みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
4.《ネタバレ》 最初の方で首を切るしぐさをする男優をどこかで見たような気がするのですが・・ 「街角/桃色の店」のパシリの店員もどきだと思うのですが(笑) あともう気になって仕方なかったのですが、 ジョン・ドゥという架空の名! 「セブン」でK・スペイシーがやってた役名ではないですか! 「セブン」はこの時点では1回しか観ていないのですがこの名は記憶から去らない(爆) あとあと・・「未来は今」のあらゆるシーンが思い出されました。 実は「未来は今」という作品は「素晴らしき哉!人生」とも激似しております。 もちろん後作のほうがオマージュ(というよりジョン・ドゥなどはまんま)です。 映画の演出は面白いし迫力もありました。 良い人間が悪い人間をやっつける映画ではありません。 良い人間にも普通に悪いところもあり悪い人間もそれ以上の罪は問わない。 ごく普通の(今回は異質ですが)善良な人間が落ちて最終的には大衆に救われる。 キャプラ監督のワンパターンともいえますがいいんじゃないでしょうか。 そしてやはり今回も感じたのはキャプラ監督は聖書の世界が好きだということ。 後半は説教くささが気になるくらい・・ 主人公はイエスになろうとした。ならざるを得なかった。 祭り上げられ自らを正当化し大衆の夢を壊さないために・・ しかし大衆が望んだのは実は彼に死んでイエスになってもらうのではなかった。 映画として観るならば私は飛び降りようとするそこで終わってほしかった。 そうしたらかなりメッセージ色が強くなり忘れられないと思う。 最後に救うのは群衆ということくらいわかる作りなので、 観終えたあと感動はしなかったしぼやけてしまいました。 母性を感じる女性が主役という作品が多いんですが、 この「群衆」は明らかに逆で珍しく父性がテーマと思いました。 女性記者が亡き父の思いを語りニセ記事を作る。 主演男優は弱々しいのパターンはカリスマ教祖状態に変わり、 この設定はキャプラ作品の中では(といっても古い方)珍しい。 群衆が待っていたものは死んだ伝説のイエスではなく、 愛すべき隣人であり引っ張っていってくれる父役だったのです・・ 【アルメイダ】さん [DVD(字幕)] 6点(2005-11-04 07:42:33) 3.ううーん、僕は「素晴らしき哉、人生!」でフランク・キャプラにぞっこんLOVE(←死語。というより、古語)してしまったクチなのですが、この作品は、ちょっとひねりすぎではないかなー、と思ってしまった。女性新聞記者の意図がいまいち掴みづらかった感じがしたし(後から分かってきたけど)、ちょっと設定が無茶すぎる感じがしました。「隣人愛」がテーマっていうのはいいんですけどね(もし今、キャプラが生きていたら、どんな映画を作るんでしょうね。ちょっと興味があります)。(6点)<2005.6.3追記>最近観直したのだけれど、これって実は「恐い」映画だ。恐くて、危うくて、過激で、挑戦的。多分、前に僕が観た時に感じた違和感は「素晴らしき哉、人生!」的なものを期待してたというのと、あとこの作品の中の「善意」というものの描かれ方にあったのだと思う。思うに人の「善意」というものほど当てにならなくて脆いものはない。それにその善意が純粋であればあるほど「狂気」や「暴力性」に転化する(特にムーブメントと結びついた時には良くない方向に進む事も少なくない、というのは、例えば宗教の歴史や一部の市民運動などを見れば明らかだ)。そういう意味で善意は悪意より厄介なものかもしれない。しかし!絶望的な中、主人公のジョン(すなわちキャプラ)は訴える。確かに世の中は腐ってる、かもしれない。人間なんて弱いし愚かだし、キレイゴトで片付かない問題だってあるよそりゃあ。んでもさ、そこで安易にニヒリズムに陥っちゃったってしょーがないじゃん。このまま負けを認めたってつまんないじゃん。てか、ささやかな善意すら信じられなくなっちゃったら、そもそも生きる値打ちなんてないじゃん。だから、も一回信じてみようじゃないか!と(←こういう台詞がある訳ではなく、あくまで僕にはそう聞こえた、という事です)。そういえば、貧しい移民の子であったキャプラは若い頃、詐欺師とまではいかないまでもそれに近い事もやっていて、映画界に入る時も、最初は監督としての契約金だけ貰ってトンズラするつもりだったらしい。それが後年人間の善性を訴える作品を次々と生み出す事になるのだから、ある意味ジョン・ドーはキャプラ自身なのかもしれないな、と思う。「素晴らしき~」ほど知られてないけど、これはまさに「裏・素晴らしき哉、人生!」。皆様是非是非観てみて下さいませませ。 【ぐるぐる】さん [DVD(字幕)] 9点(2005-06-03 19:53:07) 2.マスコミがでっち上げた偶像であり、人々の感動を誘った"一般市民ジョン・ドー"。その大衆の偶像である彼を演じるゲイリー・クーパーの素晴らしい名演技を堪能することが出来る一作。ただ、一番問題なのは当時の時代背景が理解できないせいか、今が平和すぎるせいかは分からないが、"ジョン・ドー"に共感と感銘を覚える一般市民の心情が理解できないことと、そのためかストーリーが強引に感じてしまうこと。 【A.O.D】さん 7点(2005-01-28 19:11:36) 1.《ネタバレ》 実に簡潔かつ要領を得た邦題です。特段何らかの信念に基づくわけでもなく、その時々の世論やムードに流されて衝動的に行動する人々。マスコミによって捏造された偶像(=G・クーパー)を求めて、全国各地から大した思慮もないままに勢いだけで集まってくる様は、まさに「群衆」です。抽象的イメージに容易に扇動されてしまう「群衆」。クーパーに心酔する彼らの合言葉は「隣人愛」であり、一見具体的な活動目標にみえるものの、その言葉に酔いしれるだけでは単なる抽象的なお題目にすぎない。クーパーを貶めるようなちょっとした揺さぶりによって、いとも簡単に愛から憎悪へと態度を豹変させる「隣人愛」。「群衆」的行動の底の浅さが、悲しくも滑稽に描かれます。現代においても、一部の市民運動のごとく、こうした皮相な「群衆」は掃いて捨てるほど存在するでしょう。「群衆」は極めて現代的な概念であり、近代以前には存在しえなかった。「群衆」を巧みに利用した上で成立するのが「独裁」であることは、もはや常識以前のこと。では、そんな「群衆」に救いはないのでしょうか。決してそうではありません。本作のラストで、スタンウィックがクーパーに愛をうちあける行為に象徴されるように、また、最後までクーパーを信頼してくれたのが隣人愛を現実に実行した人たちであったように、抽象的題目や想像上の人間関係ではない、地に足のついた具体的な人間関係こそが、信頼や愛情・友情を育むということでしょう。そこにこそ、現代にまで続く「群衆」的世の中に対する答えがあると思います。 【アイアン・バタフライ】さん 8点(2004-03-22 09:33:27)
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