みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
7.《ネタバレ》 なかなか、時間がなくて行けなかったんですがやっと見ました。まあ、予想どうりでしたね。キャスト的には永作は、昔は可愛かったけど見る影もなく疲れきったイメージがあっていますね。薫役の井上真央は、さりげない物言いに、今までの軽い役柄ではない重さがありました。マロンさん千草役の小池栄子は暗い過去を引きずりながら何とかして自分を明るい自立した女と認めてもらおうとやってきたとこがいいですねー。 さて、この原作ですがテレビ、映画と映像化されたわけですが原作とは皆、ちがっていますね。 特にラストシーンですが、原作では岡山のフェリー乗り場で待合室のいすに座って、前に薫るがいても存在にきずくことなく別れてしまいます。 テレビでは薫であることに気付き追いかけて遠くから名前を呼ぶが逆光で薫るには誰が呼んでいるのかも解らず別れてしまう。 さあ、この次、映画ではいよいよ、名のり会うのかと思ったら。やはりそんなわけなかったですね。写真館の現像で浮き出てくる希和子と薫の写真を見せ、過去の記憶を呼び返すとこ。こまかいですね。そのあと号泣しながら、おなかの子が好きになった!!という場面いいですよ。不幸な事件から二人の母親を持った薫、しかし間違いなく自分を二人とも愛してくれた。今度は自分が間違いなく生まれる子に愛を与えていく番だと誓って終わりますね。エンドロールにかかる中島美嘉のDEARが心にしみました。 【としべい】さん [映画館(邦画)] 7点(2011-06-12 21:34:55) 6.《ネタバレ》 結局感情がいちばん揺さぶられたのは、自転車の動作の反復だった。 冒頭近辺で井上真央が坂道を自転車に乗り、脚を広げ下っていくというなんの変哲もないショットがある。このショットはその時点では本当に何の変哲もないショットなのだが、何かを凄く感じさせるものがある。それが何かはその時点では当然わからない。 これは溝口健二の「残菊物語」の勝手場での西瓜の件に何かを感じるのと似た感覚である。後にこの勝手場が同構図で反復される。「残菊物語」をご覧になっている方は勿論わかると思うが、反復された構図の中で主人公がただひとり佇んでいるだけなのだが、同構図が反復されることによって、観客はあのふたりで食べた西瓜の時を思い出しているのだろうと思うと、とても切なくなるのだ。 話は「八日目の蝉」に戻る。この井上真央が自転車に乗り、脚を広げるという動作は後に永作博美が行う動作である。つまり血の繋がりなど全くない母親と自転車に乗ったとき、その母親が行っていた動作「脚を広げる」ということを、思い出として身に染み入っていたということがここでわかるのだ。であるから、永作博美が自転車に子供を乗せた時点で、ああなるほどこれはやばいぞと思い、わたくしは迂闊にもここで涙した。 溝口は同構図という反復、この映画は動作。違いはあれど反復することで意味を成す場合、反復前のものに何かが宿ってしまうのは当然だ。だからこそ、井上真央の時点でスクリーンから何かが滲み出ていたように感じたのだ。 さて、涙したから良い映画なのかというとそれは少し違う。この映画は井上真央や永作博美や小池栄子に比重を置き過ぎで、その他があまりにも御座なりだ。特に男の描き方があまりにも極端だ。「お父さんみたいな男」という表現に全てを集約し、この映画の世界に完全に閉じ籠ってしまう。その閉じ籠った瞬間がある以上、その裏返しとして、女は伽藍堂であるかないかというだけの狭い世界となる。そうじゃないじゃんって思ってしまうわけだが、そこで小池栄子だ(彼女は素晴らしい。ホテルで告白するときのテンションの上げ方、背筋の曲げ具合、そしてあの台詞回しのテンポ、本当に凄まじい女優)。しかし、余りにも歪な役過ぎてそれを解消出来るポジションにはいないだろう。 【すぺるま】さん [映画館(邦画)] 6点(2011-06-12 03:18:16) 5.《ネタバレ》 冒頭で、 被害者に向けて 感謝を口にする。 終盤で、 第三者に向けて 口にする言葉。 同じ1人の女が口にした言葉が、 鑑賞後に初めてつながる。 謝罪や反省の気持ちより、 女の中であふれる想いは、 我が子が自分に向ける笑顔、 我が子が自分を呼ぶ声、 小さな手、男の子用の服が似合う姿、 その全て。 だから、それ以外の言葉が出てこないのが、 心底理解できてしまう。 乗船場で女が最後に口にした言葉は、 我が身の保身でもなければ、 傲慢で身勝手な想いでもない。 そこにあったのは、 我が子を心の底から想う、 母の見返りを求めない、 一心不乱で頑な深い愛情だった。 好きや愛してるよりもずっとずっと、 心のこもった言葉。 与えるだけで 心が満たされる唯一のそれ。 だから、感謝しかない。 そして、それを与えられてしまったら最後、 それの温もりは一生忘れられない。 本物の家族の為、 忘れよう、 思い出さぬよう、 そうしていたそれが、 溢れかえり、抑えきれなくなった時、 それのあまりの深さに気づき、 膝が崩れ、泣き崩れた娘の、 最後の言葉がその全てだった。 ふつうに生活をしていたとしても、 それが得られる保証はない。 彼女が得ていたそれが、 ぼくの目には不幸で幸いな 八日目の蝉だった。 【ボビー】さん [映画館(邦画)] 7点(2011-06-05 22:27:46) 4.妻が妊娠した際、「子供が親を選んで生まれてくる」と胎教の講義があった。ならば「恵理菜は恵津子の元に生まれれば希和子が誘拐してくれる」と考えたと信じたい。 【SODOMOJO】さん [映画館(邦画)] 9点(2011-05-19 23:07:16) 3.最後の最後になってテーマがぼやける。 一体なにが言いたかったんだろう! 井上真央の視点で描くという狙いは悪くはないと思えたのだが… 個人的には一番泣けたのは小池栄子の告白シーンだった。 【とと】さん [映画館(邦画)] 6点(2011-05-19 18:08:00) 2.《ネタバレ》 凄く良い映画でした。こういう真っ直ぐな作品が出てくる限り邦画は安泰!やっぱね、どんなに時間が経っても親の前では子供は子供なんですよ。最後の井上真央の号泣には泣かされましたね。今年一番の傑作かも。 【bolody】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-05-15 22:48:14) 1.《ネタバレ》 この映画で秀逸なのは映画の冒頭シーンで、本当の夫妻に感謝の意を述べるも、まったく謝らなかった誘拐犯の姿を見せたことです。 「謝罪の言葉もありません」とまで言います。 無表情さが本当に恐ろしく、なんて身勝手な人間なんだ、と思えます。 しかし終盤、誘拐犯と「カオル」との香川県の小豆島の暮らしを映画は入念に描くのです。 ここで冒頭のこのシーンに思っていたこととはまったく違う、誘拐犯に同情してしまうような気持ちになるのです。 映画は時間軸が前後しまくっている構成ですが、このために必要なものだったと思えます。 この映画を時間軸通りに描くと、冒頭の本当の母親の気持ちに同調しにくくなってしまうと思います。 そして、タイトルの「八日目の蝉」とは誘拐犯・希和子のことでしょう。 他人のこどもを連れ出し、一緒の時間をすごした時こそが「八日目」だったのでしょう。 彼女のやったことは勝手かつ許されない犯罪ですが、それでも希和子が幸せな時間をすごせたことを見れてよかったです。 【ヒナタカ】さん [映画館(邦画)] 8点(2011-05-12 21:34:00)
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