みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
17.吾朗さんの『ゲド戦記』を大プッシュしていたいきがかり上、ちゃんとその先を見届けねばと思って見てきた。がっかりしたわけではないし、それなりに楽しめたけれど、でも「コクリコ」公開記念でテレビ放映してた『海がきこえる』とかと比べてしまえば、深い感動は特になかったといわざるをえない。はじめてカルチェラタンに入るところとか、自転車で坂を駆け下りるところとか、見せるいいシーンはあったけれど、物語自体に力がない。だから『ゲド戦記』とは比較にならない。何がいけないのかって考えると、この物語の設定をリアルに考えれば、当然あってしかるべきな葛藤・対立が何もないことに気付く。血の葛藤は、自分が動く間もなく簡単に乗り越えられてしまうし、大人との葛藤なんて、ないも同然だった。きっとあるはずだった、校内の男女の間の葛藤もなくなっているし、校内のヒーロー俊をめぐる競争でも、海ちゃんが当然のように勝利して、誰も足をひっぱらない。うまくいきすぎて気味が悪いくらいだ。『ゲド戦記』は、あの4部作をたかだか二時間ばかりの尺に収めること自体が、とんでもない挑戦だった。当然無理があるんだけれど、それを無理やり達成するところに、吾朗さんにしかできないような、オリジナリティが生まれていたと思う。もちろん吾朗さんが、父に挑むこと自体が誰もが知っているドラマだったわけで、その自分自身の葛藤をちゃんと作品の中に昇華できていたと思う。でも、ここでは、お父さんに与えられた脚本を、見られるだけの一つの作品としてただこなせているにすぎない。お父さんが書いたのは、自分自身が青春をすごした時代へのノスタルジーに満ちたストーリーだった。まんまそれだけと言って良い。もし駿監督自身がこれを映像化したら、それを自ら対象化して、何かそこから新しいものを探し出したかもしれない。でも息子には、それを否定して、別のものに書き換えてしまうだけのものがなかった。そこには神格化されたオヤジのホームグラウンドで、アウェイで戦うというハンデだって大きかったろうし、『ゲド戦記』に対する世間の批判も大きかったろう。だから、生ぬるい話にしかできなかったのではないかと思う。 【小原一馬】さん [映画館(邦画)] 5点(2011-09-06 18:01:01) 16. 横浜の街で昔、デートをした。半世紀も昔の事ではないが、今となっては大昔だ。当時にぎわっていた巨大観覧車がそこにあるだけでなんか嬉しい空気があったり、工事中だった地下鉄をせっせと建設会社ががんばって作っているのをぼんやり眺められるバーがあったり。あぶない二人組の刑事が走り回ったり。そういう時代だって十二分にカビが生えるほど立派な大昔である。 地方出身の彼女は、有ろう事か、こんな暴言を私に浴びせるのだった。それも自然に他意もなく悪意もない。 「なんか、東京の方が栄えてるよね」 ちょっと待て。いや待ってください。そりゃまぁ東京の方が栄えてますよええ、全然栄えてるし遊び場もいっぱいですよはい。だけどね、違うの。違うんだ。関内駅をでて歴史の詰まった市庁舎とかポンコツスタジアムを眺めつつ、古風なビルを誉めながら中華街に向かってみなさいって。という説明にも分散しててどこがメインなのか分からない、とか私らは今横浜で何してるわけなのだとか痛いところをついてくるのはよしてください、とおのぼりさん二人である。 で、この横浜と今の横浜は、実はあんまり雰囲気の変化のようなものを感じたりはしないのだけど、ゲド閣下の作り上げた横浜は、あんまりにも美しすぎるじゃありませんか。 この雰囲気をどこかで感じて、猫が私の顔をじっと眺めている気配にふと浮かぶ。あれか、江ノ島とかの感じ。微妙な下町感を残した横浜の町並みに郷愁や憧れを感じながら、かわいい主役の女の子がほんとにかわいいなぁこれなんて感心しながら時計をみると十時四八分である。 又かゲド。オイちょっと待て、話し全然落ちてないだろ。 【黒猫クック】さん [映画館(邦画)] 4点(2011-09-01 01:28:38) 15.《ネタバレ》 吾朗さんの思いは何処にあるのか分かりにくかった。脚本担当の駿さんの意図は何処にあったのだろう。そしてその連携は成功したのだろうか。ノスタルジィ、淡い恋心、その葛藤。残念ながら最後まで共感の域にまでは達せず、また見せ場は小さいまま映画は終わってしまった。ジブリ=ファンタジーとは思わないが、それならそれでフォーカスポイントのより浮き上がらせるような描き方はできなかったか。駿さんと吾朗さんの思いは、最後まで一致せず仕上がったのではないか。最後の手嶌葵さんの歌声に+1点。これはいい。 【プライベートTT】さん [映画館(邦画)] 5点(2011-08-28 19:59:17) 14.《ネタバレ》 意外と頭を使ってみる映画、という印象。 登場人物やその人間関係、起こる出来事の背景など、 よくわからない。 古き横浜と彩る音楽に5点。 【lalala】さん [映画館(邦画)] 5点(2011-08-28 13:47:04) 13.退屈だった。チグハグ。残念ながらアマチュアレベル。アマチュアでももっといいものはたくさんある。スタジオジブリが真に存続を望むのならば、宮崎親子からの脱却にチャレンジする以外には道はないと思われる。鈴木プロデューサーからの脱却も。今作に関しても全てが商業ベースレベルにはない。ジブリの技術をもってしてでも見れないとはいかなる出来か。これよりいいものは、その辺の多少創作をかじったことがある人が、原作があるもので、ジブリの技術を総動員すれば、残念ながら遠からぬ物、それ以上のものができてしまうのは間違いない。冷静に見れば駄作以外の何物でもないとしか言わざるをえない。吾朗氏は本気でアニメをやりたいならジブリは離れるべき気がする。外に出て頭角を現せるまで行けたら(まとも観れるようになるだけでも、おそらく少なくともあと10年くらいかかる段階である気がするが…)正直、彼に関していえば才能がある、ないを語れるレベルまでいっていないと思われる。最低限そこまではしっかり下積みを積み基礎を身につけてから。才能云々はその先の話。宮崎駿監督の作るものですら全然良いとは思えないのに(特にここ15年くらい)、それをもはるかに凌駕して未熟に感じられる。最後の主題歌だけでそれっぽく見せるしか出来ない今のジブリに未来はないと痛感させられた。ここまでくるとジブリ自体が虚構にすら感じられる。 【ムッシュ★いち~ろ!!】さん [映画館(邦画)] 2点(2011-08-28 05:35:09) 12.いや、気持ちのいい映画でした。街の色合い、登場人物の動き、流れる音楽、話の展開や、キャラクターの会話の掛け合い、どれもが小気味良く最後まで楽しめました。 個人的には理事長大好きです。 【ぬーとん】さん [映画館(邦画)] 7点(2011-08-21 22:58:58) 11.《ネタバレ》 原作未見。なので映画作品のみについて書きます。 走り出しにもたつく感じがあるけれど、だんだんと持ち直してきて次第に惹き込まれる感じの作品です。 ジブリらしからぬ内容と言えばそう言えるかも知れません。確かに「メロドラマ」感があります。でも、さりげない人物描写には秀逸なものがあり、登場人物の言動・行動のディテールにも拘りが感じられました。 舞台となっている60年代の横浜。まさに私が少年期を過ごした場所です。 海たちが理事長に会いに行くチョコレート色の電車は、横浜線や南武線で乗った気がします。この作品の場合には、東京に行くのだから山手線かな? あの市電は、桜木町から本牧に行く線かな?私は、横浜駅から六角橋方面に行く線によく乗りました。 ガリ版。高校生ぐらいまで普通に使ってましたよ。湿式コピーが導入された頃になっても、あの独特の書体は使ってました。誰が書いても同じような書体なので、俊が途中から海に原稿依頼しても大丈夫なんですよね?輪転機が導入されるまでは、ああやって1枚1枚ローラー転がして刷ったものです。 途中、電柱に広告のある「海洋博物館」。あれは、もしかしたらマリンタワーにあった「海洋科学博物館」かな? 他にも数々の懐かしい大道具・小道具が登場して、そういう楽しみ方のためにセルDVD購入しようかな?などと思ったりします。 ただ、一番の不満は海と俊との関係です。市電のシーンは素晴らしい。この作品最高のシーンではないかと思いました。でも、続きがあったんですね… 果たして、要るんでしょうか、続きが。戸籍上はアカの他人。でも、本当は血の繋がった兄弟。お互いどんなに惹かれ合っても、決して結ばれてはならない関係。そのままで良かったんじゃないですか?上映に当たってのコピーは「大切な人と観に行ってください」じゃなかったでしょうか?人と人との純粋な愛をテーマにした作品にして欲しかった…。しかも、もしかしたら、登場人物の話を総合すると、俊と海は元々は戸籍上の兄妹では?亡くなった海のお父さんが出生届け出しちゃったんだから。今は養子縁組してても、戸籍上の兄妹は結婚できないのでは?だとしたら、市電の告白後の展開はむしろ悲劇?そのあたりきちんと整理したのかな?などと思ってしまいました。 それにしても、最近このぐらいの作品を観ても感動しなくなってしまった自分が一番寂しいです。 【タコ太(ぺいぺい)】さん [映画館(邦画)] 6点(2011-08-21 22:37:46) 10.港のシーンや、台所のシーンなど、飛び降り後の「ずぶ濡れボーイ・ミーツ・ガール」なシーンも含め、全編なんしか、瑞々しい。 特に「肉屋まで乗せてってやるよ」とチャリンコ二人乗りで坂道を下るシーン、そしてその肉屋でコロッケをシェアするシーンなんて、瑞々し過ぎて卒倒しそうになりました。 その「瑞々しさ」だけでなく、若さゆえの葛藤や切なさ、勢い、などの心情描写も、非常に旨い。 1960年代の横浜や、コクリコ荘、特にカルチェラタンなどの舞台設定も、実に旨く機能していて、面白かった。 蛇足ですが、左官屋の娘が哲学部のムサイ男の前で漆喰を器用に滑らせるシーンと、ちょっとズレた美大生っぽいメガネ女子・ハルに、宮崎吾郎の「萌えどころ」を垣間見たような気がするのは…気のせいだろうか。(超個人的な萌え所を、ひとのせいにするな!) 【aksweet】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-08-20 06:06:27) 9.《ネタバレ》 ゲドと比べると・・・、少なくとも商業ベースに乗せられるレベルの作品にまとまっていた。起承転結もある。70年代横浜の雰囲気もよく伝わってくるし、初恋ものストーリーは、いくつになってもそれなりに楽しめる。 市電のホームで海が告白するシーンは、とてもよかったと思う。 ただまあ、夏休みに上映する内容かと言われると、そうでもないんですよね。 他の人のレビューで、「める」な意味がわからないとあったけど、そりゃそうだと思うわけです。70年代少女漫画をかじったことがある自分には、海→ラ・メール(でいんだよね?)→める、なんだろうと、なんとなく察することができますが、 夏休み映画でジブリに期待して映画館に足を運んだ10代、20代にこれをわかれと言われても・・・ちょっと無理だろうなと。 ジブリの看板なしに、晩秋に小さい映画館でみたなら、佳作と思えたであろう作品。 【なつこ】さん [映画館(邦画)] 6点(2011-08-16 22:24:16) 8.宮崎駿には作ることが出来ないくらい普通 【アスモデウス】さん [映画館(邦画)] 6点(2011-08-12 01:02:49) 7.《ネタバレ》 そう、僕だけではないはずだ、本作を観ていて近親相姦になってしまうことにハラハラしていたのは。冒頭のタイトル、確かコクリコの「リ」だけ赤い色であった。あの赤は、血のつながりを暗示するなんだか鉄臭い色だった。あの血の赤の刷り込みのあとに近親相姦が持ちあがってくるのだから、本作はタブーに挑んだのかと。 ってなっちゃうから、映画ラストで父を確定させる描写を避けるべきだった。もしそれで世論から「??はあ?、結局父は??ったくゲド以下だ!」とバッシングを受けたとしても、僕は評価する。 しかし真実は一つだけある。それは少女の嗚咽である。母に泣きついてうえーんと泣いたあのシーン。『千と千尋』『時かけ』『SW(当然サマーウォーズの略)』よろしく、アニメのヒロインは最後ガン泣きしなければいけない。本作にもあの少女の嗚咽があるのだから、映画から父が共通か否かが導き出せなくても全然いいのだ。共通であろうとなかろうと、そんなことはどうでもよい!ってなれるのだ。 【no_the_war】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-08-08 22:30:27) 6.《ネタバレ》 父親と比較するとどうしても評価が低くなる。当たり前だと思います。早い話が、父・駿は客を楽しませる天才だったと思うからです。駿の作品は、キャラクターが徹底的にブラシュアップされており、アクションシーンに非常にカタルシスを感じさせる演出がされており、いつのまにか観客に物語のテーマを伝えているものばかりです。それに比べて吾郎は少なくとも駿と同じ轍を踏もうとは、思って無いような気がします。駿のエンターテイメントのお手本のような作品群に比べ、今回の「コクリコ坂から」は、主役二人のキャラクターが確立されていない(これは声の問題もあると思いますが……)、アクションシーンに大きな盛り上がりが感じられない(風間君の最初のダイブや終盤の海を背にしての全力疾走など)、特に何を伝えたいかよく分からない(言えるとすれば偉大な父親像でしょうか)。客をどれだけ楽しませるかが、映画の出来となるのなれば駿の方に軍配が上がるのは必然と言えると思います。それでも本作は「ゲド戦記」の様な映画の基本すらテキト―な出来だとは思えませんし、宮崎吾郎が敢えて父親とは違う方向に踏み出そうと思っているのならば、その姿勢は心から応援したいです。 【民朗】さん [映画館(邦画)] 7点(2011-08-07 23:54:46) 5.非常に爽やかな映画ですね。ただ、テーマというか結局何が言いたかったのか分かりませんでした。 【アフロ】さん [映画館(邦画)] 6点(2011-07-25 00:10:33) 4.原作未読。数多くある昭和の少女漫の中からなぜこの作品を選んだのか分りませんが雰囲気は悪くなく、学校も町も活気にあふれ人々がひたむきに真っ直ぐ力いっぱい生きている姿は美しかった。物が溢れ自堕落に生きる人が多くいる現代より、よっぽど魅力的な時代だな、と。この時代あたりの学生が団塊の世代と呼ばれる方々だったんでしょうけど、高度成長期や学生運動的な様子など感慨に浸れるかもしれませんね。ストーリー的には可もなく不可もなく、子供たちには難しいかな。 ジブリではファンタジーからしばらく離れるって発言がありましたがこの作品の成績次第では撤回するだろうなぁ。 【ロカホリ】さん [映画館(邦画)] 5点(2011-07-23 22:53:14) 3.《ネタバレ》 宮崎駿の若かりし頃の空気をまんまアニメ化したような作品。新聞部の「風間俊」は、まさしく「宮崎駿」を投影してるんだろう。名前が「俊」と「駿」でそっくりだし。宮崎駿が見てきた全共闘時代、その頃の学生運動さながらの論争を日課としている、カルチェランタンの学生たち。カルチェランタンの存在自体が、スタジオジブリなんじゃないかと思った。オタクな人々の集まりで、色んな派閥はあるけども、スタジオジブリの存続だけは守らなければならない。そしてカルチェランタンは、古い文化の象徴でもある。その古い文化の価値を理解しろと、視聴者に訴えかけている。カルチェランタン建て壊しを撤回した理事長は、その古い文化の価値を理解するに至った。この映画自体が、カルチェランタンのような内容なので、この映画の良さ自体を理解しろと、言われてるようだ。あと大きなテーマとしてあるのが、ヒロインである松崎海に重く付きまとう、亡き父の存在。「父親」という存在の、絶対的な偉大さ…これって、宮崎吾朗と宮崎駿の関係そのものだ。宮崎吾朗もまた、松崎海のように、「信号旗」のようなぎこちない手段でしか、父親とコミュニケーションが取れなくて…そして、いつか宮崎駿が居なくなったとき、父親の偉大さが呪いのように残るんだと、暗喩しているかのように見えました。 【VNTS】さん [映画館(邦画)] 7点(2011-07-22 12:55:44) 2.う~ん、合格点ですね~ 昭和の臭いがプンプン(演出という意味で)、前半は意味不明ぎみの退屈な展開で、どうなることかと心配しましたが..後半は、期待以上に盛り上がり、映画として楽しませてもらいました..海の心情表現が良かったかな..なぜ避けるような態度をとるのかストレートに聞くところや、兄妹と告げられた時の落ち込みよう、その後無理に毅然とした態度で振る舞う様子とか..逆にツッコミどころは..池に落ちた後、なぜ海だけ駆け寄る?俊はなぜ海の家の前でバッタリ出会ったの?その後の展開では帰り道ではなかったようだし..北斗の壮行会になぜ俊たちが?写真を見せるための強引な設定か?言えばきりがないが、せめて辻褄を合わせてほしいところ..全体を客観的に評価すると、作中、色んなことが語られ、それぞれ伝えたい意図があるのだろうけど..中盤からラストの展開を観れば、やはり物語の中心は、海と俊の恋物語!..それ以外はおまけであり、おまけでなくてはならない..何が言いたいかと言うと、恋物語に色んなものを詰め込みすぎです、主人公と恋愛模様にもっとウェイトを置くべきで、青春群像劇だったら、あのクライマックスはいらないし、恋愛物語には、恋いに落ちる過程が必須、必然性と説得力も重要..ようするに中途半端です、そして宮崎駿に青春群像劇は描けても、恋愛物語は無理..(もっと上手い創り手はゴロゴロいるし、ハウルのコケっぷりを忘れてはいけない..) 宮崎駿の才能は、“冒険活劇” (カリ城、コナン、アルバトロス) や “奇想天外なファンタジー” (トトロ、千と千尋) でしか活かせないと思う..最後に、どうして吾朗なの?鈴木さん?他の監督なら、もっと面白く、もっと上手く演出できたかもしれないのに..本人は、リアリティを出すための、自然な演出だと思っているのだろうが、登場人物の細かい演技、仕草が不足している..映画は、所詮、演じて “なんぼ” です!芝居であり、劇映画であり、観ている者は演ずる者に共感し、引き込まれ、感動するのです..そこを忘れてはいけない..吾朗に一言、父親に脚本書いてもらって、監督するなんて..甘えるにもほどがある..脚本が書けない、演出の素人、もう監督(世襲制)をやめて頂きたい..チャンスに恵まれない、才能ある他の監督達が可哀相だ... 【コナンが一番】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-07-20 12:44:51) 1.《ネタバレ》 非映画的な「説明のための説明」など無い方が良いのは、言うまでもない。 主流シネコン映画の「全面介護式」に慣らされ、1から10まで手取り足取り映画に説明してもらわねば何も「ワカラナイ」観客、あるいは「見ていても気づけない」観客、(ついでに言うと「メッセージ依存者」)には不向きな映画であることは間違いない。 エスケープから戻った路面電車乗り場の告白シーン。カメラ正面に向いた少女の後景に次第にヘッドライトが入射し、今度は切り返された少年の正面へ順光が入射する。続いて横からのショットとなり、少女のいる画面右手から少年の立つ左手へと光は伝わり、彼らの後方でドアが開く。 古典的で寓意性豊かなシーン作りが絶品だ。 あるいは、『天空の城ラピュタ』的な垂直線上の出会いの鮮やかさ。 マッチを摺る、キャベツを千切りする、あじフライをフライ鍋の中で箸で裏返すという細やかな調理動作の見事さ。 そして金槌打ち、ハタキ掛け、壁塗り、箒掛け、雑巾掛け、荷物運びといった清掃の動作のアニメーションも過去作の群を抜いて多彩だ。 何故、宮崎駿は「労働」のシーンを重視するか。それは、アニメーター自らが徹底した観察と実演を通さねば描き得ないアニメーションの基本だからだろう。 だから彼は何よりもまず労働の場としてカルチェラタンを設定・脚本化し、スタッフに作画を課す。 彼は、人間の細部の動作を写実する地味で困難な作画を通してアニメーション文化の継承と若い人材育成に専心しているように見える。そしてスタッフはそれに見事に応えている。 宮崎駿を不遇時代から理解し、支え続けた故・徳間康快氏もあからさまに登場するが、それはこの作品が、宮崎から亡き恩人への直截な返礼と手向けであることを示す。 助力してくれる旧世代への信頼と肯定。そこから新世代の進歩が生まれるというメッセージ。それは討論会のシーンでも少年の演説の形を借りて直裁なまでに謳われている。子供達の未熟を映画は否定しない。 宮崎吾朗組は、先達の信念を肯定し尊重しつつ、それを継承することから、新しきを模索してゆこうとする。 少年と少女は、オート三輪やタグボートを駆る大人達の助けを素直に借りて協働しながら坂道を下り、海を渡る。 前半の「上を向いて歩こう」に呼応する武部聡志のサントラナンバー「明日に向かって走れ」に乗って二人が坂道を並び駆け下りて行く横移動シーンの高揚感、ロマンティシズムが素晴しい。 【ユーカラ】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-07-19 23:41:36)
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