みんなのシネマレビュー |
|
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
43.《ネタバレ》 僕はこの映画、あまり感心できなかった。ラストの方で「なぜ皆と同じように過ごせないか」と夜中になくシーンがありましたが、そこから映画を始めるべきだろう、と思いました。28年間の自分では何もできず、排泄の処理などやはり精神的につらいこともあったと思います。でも周囲は生きてくれることを望んでた。そして、詩を書いてた。自分を表現する事ができたのですよ。僕はこの詩集から主人公に生きようと思わせる何かが始まって欲しかった。カメラに向かって自殺のコメントを述べるシーンがありましたが、あれは彼に残された最後のプライドのあらわれだったのかも。まあ、「ジョニ-は戦場へ行った」という映画もありましたけど、ヨーロッパの方がこういう映画はうまいですね。この監督、次作に期待します。 【トント】さん [DVD(字幕)] 6点(2007-12-17 19:23:04) 42.すごく劇場で観たかったんだけど、忙しくて逃したから家で観賞。 テーマが尊厳死と重く、ずっと手が伸びずにいた。 邦題が素晴らしいと思う。 景色や海がとても綺麗で、そこから色んなものを感じることができる。 主人公が聡明で人として尊敬でき、その態度や台詞など驚嘆に値するものだった。 私じゃとてもこうはできない。 だからこそ胸が痛んだ。 なんで笑っているの?という質問の答えに、感動した。 一人の女の子がちょっっと顔までうざったく、嫌だったのがかなりのマイナス。 少し間が飛んだ展開や今一歩のシーンなどが惜しいけれど、俳優さんの上質な演技によって大分埋められていたと思う。 この主人公を知ることができるだけで、何にも代えがたい経験だと思う。 いい映画でした。 【祥子】さん [DVD(字幕)] 8点(2007-09-13 12:31:36) 41.《ネタバレ》 事故により四肢麻痺に陥ったラモンが尊厳死を求め、周りの多くの人々との関わりを描いた作品。 この映画ではあくまで、尊厳死を肯定したものではなく、 様々な考え方から、観ている者に考えさせられる作品になっています。 中でも私が印象的だったのは、死ぬために生きる。前向きな死。 といった事。 日本で一般的に言って、「死」とはあくまで後ろ向き、逃げ、なものであると捕らえられる事が多い。 だが、映画中にもあるように、周りの人の愛情は素晴らしく、まさに愛に溢れた環境にあるラモン。 それでも、ラモンは事故にあってから26年間の自分の人生に尊厳はなかった、というのが強く残りました。 似た境遇であるフリアと出会い、ラブストーリーもあるんですが、 それに対比されたように、いわゆる普通の恋愛もさりげなく描かれており、その2つが印象的です。 観終わり結果、答えが出る訳ではありませんが、一度観る価値のある大人の映画だと思います。 【コショリン】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-07-29 22:15:10)(良:1票) 40.ずっと観たかった映画。切ない、これに尽きる。主人公本人だけでなく、家族である兄・兄嫁・甥の心情も台詞の説明でなく伝わってくる。各々が皆結局主人公を愛しているのがひしひしと伝わる。重いが鑑賞してよかった。鑑賞後はやはり疲れるので“観る前に覚悟のいる”映画のひとつ。 【いわぞー】さん [DVD(字幕)] 8点(2007-02-18 18:38:11) 39.《ネタバレ》 世界各国で様々な映画賞も受賞している評価が高い作品なので、どうしても過度の期待をしてしまいました。この映画のテーマは尊厳死、海の事故で四肢麻痺になった男が20年以上もこの状態の自分をもう死なせて欲しいと願う話です。実話がベースといった部分を尊重しているのか、製作側の尊厳死に対する意志はあまり感じられません、賛成でもなく反対でもなく中立、いや見守りながら静観といったところでしょうか、あくまで観る側の判断に委ねている感じがしました。テーマがテーマなので常に重い雰囲気なのですが、ラモンと神父が伝言で言い争うシーンが唯一笑えるところでした。もっと心が揺さぶられるのかと思っていましたが意外に最後まで淡々とした作品でした、主人公のラモンを演じた当時35歳のハビエル・バルデムに7点です(これにはびっくりでした~)。 【眼力王】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-01-22 23:23:03) 38.死を認める人の意見はそれはそれで然り、死ぬべきじゃないと謳う人の主張も然り。ラモンが突然取り乱したり、空を自由に飛ぶ夢を見たりする場面にはとても切なくなりました。献身的な家族の介護があり、様々な人がラモンの言うことに耳を傾けてくれる(しかもやけに女性にモテる)暮らしの中でも、逆に完全に無意識状態なわけでないからこそ余計につらい思いをしているのがよく伝わってきました。尊厳死に対する答えはない、というのがこの映画の答えなのではないでしょうか。 【Thankyou】さん [ビデオ(字幕)] 8点(2006-12-27 23:54:44) 37.私はラモン本人よりむしろまわりの家族や友人、恋人などの気持ちが気になりました。息子のように愛して世話をする義理の姉、安楽死を断固として認めない兄、自ら死を望む息子を見守るしかない父、生きる意義を見出そうとする恋人、同じ悩みを抱える恋人、ラモンを応援する友人たち。お兄さんが「死ぬのは一瞬のことじゃない、もうラモンに会えなくなってしまうということなんだよ!」と甥っ子に言うシーンでは素朴ながらラモンへの深い愛情を感じました。この映画では誰も間違ってなんかいなくて、だからこそ、悲しい。 【kaneko】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-12-12 10:35:42)(良:1票) 36.答えが出せるはずが無い。そんな映画でした。こういう映画に出合うと、やはり「自分がその立場だったらどうするか?」って考えてしまうのですが、どうやったって答えなんか出ないんですよね。自分みたいに考えの浅い人間だと、ただ気が重くなってしまいます。ストーリーは淡々としてるのですが、飽きさせる事無く最後までしっかり見れました。 【はむじん】さん [DVD(字幕)] 6点(2006-09-08 01:34:24) 35.《ネタバレ》 まず言ってしまうと、この作品が「尊厳死」というテーマとしっかり向かい合ったものとは思えない。尊厳死を認めて欲しいと支持者と共に国を訴えた実在の人物の様子は描ききれていないと思う。法廷のシーンなどはとてもあっけなかったし、病に侵されたフリアの生死への決断なども曖昧に流してしまっている。この映画の視点は、主人公ラモンの周りにいる、私や多くの観客、そして監督も含めた「普通」の人のものに近いと感じた。日々のつたない大波小波で疲れ切っているロサ、日常の営みで一番多く義弟と向き合い、飛ぶ夢を見るどころか海辺の散歩もままならないマヌエラ、厳しい小言を言われながらも叔父が好きなハビ少年、自分と同じ視点を持った彼らに感情移入してしまうからこそ、愛する家族の胸の内を想い、希望を叶えたい気持ちと彼を手放したくない気持ちとの交差に胸が詰まるのだと思う。歳は取っても可愛い我が子に変わりない、その子が「死」を勝ち取りたいと願う姿を見る爺ちゃんなど、私にはまるで正視できなかった。「尊厳死」でなく、生きていれば誰もが直面する「死」と「命」について、自分自身の記憶も含めて思い起こさせ、ゆっくり向き合って考える良い機会を与えてくれたとは思う。しかし、ハビエル・バルデムの優しい佇まいはさすがのもので、死んでいくシーンよりも悲しげな笑顔の方が一層深く脳裏に残っている。この次はどんな姿の彼が見られるのか、期待が膨らむ。 【のはら】さん [映画館(字幕)] 7点(2006-08-02 21:03:02)(良:1票) 34.過剰な自意識の持ち主ほど、自殺するとき、自分の死に意義を見出そうとして尊厳死などと嘯きます。 ちなみに日本における自殺者は、年間3万人を越えていると言われますが、この数字は少し勘違いしやすい。 これは自殺に成功した数であり、自殺未遂者を含めると、約10倍の30万人なのです。 つまり30万人の人が、どこかで自殺を行って、そのうちの1割は自殺に成功し、9割は失敗しているのですね。 「絶望」は、いつ私たちを襲うか分かりません。 現代における私たちは、病魔に殺されるよりも、自分に殺される可能性が高くなってきたように思います。 こういう状況だからこそ、「人が生きることは権利であり、義務ではない」という言葉が胸に響きます。主人公の死を望む気持ちが「尊厳死」であれ、「自殺」であれ、もし生きることが義務ではないのなら、私たちには死ぬ権利があるのではないでしょうか。 それとも人間は、自殺したいほど人生に絶望していても、愛してくれる相手や、お世話になっている人のために生き続けるべきなのか? しかし人は絶望したとき、他人のことを考えられるほど寛大ではないと思います。 ラモンのことを自分勝手だと思うことは、絶望を知らない健常者の傲慢な見方かもしれません。 人は絶望の前では、みんな自分勝手になるのだと思います。 ただし尊厳死という言葉は存在してはいけないと思う。これは死を正当化したり美化する言葉です。自殺といえばいいじゃないですか。問題は自殺が悪いのかどうかということだと思います。 自分から死を選ぶことは立派ではありませんし肯定できるものではないと思いますが、完全に否定しきれない難しさがこの映画から伺い知ることができます。 【花守湖】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-05-18 20:23:56) 33.淡々とラモンの世話をするマヌエラが秀逸。尊厳死については昨今、軽々しく「賛成」と言われがちだけれど、命についてはもっともっと深く考えるべきであると思う。神父が非常に傲慢な人物に描かれていたけれど、彼も四肢麻痺障害を抱える身として「他人のやっかいになりながら生きながらえる」ことの価値を見いだしたかったのだと思う。人に迷惑をかけないために自ら命を絶つことは決して美徳ではないし、その人が命を絶ったからといって残された家族は救われないのでは。「自らの意志を尊重する」というのはそう簡単なことではない。神父の介護をしていた彼の迷える瞳が印象的でした。 【longsleeper21】さん [映画館(字幕)] 7点(2006-05-17 16:31:35) 32.《ネタバレ》 「尊厳死」という難しいテーマをじっくりと真正面から描きこんだ素晴らしい作品。 「生きるとは何か」「死とは何か」「人は誰のために生きるのか」「不治の病に対する向き合い方」「病人と家族の関係」など様々なテーマに向き合っている。 以下ネタバレ。議論があるとは思うが、個人的にはラスト付近は不満がある。 やや表面的というか、あっさりと描きすぎている感じがする。これは「尊厳死」といってもやはり「自殺」であることには変わりがない。その自殺を美化するのは避けようという監督の考えがあったからではないかとは思う。 本作を見るのは、健常者だけではない。同じ境遇を抱える人も見るだろう、そんな人達に対して「死」を美化させないようにしている気がする。 ラモン自身も、死んだ後に来世のようなものを期待はしていない。はっきりと「死んだ後は何もない」とロサに語っているのが印象的だった。 個人的に一番考えさせられたのが、ラモンとフリアが選択した手段の違いだ。 フリアも尊厳死を望んだが、直前になり死への恐れが彼女を襲ったのと、夫の献身的な愛がそうさせなかったのだろうか、彼女は「死」という選択を選ばなかった。あれほど分かり合えたラモンのことですら忘れてしまうことが彼女にとって幸せなのか、生きているといえるのかどうか。 確かに夫は彼女の死は望んでいないだろう、自分のことですら何もかも忘れてしまっても生きてさえいればそれだけで満足だと思っているかもしれない。 フリアは自分自身よりむしろ夫のために生きる決意をしたと思う。 一方、ラモンも素晴らしい家族に囲まれている。兄のホセ、ホセの妻マヌエラ、二人の息子ハビ、そして父ホアキン。ラモンは残される彼らのことを考えなくてはいいのかと思う。 あれほどユーモアに溢れ、素晴らしい詩を書くラモンが死ぬことなんて誰も望んでいないはずだ。特に兄のホセは「死」を現実問題としてきちんと受けとめている点が胸を打つ。 しかし、人は誰かのために生きるのではない。人は自分自身のために生きるのだと改めて感じた。自由を失い、夢を失い、好きな人に触れることもできないそんな人生に果たして意義を見出すことができるのか。 自分をプラスに導くための死という考えは、映画の中だけでなく確かに社会として向き合わなくてはならない問題なのかもしれない。 【六本木ソルジャー】さん [映画館(字幕)] 8点(2006-05-06 03:04:08)(良:1票) 31.果てしなく広がっていると思った自分の未来が突然絶たれて絶望することもあるだろう。重度の障害を持ってしまったら毎日家族の手を借りなければ出来ない排便の羞恥や屈辱に生きている事さえも疎ましく思うことの連続かも知れない。他人からは荷物のように扱われ無能呼ばわりされたりすることもあるだろう。悲しいことだが世の中には自らの意思で生も死も選択できない状態の人が相当数いる。訪ねてきた人と愛について語らうことも詩を詠むことも出来ない。それでも細胞は残された力を最大限使って生命だけは維持しようとするのに。聞けば動物の中で自ら命を絶つという行いをするのは人間だけらしい。最も「知」を持つはずの人間が動物としては最も愚かな行為に走ってしまう。死のうとする人にどれほどの苦しみがあったのか私には解らないが、強い逆境の中にあっても、或いはどれほど虐げられていようが撥ね退けてもまだ更に花を咲かせようとする程の強靭な生命力を持つのが人間本来の「知」の姿なのであり、そして死のうとする主人公の姿を切々と見せる事により逆に天寿を全うして迎える死こそ素晴らしい最期なのだと再確認させる事がこの作品の狙いだと信じたい。 【WEB職人】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2006-04-29 13:39:57) 30.《ネタバレ》 大体、これが尊厳死と言えるのんだろうか?主人公は脳死でもない、機械によってなんとか生かされている訳でもない、重い病で苦しんでいる訳でもない。元気に毎日憎まれ口を叩きながら、随分悠々と生きている。しかし、こんな状態の自分に我慢出来ないから死にたいんだという理屈。尊厳死にかこつけた自殺志願にしか見えません。何十年も介護してくれた周りの人間に対する顧みは一切無い。むしろ、みんなの為に俺はこんな身体でも今日まで生きて来てやったんだと恩着せがましい主張をしている。なんだかなぁ。尊厳死はともかく、それにかこつけた自殺なんぞに肯定は出来ません。 【MARK25】さん [DVD(字幕)] 3点(2006-04-28 23:53:49)(良:1票) 29.《ネタバレ》 いろいろなことが頭に浮かんできて、収拾がつかない。死とは?愛とは?自由とは?権利とは?義務とは?家族とは?生とは?何だ。おかしい。一年ほど前に自己死については一応の答えを出したはずだが、わからなくなってしまった。もう一度考え直さなければ。ただ思ったのは、ラモンもあの神父ほど傲慢だったら死ななかったのだろう、ということ。それも「涙を隠す」一つの方法だったのかもしれないが。 【透き通るBlue】さん [DVD(字幕)] 9点(2006-04-28 11:14:38) 28.「自殺」というと、「何とかして止めたい」とか、減らして行かねば」と考える人が多いと思う。でもそれはあくまで「自殺」とは無関係な立場の人の考え方であって、本気で自殺を考えている人からすれば、「死んだ方が楽なのに、どうしてこれ以上苦しい方へ引き留めようとするのか」と言う意見の人がほとんどだろう。この映画は、形はちがえど、そのように「死」に対してどちらかといえば肯定的な考えをもつ人の意見寄りにつくられたものであると思う。理解できない人は理解できないんだろうな。でも一つだけ言えるのは、主人公は元から「死にたい」という強い願望があったわけじゃなく、ただ「生」に対する執着心がなかったと言うこと。だから家族や社会とのずれがあったのだと思う。難しいテーマだけど、深く考えさせられました。 【トナカイ】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2006-04-14 23:22:29) 27.《ネタバレ》 死にたいけど苦しみたくはないというのは自殺を試みたことのある人ならば最低限(最大)の望みです。いま練炭での自殺が増えているのは苦しまずに逝けるからです。この主人公も同じく苦しまずに死にたがっていますが、死にたくないという気持ちが残っているので自殺に踏み切れないのだと思います(たとえ四肢が不自由でも言葉がしゃべれて首は動くので自殺できないわけではありません)。自殺が必ずしも悪いとは思えないのに、なぜ主人公が自殺するのをを長引かせていたのか考えながらみていました。もしかしたら家族や身近な人たちにわかってもらいたいからかなとか・・。他の人に頼んで自殺幇助してもらおうとするのは何故だろうとか色々考えました。生きていることが苦しかったから世の中に対して多かれ少なかれ恨んでいるんだろうな、私の頭ではそれくらいしか考えられませんでした。こういう映画はあまり好きではないです。 【omut】さん [CS・衛星(字幕)] 5点(2006-03-25 06:32:06) 26.《ネタバレ》 安楽死や尊厳死という重いテーマ、深刻なテーマに正面きって取り組んでいる作品。「ミリオンダラーベービー」のように前半、他の要素で観客をひきつけたりしないところがハリウッド映画に対抗するヨーロッパ映画の意地のようでもあり、見ていてつらいところでもあります。アルゼンチン映画でアカデミー賞を受賞した「オフィシャル・ストーリー」なんかもそうですが、「良い作品に感動するためには忍耐が必要。」というのがこういった映画製作者の主張のようです。全身麻痺(首から下)で思い出すのは落馬で同じような状態になった俳優クリストファー・リーブです。最近、残念ながら自然死で亡くなりましたが、重装備の車椅子で医学研究や身障者の生活保障の必要性を説いて回り、アカデミー賞授賞式にまで出演した様子から、元気だった頃の役柄と重ね合わせて「真のスーパーマン」と呼ばれまでしたものです。スーパーマンにはおよそ似ても似つかないおっちゃんだから死んでもいいとか、そんなことは絶対にありません。しかしオペラ「ツーランドット」の王子のアリア(この曲、トリノ・オリンピック以後、日本では大ヒットですね)のレコードを聴きながら、おっちゃんがむっくり起き上がってスーパーマンみたいに窓から飛び出したのには驚きました。芸術に接している時には体が不自由でも空を飛ぶ心地になれるのかもしれません。だったら「クリストファー・リーブやこのおっちゃんのように、体が不自由でも生きてみようよ!」というのがこの作品のメッセージなのでしょう。 【かわまり】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-03-13 10:53:11) 25.僕は尊厳死や安楽死に賛成する 【のりまき】さん [DVD(字幕)] 8点(2006-03-08 16:44:15) 24.尊厳死が許されるか否かという以前に、僕は「人生とは一体誰のものか?」ということについて考えずにはいられなかった。ラモンは最初から最後まで自分の現状を否定し、尊厳ある死を望み続ける。確かに四肢麻痺状態の彼からすればこれまでの28年間は屈辱と絶望感に満ちたものだっただろうし、そこから脱却したいという気持ちを頭ごなしに否定する気にはなれない。「がんばってください」とか「生きていたらいいこともある」なんて言葉が逆に相手を傷つけることもあり得ることも十分承知している。しかし、時として「誰かのために生きる」人生というのもまた必要なのではないか(この場合、介護してくれる兄夫婦や甥のために)。こんなことを言うとラモンに「俺の人生は俺のモンだ。どうしようと俺の勝手だ」と言われそうだが、どんな人間も一人では決して生きてはいけないのである。つまり、自分を取り巻く家族や友人もまた自分の人生の一部であり、ラモンもまた彼らの人生の一部なのである。彼の死は彼だけのものではないのだ。映画は『人生は義務ではなく権利だ』と述べていますが、僕は権利であると同時に義務も伴っていると考えます。「自由」という行為に必ず「責任」が伴うのと同じように。 【とかげ12号】さん [DVD(字幕)] 7点(2006-02-25 01:00:00)
【点数情報】
【その他点数情報】
|
Copyright(C) 1997-2024 JTNEWS