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残菊物語(1939)

The Story of the Last Chrysanthemums
1939年【日】 上映時間:143分
ドラマモノクロ映画小説の映画化
[ザンギクモノガタリ]
新規登録(2004-02-15)【スロウボート】さん
タイトル情報更新(2024-08-21)【イニシャルK】さん
公開開始日(1939-10-10)


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監督溝口健二
キャスト花柳章太郎(男優)尾上菊之助
森赫子(女優)お徳
高松錦之助(男優)尾上松助
高田浩吉(男優)中村福助
葉山純之輔(男優)守田勘弥
尾上多見太郎(男優)尾上多見蔵
南光明(男優)新富座の頭取
天野刃一(男優)新富座の女形
井上晴夫(男優)奥役
石原須磨男(男優)旅廻り太夫元
富本民平(男優)待合の客
保瀬英二郎(男優)旅廻りの役者
伏見信子(女優)芸妓栄龍
花岡菊子(女優)芸妓小仲
鏡淳子(女優)五代目の女中
大和久乃(女優)五代目の女中
河原崎権十郎[二代目](男優)五代目菊五郎
花柳喜章(男優)尾上多見二郎
志賀廼家辨慶(男優)按摩元俊
磯野秋雄(男優)若い者
嵐徳三郎(男優)中村芝翫
梅村蓉子(女優)五代目夫人里
中川芳江(女優)茶店の婆
原作村松梢風
脚本川口松太郎(構成)
依田義賢(脚色)
音楽深井史郎
撮影三木滋人
製作松竹(京都撮影所)
配給松竹
美術山岡荘八(美術考証)
水谷浩(美術監督)
その他花田三史(デジタル修復版画調監修)
あらすじ
芸道の道に生れ落ちた青年と、そこの家に雇われた女は恋に落ちる。しかし、身分の差による周囲の偏見もあり、それはやがて悲恋の形を辿っていく・・・女にとっての男とは?男にとっての女とは?時代を超えて、それらを観る者に強烈に訴えかけてくる日本映画史に残る傑作である。日本の巨匠監督の一人、溝口健二監督の初期代表作にして2時間を超える大作。

にじばぶ】さん(2008-04-01)
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【クチコミ・感想(10点検索)】

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10.《ネタバレ》 何度目かの再見で、新たに気づかされるのは音響に対する作り手の意識の高さとその達成である音の豊かさ。
長門洋平氏の著作『映画音響論』での詳細な分析とユニークで斬新な解釈に触発されて見返したわけだが、
フレーム外から聞こえる物売りや行商人の掛け声、囃子など、その対比としての沈黙の用法・タイミングまでよく考え抜かれているのがよくわかる。

まるでヒロインの表情を見せまいとするようなフレームサイズ、構図、陰影。加藤幹郎氏を始めとして散々指摘されてきたことではあるが
その分、森赫子の済んだ声音はより際立って美しい。

長門氏によるラストシーンの解釈に全面的に首肯するわけではないが、冒頭シーンとの対照という意味でも、「ありうべかざるものを、
ありうべきものとして」描いたとするそのユニークな解釈はとても興味深い指摘である。

十分に分析されつくしたかに見えても、さらなる味わいと解釈を許容する傑作の奥深さを思い知らされる。 ユーカラさん [ブルーレイ(邦画)] 10点(2016-07-06 23:59:20)

9.《ネタバレ》 溝口健二監督という存在、「巨匠」とは呼ばれていても、どこか認知度が薄い気がする。代表作は「雨月物語」ということになっているけれども、それでいいんだろうか。そのあたりで、(決して「雨月物語」がダメというのではなく)認知度の低い原因にもなっているようにも感じる。‥‥溝口監督の作品には、どれもそれなりの欠点が内包されている、などと生意気なことをいいたくなってしまうところがあるのだけれども、十本ぐらいの監督の作品を観て、いちばんにバランスのとれた「傑作」は、この「残菊物語」ではないのかと思う。ストーリーは定型の旧社会の中での「メロドラマ」ではあるけれども、ヒロインはそれでも、いつも「前」を向いている。そこに「感動」のタネもある。みごとな長回し、ワンシーンワンカット、そして、ひんぱんに登場する「階段」の活かし方。ラストの簡潔な「対比」の効果。すばらしい。映画というものの演出の、ひとつの規範ではないのか。‥‥もちろん、西瓜のシーンとその反映は、あまりにすばらしいではないか。 keijiさん [インターネット(字幕)] 10点(2013-12-13 17:26:40)

8.《ネタバレ》 悲しくも、恐ろしく美しい。
西瓜をふたりで食べようとする、勝手場での長回しのワンショットに心が震え上がる。
これは映画を見ていくと、後に、菊之助とお徳が離れ離れとなり、
菊之助が、昔ここでふたりで西瓜を食べたということを思い返すシーンとして、
前述の勝手場のワンショットと全く同じ構図が反復される。
ただその勝手場にはお徳の姿はなく、菊之助だけが、ひとり佇んでいるのだ。
回想シーンが挿入されるわけでもなく、同構図で反復されるというだけで、
あのふたりで食べた西瓜の時を菊之助は思い出しているのだろうと
我々観客は気付くのだが、もう涙なくして、佇む菊之助を直視することは出来ない。
しかしその後々に反復されるという事実を知らずとも、
もはや西瓜を食べようとしているショットの時点で深く心に響いてくるのは何故か。
それはやはりこのショットが後のふたりの運命を喚起していたからなのか。
或は、溝口健二の馳せた想いが、後に反復するこの構図から、
スクリーンを通して滲み出てきていたのだろうか。
だからか、菊之助が「お徳、ちょっと持っておくれ」などと言うだけで、
切なさが溢れ出し、涙が頬を伝うのだ。
そう、つまりこれは全て溝口健二によって仕組まれた周到な仕掛けだ。
この仕掛けは台詞ではない、身振りでもない、構図だ、ショットの持つ強さだ。
そしてショットの反復は他にも繰り返される。舞台袖だ。
映画の冒頭、父は舞台袖で菊之助の至らなさに腹を立てる。
この舞台袖での件というのは映画が進んでも幾度となく登場する。
そして菊之助がとことん落ちぶれた後に、東京への再帰をかけた舞台が終わった時の、
その舞台袖でのあの感動はなんなのであろうか。
更に、菊之助がいた二階の安下宿。ここに菊之助と離れ離れになったお徳が戻ってくるとき。
昔、鏡台を二階に運ぼうとしたときと全く同じ構図、そう階段上からのあの俯瞰のショットが、
それも空ショットとして挿入されたとき、お徳の悲しさ、寂しさ、そして優しさに心を打たれる。
そして映画はいつまでも鳴り止まぬ声援に手を上げ答える菊之助、
そして静かに息を引き取るお徳、このあまりにも悲し過ぎる対比で幕を降ろす。
しかし、美しい。この美しさは作品の持つ悲しさを破綻させるほどの恐ろしい美しさだ。 すぺるまさん [映画館(邦画)] 10点(2008-10-14 00:01:04)(良:2票)

7.溝口健二作品の中で一番好きな作品です。50年代の傑作群も好きですが、この作品が
恵比寿ガーデンシネマとNFCの「溝口健二特集」で観たのですが、両方とも涙ボロボロ。コメントはもう素晴らしいコメントが書かれているので書くことないんですが、私の好きなシーンは、二人で西瓜を切って食べるところで、観ていて心地良い。菊之助が成長し、東京へ帰ってくるのですが、かつてお徳と一緒に西瓜を食べた名残をこれまた一連の長回しで撮っていて泣かせます。 サーファローザさん [映画館(邦画)] 10点(2007-10-05 17:44:53)(良:1票)

6.これほど話と画が一つにまとまった映画を初めて見たように思う。鑑賞後に溜息と涙と感嘆を同時に感じた。画面の中にぼうと浮かぶ画に溜息を漏らし、女の慈愛に涙し、判り易く、無駄のない脚本と演出に感嘆した。なんだろう、この余韻は・・。舳先に立つ菊之助がお徳に御辞儀をしている様で・・ああ、涙が止まらない。映画に於ける全ての要素が素晴らしすぎる。ここのレビューサイトに登録してまだ日は浅いがこの様な作品を知り、そして見ることができて本当によかった。まさにみんなのレビューのおかげである。この作品を置いてくれたTSUTAYAにも“ありがとう”と言いたい。
カリプソさん [DVD(邦画)] 10点(2007-04-01 16:32:37)(良:2票)

5.《ネタバレ》 お徳はなぜあんなにも美しい心を持っていたのだろう。自分の全てを擲ってでも、愛する人を支えようとできるのだろう。自己犠牲などとそんな言葉では言い表せないほどの強さ。美しさ。清らかさ。菊之助が誤った選択をしそうになったとき、お徳はいつも正しい道へ進ませようとする。頑固者で意固地な菊之助にいつも包み込むような優しさで語りかける。こんなにも美しく、清らかな登場人物が出てくる映画は他に観た事がない。お徳の温かな想いが、美しい画面の向こうからヒシヒシと伝わってくる。だから、彼女の苦しみや喜びが痛いほど胸に響いて、僕は涙を止めることができなかった。長い下済み生活の中で彼女は自らの命を削りながら菊之助を親身に支え、そして菊之助を立派な役者に育て上げた。全てはお徳の存在があってだった。彼女の葛藤と決断、舞台を見ることができず、手をあわせ、成功だけを願ったお徳。一瞬でも、失敗しろとは思わなかったのだろうか。ほんの一瞬でも、迷わなかったのだろうか。僕は彼女のように心が清らかではないから、そう思ってしまったが、終盤で始めて二人が夫婦になったあの狭い部屋の中で、彼女は言った。「もう思い残すことはない」と。何度もいろんな映画の中で聞いてきたこの台詞も、こんなにもその想いの全てが心の深いところに届いてくる台詞はなかった。自らを犠牲にし、死に意味を持たせ、菊之助の幸福を願ったお徳。この世に残った菊之助には、彼女が残した幸福を決して手放さないで欲しいと思った。素晴らしすぎる。鮮麗されたワンシーンワンカット、計算し尽された完璧な構図、照明。あぁ、なんて美しいのだろう。溝口監督に感謝せずにはいられない。この映画を僕の一生の宝物にしたいと思います。10点などでは収まりきらない感動と、心からの感謝を込めた10点。 ボビーさん [DVD(邦画)] 10点(2007-02-04 18:23:55)(良:1票)

4.凄い~~~!この作品、昔、テレビで放送したらしいのをビデオに録画しといたという親戚に借りて観たけど、その圧倒的な映像美、溝口健二監督作品らしい本当にため息の出る美しさと更にその重厚且つ物凄い人間ドラマとしての力強さに、ただただ圧倒させられました。尾上菊之助の芸の深さと人間が成長するという事について、とにかく私のようなど素人が偉そうなことは言えないけど、傑作を通り越して、大大大傑作間違いなしの本当に物凄い作品です。これが溝口健二監督作品はまだ四本目ですけど、今のところ観た中ではナンバーワンです。とにかくワンカット、ワンカットが本当に映画的であり、美しく力強いその映像の正しくこれぞ映画ならではの美の世界!溝口健二監督の映画はどの作品にしても本当に美しい!美しすぎます。完全にやられました。よって迷うことなく満点です。この映画も含めて溝口健二監督の映画も黒澤明監督、小津安二郎監督作品同様、全作品バラでDVD化して欲しいなあ!そしたら「近松物語」とこの作品の二つは間違いなく買うのに! 青観さん [ビデオ(字幕)] 10点(2005-12-30 19:19:43)(良:1票)

3.映画という芸術に対するひとつの回答があるような作品です。ひとつは、やはり構図ですね。例えば絵画における構図を思い浮かべると良いのかもしれない。名画が名画として成立しているのは画家が描き出す構図空間の見事さによります。映画でも同じです。主役、脇役、背景をどのように配置するかで全てが決まってしまう。そして、もうひとつが空間と観客の一体感です。例えば舞台演劇における役者と観客の一体感が良い例です。舞台では、常に観客が現実に起こっている状況の目撃者になっています。これを映画で実現するには長まわし以外にありません。空間が移動し役者が現実の時間と同時進行で動く状況が続けば、観客は今起こっている目撃者としての立場から、見事に中に入っていけるわけです。というわけで、すごい作品です。音声が聞き取りづらい点があったが、親切に字幕入りだった。って、英語の字幕じゃわかんないだろう。 パセリセージさん [映画館(字幕)] 10点(2005-12-04 22:32:42)(良:2票)

2.ひゃ~凄い作品です。舞台役者の花柳章太郎、森赫子(かくこ)を迎え、ワンシーン・ワンショットを基本とする長回しがとことんまで研ぎ澄まされております。全体をローキーで捉えた三木滋人(稔)さんのカメラは、この哀切極まりない物語を実に哀切たらしめております。また森赫子さんの艶やかで控えめな演技が、緊張感の持続強いられる長回しに映えてお見事。舞台でスポットを浴びる菊之助と舞台下の暗闇でひたすら手をあわせるお徳のまさしく明暗、菊之助が調達した呉服の生地に顔を埋めるお徳・・・あ~涙。菊之助が台所で餅を眺めるシーンの切なさよ。「あらっ、若旦那こんなところにいらしたん」のノー天気な台詞が拍車をかけます。病床で芸人の女房として振舞うお徳、その弱々しい肢体、口調とは裏腹に力強い菊之助への言葉・・・あ~、涙涙。安易な感傷とは無縁のお徳の物語、完。 彦馬さん 10点(2004-08-27 00:16:35)(良:1票)

1.《ネタバレ》 溝口監督の「引きの長回し」というスタイルが最も解りやすく提示された傑作です。『浪華悲歌』(36)以来、役者の演技の途切れを嫌ったことで生まれた独特の長回しですが、ワンシーン・ワンカットどころかワンカットに2シーン、3シーンと入れ込んだ本作の映像は一見の価値ありです。非映画的と批判されることもある長回しを、これほどまでに映画的に仕上げることを可能にしたのは、パンや移動、構図に至るキャメラワークの抜群の切れ味でしょう。お徳が菊之助に本音で忠告するシーンでの長い長い横移動。東京に戻った菊之助を迎える宴会からパンして、別の部屋でたたずむ菊之助をとらえ、さらに横移動とパンで別の部屋にいるこう坊に近寄って行き、奥の台所へ抜けるところまでをワンカットで撮っているところはまさに驚嘆の出来。お徳との苦労の歳月が忍ばれる情緒と相まって、何度観ても魅了されてしまう見事なショットです。カットは割らないが、当然、人は動く。ワンカットで何組もの演技を組み込まなければならない場合も多い、長回しという技法は、同時に高度なキャメラワークを作家に要求するもので、その意味では、このパンや横移動こそ溝口のキャメラの真髄と言えるのではないでしょうか。これが稚拙ではやっぱり映画にならないでしょう。本作は戦時下で政治色を避けたと言われる、いわゆる一連の「芸道もの」の一作ですが、男を世に送り出す為に自分をぼろぼろに傷つけてまでも尽くしていく女性というテーマはここでも健在。ラストのお徳の死と屋形船で喝采を浴びる菊之助との対比描写は、悲劇この上ない強烈なリアリズム。胸が締め付けられるような強烈な痛みと共に涙が溢れてしまいました。お徳が使用人であり、菊之助が歌舞伎界の御曹子という身分の違う恋愛を、結局、悲劇的結末に仕上げたことで、反体制的な印象を与えていることも見逃せません。政治色を避けたと言われる「芸道もの」ですが、本作を含め、『浪華悲歌』(36)、『祇園の姉妹』(36)にこそ、封建的な権力に対する溝口の怒りが顕著に現れています。やや舞台シーンが長過ぎるきらいがあるものの、溝口作品では外せない傑作中の傑作です。 スロウボートさん 10点(2004-02-15 14:30:46)(良:5票)

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マーク説明
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【点数情報】

Review人数 25人
平均点数 8.88点
000.00% line
100.00% line
200.00% line
300.00% line
414.00% line
514.00% line
600.00% line
700.00% line
8416.00% line
9936.00% line
101040.00% line

【その他点数情報】

No名前平均Review数
1 邦題マッチング評価 10.00点 Review1人
2 ストーリー評価 9.50点 Review2人
3 鑑賞後の後味 10.00点 Review4人
4 音楽評価 10.00点 Review1人
5 感泣評価 9.50点 Review2人

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