みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(9点検索)】
5.タルコフスキーの映画は過去、現在、未来という三つの次元のうち、とりわけ過去の次元の表現に焦点が置かれているのはいうまでもないが、「サクリファイス」においては、未来の次元を強く志向しているといえる。この映画において「水」という視覚的主題はついに未来の次元に流れ込み、タルコフスキーの時間の映画は完成されるのだ。郷愁の象徴としてや、時のリズムを表すために用いられてきた「水」は、「サクリファイス」では、水溜まりのシーンや家の前の湿地のシーンなどで、死を表す視覚的主題として使われているところが他のタルコフスキー映画と一線を画していると思われる。しかし、驚くべきことに、最後の海のシーンで奇跡が起きる。オープンニングでは死の水であった海が青さを放ち、波が振動し、時のリズムが奏でられるのだ。ここで観る物は確かな未来を感じずにはいられないのである。また、「サクリファイス」における空中浮揚はまさに圧巻である。世界の破滅からの救済という主題が最高の形で視覚的に表現されているのではないか。まさに恐怖からの解放である。アンドレイ・タルコフスキーの放つ映像芸術、もっと見たかった。この映画で最後とはなんとも残念である。 【たましろ】さん 9点(2004-02-02 22:23:57)(良:1票) 4.《ネタバレ》 あまりに早い最期だったアンドレイ・タルコフスキー。この「サクリファイス」が、カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞した7か月後に、タルコフスキー監督は逝った。1986年12月28日だった。 「鏡」で、草原を渡る"風"を描いた。「ノスタルジア」で、この世とあの世の間を取り持つ"水"を描いた。 「サクリファイス」では、自分の投影でもある家を焼き尽くす"火"を描いた。 それらは、あまりに美しく、何度も観たい思いにかられ、観るたびに、ある種の"不思議"に包まれる。 アンドレイ・タルコフスキー監督の故国ロシアへの愛は、「ノスタルジア」で思いきり描かれていましたが、この「サクリファイス」では、その思いがもっと重く、胸にのしかかってきます。 タルコフスキー監督は、私たちに何を伝えようとしたのか?--------。 彼の映画には、いつも「死」と「神」とがつきまとう。全てのものは、象徴されてそこにある。 時には風景までもが、象徴の一端を担っている。 喉の手術で声の出ない息子に、父アレキサンデルが海岸に枯れ木を植え、「毎日、水をやるんだよ」と言う。 その日はアレキサンデルの誕生日でもあった。親友の医師、不思議な郵便配達人もやって来る。 その夕方、唐突に核戦争が勃発したというニュースが流れると、妻はヒステリーを起こし、子供も手術の痛みに苦しんで寝ている。 アレキサンデルは、無神論者だったが、つい神に自分を犠牲にするから彼らを救ってくれと祈るのだった--------。 この「サクリファイス」は、スウェーデンの俳優・スタッフによって撮影されています。 しかし、タルコフスキーは言う。「この映画は、スウェーデンでスウェーデンの俳優によって演じられたが、これはロシア映画である」と。 青い空と海、白い道と緑の野、道端に枯れそうな一本の貧弱な木。そして、父と喉の手術をしたばかりで声の出ない幼い息子。 父は息子に「昔偉い坊さんが、若い僧に、枯れ木に毎日決まった時間に水をやりなさいと言った。それを忠実に守って水をやっていると、枯れ木が生き返ったんだよ」と、話して聞かせます。 この映画の舞台にタルコフスキーが選んだのは、スウェーデンのゴトランド島だ。遥か海を隔てれば、故国ロシアの大陸がある。 海はタルコフスキーの、心の距離を縮めていただろうか?--------。 そして、撮影されたのは、海岸より少し外れた場所らしく、白い砂と松林の海岸が延々と続いている。 そこはあくまでも静かで、平らで、そんな時ふと恐ろしい感覚にとらわれるのは、「サクリファイス」のように、静かな地面の底から地響きが聞こえ、核戦争が始まったのが本当のことなのではないかと、愚かしい想像をめぐらしてしまう時だ。 幼い息子は、父が精神病院に送られてしまってから、父の言いつけに従って、海岸の枯れ木にバケツでせっせと水を運んではかける。 そして、木の根元に寝そべって、空を見上げ「なぜ、はじめに言葉ありきなの、パパ?」と今はもういない父に問うのだ。 父が果たした"犠牲"への報酬は、この子のこの言葉にあったのだろうか? 白い砂浜と青い空は、無情なまでに強烈で、炎上する家の炎の色と、妙に相容れない不協和音が、「サクリファイス」の崩れ折れそうなイメージを残すのだ。 【dreamer】さん [DVD(字幕)] 9点(2019-04-12 09:47:46) 3.この作品のオチは要するに、「親は無くとも子は育つ」ってヤツですね。口を聞くことができなかった子供が、植えたばかりの木の下で、新しい世界の始まりを宣言する。そしてダメ押しのように、タルコフスキー監督から息子への献呈とメッセージが。「自分の人生は失敗だったと思わないか」「以前はそう思ったが、子供が生まれてからはそう思わなくなった」。自分の人生が自分だけの人生でなくなり、「子育て」という形で、他の人生のために費やされる。自分に子供が出来た時から始まる、自己犠牲。しかしそれは本当の意味の「犠牲」なのか? 一種の自己満足に過ぎないのではないのか? 口のきけない子供、声なき子供、その一方で、大人たちが始めてしまった戦争の影が、いつ明けるとも知れぬ夜の闇とともに、映画の中盤を覆い尽くす。挿入される戦争のイメージ、恐怖のイメージ。そして、その家に集まる大人たちの間にも渦巻くのもまた、結局のところは大人のエゴではなかったか。取り返しのつかない戦争。過去を取り戻すためならすべてを捨ててもよいという言葉、それは結局のところ、単なるノスタルジーであり、自分自身のための祈りではなかったか。そしてマリアの元へ向う主人公が求めていたものもまた、自分自身への慰めではなかったか。やがて明るい朝が来て、主人公の行った行為。それこそが、過去としての自己の否定と、次世代への無限の信頼、すなわち真の自己犠牲であったと思うワケです。 【鱗歌】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2012-01-29 08:32:17) 2.《ネタバレ》 まだ今の僕には難しい作品。 女の人が恐怖で我を忘れて叫んでいる場面がうるさくてイヤだ。 最後の家が燃え盛る場面がきれいだ。 この監督は炎をきれいに描く。 また、ガラスや水、陶器などの冷たい繊細なものをきれいに描く。 炎も、なんだか冷たい感じがするのは僕だけだろうか。 映像が切り替わったときの妙な静けさも印象的だ。 目の前に、家のミニチュアが現れる場面は、「あれ!?」ってくらい不思議な感じがした。 とても不思議な感覚を味わう。 ガラスが触れ合うときの音もきれいだよね。とても繊細な感じ。 瓶が割れてミルクが飛び散る場面(あのミルクの破壊力!)はとても印象的。 瓶から水を注ぎ、奇麗な水で手の泥をおとす場面、その奇麗な水が泥で濁るところ、それと四角い石鹸もとても印象に残る。 レオナルドの絵が、ガラスで木陰が反射されているところも、なんだか綺麗で印象的だ。 この監督の作品、途中で流れるクラシック?音楽が荘厳に聴こえる。 普通に家のオーディオで聴いても、こんな陶酔感はあじわえないだろう。 そういったところがこの監督の魔力なのだろうか。 僕は外面的なことしか語れませんが、この作品は語りつくせないほど深い深い、、、 【ゴシックヘッド】さん [DVD(字幕)] 9点(2007-12-04 02:59:52) 1.わたしの記憶違いでなければ、この作品でタルコフスキーは故国ロシアとのへその緒を断ち切ったような気がします。魔女と噂される女性にかすかにロシア的な香りを認めることができましょうが。自分の残り少ない余命を自覚してか、終末という大テーマに取り組んだ勇気には感銘を受けました。また、一歩誤れば通俗的なイデオロギーに陥りかねない核戦争や禅味を、なんとか緊張感を失わないで描ききったところなどは、さすがといわざるを得ません。加えて個人的な印象にすぎないのですが、その言葉を知らない人においてさえただ響きだけでもって魅惑するロシア語ではなく、こもったような、正直言ってあまり美しくないスウェーデン語(?)に徹したことも今となっては心惹かれるところです。タルコフスキーが英語の作品を残さなかったことはよかった。 【バッテリ】さん 9点(2004-01-17 23:00:15)
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