みんなのシネマレビュー |
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ネタバレは禁止していませんので 未見の方は注意です! 【クチコミ・感想】
242.《ネタバレ》 封切り当時は確かこれ不評の映画だったですね。 私は場末の客席ガラガラの映画館で見ましたが この時私と一緒に見た何人かの人々は 多分一生忘れられない1作になったんだろうと思います。 話の筋は逃げ出したレプリカント(人造人間)を処分するブレードランナー(賞金稼ぎ)を描くという事には成っておりますが はっきり言ってそんな事はどうでも良い。 本作品に出て来るレプリカントの寿命は僅か4年です。 もし本当の人間が自分の寿命は4年と区切られてしまったらどうするでしょう? 植民地星に送られ、重労働にコキ使われて死んで行くだけの人生を受け入れられるでしょうか? 自分の寿命を4年と自覚したが故に 劇中のレプリカント達は追う存在である人間より人間臭く そしてより少ない人生を追い求める。 また自分たちの存在意義をも、激しく追い求めて行きます。 自分たちがどうやって作られたか?切られてしまった寿命を伸ばす方法は無いのか? 彼等は必死であがいて行く。しかしそうしている間にも 自分たちの肉体はドンドン衰えて行きます。 そして最期は仲間がブレードランナーデッカードに次々と殺され 逃げ出したレプリカントのリーダー バッティーは超人的な力で デッカードを絶対絶命まで追い詰める。 しかしなぜかバッティーは絶体絶命のデッカードを助けてしまう。なぜか? 劇中その事についての説明は一切有りませんが、私はこう解釈しました。 つまりバッティーは自分の寿命が尽きる事を悟り、全ての諦めが付いた訳です。 諦めが付いたからこそ、デッカードを助けた。 自分がいま死に行くが故に、バッティは命あるものの尊さを知ったのでしょう。 死の間際 降りしきる雨の中、バッティは諭す様にデッカードへ 自分が見てきた僅か数年の事柄を語ります。 その時、邪心の無くなった彼の肩には1羽の小鳥が止まりました。 そして彼が語り終え、こと切れた瞬間に大空へ羽ばたい行く。。。 涙無しには見られないシーンです。何度もこのシーンで泣いた人が多いのでは無いでしょうか。 ともかくSF映画の金字塔と言うには余りにもマニアックで、虚無に満ちている作品ですが ラストにデッカードが完全人造体であるレイチェルと、恋に落ちエアカーで逃げて行くシーンで僅かに救われます。 人間とレプリカントの差異は無いのだ。と。 【一般人】さん [DVD(字幕)] 10点(2005-07-30 23:37:16)(良:4票) 241.レプリカントが私たちとは異質な悪と感じられたら、この映画は吐き気さえ催す駄作に感じられるかもしれません。(確かに、そういう方向の想像力の発揮もありかもと今、ふと思ったりもするのですが)、、、、、、、レプリカントが求めているものは、限定づけられた命をながらえることであり、それは人間の根源的な欲求と重なり合うものです。、、、だから彼らが延命の術を求めて、街をさまよう姿は、行き詰まった恋愛、隘路に逢着した仕事に活路を求めつつ、虚しく歩む私たち自身の姿を想起させるのです。ヴァン・ゲリスの流れる雨降る夜の街は、そうした情感をさらに強くしてくれるものでした。、、、、そうした彼らに対して、既存の社会は、絶対的な障壁を設定し、差別し、その欲求の実現を暴力的に抑圧する。、、、、、、、それに対して彼らは暴力で応える。、、、彼らの中に、自分達と共通する願望を認め、差別される姿に同感を覚えつつも、その暴力に抵抗感を感じながら映像に見入ってゆくことになります。そしてロイの最後。、、、、自分は、極めて短期間であっても、誰とも違う経験をすることができた、その経験を美しく抱きながら、この先の命を断念しようと、ロイは暴力を収め、運命に従いました。、、、、あまりに美しく神々しい。、、、この時、私という存在も、経験、思い出によって定義される存在であるということが、切々と了解されるのです。過去の想い出は、わたしという現象そのものであるのかもしれない、、、、、、。レイチェルが懊悩するのは、自分を定義してくれる、かけがえのない記憶、思い出が、実は偽りのものであるかもしれないからでした。、、、SFの魅力は、今と違う世界を描くことで、私たちの想像力を刺激し、刺激された想像力で、ふと今の世界を見たとき、今の世界が違った形で豊かさを回復してくれる、というところにあると思います。そしてこの作品は、そうしたSFの魅力を見事に実現していると私は考えます。 【王の七つの森】さん 10点(2004-06-03 12:06:01)(良:4票) 240.世界観が本当に素晴らしい。演出としてうどんやら舞妓さんやら日本的なものがいろいろとでてくるが、日本人のぼくが観ても何一つ違和感なくこの世界観を醸し出す道具となっているように思えた。またレプリカントの死に様がなんとも美しい。特にルトガーハウアーの演技は悲哀が漂っていた。 【しっぽり】さん [DVD(字幕)] 9点(2011-09-11 23:39:42)(良:2票) 239.レプリも長く生きると感情が芽生える。恋愛感情や仲間意識も生まれるし、奴隷であることに嫌悪する。死にたくないとまで考える。もともと理性しかない機械なのに。生命は感情から理性を得たのに、レプリは理性から感情を得ている。もしかしたらこの話は、感情や本能の存在目的は、理性的に結論が出るという事を言いたかったのだろうか。機械の彼らが命を大切にし、もっと生きようとした理由はなんだったんだろう。 【カジ】さん 9点(2005-01-25 21:15:09)(良:2票) 238.《ネタバレ》 この作品を初めて観た時に面食らったのは事実だ。設定だけ見ればSFアクション映画を想像させるし自分もそれを期待していたのだろう。ここまで娯楽性に欠ける作品とは思いもしなかったのだ。しかし同時にこの作品の影響下にある作品を多く観た後だったに関わらず今作の世界観や映像、美術の密度に圧倒されたのも事実なのだ。これだけ影響された作品が数多く輩出されて、現代がもう「ブレードランナー」のような世界ではないかと言われるようになっても今作の映像はちっとも古びていない。凄まじいことだ。スタッフの神がかり的な仕事ぶりとリドリー・スコットの妥協のない姿勢と映像センスの確かさだろう。観る度に稀有な作品だと思うようになった。 話はシンプルだ。主人公が依頼された仕事をなんとか完遂し惚れた女と逃げる。ハードボイルド探偵モノのフィルムノワールとして観た方がおそらくしっくりくる。映像はウェットな感覚だが物語や雰囲気はドライだ。面白いのは感情がないとされるレプリカントの方が感情豊かに描かれていること。彼らは仲間で行動し、愛する人もいて、寿命が短いことに怒り、仲間の死を嘆く。人間側のタイレルやおもちゃに囲まれているセバスチャン、主人公のデッカードの方が孤独に見える皮肉。彼らの違いは一体何なのか。 登場人物はどれも個性的だが演じる役者も適役ぞろいで良い演技を見せてくれる。リドリー・スコットの前作「エイリアン」もそうだった。映像がとかく注目されがちな作品だが人物の表情やしぐさ、感情の移り変わりを観察する作品だと思う。その中でも強烈な個性を放っているのはルトガー・ハウアーが演じたロイだろう。狂暴な中にも哀しさを同居させているようなキャラクターで肉感的でもあり詩的でもある。最後に服を脱ぎ捨てデッカードを追い回すシーンは彼の生命の最後の輝きを全身で表現しているようだ。人間を憎み人間に憧れ、そして最後に救う。雨に打たれ自分の記憶を語りながら命を散らせていく。美しい瞬間だ。人を人とたらしめているのは記憶なのだろうか。それが作られた移植された記憶だったとしても。デッカードはレイチェルと街を抜け出す。もう彼女の中には移植された記憶だけではない。惚れた男に愛し愛された記憶や想いがある。ほのかな切なさを漂わせる終盤は本当に秀逸だ。 自分が初めて観たのはディレクターズカット最終版だったのでエレベーターのドアが閉まって終わるラストの方がどちらかというと好みでしっくりくるのだが、劇場版や完全版のラストも味があっていい。暗い世界観から解放された感じがあって良いという声があるのも分かる。あとワークプリントを観て気づかされたのは想像以上にヴァンゲリスの音楽がこの作品の強い位置を占めているということか。黒澤明は映画は芸術形態としては音楽に似ていると言ったが、ヴァンゲリスの音楽が大袈裟にならない形でこの作品にうまく寄り添っていることがどれだけ幸運なことか思い知らされた。 【⑨】さん [ブルーレイ(字幕)] 9点(2017-10-29 17:36:58)(良:1票) 237.3日前に“ブレードランナー 初鑑賞”のつもりで観た「ディレクターズカット 最終版」だったが、鑑賞後に同じバージョンを10年以上前に観ていたことに気づく……。 気を取り直して、この「オリジナル劇場版」を満を持して“初鑑賞”。 監督のリドリー・スコットが最も不満タラタラだったバージョンと聞くが、個人的には都合三度目の「ブレードランナー」鑑賞にして、一番しっくりきた。 三度目ということもあり、敢えて日本語吹替版で鑑賞し、良い意味で気を抜いて観られたことが良かったのかもしれない。 それに、古いSF映画を日本語吹替版で観るという感覚は、かつて自分が子供の頃に親しみ、「洋画」を観るきっかけともなった「日曜洋画劇場」の記憶を呼び起こし、時代を超えて映画を楽しんでいるという行為そのものに改めて感慨深さを感じた。(実際に「日曜洋画劇場」で「ブレードランナー」が放映されたかどうかは定かではないが) 人間に似て非なるものたちの「生命」に対しての切望とジレンマ。 この映画が伝える主題が、3回目の鑑賞でようやく腑に落ちた。リドリー・スコットは忌み嫌ったようだが、個人的にはこの「オリジナル劇場版」が紡いだストーリーテリングの在り方は、映画世界に対して真っ当だったと思う。 主人公・デッカードのモノローグも、ハッピーエンドも、リドリー・スコットは「説明的だ」「蛇足だ」と否定しているけれど、アーティスティックに振れ過ぎだった世界観を「娯楽」として成立させるために、効果的な手段だったと思える。 そして、この映画が、公開当時から現在に至るまで、世界中のありとあらゆるクリエイターへ多大な影響を与え続けてきたであろうことを、改めて実感した。 特に、我が心の書、岩明均の漫画「寄生獣」には、「ブレードランナー」に対するかなりダイレクトなオマージュ要素が多分に散りばめられていたことを、今回の鑑賞でようやく気づいた。 白目をむくレプリカントの表情や、瞳の中に異形のものが“混じっている”ことを暗に示す表現など、些細な描写からテーマの根幹に関わる設定に至るまで、重なる部分は少なくない。 「我々はどこから来て、どこへ向かうのか」 レプリカント“ロイ”の最期の語りなど、寄生生物“田村玲子”そのものじゃないか。 そういうことに気づいてくると、この実は決して大衆的ではない歪なSF映画が、長い年月に渡り世界中の映画ファンから愛され続けてきた理由も途端に理解できてきた。 今作を生み出したリドリー・スコット自身が、公開以降も試行錯誤を繰り返し、ある意味反則的であっても幾度も別バージョンを発表してきたことからも明らかなように、説明しきれぬ、表現しきれぬ魅力があるからこそ、この映画は今なおカルト的な人気を博し続けているのだろう。 どうやら一映画ファンとしてより良いスタンスで、全世界待望の続編「2049」を鑑賞することが出来そうだ。 【鉄腕麗人】さん [ブルーレイ(吹替)] 8点(2017-10-28 23:50:01)(良:1票) 236.天才的映像センスを持つリドリー・スコット監督により産み出された映画。水と色彩のイメージが強いその映像は緻密にして美麗。それまでのSF映画における未来都市は清潔なイメージで構築されていたが、彼は環境が汚染され酸性雨のそぼ降る退廃的なイメージで構築した。この映画の混沌とした未来都市は、ヴァンゲリスのシンセサイザー音楽とも相まって、世界観の確立に貢献している。そしてラストシーン。レプリカントのリーダー、ロイ・バッティの語る言葉は何度聞いても感動する。この言葉は、何とルトガー・ハウアーのアドリブだそうだ。以下、全文。「お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた。オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦・・・。暗黒に沈むタンホイザーゲートのそばで瞬くCビーム・・・。そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう。雨の中の涙のように・・・。死ぬときがきた・・・」。 【しぇんみん】さん [ブルーレイ(字幕)] 9点(2014-04-18 23:54:18)(良:1票) 235.初めて観たのは中学生の時私立図書館のLDで。それまで観たどの映画にも似ていないその世界観が強烈で、何度も足を運んで繰り返し観た(この映画とターミネーター2とエイリアン2はそれぞれ10回以上は観たに違いない)。 特に好きだったのは2つで十分ですよの名物おやじ。あのセリフのインパクトは凄い。また、変な日本語の看板や街中で繰り返される変な日本語が謎すぎて笑える。 当時はエレベーターが閉まった所で終わる最終版が好きだったが、完全版の暴力描写やナレーションも悪くないなと思った。色々バージョンはあるけど結局ブレランはブレランなのだという結論に至った。なので、それぞれのバージョンごとにレビューはせず、全部ひっくるめてここに書くことにします。 また、今頃になって監督がデッカードはレプリだったと断言してしまった為、せっかくレプリかどうか推測するという楽しみが無くなってしまったのは残念でならない。 【ヴレア】さん [レーザーディスク(字幕)] 10点(2013-12-23 20:45:34)(良:1票) 234.アジアンな喧騒に包まれながら、その内包するものはヨーロピアンな感覚の近未来LA。 映画の完成を見ずして逝ったP・K・ディックの原作をベースに、リドリー・スコットの世界が広がる。 リック・デッカード(ハリソン・フォード)が人間と感じられる劇場公開版は、ビデオの完全版とともに最もなじみのあるもので、最初に見たものから逃れえぬ観客もいる。 人間とレプリカントの闘争でなければ、ロイ・バティ(ルトガー・ハウアー)の最期の輝きも生きてこず、レイチェル(ショーン・ヤング)との関わりも同類相憐れむようなものとなってしまうのではあるまいか。 説明過剰を好まず、デッカードをもレプリカントに転生させたい思いのあるスコットは、ボイス・オーバー(ナレーション)が気に入らずなくそうとしてきたが、あれがあっては到底そうは思えないというのもあるのだろう。(「別れた妻」がいるレプリなどいるだろうか?) 物憂げなモノローグは多少古風であっても、デッカードの内面や情報を伝えてくれるものだが。 キューブリックから譲られた美しい空撮を使ったエンディングも、閉塞感に支配される作品において唯一開放を感じさせるシーンであり、デッカードの台詞も味わいをもつ。 スコットがそれら嫌いな部分をそぎ落として磨きあげたファイナル・カットは素晴らしい出来だが、その二つを無意識のうちに脳内補完する自分もおり、物足りなさや喪失感を感ずることおびただしい。 監督の好みがかならずしも観客のそれと一致しない一例で、不本意な任地に赴いた父親の子供にとってはそこが故郷になるようなものか。 魅惑的なヴァンゲリスの音楽も、長らくサントラが出なかったせいでカヴァー盤の方に愛着があるという煩雑さ。 ジョン・アルヴィンによるオリジナル・ポスターは素朴だが味があり、このシアトリカル・カット同様今も愛されている。 【レイン】さん [映画館(字幕)] 10点(2012-09-10 07:00:02)(良:1票) 233.《ネタバレ》 公開時、劇場で観た時は「暗くてジメジメして、ダラダラしてつまらない」としか思いませんでした。が、今回DVDで見直してみて、冒頭シーンの映像が美しくて溜息が漏れちゃいました。CGで楽に何でもやれちゃう映像に慣れたなかで、たまにアナログ時代の精巧な特撮映像を見ると、なんか「血が通っている」とか「魂がこもっている」とか、そんな感じのことが頭に出てきて、ほんの数秒のシーンでも非常に高価なものを観させてもらっている感覚でした。「わー、この映画ってプロジェクタで壁に映し出してインテリアみたいに使いたいなー」とか思いました。本気でそうしたい。若い頃はとくに感じるものがなかったけれど、 40代に入って鑑賞してみるとロイが笑みを見せて最後のセリフを喋る場面もちょっと泣けそうでした(若い頃は「今まで暴れてて、いきなり寿命かよ!」としか思わなかったんですが)。「どれがどれ?」と紛らわしい程いくつかのバージョンが出た作品ですが、僕はナレーションの入ってる方が好きです。ナレーションなしで主人公の心情はちょっと分かりづらいと思います。とくに1人目の女を殺した直後の主人公の気分とか、ナレーションなしじゃ分かんない。これ見よがしに「いい気分じゃない」的な表情をするでもなく、感情が排されたような固い表情をバックに、あのナレーションがあるっていうのが、ああいうタイプの男のリアルなんじゃないかなと。それに「ディレクターズカット版」の終わり方も好きなんですが、ラストに「人間だっていつまで生きられるか保証されてはいない」みたいなことをナレーションするこちらのバージョンの方が僕的には気づかされるものがあると感じました。「登場人物の心情は行動やセリフで語れ」みたいな映画作りのセオリーがあると思うんですが、僕は「必ずしもそうかなー???」と思ってる人間で、実際生きていると行動や表情や口にする言葉だけで自分の心の声全てが全うされるなんてことはありません。確実に声にしないで心の内側だけでぼやいたりとかありますもん。それがリアルな世界。心の声を観客に伝えるくらいのことは、あってもいいと思います。監督自身はナレーションなしが本意なんでしょうけど『ブレードランナー』に関してはナレーションあった方が伝わるとオモイマス。 【だみお】さん [DVD(吹替)] 6点(2011-08-30 22:29:41)(良:1票) 232.《ネタバレ》 レプリカントの本当の目的は復讐や人間世界の滅亡などではなく、生きたいという願い。それは、人間が抱くごく自然な感情。人間ではないレプリカントのロイは感情に身を任せることなく、デッカードを生かした。その行動は、今までの残虐的行動への彼なりの罪滅ぼしなのか、それとも、人間ではない自分でも極限の状況で理性を保つことが出来た。自分を生み出した人間にはそれが出来るのか、という彼等の人類への挑戦なのか、はたまたもっと別の理由なのかは分かりません。しかし、いずれにせよレプリカントは肉体的のみならず精神的にも人間に限りなく近い存在、もしくはそれ以上の存在になっていたという事なのではないでしょうか。 【ちゃじじ】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2008-01-18 21:44:25)(良:1票) 231.《ネタバレ》 この映画を、ハリソンとレプリカントとの戦いのアクション・サスペンス映画だと思ってみると失敗します。かく言う私もその一人ですから・・・ 暗くてごちゃごちゃしてて見にくいのもよくない。「未来世紀ブラジル」もそうなんだけど、「暗い近未来」を描くときに、単純に映像が暗い、ってなってしまうのはやはりよくないだろうよ。そういう面では「ガタカ」はすごい美しい。 【θ】さん [DVD(字幕)] 4点(2006-12-18 18:40:38)(良:1票) 230.ブレラン症候群・・・1. 日常生活で「~で十分ですよ」というフレーズに異常に反応してしまう。2. 雨が降っている日がちょっと好き。3. 写真を見ると、奥の方に写っているものも見てしまう。4. 亀を見ていると引っくり返したくなる。 一つでも当てはまるなら、あなたもブレラン症候群。 【MacGyver】さん [DVD(字幕)] 10点(2005-04-26 22:42:12)(笑:1票) 229.「フランケンシュタイン」から始まる人造人間対人間というテーゼに対する一つの解答を試みようとした意欲的な作品としてだけでなく、うどん屋のエピソードから始まる魅力的な近未来世界を創り出した作品としても、つまりメッセージ性とエンターテインメントを両立させた稀有の映画といっていい。でも、ハリソン・フォードがどうも好きになれないのが残念。最後に白髪の人造人間が残すセリフが印象的だった。<追記>実にこのレビューから一年以上経ったつい先日、ディックの原作を読んでみました。はっきり言って原作の出来は別格です。この映画は何一つ勝ってないようにすら思いました。しかもディックは1968年の時点ですでにこの作品が映画になりえるということを考えていたそうです。リドリー・スコットの意匠は見事なんですが、ディックの前ではヒキガエルです。 【Qfwfq】さん [映画館(字幕)] 5点(2004-06-19 23:58:16)(良:1票) 228.《ネタバレ》 この映画によって“近未来映画の革命”(酸性雨の降りしきるデッドテックな未来都市というビジュアルの発明)が起こったことは、映画の歴史の中でも重要な出来事だったと思います。(ちなみに、もうひとつの“近未来映画の革命”は俺的に『マッドマックス2』だと思います) それにしても、昔から“デッカードのナレーション&青空の疾走エンディングバージョン”を何度も何度もビデオで見返したクチなので、ディレクターズカット版(最終版)には、ちょっと素直にノレないンですよねぇ…。確かに、あのモタモタしたナレーションが無いことで映画の流れはクールになっているし、撮影時の監督の意図が「デッカードはレプリ」だった(その前提でのユニコーンの折り紙の意味)というのは頭では理解できるのですが…。でも、ねぇ…。この映画で感動した自分のキモチを、まるで“後出しジャンケン”でひっくり返されてしまったようで…。うん、やっぱり俺は最初に見たこのバージョンが好きですねぇ…。 「いィ~いィ~ことぉ~、す~るぅ~~~~」べべん!(三味線の音) 【幻覚@蛇プニョ】さん [ビデオ(字幕)] 10点(2004-06-09 23:57:52)(良:1票) 227.お前には信じられないものを見てきた。オリオン座ちかくの… 自分とまったく同じものを見てくる者はいないし、まったく同じものを感じる事もない。人はみんなそれぞれ違うもの。違うものが違うものを区別する事や判別、決めることや裁く事は、あいてにとっては自我としか映らないんだろうかって思う。 重苦しい音楽と映像の中でのレプリの美しい死の描写。 人間の対極には終わりがないのだろうか。 【風太郎】さん 7点(2004-04-15 13:40:29)(良:1票) 226.《ネタバレ》 リアルタイムで、高校生のとき見た。リバイバルのブルースリーの映画と同時上映で、とにかく衝撃だったなあ。 前半は必死に眠気と格闘してたんだけど、途中レプリカントの女が射殺されるシーンから、一気に作品世界にのめり込んだ。 ロイが、雨に打たれながら静かに死んで行くシーンは、何度みても涙が流れてしまう。敵であれ味方であれ、命というものを大切にしたくなった気持ちが素直によくわかる。 結局、生きる長さの違いはあれ、人間もレプリカントも、同じ問題を抱えてるんだろうな。 「自分は、どこから来てどこへ行くのか?」 当時、友人と二人で見に行ったんだけど、帰り道、二人ともあまり、しゃべらなかった。陳腐な作品だと結構話題がはずむんだが、こういう傑作に出会うと、表現する言葉が見つからなくて寡黙になってしまうんだ・・ということを知った。 ・・自分に一番影響を与えた作品です。 【せんぼう】さん 10点(2003-10-20 10:49:54)(良:1票) 225.『ブレードランナー』を語ろうとすると、語りたいことがいっぱいあるけど、みなさんが書いてるとおりなので手短に書きましょう。まず、DVD版と完全版の違いは、完全版には1.デッカードのナレーションがある。2.デッカードがピアノを弾く時にユニコーンの回想シーンがない(これは重要)。3.ロイがタイレルの目を潰すシーンがかなりエグイ4.ラストでデッカードとレイチェルはエレベーターを降りた後、ロサンジェルスを脱出し、冬季管理人としてコロラドにあるオーバールックホテルに行く。というのは冗談で、どことなく映画『シャイニング』で見覚えのあるシーンのような気がするが・・・5.その他。 このように、いくつかのヴァージョンが存在するために意図的もしくは明らかにミスと思われるようなシーンが多数ある。特に、蛇の鱗を顕微鏡で調べてもらっているシーンから、途中で購入したチンタオのボトルを自宅で飲むまでの間のシーンは謎の宝庫である。しかし、これは、R・スコット監督の我々観る側に対する挑戦状として受け止めたい。次に、ガフの作った折り紙の意味についてですが、深読みするとデッカードも実はレプリカントではないか?との疑問がわいてくるので、それはやめて浅く考えると、最後にでてくるユニコーンの折り紙は、ユニコーンとはレプリカントの意味で、更に言うとレイチェルを表しており、ガフのデッカードに対する「レイチェルといっしょなのはわかっていますよ。彼女は短い命ですから生かしておきましょう。早くお逃げなさい。」とのメッセージがこめられていると思う。最後に、余談ですがデッカードが冒頭で飲んでいる四角いグラスはとても格好よくて、僕も特注して作ってもらいました。 【Fatman】さん 10点(2003-03-30 15:40:35)(良:1票) 224.日本人にしか受けない。この映画を、絶賛している人たちが気持ち悪い。 【ぺぺ】さん 0点(2003-03-09 05:55:19)(良:1票) 223. リドリー・スコット第2作(「デュエリスト」から数えりゃあ3作目か?)にしてカルト。ヒゲガンダムのデザイナーと同一人物とは思えない、美術シド・ミードのベストワーク。「協力わかもと」の看板、怪しげな日本語の飛び交う屋台に降りしきる酸性雨…。胡散臭過ぎる2020年の未来都市の映像はCG垂れ流しの現在でも見事。このアトモスフィアを描く方便にP・K・ディック原作を付き合わせたのはチト頂けないが、ディック無しにこの沈鬱なイメージは到底インスパイアされなかっただろうからマァ仕方ないか。とは言え、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」とはハッキリ言って別物なんで、ディック好きの私としては絶対に混同してもらいたくない。読んだヒトなら分かる…よね? 【へちょちょ】さん 7点(2002-12-29 03:01:43)(良:1票)
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