みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(6点検索)】
4.《ネタバレ》 主役の役作りはすごいと思う。その意味でつまらない作品ではないけれど、全体的な印象は弱い。史実ならFBIが間抜けすぎる。電話の件でアリバイがあるなら、もっと早く疑いが晴れてよかったはずなのではないか。しかも、盗聴してたなら、それこそ犯人じゃないと分かったのではないのか。また、女性記者とFBI捜査官の件は事実でないなら脚色しすぎと思ったが、どうやら取材には基づいているらしく、論争があったようだ(そりゃそうだろう)。史実なのだろうけれど、爆弾を見つけて裏方のスタッフを退避させているくらいなら、ステージで歌ってる人たちも退避させるべきではなかったのか。後付けで言っても仕方がないことだけれど、そのあたりこそうまく脚色できなかったものかと思う。 【mohno】さん [インターネット(字幕)] 6点(2020-12-03 11:50:02) 3.《ネタバレ》 いやー、イーストウッドは本当に意地悪な作家だ。主人公リチャード・ジュエルは、法執行者(law enforcer)であることに妙にこだわる一市民。爆弾テロ事件の英雄から一転、容疑者となって、その嫌疑を晴らすまで。ポール・ウォルター・ハウザーの外見含めて見事な演技で、墓穴を掘りまくる彼にイライラしながらも、とくに母親や弁護士の視線に同一化することで、国家権力やメディアという権力に憤りながら見るだろう。でも、いま(2020年の)アメリカで「法執行者」が持っている意味は、単なる「秩序の番人」以上の意味を持つ。なにしろ、法執行者による差別が社会問題化(警察の黒人への暴力、移民取締り官の過剰な取締り、などなど)している時代だ(5月のBLM運動以前から、これは大問題だった)。たぶん、リチャード・ジュエルが今生きていれば、彼は間違いなくトランプ支持者だろう。母親もたぶんそうだろう。そういう法執行や秩序への拘りは、ときに異質な人たちへの疑念を招き、そこに現れる暴力を正当化させる。そして、本作でもたしかに、爆弾事件の前夜のシークエンスで、ジュエルその人がたまたまバックパックを持ち込んだ男性を「怪しい」と思い込み、後を付けている。つまり、人を「疑う」ことはジュエルの仕事の一つなのだ。その彼が、今度は、彼の外見や性格や行動ゆえに、あらぬ疑念をかけられ苦悩する。だからこそ、それを乗り越えるラストは感動的なのであり、疑われても尊厳を示すことの美しさを見事に描いている。シンプルな「小さな英雄」物語のなかに、このような複雑に入り組んだ構造を押し込んでくるイーストウッドの意地悪さ。共和党支持者でありながら、いまの共和党政治をどこか突き放して見ているイーストウッドらしい、党派に絡め取られない「人間性」を描いた傑作・・・と言いたかったのだけれど、やはり私もあの女性記者の扱いは酷いと思う。今時めずらしい類型的過ぎる彼女の描き方、体を張った取材から陳腐な改心まで、どこまでも軽い。そこにはジュエルを通して描いた複雑さが全く見えない。それは、多分にイーストウッドの平板すぎる女性観ゆえだろう(そして、彼自身そのことを問題だと思っていない)。オリヴィア・ワイルドやジョン・ハムの好演でなんとなかっているものの、ジュエルたちと同様にFBIにもメディアにもあるはずの職業倫理やロジックが全く見えてこない。そこが過度に単純化されてしまったことが、本当に惜しい。 【ころりさん】さん [インターネット(字幕)] 6点(2020-11-24 23:17:56) 2.《ネタバレ》 これは、難しいなと思ったんですが、結局のところリチャードジュエルが本当にシロかどうかはグレーなまま、しかし、彼が無実であることを信じることにしよう、そして彼の英雄的行動を称えよう! という主旨の映画かと思ったんですけど、彼が生前に映画化されてたなら良かったんですけど、実際にはもう当人が亡くなってしまってて、そうすると、彼が亡くなってもう再犯の危険が全くなくなったのでやっと映画化できたのでは? というあざとさが気になってしまった感じです。 メインの問題として、プロファイリングに当時の偏見が混ざって問題のある判定ではなかったかという疑念がしつこく提示され、かつ当時の価値観で偏見を抱かれやすい主人公の属性が強調される(自制心なく食べてしまうので太ってるとか、黙れと言われても黙ってられないとか、勝手に人の引き出しの中を見てるとか、今でいうとGeekっぽい異様なほどの銃器や警察関係の知識の深さや執着や)んですけど、そこを否定すると、後出しで出てくる共犯が居たのでは? という疑念を否定する根拠がなくなる。 で、「疑わしきは罰せず」で無罪判定になったとしても、実際の犯人が捕まらないと本当の意味で安心できないなと思って、後で犯人が捕まって自白したという情報が出てくるんですけど、映画中のFBIの悪どいやりくちを散々見せられた後だと、その自白も本当に信用できるものなのだろうか? と、操作方法に疑念があると、犯人が捕まったと言われてもまだ安心できず、結局リチャードジュエルが亡くなって、少なくともからが実は犯人だったとしても、その再犯はなくなってやっと安心できるみたいな。 母親の終盤のスピーチとか、リチャードジュエルのFBIへ断固とした主張をする場面とか、弁護士との友情とかは、すごい良い場面だったと思います。 が、リチャードジュエルの主張で言われるところの「自分を犯人に仕立て上げるために手練手管を凝らすよりも、本当の犯人を捕まえ、再犯防止すべき」という話が、この映画製作自体にも刺さってきてるように感じて「主人公を善人に仕立て上げるために手練手管を凝らすよりも、本当の犯人を捕まえ、再犯防止すべき」では? と思ってしまいました。本質的に、この映画の製作で行われてることと、作中のFBIの行ってることって同じじゃんって。 あと、リチャードジュエルが弁護士に黙っているように言われてるにも関わらずしゃべってしまう場面は、作中で主人公に精神的疾患があるのでは? 的話が後でちょろっと出てきますけど、そういう、軽度なので精神病というほどでもないけど、日常生活ができないほど悪化すると病気判定されるような特質かなあ、と思って見てました(ときどき、そういう人が現実に駅とかにいたりして。じっとしなさい、と言われてじっとすることができない子供、とかの話とか)。 そんなところです。 【sim】さん [映画館(字幕)] 6点(2020-02-10 00:19:04) 1.《ネタバレ》 アタシはこの映画、ストレス溜まって楽しめなかったのよね。何故ならリチャード・ジュエルって人がおバカさんだから。 弁護士からFBIに対して何もしゃべるなって釘を刺されてるのにもうペラペラ喋っちゃう。自分に有利不利であることよりもちっぽけな名誉、と言うより意地に拘っちゃったりするの。 その上、ハンティングマニアで銃器大量に所持してたり、権力を微妙に乱用してたり、そんなんじゃ疑われたって仕方ないでしょうよ、ってちょっと投げやりな気分になっちゃうのね。 そして、多分この映画の狙いどころは、そこ。イメージ、先入観で人を決めつけてしまうことの恐ろしさ。イーストウッドは観客に「この人がもしかしたら有罪なんじゃないかって思ってたりする部分がありはしない?」って意地悪く(最近のイーストウッドはちょっと意地悪ね)問いかけてくるのね。そしてアタシは人間が出来てないのでこの映画を見てイラつく、と。人が人を裁くっていうのは大きな責任が伴うこと。それをあまりに軽視してない?って、簡単に人を誹謗中傷しちゃう現代のネット社会にも通じるテーマね。 ただ、新聞記者のあの単純な造形(いかにもな悪なんだけどお母さんの会見1つでコロリと改心しちゃう)とか、FBIの単細胞っぷりとか、全体的にペラペラとした印象があって、イーストウッドにしてはなんだか物足りなさが残ったのも事実ね。 何はともあれ、人は権力に対して強く賢くあれ、って事ね。 【あにやん🌈】さん [映画館(字幕)] 6点(2020-02-03 21:33:09)
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