みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(10点検索)】
69.キューブリックとクラークに、宇宙まで連れ出してもらった。そこは、暗黒と静寂と孤独に満ちた空間だった。しかし微かではあったけど、希望の光もほの見えた。これ以上無い、壮大なスケールの散歩に誘っていただき、感謝の言葉もございません。 【水の上のハイウェイ】さん 10点(2004-02-24 13:50:42) 68.いろいろ意見はあるでしょうが、これに比較できる映画や似たような映画が見あたらない。圧倒的な科学的考証、オリジナリティ、あるいは観客を拒絶するような分かりづらいストーリー。すべてが30年以上前に撮られた映像だというのもやっぱり驚き以外の何物でもない。何度目かのリバイバル上映で大スクリーンで見て、それまで何度もビデオで見たのに、何故か初めて涙が出た。「映画」という商品としての完成度は確かに採点しづらい。でも、違う何かの要素を加えた「映像表現」という点では比類がないものであるのは間違いないと思う。私は映画館で改めて見て、コンピューターのディスプレイ画面が平面(液晶を予測?)だったことに驚いた。ちなみに「2010」はブラウン管だった。HALの記憶チップが光ディスク? 様のものであることなど、改めてこの映画の凄さを感じた。 【しまうま】さん 10点(2004-02-14 03:37:02) 67.《ネタバレ》 今、何も考えずに無心になって観ていると、「宇宙をテーマにした クラッシック音楽のPV」とも感じたし、「宇宙旅行のパンフレット ビデオ」といった趣もある。ま、それだけリアリティのある映像に なっているということなのだろう。後半の極限へのトリップは、 超サイケデリックで、まさに「ビデオドラッグ」。 ● だが、はたしてそこに「意味」はあるのだろうか。深読みは いくらでもできるが、人間と機械の争いはオマケじゃないかと思うくらい、 何よりも印象に残るのは圧倒的な映像と音楽である。そして、それこそが 監督が表現したかったものではないのか。 【NOW】さん 10点(2004-02-01 01:41:06) 66.《ネタバレ》 圧倒される映像表現と言えばいいのでしょうか。そしてHALの怖さ。ポッドの中での会話をmouth readingで読み取って逆襲に出るHALが怖かった。映画というメディアの持つパワーとその可能性を追求した傑作ですね。ところで、この作品をテレビ放映するときに、後ろの部分(モノリスと遭遇してから)を部分的にカットしてあることが良くあるのだけど、それが、話しを「わかりづらい」とおもわせる原因になっていると思う。劇場ではやってない現代、みるなら、ノーカットのDVDかビデオで。実は、そんな分かり難い話しではないよ、これ。素直な感覚で「感じれば」いいと思う。 【あまね】さん 10点(2004-01-30 20:32:36) 65.《ネタバレ》 ヒトの持つ「感性」と「知性」を、この映画ほど同時に激しく揺さぶる作品があるだろうか? 感じることと考えること。この相反していながらも密接に結び付くヒトの二つの能力を、極限にまで増大してくれる作品。その意味で、音楽でも小説でもなく、まさに「映画」にしかなし得ないことを最も高いレベルで達成した、20世紀の記念碑。「HALの反乱」という直接的な恐怖が表層的な物語を引っ張る一方、「ヒトとは何かを知ってしまうこと」への恐怖がジワジワと深層を浸していく。進化とは奇跡であり謎であり、運命であり偶然であり、善でも悪でもある。キューブリックの映画には、感動したい、泣きたい、笑いたい、怖がりたい、ドキドキしたい、などなどの「機能」を求めない方がよい。そうすれば、そんな予定調和的な見返りの代わりに、「何か」を手にできるかもしれない。ちなみに、アーサー・C・クラークの小説は原作ではなく、言ってみれば解説書とか手引書みたいなものなので、解釈の参考にはなる。もちろん、唯一無二の正解などないけれど。 【眠い悪魔】さん 10点(2004-01-27 01:15:57)(良:1票) 64.《ネタバレ》 人類の進化を語る上で、道具の使用が大きな意義を持っている。作品では、道具との関係をターニングポイントにしている。はるか400万年前、人類は始めて道具と出会った。それは、人類と3次元空間との出会いにつながるものであった。人類は自身が持つ能力以上に道具の力で飛躍的に発展し、地球を飛び出し宇宙空間を行き来するようになる。やがて、道具との関係に変化が生じる。道具の制御が出来なくなる事態が発生する。全て道具に依存している状態を変える必要が生じた。新たな人類の進化の時期が来たのだ。キューブリックは、それは、時間の観念を超えた4次元への移行と肉体と精神の関係の変化だと予測する。死によって現在の肉体に別れを告げたとき、新たな人類の進化が始まる。 【パセリセージ】さん 10点(2004-01-12 22:20:28) 63.このフィルムが生まれた背景に「キューバ危機」と「ケネディ暗殺」が大きく影響していると考えているんです。核戦争による人類の一大危機を目の前に、クラークとキューブリックは、何か人類に“進化を促す”メッセージを送れないか、と考えたんだと思うんです。なぜ人は争うのか…映画はその問いかけから進化の壮大な過程を眼前に提示します。ここで「物質」と「精神」というキーワードが見えてくる。人類最初の道具となる骨が物質なら、宇宙船やHALもそうです。で、その道具を使うお猿さん、さらにボーマン船長らつまり人間も、その肉体に限って言えば物質です。モノはいつか壊れます。つまり「死」。死という恐怖が潜在意識に常にあるので、人間も動物も、つねに生存競争という輪から抜け出すことはできません。冒頭から様々な生存競争が描かれてきますね。お猿さん然り。また未来でも月面などの宇宙開発で、米ソの冷戦状態は続いているようですし。ボーマンとHALがチェスで戦う“前哨戦”のシーンあり、やがて本戦ではボーマンはHALを殺すことになります。もう物質としての進化に限界がきていることが暗示されます。ここで映画は“次次元への大きな進化の流れ”として「物質から精神へ」という壮大なビジョンを提示し、人類が元素でできた肉体の中に、「精神」という摩訶不思議な世界を宿していることを再認識させられます。物質としての滅び行く旧ボーマン(人類)を見せ、生存競争のカルマから解脱する新しい進化のビジョンを、新ボーマン(スターチャイルド)と表現し、人類の進化が肉体ではなく精神体という存在へと移行してゆくことを暗示します。そのスターチャイルドの精神レベルは「神意識」と呼んでいいでしょう。ここにも「死の恐怖を持つ潜在意識」から「神意識」への進化が見て取れます。その意識レベルから見たら人類の争いは、アメーバの同士の争いと大差ないでしょう。冒頭に戻れば、そんな超絶した精神的存在の先駆者が、愚かな核戦争をしようとしている人類(ルサンチマン)に「モノリス」をプレゼントしたわけです…そうまさに超人思想、ニーチェ。曲として「ツァラストラはかく語りき」が使われる必然性がここにあります。人類には、まだまだ無限の可能性が秘められているんだよ…クラーク&キューブリックの壮大なメッセージは、冷戦が収束した今もって新鮮であり、僕の魂をバイブレーションし続けます。 【BUNYA】さん 10点(2004-01-12 10:57:33)(良:3票) 62.わかる、わからないというより、ただただ圧倒される映画。まさしく映画でしか描けない世界。確かにビデオで見た人は、これを批評する資格はないかもね。トリップするって、こういうことなのかとはじめて思わせてくれた映画。気安く分ったなどと言いたくない。脱帽あるのみです。 【ひろみつ】さん 10点(2004-01-02 23:15:11) 61.《ネタバレ》 モノリスは人間(猿)に知恵を授けるが、人は殺し合い、機械やモノへの依存度が日増しに高くなっていく。つまりは傲慢になっていくのである。しかしながら技術力だけは目まぐるしく発展していく。後に人類は再び月のモノリスを発見することになる。長距離探査が出来るまでに成長した人類はモノリスのある木星へと向かう。つまりは、人間は未知の知的な存在により思うがままに導かれているのである。 探査船の運行は全てHALによる人工知能に頼り切る。皮肉にも人類は、自分たちが都合良く作った筈の機械とも折り合いが付かず、意見の相違によって殺し合い、作戦は破綻する。正に、地球で独り相撲をとり続ける人類そのものであるように。 一人だけ生き残った乗組員は、宇宙の神秘や偉大さを見る為の旅をすることになり、精神の中で年齢を重ね、最後には人間の創生(実態)までを見せつけられる。モノリスは「宇宙」で有り、生命の源で有る宇宙が生命そのものを創造した。モノリスは人の精神を映す鏡なのかも知れない。個人的にはそういう解釈をしました。 モノリスの意味合いについては、見る人により解釈が変わるだろうし、それで良いと思う。 【おはようジングル】さん [映画館(字幕)] 10点(2003-12-31 15:49:39) 60.《ネタバレ》 映画の冒頭で猿が覚えた、殺しの道具(骨)の最終形態がHAL(ハル)で、ハルは宇宙船の中でボーマンによって接続を切られてしまう。 ボーマンがただ一人木星に着き、いきなり白髪のおじいちゃんになっていますよね。 スタンリー・キューブリックが後にコメントしているのですが、 「殺す相手がいないので自分で自分を殺し始めた」という事らしいのです。そして一瞬で老人になってしまい、 モノリス(四角く黒い物体)が現れ、彼の助けを借り、新しい命を授かるという事ではないでしょうか? (新しい命か、何かは分かりませんがとにかくモノリスのおかげでボーマンは死なずに生きながらえたというニュアンス だと思います。) 何故、モノリスが彼を助けたのかは分かりませんが、映画の冒頭でもモノリスが現れますよね。猿に殺しを覚えさせたのか、道具を与えたのか どうかは分かりませんが、「血塗られた人類の進化」に大きく関わっているものとして登場してきます。 モノリスはうーん、少々語弊があるかも知れませんが、人類の煩悩を生み出す「黒幕」みたいなものと考えてもいいのではないでしょうか? どちらにせよ、犯罪を後押しするような存在になりますよね・・・。 あくまで私の意見なのでこれが真相とは限りませんが、ずばり、この映画の最大のテーマは「犯罪にまみれた人類の歴史」ではないでしょうか?「殺し」という知恵を覚えた人類の進化を見据え、犯罪の本質を スタンリー・キューブリックの独特の感性で映像化したものが 2001年宇宙の旅だと思います。究極のアートと、 作られた年を考慮してこの点にしました。 【chungking】さん 10点(2003-12-29 02:35:59)(良:1票) 59.録画されているビデオテープが、モノリスに見えてきます。 【no_the_war】さん 10点(2003-12-25 15:54:12) 58.《ネタバレ》 カナダのメディア学者マクルーハンの「メディアはメッセージである」という言葉に対し,キューブリックは「メッセージがメディアである」とわかりやすく切り返した。キューブリックはこの映画を作るに際し,メッセージが映画というメディアに与える影響を強く意識していたに違いない。つまるところ,彼のメッセージとは言語化できない「主体的な体験」なのだ。それを考えれば,この映画に対して「難解だから分かりやすく」という要求をするのは,アプローチの仕方というか,"立ち位置"みたいなものが全然違っているように感じる。例えばそれは,モーツァルトの音楽に"説明"をつけ,分かりやすくして欲しいというのと同じようなものなのだから。また,「わざと難解にしている」というのも少々違っていると思う。キューブリックが「観客にわかる」ように作ろうと思えばそりゃ作れるだろうが,さきほども言ったようにそもそも「解説」できないものをあるわけだし,「解説」したとたんに失われるものもあるのではないだろうか。「解説」をしないことで生まれる「主観」や,言語化できない「体験」を「映画」で観る人に伝えたい,それがキューブリックの狙いだと私は思う。...余談。「難解」とみると突然否定的な態度になる人が身近にもいたが,はっきり言ってそういう心理は近親憎悪に近いと思う。他人が頭よさげに振舞ったって,別にどうでもいいじゃん。 【veryautumn】さん 10点(2003-12-18 19:36:31)(良:5票) (笑:1票) 57.観客に意味が伝わらなければ、どんなに崇高なテーマを持っていたとしてもその映画は駄作であると思う。今作もその類に極めて近いことは確かであろう。しかし、尊大なラストシーン、あの瞬間に私は震えるような、何かが目覚めるようなひらめきを感じた。かたっくるしく難解なストーリーのすべてが一気に脳裏に流れ込むような衝撃を感じたとしか言うほかない。この伝説的映画が真の傑作かどうか、一度しか観ていない私には判断できない。ただ、もしかしたら人間の想像力と創造力の限りない深遠まで近づいた映画なのではないか、そんな気がするのは確かである。 【鉄腕麗人】さん [DVD(字幕)] 10点(2003-12-17 14:21:29) 56.《ネタバレ》 この映画がSF映画の最高傑作であると私は信じている。小さい頃に観たときは何がすごいのか何を言っているのかおもしろいのかおもしろくないのか何も分からなかった。ただ、何か有名なんだろうとしか分からなかった。今でも完璧に理解できているかと言われるとそうとは言えないと思うが、知能を持ったコンピューターハルなどを多少理解できるようになり、それと、2010年宇宙の旅などを観て少しは分かったと思う。人間がコンピューターに命も含めすべてを任せられるような時、30年以上前に想像した人はコンピューターが任務のためなら人の命も惜しまないという意志さえ持ってしまうと考えた。今の私たちでさえまだ考えられないコンピューターが人間に対して反逆するわけではない。ただ人間のためにやったことなのだ。結局最後もよく分からなくなってしまうのだが、人類という奇跡の誕生を映画いているものだと勝手に解釈し、深い感動を感じた。この映画を観ずにSF映画は語ることは許されないといわれるが、ただ言えるのはこの映画はSF映画の越えられない壁を越えた唯一の映画であり、すべてのSF映画の原点を築いた私にとっても映画界にとっても大事な映画だと言うことだ。 【風と一緒にとばされる(Q_Q)】さん 10点(2003-12-16 22:29:30) 55.冒頭からワケのわからないシーンで、結局最後もワケがわからんまま終わる。このワケのわからなさが最高ですね。ラスト20分息もつまる映像の連続さすがキューブリック。観る人それぞれが違った感想のもてる数少ない作品だと思う。できることならAIもキューブリックに撮ってほしかったなぁ。 【ケジーナ】さん 10点(2003-12-14 18:55:10) 54.《ネタバレ》 「2001年」は卓越したアートセンスが映画と見事に融合した作品。宇宙もモノリスも壮大性・神秘性が与えられている。今のCG技術を以ったところでコレ程の品位で表現出来るだろうか?芸術的才能に敬意を抱く。さて、アート要素以外について、「2001年」には驚嘆すべきストーリー展開は無い。しかし、子供の頃観たときに、今までに経験したことのない不安感に駆られた。永遠の道徳的存在である「神」でも「悪魔」でもない「無機質」な支配。非現実的な不可解さ。主人公は機械の支配から逃れたのに、今度はモノリスによって人生を支配される。更に予測不可能不安が待ち受けている。今現代の我々には、既に与え尽くされた感覚だが、当時はこういった不安がまだ漠然としたものだった。60年代の新感覚の先駆的・先覚的存在はSF小説だったという。これをキューブリックは「2001年」で見事映画として我々に提供したのだ。時代は常に流動的に新感覚を生み続ける。その複雑な事象を判りやすく分解できる表現能力を持つ「先覚者」が時代には必ず存在する。キューブリックはまさに新感覚に対する先覚者。「機械じかけのオレンジ」にも同じ能力が見受けられる。時代はいずれ追いつくもので、新感覚に対する表現は浸透し始め、ありふれたものになる。かといって、「2001年」が表現しつくされたものかといえば、まだ何かがある。それは私がいずれ経験を得て「歳をとってもう一度観ると得る「新しい発見」に繋がるのだろう。キューブリックは映画という表現媒体を利用して新しい感性を提供してくれる稀有な存在。映画は表現能力の感性を広げるもの、批評は分解能力の感性を広げるもの。 まさに観客と監督のやり取りの典型的な事例ではないだろうか。 【夢の中】さん 10点(2003-12-14 01:51:15) 53. 1968年の時点でここまでの映像が作られたこと自体驚異という他無い。今観ても全く遜色ないではないか。同時代の宇宙SFを見よ。宇宙の書き割りの前を糸で吊った宇宙船が花火を吐き出しながら飛んでいた時代なのだ。キューブリックはもちろんだが、特技監督のダグラス・トランブルに拍手を送りたい。ひとつ残念だったのは、ステーションから見る地球の大気の層が無かったこと。ま、些末な事ではあるが。 【ロイ・ニアリー】さん 10点(2003-12-12 15:48:05) 52.分からない。なのにおもしろい。何なんだこれは~!!! 【さそりタイガー】さん 10点(2003-12-04 00:51:49) 51.面白い面白くない以前に、唯一無比なものにはやはり敬服してしまいます。表現はオリジナリティがもっとも大事。 【グルグル】さん 10点(2003-12-03 03:06:35) 50.最初に見たときは芸術性に打ちのめされ、二回目以降はこの映画の難解なストーリーとメッセージについて理解しようとした。この映画を理解できるような人間になりたいと思って何度も見た。多少背伸びしてでも、この映画と付き合ってみたい。そんな気を起こさせる稀有な映画です。 【犬】さん 10点(2003-11-14 01:14:41)
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