みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
55.《ネタバレ》 名演技とは何でしょうか?俳優たちは大声を張り上げて、ツバを飛ばして、汗だくになって、時には涙や鼻水まで出して熱演する。熱演=名演技。いわゆるNHKの大河ドラマ系の演技が名演技だと言われます。たしかに激情の感情を表現するのは、見ている観客に分かりやすくてインパクトがあります。そこでメリルとシーモアも大声を張り上げます。やはりそうきたか、と思いましたが、大声を出したらいつも電球が切れるところが面白い。大声を出す演技は評価されやすい。しかし大声を出して対決しているクライマックスシーンをみて迫力がある名演技が観られた、というのは違う気がする。名演技の本質とはやはり役作りにあると思います。女優メリルが演じるシスターは、他人に厳しいので人から嫌われるタイプだが、自分にはもっと厳しい禁欲主義者。誠実だが悪く言えば堅物。男優シーモアが演じる神父は、他人に対しては優しく鷹揚なので人から好かれるタイプだが、自分に対しても甘く快楽主義者。ちゃらんぽらんだが柔軟なモノの考え方ができる人。2人の性格、価値観、ライフスタイルは一切言葉で説明されていないが、映画がはじまってすぐに観客は2人が演じる役の人間性を理解することができる。これぞ役者の実力。2人の人間性を理解できるから、2人が対立することに説得力が生まれる。証拠もないのになぜシスターは神父を追い詰めるのか?そんな疑問すら意味がない。ダウト(疑惑)すら本当は存在しなかったのです。2人が戦わずにはいられないことは、2人の生き方・信念、価値観の違いから明白でした。ある意味でシスターはヤクザのように理不尽な因縁をつけて、わざと神父を戦いの場に引きづり込んだ。なんという嫌な女でしょうか。この映画の後にマンマミーアを御覧なさい。メリルが裸の男たちに囲まれてはじけまくっている姿をみればすべて分かる。彼女は天才的な女優なのです。そしてラスト。あのシスターの涙。ダウトを自ら作り出した己の罪を自覚した涙。しかし神父が冤罪だったかどうかなど関係がありません。真実が明らかにならないのはそのためです。誰が悪いわけでもないのです。2人は違いすぎたのです。戦いはダウトによって生まれたわけではありません。それは必然だったのです。 【花守湖】さん [DVD(字幕)] 10点(2010-08-12 20:27:59)(良:2票) 54.《ネタバレ》 こういった論戦を扱う場合、どうしても「性的虐待の疑惑を受ける神父」が悪であり「真実を追及するシスター」が善であるという印象を与える事は避けられないと思うのですが、この映画は非常にバランス感覚が巧みでしたね。 前者は子供達に優しい人気者で、古臭い考えの教会を変えようとしている革新派。 後者は子供達に厳しい偏屈者で、古き良き教会を守ろうとしている保守派という対比なのですから、つい前者に肩入れしたくなってしまう。 けれど演じているのが、如何にも裏がありそうなフィリップ・シーモア・ホフマンと、とても悪い人には見えないメリル・ストリープだったりするものだから、観客としては「どちらが正しいのか?」と固唾を呑んで見守る事になる訳です。 特に「上手いなぁ……」と感心させられたのが、生徒から取り上げたトランジスタラジオを愛用していると、シスターが嬉しそうに語る場面。 正直言って、それは最低だよと呆れちゃいましたし、それによって「このシスターは他人に厳しいだけで自分に甘いという、信用してはならない人物だ」という印象に繋がり、最後まで「神父とシスター、どちらが正しいのか分からない」と観客に適度な「疑惑」を与える効果があったと思います。 そもそも彼女は「この教会に悪影響を及ぼす神父を追い出せれば、それで良い」と考えているフシがあり、本当に性的虐待があったとすれば真っ先に優先すべき「少年を神父から守らなければいけない」という意思が感じ取れない為、どうしても感情移入を拒むものがありましたね。 他の教会に転任させても、そこで別の少年が犠牲になる可能性もある以上、神父を追い出すだけでは意味が無いはずです。 彼女が善人であるとは、最後まで思えませんでした。 結論を言うと、この映画では結局「真実」は不明なままです。 勿論、神父は限りなく黒に近い反応を示しているのですが、確たる証拠は劇中で提示されていません。 劇中の「たとえ確信を持ったとしても、それは感情だ。事実じゃない」という台詞にも象徴されていると思います。 そもそも、そんな「疑惑」を抱かれた時点で迷惑だし、一度不名誉な噂に晒されれば、それが事実無根であっても取り返しがつかなくなるという事は、神父の説教の中でも語られています。 過去を探られるのを嫌がった事だって「過去にも同じような噂が立った事があるので、それを知られたらますます自分の立場が悪くなる」というだけかも知れません。 悪く考えるなら「過去には過ちを犯していても、今回は無罪だった」という可能性もありますし、良く考えるなら「少年が同性愛者である事は気付いていたので、彼を疑惑の渦から守る為に自分は立ち去った」という可能性だってあると思います。 だからこそ、ラストシーンにてシスターが「本当に自分は、自分の行動は、自分の過去は、自分の信仰は、正しかったのか?」という「疑惑」を抱く形で映画が完結したのでしょう。 上述の通り、映画だけで判断するなら「疑わしきは罰せず」「神父は無罪である」となる訳ですが、現実世界にて「神父に性的虐待を受けていた少年が無数に存在する」という悲しい証拠が、これまた観客の判断を狂わせるというか「もしかしたら?」という「疑惑」をかき立てる訳で、本当に上手くて、そして狡い作品ですよね。 こういった具合に、煙に巻くというか、あえて真相を明らかにしない映画も嫌いではないのですが、本作は論戦をクライマックスに据えておきながら「神父もシスターも、どちらも勝者とは思えない」「神父は心に傷を負ったまま栄転し、シスターは目的を達成するも罪の意識を抱いている」という、痛み分けのような形であった事が、どうもスッキリしない。 この映画のテーマを考えれば、観客にも「疑惑」を残したままで終わらせるのが正解だったと思いますが…… 自分としては明確な「真実」を示してもらいたかったなと、つい考えてしまいました。 【ゆき】さん [DVD(吹替)] 6点(2016-12-22 03:41:56)(良:1票) 53.《ネタバレ》 あるカトリック学校で一人の黒人生徒に関わる“疑い”を巡って、厳格な女校長(メリル・ストリープ)と寛大な神父(フィリップ・シーモア・ホフマンの西田敏行感は異常)が対立するというお話。昔、古畑任三郎で似た様な話があった(確か沢口靖子が犯人の回)のを思い出したが、結論から言うと非常に見応えのある素晴らしい映画である。演技派の2人による罵り合いや嫌がらせ合戦を観ているだけでも十分に面白いので、個人的にはこの泥仕合を延々3時間くらい続けてくれても飽きずに観ていられる自信がある。まず2人の確執を通して表立ったテーマとして語られるのは、信仰における美徳(規則や戒律)と寛容(博愛や慈悲)の間にある葛藤である訳だが、1964年(JFK暗殺の翌年)という時代設定も相俟ってここにイデオロギーや人種・ジェンダーといった、この時代に顕在化していった様々な対立軸も巧みに織り込まれているあたりも実に憎らしい。最終的にこの映画は色々と不明瞭なまま様々な含意と余韻とを残して終わるのだが、何としても神父の“疑い”を暴こうとする校長に対して黒人生徒の母親が、「理由はどうでもいい。息子を気にかけてくれるなら。」と涙ながらに訴えるシーンがとても印象的である。そもそもこの映画において神父と黒人生徒との“疑い”の真相や、神父と校長の論争の勝敗なんて大した問題ではないのだろう。むしろ、周囲の人間からの孤立を招いてまで“疑い”を確信へと変える必要はあるのか、あえて“疑い”を“疑い”のままにしておく方が人心を救う事にもつながり得るのではないか、という問いかけこそがこの映画の本当のテーマである様に思える。神父が学校を去った後の校庭のラストシーンで、校長は堰を切った様にシスターに告解を始める。“疑い”を持ってしまった事。そして、その“疑い”を確信に変えたいがために嘘までついてしまった事。おそらくここで彼女が吐露した“疑い”とは、自身の信仰や生き方に対して抱いてきた“疑い”でもあるのだろう。泣き崩れる彼女の胸中には冒頭における説教を締めくくった神父の言葉があったのではないだろうか。「“疑い”は、確信と同じくらい強力な絆になり得る。道に迷った時、あなたは独りではない。」 【オルタナ野郎】さん [CS・衛星(字幕)] 9点(2013-01-10 21:19:27)(良:1票) 52.《ネタバレ》 まるで実写版“ガラスの仮面”のごときもの凄い演技合戦が見られます。演技力No.1のオスカー女優M・ストリープ、対するは食わせ者P・シーモア・ホフマン。この二人が火花散るようなぶつかり試合、延長戦になったとしても追加料金を払うのが惜しくないくらい。ストリープが渾身の演技波をぶつけます、それをにやにやとかわすホフマン、隙を見せない見事な狸っぷり。純真そうな瞳をぱちくりさせて間に入るA・アダムスは二人の巻き起こす突風に完全に弾き飛ばされました。ラストシーンの、カメラがシスター二人を見下ろす冬の庭が寒々しくも美しいのが印象的でした。 【tottoko】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2012-07-09 17:38:49)(良:1票) 51.《ネタバレ》 シーモア・ホフマンや司祭たちの男の世界と、メリル・ストリープが君臨する修道院内の女の世界、対照的な食事シーンを交互に見せるところが面白い。シーモア・ホフマンも単純な熱血神父ではなさそうだし職場内では如才なく上司の受けは良いみたいで、追放されたと思いきやまさかの栄転人事には意表を突かれました。ラストのメリルの涙は、私には悔し涙の様に思えます。不思議とこの映画は生徒の視点からの描写が皆無に近いのですが、母親ヴィオラ・デイヴィスのメリルへの悲痛な告白でそこら辺のモヤモヤも吹っ飛んでしまいました。主役ふたりの演技合戦も確かに凄いのですが、ヴィオラ・デイヴィスの演技、オスカー・ノミネートも納得です。余談ですが、この映画がもし50年代に撮られたら、きっとモンゴメリー・クリフトとキャサリン・ヘップバーンのキャスティングだったんじゃないかとふと思いました。 【S&S】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2011-10-14 20:59:40)(良:1票) 50.《ネタバレ》 時代設定はケネディ暗殺の翌年ということになっています。 原作ものらしい。 メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの両芸達者の激突が見どころです。 孤立無援でも、誰にも感謝されなくても、「善」を達成できるかどうか。 というようなテーマだと思います。 善はもちろんキリスト教の神さまの決めた「善」です。 少年愛がいけないのかどうかは、時と場所によって違います。 これはキリスト教の話なので、キリスト教の神さまがいけないと言っていればそれは(ここでは)いけないことなので、いいのかいけないのかについての「ダウト」というものはそもそもない。 校長は国が決めた法に対して忠誠を誓っているからここまでの行動に出たというわけではありません。 で、話のゆくえとしては、自分さえ目をつぶれば四方八方丸く収まるのであって、誰も協力してくれなくて、騒いでも誰にも感謝をされないという場合の「善」について、それをできるかどうかということが、シスターアロイシスに信仰上の試練として問われていて、彼女は見事にそれを成し遂げた、ということになります。 どこまでも宗教的な話で、まあ大した話ではないのにここまで仕上げたのは2大芸達者俳優をブッキングできたからかなあ。 ホフマンのいかにもな変態神父はいやらしすぎて見ていられません。 【パブロン中毒】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-14 23:06:34)(笑:1票) 49.《ネタバレ》 主要キャストが揃ってオスカーにノミネートされたことも納得いくほどの演技合戦は大変見応えがあります。みんな上手いです。そして、その中心に立つメリル・ストリープはとんでもなく上手いです。あまりに上手すぎてハナに付くくらいに上手い。デ・ニーロやパチーノといった同世代の名優達が過去の栄光を切り売りして小銭を稼ぎ、マジメに仕事しなくなっている21世紀において、これだけ真剣に演技に取り組む姿には尊敬の念すら覚えました。そして、そんなストリープを相手にするホフマンも上手い。この人はちょっと変わった脇役として存在感を示す程度の役者さんだったのですが、本作では一方の主役を務め、重厚感すら漂わせる超一流の演技派俳優に成長しています。主役二人のホットなやりとりを見るだけで、アクション映画数本分のスリルを味わうことができます。さらに、脚本の出来も上々です。本作は善悪の判断を観客に投げかけるタイプの作品であり、見終わった後にもテーマを咀嚼し、自分なりの答えを探すという楽しみが残されています。対立する校長と神父はどちらも正しいし、どちらも間違っている。物語上は校長側の言い分が勝ち、神父が身を引くという形で決着がつけられましたが、そもそも神父は悪いことをしていたのか?彼は少年を無理に犯したのではなく、相互に愛情を育んでいました。人種的にも性的にもマイノリティという究極の孤立無援状態にあった少年にとっては、神父は彼の生きる世界で唯一の理解者であり、また鉄板のように強力な保護者でもありました。神父からの愛情が少年を救い、その人生を良い方向へと導いていたのです。確かに、神父は未成年の生徒と深い関係を持つという重大なルール違反を犯しましたが、彼のルール違反は誰かを傷付けているどころか、被害者とされる少年に良い影響を与えていたのです。対する校長の言い分は額面上は正しいものですが、少年から神父を奪うことが本当に正義だったのかは疑問です。また、結果的には校長の持った疑いは正しかったものの、その疑いの発端は真実の究明ではなく「考え方の合わない神父のアラを探す」という点にあったことから、図らずも校長の浅ましさが露呈される結果にもなっています。正しい行いとは何なのか、清廉潔白な生き方とは何なのかを考えさせられる非常に優れた作品だったと思います。 【ザ・チャンバラ】さん [DVD(吹替)] 8点(2011-04-08 22:18:33)(良:1票) 48.《ネタバレ》 最後まで、どこをポイントにして見ればよいのかわかりませんでした。結局旧い人と新しい人の対立、となるのでしょうか。しかし対立を描くにしては、校長が悪役すぎる。二人を対等の立場として扱わなければ、対立そのものを味わえません。あの校長は、信仰や学校を愛していていても、生徒を愛していない様子ですからねぇ。どうしても、生徒を(広い意味で)愛している神父の方に肩入れしてしまいます。旧弊なもの=悪、進歩的なもの=善というのが露骨すぎるのです。終わり方は非常によかっただけに、残念でした。 それにしても、生徒から取り上げたラジオに嬉々として聞き入る校長が自分に厳しい? ご冗談を! 【アングロファイル】さん [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-01-11 21:40:30)(良:1票) 47.《ネタバレ》 高慢ちきな校長の鼻をへし折るラストを期待したけど、白黒つかない灰色の決着でスッキリせずに気持ち悪い。でも、娯楽大作大好きでミーハーな私がこの手の地味な映画を最後まで一気に観れたのは、やはり主役ふたりの演技に尽きるのでしょう。それにしても、あの校長は理不尽すぎるだろ。今思い出しても腹がたちますよ。 【ぽじっこ】さん [CS・衛星(吹替)] 6点(2010-12-14 19:55:04)(良:1票) 46.《ネタバレ》 最初の説教は「疑い-ダウト-」だった。疑いは確信と同じくらい強い絆になり得る、と神父は言った。猜疑心が孕む負のオーラを打ち消すことが出来るなら、その精神は健全さと強さを獲得する、と云う意味合いだと思う。それは深くて余韻を残す説教だったが、本作のストーリーには皮肉として効いてくる。滅多に見ない猜疑心の塊りがど~んと居座るから。神父の中盤の説教は「噂話」で、これは校長のアクションに対するあからさまな牽制だった。そして、神父が説教ネタとしてメモっていた「不寛容」こそが全体のテーマでしょう。私も少年の母親と同じで、神父がやったことの真相などはどうでもよかった。それを追及する校長の意図が理解出来なかった。追及する側の心が狭量としか思えない。これは、信仰と猜疑心の関係といった高尚な話ではなく、ある女性の偏執的な潔癖性向を批判した映画と観るのが素直な視点だと思います。もの凄く下世話な感想になるが、あの校長みたいな女性とは何度か出会ったことがある。自分が法律にでもなったかのような勘違いをしている人。往々にして見かけは正論で、その正論が及ぼす周囲への悪影響を関知しない神経の太さと強さを持っている。それは典型的な独り善がりだと思うが、本人は信念を持ってやっているから始末が悪い。過去に出会ったそんな方々が脳裏をよぎり、「不寛容」は悪徳と云う以上に思考が進まなかった。メリル・ストリープの演技には凄まじい説得力がありました。世間が評価するほど好きな女優ではないが、本作の彼女には脱帽です。 【アンドレ・タカシ】さん [CS・衛星(字幕)] 7点(2010-07-08 23:42:23)(良:1票) 45.《ネタバレ》 冒頭で神父が「確証が無い時、どうするかー信じるのか、疑うのか」という説教をする。この説教がこの作品の大きなテーマの一つだった訳ですね。疑惑に対し疑う事からスタートする校長とそんな校長とは対照的に疑ってかかる事に否定的な若い教師。この対照的な二人のシスターに、ある疑いを持たれる神父。その演技の真剣勝負が凄い。 特に終盤の校長室で校長と神父がその疑惑に関し対決する場面でもあり、メリルとホフマンが演技で対決する場面でもある最高の見せ場があるのですが、これは本当に見応えがありました。疑惑に関する答はハッキリとは分かりません。メリル演じる校長の「嘘の電話」で更に神父に疑いを持つのも分かる。しかしホフマン演じる神父の感じさせる人間味も信じたいと思う。観る者にも「確証が無い時、どうするかー信じるのか、疑うのか」が問われているようでもありました。 そして全体的に暗い雰囲気が作品を支配する中、エイミー・アダムス演じる若い教師の透明感のある存在感が本作のいい清涼剤になっていました。そしてメリル。日本流に言えばもう還暦を過ぎているのですが、どんな役を演じていても全く年齢を感じさせず、ますますパワフルさを増しているようにすら感じられる最近の彼女の演技の凄さには観る度に驚かされます。 【とらや】さん [映画館(字幕)] 8点(2010-01-29 22:16:06)(良:1票) 44.《ネタバレ》 理想と現実のギャップに苦しみ真実を追究することから逃れようとする若いシスター。 ただ子の幸せを願う母。 この学校で生きるためにはそうすることしかできなかった生徒。 生徒の弱さに漬け込んだ神父。しかし生徒からの信頼は厚く寛容である。 校長の生徒を思うが故の厳しさや言及か、ただの自分の好き嫌いによる執拗なまでの疑いか、それとも神に従える故の倫理観か。しかしそこに至る過程で生まれる神の教えに反する疑念。嘘。不寛容。 それぞれが悩んだ末にも、はっきりとした真実は明かされない。誰が正しく間違っているとは言い切れない、人間のアンバランスさがとても丁寧に描かれていました。 【ちゃじじ】さん [DVD(字幕)] 6点(2010-01-26 02:15:15)(良:1票) 43.主演二人の演技合戦のすごさに敬服。 小さな表情ひとつにも引き込まれる ホフマンの映画を観るたびに喪失感にさいなまれるけど、この作品は演技がすごいぶんなおさら。 【レイブンのかなづち】さん [地上波(字幕)] 9点(2021-12-31 13:26:35) 42.《ネタバレ》 メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムスの密室劇。地味だけど、名優たちのやり取りだけでも引き込まれる。 【ゆっきー】さん [DVD(字幕)] 6点(2018-05-09 09:04:03) 41.《ネタバレ》 ○クロと疑い、それを証明するために嘘までつくシスター。その疑惑が晴らされてクロになることで困る人々。その両者の状況を時折挟まれる神父の説教が非情に示唆的で面白い。○演者も豪華で、演技合戦も見もの。 【TOSHI】さん [DVD(字幕)] 7点(2018-02-12 00:24:56) 40.《ネタバレ》 カトリック教会に初めて黒人の少年が入学。 イジメられる少年を目にかけサポートする神父に、性的虐待疑惑が。 担任の女性教師から疑惑を知った女校長は、神父をクロと決め付け追放を図る。 神父がクロかシロかは明らかにされず、どちらともとれるのがミソ。 神父のリアクションから、状況的には限りなくクロに近いと思うんだけど、決定的な証拠はない。 柔和だが胡散臭さの漂う神父と厳格で独断的な女校長のバトルには息を飲む。 神父の心証がクロなので校長がんばれ!と肩入れしてしまうものの、万が一神父がシロなら校長の決め付けはとんでもない過ちということになる。 特効薬にも猛毒にもなりうる、年増女のアクを凝縮したような校長をメリル・ストリープが好演。 黒人少年の母親の複雑な思いも絡まって、サスペンスと人間ドラマに最後まで引き込まれる。 【飛鳥】さん [DVD(吹替)] 7点(2017-12-29 00:56:41) 39.名優メリルとフィリップ・シーモアがぶつかり合う。見た目の派手さは無く美しい学校であり、庭も寒々しくて美しいですが、女校長がとにかく厳しく恐い。終わり方が劇的。面白い。オススメです。 【SUPISUTA】さん [DVD(字幕)] 8点(2016-12-17 00:11:04) 38.これはなかなか。 【K】さん [DVD(字幕)] 6点(2014-02-24 22:09:47) 37.今現在の私が見事なまでに校長先生に感情移入してしまい身につまされる思いでした。そしてあのラスト、素晴らしかった。今日観られて本当に良かったです。こういう事があるから、宣伝であまり惹かれない映画も観なきゃ始まらないなと思う。 【movie海馬】さん [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-01-19 20:55:59) 36.《ネタバレ》 最高でした。最後の校長の涙はこの映画の全てで、何度観ても泣いてしまいます。凛々しいメリル・ストリープの素晴らしい演技と、大人しい役柄であるのに主人公のようなエイミー・アダムスの存在感。司祭の考え方も楽しめ、全く飽きのない映画でした。 【新しい生物】さん [DVD(吹替)] 10点(2013-09-19 12:51:40)
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