みんなのシネマレビュー |
|
| ||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想(8点検索)】
2.《ネタバレ》 主人公ミチは映画の中盤辺りでプランに申し込むのだけど、その理由、経緯、彼女の心の声は一切言葉として説明されない。これは主人公に限らず、主要な登場人物たちも同様で、誰も語らず、叫んだり、大きな声を上げない。皆が日常を過ごし、そこに現れる違和を噛みしめながら、ラストシーンに至る。 この映画は、社会問題を扱った作品だけど、そういう意味で映画的文学性が高い。問題が社会に広く伝わるというよりも個人の心に深く刺さる。倍賞千恵子の佇まい、その声も感動的です。 このような主題は日本だからこそ切実となる。少子高齢化、同調圧力、希望格差、そこから来るある種の諦め。遠ざかるアカルイミライ。この映画がカンヌで評価された背景には、現代版『楢山節考』という捉え方があったからだと言われる。 カンヌ最優秀作の今村昌平『楢山節考』。私は深沢七郞の原作小説が好きなので土着性に寄り過ぎている今村版映画はそれほど評価していないのだが、何れにしろ現代(近未来)の日本が舞台の『PLAN75』と『楢山節考』は決定的に違う。姥捨という社会のルール、その合理に対する個人の行動、ラストが違う。そこにこそ、社会と個人の関係性における、この作品の現代的な意味と価値があると私は思う。 ちなみに『遠野物語』の中で姥捨て山「デンデラ野」は、老人たちが村落共同体から離れて集団生活する場所として紹介されている。今で言う老人ホームみたいなもの、介護人はいないけど、そこを拠点に老人たちが衣食住を共有し、働けるものは働きにも出ながら、家族から離れて集団生活していた。棄老や姥捨は、口減らしのために、老人を山中などに捨てたという習俗として、日本各地に伝説として残っているが、『遠野物語』の「デンデラ野」のようなケースもあったのではないか。江戸時代の町人が書いた日記に「病気になった者や世の中で不要になった人間を捨てるな」との町触れが幕府から全国的に出たという記事がある。村落共同体から離れて、そういう棄てられた人々が集う場所が実際にあったということは想像に難くない。 棄老と共に、江戸時代の農村では、間引きも普通に行われていたという。赤ん坊は初宮参りという通過儀礼を済ませる事によって産褥が終了し、人間社会の一員になるという一般認識があった。「七歳までは神のうち」という言葉があるように、人間には「正式な人間」と死と繋がっているという意味での神仏の領域があり、その区分は地域によって違いがあった。生の領域と死の領域が人間の一生の内にもあり、死の領域は霊的な世界として神仏に繋がる。生の向こう側の死を生きて家を守る。さらに生まれ変わるという輪廻の考え方もあっただろう。それが祖霊信仰であり、日本人の昔からの宗教でもあったといえる。 そう考えると、生と死の境界がはっきり分かれた人生、生を生きる人間という概念は近代以降に確立したものであることが分かる。母性や父性、風景なども同じ。そこに近代文学の起源もある。 今、私達は近代からのヒューマニズムを当たり前のこととして、それを大前提として社会を構築している。それは素晴らしいこと。しかし、昔から当たり前であったわけではない。だからこそ、歴史を知ることで、生を生きる人間を第一とする今の社会の在り方を捨ててはいけないと思える。 【onomichi】さん [映画館(邦画)] 8点(2025-01-14 23:05:06)(良:1票) 1.《ネタバレ》 誤解を恐れずに言えば、ある面で非常に「日本的な」お話だなあ…とも思うのです。現実問題として、こんな「政策」てのが万が一にも実行される可能性が在るのか無いのかを考えると、日本以外の全ての国に関してはまず100%在り得ない!と言ってしまって好いかと思うのですね(フツーにホロコーストだ!と言われ兼ねないレベルなワケで)。そしてそのコト自体は日本についても基本的には同様かとも(やはり)思うのです…が、ソレでも何となく1%くらいは「もしかしたら…」という気がしなくもない…という意味で、やはり「ならではの」という映画かもな…と。少なくとも、こんな題材の映画をあくまでブラック・コメディではなくてココまで真面目で真摯でかつ「静かな」作品として製作し、そして皆が鑑賞できるという社会的(・映画産業的)土壌とゆーのは、やはりごく日本的で独特なモノだとは確実にそー思うトコロでありまして。 とは言え、この特殊な状況下にあるコトを脇に置けば、今作の登場人物たちが陥るシチュエーションの本質的な側面てのはそれでもごく一般的・普遍的なモノかとも(やはり)思うのですよね。ごく極端な例としても、私の実家の近隣でも(おそらくは家庭の環境に依るものとして)自らその人生に幕を引くという決断に至った高齢の方は実際にいらっしゃいましたし、或いは高齢者の孤独死などは(残念ながら)近年それこそごく一般的なコトになってしまったものかとも思います。そーいうある種普遍的な社会的課題をヴィヴィッドに提起しつつ、本作ではそれに対するゼネラルな解決策は疎か、登場人物個々人の問題としてもその解決・答えに辿り着いた…というトコロには(最後まで)至らなかった様にも思えました。その意味では結構「投げっぱなし」な映画だとも思いますし、そーいった結果 or 過程の部分、またはそれらの描き方自体、或いはそもそものこの題材選定の是非、等々、非常に多くの側面について極めて多様な見方・評価の出来る作品ではないかと思うのですよね。評価自体の難しい or 評価が割れる、て映画だな…とゆーのは(コレも確実に)そー思うトコロでありますね。 私自身は、それでも比較的深く共感しまた考えさせられた(身につまされた)=心動かされたコトの一種の心地好さと、そして肝心な(謂わば主人公たる)その「決断」をする高齢の俳優2人(倍賞千恵子・たかお鷹)の演技がまた素晴らしいモノに感じられたコトを鑑みて、ワリと文句無しにこの評価とさせて頂こうかと思います。娯楽映画では決してない作品ですが、興味の有る方は是非。 【Yuki2Invy】さん [映画館(邦画)] 8点(2022-06-23 21:22:46)(良:1票)
【点数情報】
【その他点数情報】
|
Copyright(C) 1997-2025 JTNEWS