みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(9点検索)】
17.《ネタバレ》 初見は劇場公開時、人生初の単独上映観賞作品。 新規作画多数。新設定でナンバリングされたガンキャノンが2機に。ギレンに美人秘書が、ララアの軍服、セイラの入浴シーンと見どころが多い本作。 オープニングのキャメル艦隊戦、スクランブル発進の慌しさに対し静かな音楽、やけに落ち着いたアムロと鳥肌モノの演出が映える。 ただ、初期の第2次世界大戦みたいな世界観から、ニュータイプが連呼されてオカルトっぽさが増してきたのと、登場人物がほとんど軍属で、戦場が舞台になっているので、サイド6編はあるけど、一般人目線での楽しみは少なく思う。 “白い奴”。敵が恐れる程の怪物となったアムロは、行方不明だった父と再会するが、父は自分や母への関心をすっかり失っていた。 守るべき人も故郷もなく、ようやく出来た愛する人を殺してしまったアムロは、自分の能力を戦争を終わらせるため、ザビ家を倒すために使うことにする。 一方ララアを失い、アムロにも勝てなかったシャアにとって、キシリアを殺すことは目的ではなくなっていた。ザビ家を倒すことよりニュータイプの未来を見てみたいというのはシャアの本音だったと思う。 若者が社会で突出した能力を発揮すると、自分よりちょっと劣るが有能だった先輩に、突然ヤキを入れられることがある。最後にシャアがアムロに挑んだ白兵戦がそれかもしれない。『究極のセールスマンは、落ちている石ころすらも売れる』と言うが、言い換えると『商品・売り物に依存しない』と言う意味らしい。ガンダムの操縦能力だけがアムロの考える自分の存在理由だったから、それを使って世の中の為に戦争を終わらせ、ララアのもとに行く。まるで社会人が、退職後のハワイ旅行だけを楽しみに休みも取らず会社のために命を削るようなもの。戦争の元凶が滅び、アムロは父の作ったガンダムを捨て、母に会いに行ったコア・ファイターすらも捨てて、生きて帰るべき所、自分にとって本当に大事なものを見付けられたエンディング。『ビギニング』そして『めぐりあい』と、挿入歌のタイミングも神がかっている。 アムロの脱出を誘導するカツ・レツ・キッカ。戦場で能力に目覚めたという解釈が一般的だろうか?彼らはこの誘導以前に、Ⅱでガンダム工場の爆弾を全部外したり、アムロに爆発のタイミングを叫んだり、脱走するコズン少尉を先回りしてトラップ仕掛けたり、そもそもⅠのサイド7で一緒に行動していた親が死んだのに、この歳の子どもがピンピン生きていたことも、彼らこそが本当の意味(殺し合いの道具じゃない)での生まれながらのニュータイプだったからだと思う。ジオン・ダイクンが提唱し、両軍が研究している謎の新人類ニュータイプ。アムロら少年少女が、悩み苦しみながら覚醒する能力。でも次世代の幼い子どもたちは、当たり前に、生まれながらのニュータイプ(しかも無自覚)だった。というのがこの作品最大のオチだと思う。 『宇宙世紀0080、この戦いの後 地球連邦政府とジオン共和国との間に終戦協定が結ばれた』 TVと共通のナレーションが、戦争の終わりをアッサリと伝える。これでガンダムの物語は終わった。その後は戦争(グリプス戦争とかネオ・ジオン紛争とか)の無い、ニュータイプの作る平和な世界が生まれた。 …だけど再放送から爆発的な人気になり、アニメを見ない大人までも巻き込んで社会現象になる。ガンプラ、グッズ、SF考察、コスプレ集会。そんな中で作られたこの三部作映画の最後、富野監督から英語のメッセージが入る。 ~そして、今は皆様ひとりひとりの未来の洞察力に期待します~ という意味だそうだ。大人にまで広がったこのブームは、監督には予想外だったんじゃないだろうか?少年少女の成長のために作ったものを、大人の事情でほじくり返して、また作らされる。自分の意図しない売れ方は面白くなかったに違いない。 だとしたらあの英文は「みんな誰でもアムロみたいなニュータイプになれるんだよ」と言う優しい言葉というより、「さぁガンダムブームは終わったよ。アニメに夢中になるのはやめて、学校や会社で頑張るんだよ」という、歪んだ社会現象に対する監督からのメッセージに思える。 当時は今以上に英語が生活に浸透してない時代。辞書片手に英語が読める歳になったら、俺の言いたいこと解るだろう。というメッセージ。 だから、富野喜幸(本名)が作りたかったガンダムは、ここで終わり。 以降作られる富野由悠季(ペンネーム)のガンダムとは、切り離して観てください。 【K&K】さん [映画館(邦画)] 9点(2021-01-10 00:10:03) 16.《ネタバレ》 ガンダムの劇場版は、1~3までよいデキですね! TV版を観ていないと、ちょっと解りにくいところもあるかもしれませんが。 このファーストガンダムの後もいろいろなガンダムシリーズありますが、やはりファーストが一番「戦争してるんだな」感がありますね。 オルフェ●ズなんて、ただの●●●で終わってしまったからなぁ・・・おっと、他作品の批評はこれくらいで。 見どころもたくさん 登場キャラクターの成長はもちろん。 最終決戦なので武器をありったけ装備して出撃するガンダム、これだけでも「あぁ、ほんとに最後の決戦なんだな!」と感じさせてくれるイイシーン。 そのガンダムもジオングとの戦いで、ウデやアタマがもげて痛々しい姿に・・・からのラストシューティング。 かっこいい。 ホワイトベースが沈む時も帰る家がなくなるような、悲しい気持ちに。 クルーが撤退するまでがイイデスネ。 最後に・・・ 第1話でジーンが暴走しなければ、ジオンは勝ててたかもしれないよね。 (ジーンが暴走しなければ、アムロがガンダムに乗ることもなかったかもしれない) ・・・と、つくづく思います。 【みけら】さん [DVD(邦画)] 9点(2017-09-27 01:10:49) 15.《ネタバレ》 ガンダム、私の世代は虜になった人も多いんじゃないでしょうか。なんといってもララァを巡るシャーとアムロのやり取りがこの作品の見どころです。最後のシャーとの攻防は、今でも鳥肌もんですね。 【SUPISUTA】さん [ビデオ(邦画)] 9点(2016-07-03 09:39:45) 14.《ネタバレ》 俺が子供の頃、猛烈に熱狂したのがこの「ガンダム」だった。 小2の頃にやったBSでの劇場版三部作再放送。BSは「パトレイバー」や「七人の侍」、チャップリンやヒッチコックにも出会えた感謝してもしきれないチャンネルだ。 俺にとっては劇場版のスピーディーな展開が「ガンダム」だったし、小5の頃に見たTV版の「ガンダム」はちょっと退屈してしまった(それでもグフ戦とかズゴック戦とかギャン戦とかスッゲーのよ!) 古ぼけた画面がかえって新鮮だったし、今見ると変テコリンな服装や髪型、モビルスーツのデザインも良い意味で“時代”を感じた。 デブのオッサンかと思ったリュウが誰よりも仲間思いで、チームを引っ張って、後輩のために死ぬ覚悟もある男の中の漢だったり、 ブライトが白目の無いクソ野郎かと思ったら、苦労を背負い込む本当は優しい大人だったり、 スレッガーの覚悟を決めたセリフと行動・・・・ガンダムからは色々学んだ。あの頃は。 ガンダムが起動するシーンは今見てもワクワクするよ。 ビームサーベルがザクの心臓部に深々と刺さっていく描写、テキサスコロニーでの一騎打ち、エルメス戦、ソロモンでの死闘の数々・・・そして倒れ様に敵を撃ち抜くガンキャノンのカッコ良さよぉ!! 「ラスト・シュート」が一番の名場面だけど、俺は心も体も成長したカイの奮闘が一番心に染みるぜ。 俺個人は富野の最高傑作は「イデオン 発動篇」だと思っているが、終わり方は「∀」や「ザブングル」と並んで一番好きだ。 ラストの曲は最高に卑怯だ。安彦の美しい絵も卑怯だ(80年代の安彦は神)。あと永井さんのナレーションも。合唱・・・。 【すかあふえいす】さん [DVD(邦画)] 9点(2014-12-20 19:01:26) 13.ガンダム・ファンの視点に立つと、劇場三部作はアニメーション・ディレクターの安彦良和氏のリライト原画鑑賞会みたいな色彩がありました。特にこの「Ⅲ」は安彦氏がTVシリーズの終盤で体調を崩して作画に参加できなかったこともあり、その意味合いが強かった。安彦氏の手によって描き直されたセイラさんは凛々しかったです。また、冒頭のムサイ艦隊との戦闘シーンも映像的には映画のオリジナルに近く、テンポの良さとガンダムの突出した強さに痺れましたね。「ニュータイプ能力を戦争の道具にされるだけだ」。これはシャアのアムロ評です。では、戦争の道具ではないニュータイプとはどのようなものなのか? 地球の重力圏を離れたところを住処にした人類が、その環境によって進化を促される。これがニュータイプ。その中味は知覚域の拡大。富野総監督曰く、分かり合う能力。ファーストがテレビで放送されていた頃は冷戦の真っ只中でした。米ソの軍縮協議のニュースなどを見ていて、自分は大国のトップがニュータイプだったら何が起こるかを夢想していました。それは、正確な嘘発見器を体内に標準装備したようなもので、他者の言動に対して中途半端な評価は存在しない。物事は、信用できるものと出来ないものに二極される。すると、少なくとも相手に害意が無いことが知覚できれば、疑心暗鬼の兵器製造などはしなくて済む。これが自分の「戦争の道具では無いニュータイプ」観でした。夢のある概念だと思ったものです。予知や透視や念動力などとは毛色が違うので、劇中では「超能力」という言葉を使わないように配慮していることが分かります。「ガンダム」以前のロボットアニメには超能力者は出てきても、人類進化が描かれたものは無かったでしょう。今作が「ファースト」という呼称でその地位を維持しているのは、やはりこのニュータイプ概念があったからだと思います。シリーズ全体の山場でもあるアムロとララァとの邂逅には、その戦闘シーンの迫力と心象描写の融合に鳥肌が立ち、アニメーション表現の新たな地平を観た気分でした。もう30年も昔の話です。惜しむらくは「Z」「ZZ」「逆襲のシャア」と連なる作品の中で、この概念を発展・展開できなかったことです。 【アンドレ・タカシ】さん [映画館(邦画)] 9点(2010-04-06 23:03:42)(良:1票) 12.テレビ版とは別物です。より大衆化したというかんじ。テレビ版よりわかりやすいです。それにしてもカイ。ここぞというときの一言にキレがあります。でも悲しいかなオールドタイプ。我々の代表なんでしょう。 【ようすけ】さん [ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-16 05:39:29)(良:1票) 11.シリーズの中では一番完成度が高いですね。ですが恋愛模様が多すぎてマイナスですね。命を懸けて戦っているのだからもう少し、思想とか戦争部分に力を入れて欲しかったなと思います。終盤のララァとの戦いには燃えました。映画史に残る名シーンだと思います。多くのガンダム印のシリーズがありますがやはりこれが一番好きです。いつか進化したCGか実写でリメイクして欲しいものです。 【たかちゃん】さん [DVD(字幕)] 9点(2005-09-01 13:04:57)(良:2票) 10.《ネタバレ》 ガンダム3部作、アムロとホワイトベースのクルーの成長の過程を締めくくるにふさわしい作品。このⅢのために、ⅠとⅡがあると言っても過言ではないです。 さて、キャラクターデザインをした安彦良和氏が、自ら作画に手直しを加え、TV版や前2作品と比較して別の作品と言ってもおかしくない位、絵のクオリティーが格段にアップしています。それだけでも観る価値のある作品だと思うし、このⅢはある意味独立した話と考えられないこともないですが(このエピソード単独でゲーム化もされてますし)、これだけ観ても何のこっちゃと感じる方が必ず居るのも確かで、そこがちょっとした減点対象になってます。あと、目立ちたがり屋のマ・クベは、やっぱりギャンに乗って死んだほうが良かったと思います。合わせて-1点です。 アムロの「ゴメンよララァ。僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなにうれしいことはない」という台詞。彼を迎え入れるクルー達。井上大輔の「誰も一人では生きられない~♪」という熱唱。何度観ても泣けます。 【なおてぃー】さん 9点(2005-01-24 21:12:09)(良:1票) 9.ガンダムっすよガンダム。文句なし。おいらの思い入れありすぎなので-1 【wlon】さん 9点(2004-02-16 04:08:29) 8.自分に多大の影響を与えたガンダム 中でも本作品は最高です。冒頭の”ガンダムだ あの白い奴だ”のシーンは当時、見た時になんとも言えない震えが来ました。 【matatake】さん 9点(2004-01-31 19:35:24) 7.《ネタバレ》 ファンの間ではこの映画を含めたファーストガンダムは不可侵ともいえる絶対的な存在です。そしてファーストガンダムを基準にして他のシリーズを「許せる」「許せない」で判断する風潮があります。例えば、Zは許せるけどZZは許せないと言った場合、「ファーストガンダムを基準して」という暗黙の了解あります。物語のほうは静かで厳かな幕開けから、サイド6、テキサスコロニー、ソロモンを経てア・バオア・クーで完結しますが、無駄がなく且つ緩急や静と動のバランスがとれており、とてもテレビ版を継ぎはぎしたとは思えません。さらに言えば、本来はア・バオア・クーではなくジオンの本拠地であるサイド3で完結する構想だったのを、テレビの低視聴率の影響で短縮した妥協の産物であるのに、この完成度は奇跡です。前2編の伏線は、アムロはじめホワイトベースクルーの成長にその効果が確認できます。特に、アムロの未熟さや軍紀を乱す子供っぽい行動を執拗に描いた効果はてきめんです。また、荒廃した地球の戦線を延々と、少々冗長に描いたことで、宇宙の開放感が強く感じられます。様々な角度からこの映画を論じることができますが、私は「アムロとシャアの果てしない喪失の物語」として論じようと思います。シャアは、生い立ちからして失うものが何もない場所からスタートしていますが、今編ではララアと自身のプライドを失って涙を流します。ララアに関しては失って初めて彼女への愛に気付いたのではないでしょうか。この喪失感からシャアは本来の宿願であるザビ家打倒とニュータイプによる世界の変革という目標軸を一旦見失いかけます。一方、アムロの喪失はシャア以上です。母との心の繋がりを失い、マチルダさんを失い、父は自分の行動が遠因となって正気を失い、運命の出会いだったララアを失い、あれほどアムロに想いを寄せていたフラウ・ボウはハヤトの元に走ります。喪失感が深まるのと対照的に、彼のニュータイプとしての能力は開花し、鬼神のようなその強さは前人未踏の領域に彼を引き上げ、そのことが孤独感をさらに深めます。ララアの「あなたには守るべきものがない」という趣旨の台詞は、深く深くアムロに突き刺さったはずです。エンディングでは、そんなシャアとアムロにせめてもの慈悲が提示されました。シャアは自分の手でキシリアを誅殺することで目的の一つを達成しました。そしてアムロは、喪失の果てに何を得たのでしょうか。 【USS_Barcelona】さん 9点(2003-12-12 10:34:42)(良:3票) 6.テレビ版よりもリアリティを重視した作りになっているのが良いですね。どう考えても、ガンタンクを宇宙で戦わすのは無理があります。一つ難を言えば、マ・クベが死んで欲しかった。そして、あのせりふを映画でも言って欲しかった。「あの壷は・・・」。それ以外は音楽・ストーリー含めパーフェクトでしょ。 【ザクグフドム】さん 9点(2003-07-30 03:24:08) 5.ばかうけの旦那さんに勝ちました(笑)。私は推定40回以上は見たかもしれません。上映したのは小学校最後の春休み。様々な思いを胸に、最高に心をときめかせながら、どれほどこの映画に、ガンダムにのめり込む様に堪能した事か。おそらくこの様な体験は子供時代特有のものだと思うので、もう二度と味わえない。後世、色々な訳のわからんガンダムが今でもたくさん出ているようだが、私の中ではこの「初代ガンダム」が不動のものとして心に刻み込まれている。またレンタルしてこようと、今も思ってしまった。 【はむじん】さん 9点(2003-06-07 00:23:15) 4.安彦良和。彼の作画のリテイクが輝く作品。そして富野節の炸裂。ところどころにテレビ版の絵が顔を出しますが、やはり世界観などには脱帽してしまいます。小さい時はガンダムのかっこよさに、大きくなったら世界観に引き込まれる、自分の成長とともに視点が移る深く素晴らしいアニメ。 【ウナム】さん 9点(2002-10-07 18:01:54) 3.面白いの一言。待ちに待ったDVD。高い金払って購入したけど、ドレン中尉とかカムランとか結構声優さんが変わってしまったのがとても残念。でも波平さんのナレーションは健在。 【キャリオカ】さん 9点(2002-03-27 18:31:22) 2.アムロとララァの出会いの「美しい物が嫌いな人がいて?」というTV版のセリフは残して欲しかったです(ただし後の繰り返しは不要)。シャアの涙は周囲では賛否両論でした。この映画は初日に見たんですが、TVや新聞の取材が来てて「アニメもここまで来たか」って感じでした。 【にゃんせぶん】さん 9点(2001-10-16 23:20:36) 1.もうガンダムと言うだけで点数高い!(笑)でも、あのDVDの値段はどうかして欲しい・・・あんなに高いの3枚も買えません(泣) 【トミー・リー】さん 9点(2001-09-02 21:00:33)
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