みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(8点検索)】
10.《ネタバレ》 メリルという架空の人物(たぶん)を通して、マッカーシズムが人権を無視して人々の幸福を侵害したという事実の再確認と記録を行うとともに、圧倒的な国家の暴力に対して個人がどのような姿勢で生きるべきかという普遍的な課題を二人の子持ち男性を対比させることで描いている。 第二次大戦後、特定の思想信条を仮想敵と見立てた大規模な弾圧は中国(文革)でも日本(レッドパージ)でもあったことだし、マッカーシズムについてアメリカという国の特性が生んだ暴力という決め付け方は私はできない。告発された人の中に実際にスパイが含まれていたらしいので、マッカーシズムの功績はゼロとはいえないのであろう。 しかし、映画「マジェスティック」やこの映画で描かれているメリルや周辺の人々の味わった苦難は明らかに行きすぎ、暴力であるのだがこの時点では誰も止めることができなかった。 それで「個人」対「圧倒的な国家の暴力」の問題にもどるわけだが、メリルとラリーという二人の父は「優先順位」を決めなければならぬという究極の選択を迫られ、正反対の行動を取った。 メリルはもともと仕事優先でそのために離婚までしている。「映画バカ」という言葉がぴったりの男で、我が子に淋しい思いをさせるのは辛いが、仕事を犠牲にすることだけはできない。 が、そんな彼にも仕事より大事なものがあることがこの事態で判明してしまった。友人や知り合いの名を売ることがどうしてもできなかった。 干されたメリルが、仕事恋しさに苦しむシーンをデニーロが熱演している。一日だけの身代わり監督であっても、現場に立った彼が水を得た魚のように生気を取り戻す姿は見事。 いっぽう、メリルを売ったラリーは妻を失い息子から母親を永遠に奪ってしまった。ラリーの選択は「子供と仕事」であった。 この後メリルは短期間刑務所に入り、その後10年以上仕事が出来なかったであろうから、メリル一家の生活は嫁頼みで細々と営まれることになる。 ラリーは罪の意識に苦しめられながら、いずれ再婚でもして映画界で生き残り、時折非難されても耐えて生きる。 そんな二人の息子たちが、どんな大人になったのか、父が息子に与えたものはそれぞれ何だったのか、冒頭かラストで息子たちの邂逅シーンがあってもよかったのではと思う。 海外脱出役でのスコセッシ出演がご愛嬌。 【パブロン中毒】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2008-08-01 13:52:28)(良:1票) 9.こういう敢然と闘いましたって話より、転向した者の苦衷とか、波に乗って告発して回った者の内面を描くほうが意味があるのではないか、などとブツブツ思いながら観ていたが、でも公聴会のシーンでは興奮しちゃった。アメリカ映画は、やっぱりこういう切り口が一番合う。狂った流れを止めようとする者の勇気は、何度でも何度でも賞揚しなければならない。流されたものの分析よりまずその目の前の勇気を褒め称える、これがアメリカ映画。ここから勇気が広がっていくことに希望を持つ。楽天主義かもしれないが、なんらの説得をも含まない強制させるだけの言葉の冷たさがクッキリ描かれているから、この楽天主義の必死さも伝わってくる。アメリカの楽天主義が説得力を持つとき、その裏には必死さがある。狂った正義は怖いけど、それを止めるのも正義感しかない、ということを繰り返し学んでいるからだろう(繰り返しても身に付かないってことか)。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 8点(2012-11-17 09:51:01) 8.自由の国・アメリカでこんなに息苦しい時代があった事に正直驚いた。でも、よく考えるとアメリカは結構保守的な国だよね。音楽でもスポーツでもヨーロッパやアジアのものは絶対受け入れない風土がある。サッカーしかり、F1しかり。でもそういう時代はとうに終わっている。アメリカ国民はそろそろそれを自覚するべき時が来ているのでは。 【kaaaz】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-09-30 01:07:19) 7.《ネタバレ》 このような映画が作成されること自体、今のアメリカは良い国になったのだろうなと思われます。 「赤狩り」。帰国したときのメリルにはまだ他人事。なぜなら共産党員ではない自分には関係のない話だと思っていたから。 ですがメリルの考えは甘かったようです。 密告の強要。自白の強要。事実の歪曲。仕事関係者への圧力。 メリルの想像もつかない国家権力の暴走がハリウッドを侵していました。 振り返れば、帰国時のラリーの様子は、これからメリルの身にふりかかる災難を予想させるうえで十分すぎる効果を発揮しています。 一人の無実の人間が、容疑をかけられ、仕事をうばわれ、友人関係を壊され、社会から強制的に排除され、何一つむくわれないままラストを迎えるので決して後味の良い映画ではありません。(ラストの友人の証言には少し救われますが) ですが「赤狩り」の歴史を知る映画としては、国家権力の暴走の恐ろしさを知る映画としては、とても良い映画だと思います。 【たきたて】さん [DVD(字幕)] 8点(2012-06-10 16:03:37) 6.デ・ニーロは安心して観てられる。クリス・クーパーも悩みながらも情けない役がよい。いい映画というより、よい映画って気がします。 【ぷー太。】さん 8点(2004-12-26 20:18:26) 5.この作品の作り手達の主張がすごく伝わってきたし当時の映画関係者達の苦悩や混乱がリアルに表現されていた。ラストのデ・ニーロの姿を見て自分にも熱くなる何かを感じた。当時のアメリカが行った赤狩りについて云々言う事は自分には出来ないが、何かしらのメッセージを伝えてくれるという意味ではこの作品は成功だったのではないか。 【ゆきむら】さん 8点(2004-09-10 11:03:19) 4.いい加減という言葉が好きだ。チャランポランという意味ではなく、良い加減という意味である。これは多分、古墳文化の頃から、政治にしろ宗教にしろ、精神の2重構造に対応出来てきたことなんだろう。大皇がいるのに、豪族が政治をする。神道があるのに、仏教を取り入れる。あちらを立てて、こちらも立てる。要するに、上澄みを掬うのが上手い民族で、日本が、アジアよりヨーロッパにより魅力を感じたのは、精神の2重構造(二枚舌ともいう)が似ていたからなんだろう。そして、その2重構造について行けなくなって新大陸に逃げ出したのが、アメリカを作った人々なんだろうなと、本作を見ていて思った。駄目となったら、徹底して弾圧するこの気質は、この時代だけではない。こういう映画を製作出来るところがアメリカの良心というのだろうが、現在も、某国の虐待コンテストで同じ言い訳を聞いた。この国の保守的で狂信的な魔女狩り気質は、過去のものではないのだろう。ただし、上澄みを掬って、あまりにアメリカナイズした日本人も、そろそろ、良い加減という言葉を思い出した方がいいのかもしれない。面白い作品とは言えないけど、意義のある作品だった。役者は、テーマがテーマなだけに、デ・ニーロは勿論、登場人物全ての役者からオーラを感じたな。 【由布】さん 8点(2004-06-21 22:27:00) 3.正直、物語の展開が単調だなあ、とか、ラストがあっさりしすぎだなあ、とか文句がないわけではない。いっそのこと3時間くらいの大作にしてもよかったと思う。でもきっとハリウッドの人間にとって「赤狩り」は目を背けることが出来ないテーマだったのだと思う。そういう「思い」みたいなのはヒシヒシと伝わってきました。 【ぐるぐる】さん 8点(2004-04-21 16:48:56) 2.最後のデニーロの熱演に、泣いてしまいました。あの頃のアメリカは異常だったのでは?(今も変わらないか?)赤狩りによって、映画界にもいろんな打撃もあったでしょう。この映画を観てたら、こんな弾圧に苦しんだ人たちもいたんだと、改めて衝撃を受けた。 【カズレー】さん 8点(2003-11-15 06:42:50) 1. 1950年代ってわりと最近ですよね。そんな時代に魔女狩りのような事が行われていること自体知りませんでした。目をそらしてはならない過去の汚点を映像化したという点だけを取ってもこの映画の意義は十分だと思います。 【K・Y】さん 8点(2002-04-01 23:25:36)
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