてるから」なんて解釈もありましたが、この監督はなんでそんなに「全体」にこだわるのでしょうか? 某作品では、文字通り人類をひとまとめにしてしまいましたが。 なんか色々と地雷なので、この監督の作品は二度と見ません。 【カメタン】さん [映画館(邦画)] 1点(2016-08-28 05:15:16)
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