みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(7点検索)】
5.《ネタバレ》 見るまでスクラッチ・ヘブンだと思ってた。 簡単に内容を適当に掻い摘んで説明しますと、 色々な境遇なんかで 世の中にムカついてムシャクシャしてる3人が ある日バスジャックされたバスに乗り合わせてしまい 出会ってしまいます。 後日再開したそのうちの男2人。 世の中にたいする不満をぶちまけ 「今の世の中に足りないのは想像力だ」って 便所掃除という名の復習代行屋を始めます。 これが思った以上にスカッとして、ウハウハの2人でしたが あることがキッカケで(ここでもう一人の女も交わるんですが) 思いもしなかった展開になり歯車は狂い始めます。 (キレるって表現が正しいのかな) とまぁ、こんな感じのストーリー。 バスジャックに乗り合わせた主役3人。 加瀬亮が演じるのはぶっ壊してやりたいようなbr> 世の中の不条理にイライラし、 理性の世界から抜け出さず妄想に耽る。 まぁ僕らに近い人間。 そんな理性ある世界から一歩向こうの世界に行っちゃってるのが オダギリジョー。 存在感ありすぎですね。今ノリに乗ってる俳優です。 良かったら僕と姿形交換してください。 栗山千明は、、男二人が不満なら彼女は絶望。 この世界そのものにたいする絶望。 役どころはRPGでいうところのエンディングに必要な すごい魔法とかお姫様ってところでしょうか。 それを取らないとエンディングは見れないけど 取ってしまうとスタートに戻れない。 見てる途中はかなり微妙な気分に陥りましたが、 見終わって何日も発つにつれて感慨深くなりました。 オダギリジョーが加藤亮に「お前もこっちの世界に来いよ」って 言うシーンがあるんですが、加藤亮が斜め後ろに引き返すのが印象的でした。 やっぱり正常な人なら引き返すんでしょうね。 でも結局彼らが引いたトリガーによって想像力の輪は 止まることなく広がっていっちゃうんですけどね。 最期は3人とも別々の方向に行っちゃうんですが、 ラストシーンで止まることない世界を見て 加藤亮が向こうの世界に行こうとしたけれど、 結局はこっち側の人間なんだと思い知らされてしって終わります。 その後の加藤亮はどっちの世界に行くのか非常に気になりました。 【ひで太郎】さん [映画館(吹替)] 7点(2005-10-29 13:30:33)(良:1票) 4.メインキャストの3人は絶望感を抱えているが、ストーリーの展開に従いそれぞれの絶望にもグラデーションが見えてくる。栗山千明の絶望は身体的欠損への憤怒を外界へ投影した、世の中を破壊したい絶望。オダジョーの絶望は、自分の父親さえ救えなかったことに起因する無力感。自分を消したい絶望。そして加瀬亮の絶望は…となった時に言葉に窮した。彼の場合は絶望と云うより、自分の周りにある不条理に対抗できない不満の蓄積で、いいところ閉塞感だろう。誰もが持つものかも知れない。彼はオダジョーと出会い、感化され、「想像力」という言葉に光明を見た思いで、それまでに出来そうに無かったことに一歩を踏み出す。これは、行為の良し悪しは別にしても大きな進歩だと思う。「想像力」とは自分の殻を破ることだ。でも、栗山千明やオダジョーほど大きな絶望を抱いている訳では無いので、それ以上の世界へは行けない。それは想像力の欠如では無く、加瀬亮が小市民だということだ。内的動機の限界とも言える。表現がグロいのでゲテモノに見られる映画かも知れないけれど、一般人が想像力を発揮して、自分を取り巻く世界を変えるという意味で啓蒙的な作品であり、同時にその限界をちゃんと見せている良心的な作品とも言える。裏テーマは「タクシードライバー」や「太陽を盗んだ男」などの映画を観た側を主人公にしたらどうなるかってこと、かな…。大半の人は加瀬亮と同じ種類の小市民である。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2009-12-07 01:02:26) 3.この映画に出てくるやつはみんな、生きていくには困らない職業についている。警察官に薬剤師、トイレ掃除の人。でもこの世界はつまらないと思っている。それは、バスジャック事件の犯人が、一所懸命がんばってのし上がったのに、のし上がる必要のない奴らにいいように利用されて死を選ばなくてはならなくなったことに影響されているのかもしれない。がんばって、出世したり、金を稼ぐことが閉塞感を帯びる時代への深い絶望。絶望を乗り切るために彼らが選ぶのは想像力を駆使した「世界への復讐」。痛快だ。この部分だけで楽しい。でも他人の思いを想像できない奴らへの復讐は、人殺しを生むことになってしまう。殺人を引き起こすことも想像できなかったという柄本明の言葉が重い。これは想像力が権力に負けるという図式を示しているようにも見えるけど、僕はそう簡単に片付けたくない。僕は、「想像力」という幻想を生み出す機能が現実には勝てないんだ、そういうことをいっているように思える。架空の「想像力」ではなく、現実をもっとしっかりと「見る力」を磨くこと。現実を「見る力」を磨けば、くだらない世界のいいところももっと見えてきてもいいはずだ。 【wunderlich】さん [DVD(字幕)] 7点(2007-01-14 02:37:56) 2.《ネタバレ》 なんなんだろう。不思議な安らぎを感じてしまいました。偶然バスジャックで乗り合わせた3人それぞれに、他の人間とのつながりのない孤独な感じが漂っています。復讐代行がどんどんエスカレートしてくるのですが、過激になっていくのに静の印象が強く、本来、世の中のせいにして怒っている人間(宅間守のような)が出てくる映画や小説には嫌悪感を感じてしまうのですが、彼らに対しては怒りが感じられませんでした。ストーリーは関係ないけれど岡崎京子の後期の漫画に出てくるような厭世観を感じました。 【omut】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2006-12-13 04:21:36) 1.《ネタバレ》 オダギリと主人公の復讐代行業。想像力が欠如した人間に対する制裁。奴らはクソ。だから糞詰まりの便所で復讐の依頼を受ける。主人公が集めた事件記事の切り抜き「スクラップ」がそのエスカレートぶりを物語ります。“悪ふざけ”から一線を越えた拳銃窃盗。さらに栗山の依頼「世界全部への復讐」が事態を加速させます。栗山の絶望にオダギリの絶望が共鳴した。オダギリは同時多発テロを引き起こすことで、栗山は自家製爆薬を量産することで“世界全部の終わり”を目指した。そうとも取れます。でも多分違う。両者の「絶望」の中身と目指すところは違う気がしました。栗山の絶望は世界そのものに対するもの。自身の障害に対する周りの無理解(不要な哀れみ)への絶望です。ただ世界を消し去りたい。発想はネガティブで、破壊のベクトルは“外”です。一方オダギリの絶望は、無力感に起因します。彼が目指したのは再生。人に想像力を取り戻させ、あるべき人間、社会を再生しようというもの。栗山と違いポジティブです。バスジャックでの“死”が彼を変えた。(タイトルは、『スクラップ=再生可能な廃棄物=欠如した人間』の『ヘブン=理想とする世界』の構築を意味するのでは。)しかしオダギリは父の死で、自らの行為に限界を感じます。再生は不可能であると。心を病んだ父。ポテチを食べる父に再生への希望を感じた矢先の自殺…。無力であると思った彼が、同時多発テロで世界を終わらせる(正しくは世界の再生)などと考えるはずがありません。単なる“あがき”でしかないことは承知。彼が選んだ「世界の終わり」は自殺でした。破壊のベクトルは“内”。そんな2人に引き寄せられた主人公。仕事に不満を抱え、不眠に悩まされ、保身に走る男。彼こそ「現代人」の典型です。彼もまた、想像力が欠如した人間=”スクラップ”。それは柄本刑事からも強烈に指摘されます。オダギリと同じ結末を選んだ主人公。しかしその願いは叶いません。そして哀しく自嘲します。そんなに簡単に行かせないよ。お前達スクラップの天国は「ここ」なんだ。そんなメッセージを感じ取りました。それを前向きに受け取るか、後ろ向きに受け取るかは観客次第です。 【目隠シスト】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2006-11-15 18:17:48)
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